丹沢横断②
日程:2025/04/05-07
概要:2泊3日で西丹沢から東丹沢へつなぐ丹沢横断コースの第二弾。山中湖畔の平野を起点として、初日は山伏峠まで車道を歩いて水ノ木分岐から西丸・東丸経由で水ノ木に下り、織戸峠と富士見峠をつないで地蔵平に達し、三ヶ瀬古道の一部を使って二本杉峠に登り丹沢湖畔に宿泊。2日目は玄倉から玄倉林道をユーシンまで入って朝日向尾根から臼ヶ岳に登り、蛭ヶ岳山荘に泊まる。3日目は丹沢山から天王寺尾根を下っていったん林道に降りてから大山北尾根に取り付き、途中からネクタイ尾根を下り唐沢峠へ登り返し、梅ノ木尾根を辿って日向山と見城を踏んで広沢寺へ下山。
◎PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:西丸 1227m / 東丸 1025m / 臼ヶ岳 1460m / 蛭ヶ岳 1673m / 丹沢山 1567m / 日向山 404m / 見城 375m
同行:---
山行寸描



丹沢での山歩きは日帰りでももちろん楽しいのですが、十分な日程をとり地図上に自由に線を引いて歩くロング縦走も面白いものです。その手の山行としてはこれまで、距離の長さに重きをおく『丹沢長尺三部作』(丹沢全山縦走・西丹沢周回・東丹沢周回)と特定のテーマを設定する『丹沢テーマ別三部作』(丹沢グルメ巡り・丹沢ブナ巡り・丹沢ミツマタ巡り)を歩いていますが、さらに丹沢全山縦走のバリエーションとして西から東へ極力「真横」に歩くことを目指す丹沢横断という歩き方も試みていました。

今回の山行は2023年に実施したこの丹沢横断をコースを変えて再び行おうとしたもので、コース設定のポイントは次の3点です。
- 山中湖畔の平野からなるべく真東に向かう。
- 前回の丹沢横断ルートとはなるべくコースを重ねない。
- 今まで歩いたことがないコースをなるべく組み込む。
2025/04/05
△05:20 平野 → △06:10 山伏峠 → △06:50-55 水ノ木分岐 → △07:40 西丸 → △08:35 東丸 → △09:45-50 織戸沢出合 → △11:30-40 織戸峠 → △12:55 富士見峠 → △13:50-55 地蔵平 → △16:10-15 二本杉峠 → △17:00 細川橋 → △17:30 落合館
山旅の初日は前回の丹沢横断のときと同じく前泊した山中湖畔の平野を早朝に出発し、車道を山伏峠まで歩いて水ノ木分岐から西丸・東丸の尾根を下って水ノ木に降りてから、過去に歩いた地蔵平〜水ノ木の逆コースと三ヶ瀬古道を組み合わせて丹沢湖まで歩きます。
宿を早朝に出て平野交差点近くにあるコンビニで朝食と3日間の行動食を調達してから、夜明けの道を山伏峠まで。この山伏峠のトンネル手前から大棚ノ頭と水ノ木分岐を経て南東に下る尾根の最初の部分までは、2020年の山伏沢下降〜樅ノ木沢の際にアプローチとして歩いたことがあります。
木の間越しに立派な富士山の姿を眺めながら登山道を歩き、水ノ木分岐でヘルメット・ハーネス・チェーンスパイクを身につけたら明るい尾根に踏み込みます。この尾根は傾斜が緩やかで途中までは古い道もついており歩きやすいのですが、西丸手前から左へ巻いていく道に入るとそのまま金山沢へ下ってしまうので、尾根通しに進むことを意識する必要があります。
初めて踏んだ西丸と東丸。ことに東丸は、振り返ると西丸や甲相国境稜線が眺められて気持ちの良い場所でした。
さらに進むと伐採によって開けた眺めの良い場所に出ました。向きとしては南東の方を見ているので、右端の山は箱根、その手前の長い尾根は不老山から三国山へとつながる尾根で、さらに手前の尾根の鞍部は世附山神峠ということになるのだと思います。ここから見下ろす世附川上流域は、江戸時代にその帰属を巡って平野村と世附村等とが争い、平野村が敗訴した歴史があります(詳しくは〔こちら〕)が、実際に歩いてみると平野からの近さが相模側からのアクセスに勝っていることが実感できます。
水ノ木の祠にまずはここまでの安全についての御礼を申し上げてから、目の前の世附川を飛び石で渡って織戸沢右岸の尾根に取り付きました。ここから地蔵平までの二つの峠越え(織戸峠・富士見峠)は、いわばこの日の第2ラウンドです。
この尾根の沢側斜面には、かつて水ノ木と地蔵平を結んでいた旧道の跡が残っているのですが、これは途中で崩落しており通れません。また、今回はそうした歴史探訪が目的ではないので、旧道には未練を持たずに尾根通しに高度を上げて富士見林道に合流しました。
しばらく林道を進んで適当なところで右下の織戸沢に下り、沢通しに奥へ進みます。この沢は支流が少なくないので遡行するためにはGPSで現在地を確認しながら進む必要がありますが、雨降りの後でもない限り水量は多くないので靴を濡らさずに歩いていくことが可能です。
2021年に逆コースでここを歩いたときは、織戸峠から旧道の跡を辿って高度を下げた後に危なっかしい斜面のトラバースで沢に下りましたが、今回は織戸峠から下ってくる枝沢をまっすぐ詰めてみました。その目論見は見事に当たり、なんら苦労することなくダイレクトに織戸峠に乗り上がることができました。この峠はその落ち着いた佇まいがなんとも言えず好ましいところで、ここでリュックサックを置き小休止をとりました。
ひと息ついてから、向こうに見えている富士見峠を目指して旧道の跡を辿ります。ただし、この道もまた途中で形を失うことも経験済みです。
このため、これまた旧道にはこだわらず適当なところから枝沢の底に下り、法行沢に達して少し上流へ進んでから対岸の植林地の中に入りました。このあたりはこれと言った目印がないので、ある程度の勘を働かせて道筋を見つけ出す必要があるところです。
かくして無事に富士見林道に到達しました。織戸沢出合から上がった林道も富士見林道でこちらも富士見林道なのはおかしいではないかと思われるかもしれませんが、この二つの林道は本来織戸峠の近くでつながり一本の林道になる予定だったので同じ名前がついているようです。
その林道の名前の由来となる富士見峠からは、前回見ることができなかった(と言うより探すことを忘れていた)富士山の姿がうっすらと見えていました。
歩きやすい富士見林道を東へ進むと、終点にはそこそこ立派なミツマタの群落がありました。向こうに見えているのは世附権現山で、その左下の鞍部はこれからそこへ向かおうとしている二本杉峠です。
林道の終点から地蔵平に向かう尾根は植林地になっており、斜度もきつくなく安心して下ることができました。ただし、最後にニボシ沢へ下るところは上流方向へ崩れかけた下りトラバースの道を辿ることになるので慎重に。
この地蔵平には昨年末にも今年1月にもやってきていてすっかりマイブームな感じですが、いつ来ても独特の穏やかな雰囲気がすてきです。しかしここからの第3ラウンドは、この日の、と言うより今回の山行で最も緊張する区間です。
それは言わずと知れた三ヶ瀬古道の地蔵平〜二本杉峠間のトラバース道ですが、2020年に逆コースで歩いたときと比べてもはっきりと崩壊の度が進んでいることがわかりました。たとえば、この丸太橋にしても前回は三本がぴったり揃った形をしていた(だからと言ってこの上を渡ろうとは思いませんでしたが)のに、今はバラバラ。いくつも出てくる沢筋の横断も際どいトラバースを強いられて、前回は感じなかった危険を感じ続けながら歩くことになりました。
最も緊張したのは、この沢の切れ込みの横断です。前回ここは上から小さく巻いて渡ったのですが、こちらからだと向こう岸の崩壊した斜面を下ることになるので、安全に降りられるという確信が持てません。しばらく観察した結果、上回りではなくロープを出して沢の中に懸垂下降し、わずかに下って対岸の斜面を登り返す下回り作戦をとったのですが、この登り返しも崩れやすい土の急斜面をまばらな立木にすがりながらの登りになって、チェーンスパイクの貧弱なフリクションではぎりぎりといったところでした。
その後に出てくるフィックスされたトラロープでの下降と登り返しもあらかじめ懸念していたポイントでしたが、こちらはフィックスロープが強度を保ってくれていて問題なく通過することができ、これでこの区間の難所は終了です。引き続く細いトラバース道もここまでの難所を越えた後では怖さを感じるほどではなく、やがて無事に二本杉峠に到着することができました。
二本杉峠でバリエーション用ギア一式を外したら、一般登山道を細川橋へ下ります。麓の神社にこの日の無事の御礼を申し上げて、細川橋からは車道を歩いて宿に向かいました。
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今日の宿は、昨年のミツマタ巡りのときにも宿泊した「落合館」さん。受付をすませたらすぐに風呂に入ってさっぱりし、豪勢な夕食にお酒もつけて自分で自分を慰労しました。
2025/04/06
△07:20 落合館 → △07:55 玄倉 → △08:25 小川谷出合 → △09:25 玄倉ダム → △10:25-40 ユーシンロッジ → △12:30 水晶平 → △13:45 臼ヶ岳 → △15:25 蛭ヶ岳山荘
中日のこの日は癒し系。行程が短いので早立ちはせず、「落合館」で朝食をしっかり食べてから出発しました。今日の行き先は蛭ヶ岳で、長い間通行止めになっていた玄倉林道が昨年11月に規制解除されたためにこれをコースに組み込みましたが、この林道の入口からユーシンまでの区間を歩くのは2006年に同角沢を遡行したときの帰り道以来19年ぶりです。そしてユーシンロッジからは朝日向尾根を登って臼ヶ岳に達し、あとは登山道を蛭ヶ岳まで歩くシンプルなコース設定です。
この日の天気予報はよろしくありませんが、出発する時点ではお日様が優勢で、丹沢湖南岸の桜もいい色を見せてくれていました。しかしこの好天は長続きせず、玄倉林道に入る頃には早くも雲が広がってきてしまいました。
新緑も紅葉もないこの時期の玄倉林道の歩きは率直に言えば退屈ですが、これまで歩いたことがないルートの入口を二つ下見することができました。まずは境隧道を抜けてすぐ左にある踏み跡に注目。これは御料林径路の玄倉川左岸側の入口で、ここを登れば山神峠に達することができます。その出だしのところにはダム管理事務所からの点検用巡視路につき通行により負傷された場合でも当局は責任を負いません
との注意書きがありました。ごもっともです。
石崩隧道を抜けたところには玄倉川への降り口があってコの字の足場(通称「ホチキス」)が打たれており、対岸の尾根にも階段らしきものが見えていました。この道は向山ノ頭や裸山丸を経て同角尾根上の東沢乗越に通じており、このあたりの鉱山の歴史と関わっているはずです。ここも前から一度歩いてみたいと思っているところなので、先ほどの御料林径路とセットで山行プランを組むことができないか、いずれ考えてみようと思います。
そして石崩隧道のすぐ先にあるのが玄倉ダムです。玄倉ダムと言えば1999年8月の玄倉川水難事故を思い出しますが、この日はそうした過去を忘れさせるように穏やかな佇まいでした。
あいにくの曇天のためにユーシンブルーの色は本来の鮮やかさを有していなかったかもしれませんが、それでも透明度の高さとブルー〜グリーンの色合いは不思議な雰囲気を醸し出していました。上述の通り私は2006年にここを歩いているのでこの貯水池も見ているはずですが、当時は貯水していなかったか、ユーシンブルーなる言葉がなかったか、あるいはその日の難しい沢登りのことで頭がいっぱいだったかでまるで記憶になく、写真も残されていません。なお、このダムのすぐ先に玄倉第2発電所があって「ダムの上流側に発電所とはこれ如何に?」と思ってしまいましたが、後で地図をよく見たら玄倉第2発電所に発電用の水を供給しているのは熊木ダムで、この玄倉ダムが水を送る先は丹沢湖東端にある玄倉第1発電所でした。
さらに歩き続けて雨山橋、ついでユーシンロッジに到着です。この立派な施設が活用されないままというのはいかにももったいないことですが、そんなことを考えているうちにも雨は本降りになってきてしまいました。
朝日向尾根を登ること2時間弱で、ブナの大木が林立する水晶平に着きました。ここは前回の丹沢横断や2023年のブナ巡りのときに訪れていますが、雨の中、しかも冬枯れの姿のままのブナ林の眺めには寂しさがつのります。それに毎度のことながら、この見事なブナ林の足元を無粋に横切る植生保護柵は(その必要性に異議を唱えるものではありませんが)残念としか言いようがありません。
水晶平の突き当たり近くにあるミツマタの群落に癒されたり、坂道の途中で謎の生命体ツチグリにぎょっとしたりしながら自分の他に誰も歩いていないこの尾根をひたすら登っていくと、やがて雨があがって雲が急速に引き始めました。
臼ヶ岳の山頂近くでは青空が広がりましたが、これは一瞬の出来事にすぎず、登山道に到達する頃には周囲が霧に覆われてしまいました。ともあれ、ここから先は一般登山道なので雨が降ろうが雪が降ろうが歩きには支障ありません。
今年は3月から4月にかけての降雪が多かったため、蛭ヶ岳の山頂近くの登山道もこの時期にしては珍しいほどの雪で覆われています。これは難儀なことだな、と思いながらもスリップしないように一歩一歩をしっかり蹴り込みながら登り続けて、霧と風に巻かれている蛭ヶ岳山頂に到着しました。
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蛭ヶ岳山荘に泊まるのは1989年以来36年ぶり2回目で、この間に建物の建替えが行われ運営主体も変わっています。本来であれば今朝も早立ちをして丹沢山荘まで足を伸ばした方が明日の行程にゆとりができたのですが、あえて蛭ヶ岳泊まりにしたのはそうした(未体験の)蛭ヶ岳山荘に泊まってみたかったからでした。しかもこの心掛けがよかったせいか、この日の夕食は小屋詰めの若者が腕をふるってくれたサラダ付きのスペシャル版になっていてラッキーでした。なお、この日は年に2回のヘリコプターによる荷揚げの直前とあって物資の欠乏が目立つタイミングだったのですが、数日前にボランティアさんがビールを担ぎ上げてくださっていたので、ありがたく2本いただきました。
2025/04/07
△06:30 蛭ヶ岳山荘 → △08:20 丹沢山 → △10:20 天王寺峠 → △11:00 塩水橋 → △13:10 一ノ沢峠 → △15:40 ネクタイ尾根分岐 → △16:45 唐沢峠 → △17:00 矢草ノ頭 → △18:50 日向山 → △19:15 見城 → △20:10 馬場リハビリ入口バス停
最終日は蛭ヶ岳から東丹沢へと下るだけですが、それだけに今まで歩いていない区間を詰め込みたいと考えて、丹沢山からの天王寺尾根・大山北尾根の末端区間・ネクタイ尾根・梅ノ木尾根(いずれも未踏)を辿って広沢寺へ下る少々ややこしいコースを設定しました。
朝食は5時半以降と言われていたのに目を覚ましたら6時少し前。しまった、寝坊した!と焦りながら食事をすませ、小屋番さんたちの気持ちの良いもてなしに心からの御礼を述べてから出発です。しかし、起床したときには富士山も見えていたのに、出発時点の稜線上はすっかりガスの中で、これは不動ノ峰休憩舎まで続きました。
早戸川乗越を通過する頃には一時的にガスがとれ、眼下の箒杉沢とその向こうの鍋割山界隈が見通せましたが、丹沢山へ登り返すと再びガスが流れてきました。昨日に続いてこの日も昼前から雨が降るという予報なので、今のうちに距離を稼いでおかなければ。
丹沢山の山頂周辺も蛭ヶ岳に負けず劣らずの残雪があり、その中をスリップに注意しながら丹沢三峰に向かう道に入って、途中の分岐から天王寺尾根を目指しました。この道は途中でさらに分岐して堂平を下る道と天王寺尾根を進んで天王寺峠から本谷橋に降りる道に二分するのですが、いずれも車道を下ったら合流して塩水橋に達することになります。丹沢三峰から分かれるこのポイントに何も注意書きがなかったので、この時点ではよもや塩水橋の先で県道70号が通行止めになっているとは思いもよらなかったのですが……。
初めて歩いた天王寺尾根は、上部の方こそブナ林にアセビやツガが混じっていい雰囲気でしたが、途中から南面が植林になっていてあまり風情のある道ではありませんでした。まあ仕方ない、こういうのは実際に歩いてみなければわからないものです。
天王寺峠からわずかの下りで本谷橋に降り着き、さらに車道をてくてくと歩いて堂平からの道を合わせてやがて着いたのは塩水橋ですが、ここで待機していたおじさんから「宮ヶ瀬方面には行けませんよ」と言われてしまいました。えっ、そうなんですか?
そこに貼られている説明書を見れば確かに、県道70号の一部につき昨年12月2日から今年の4月下旬頃まで車両や歩行者の通行ができないことになっており、ここで言う「一部」とは塩水橋〜旧金沢キャンプ場の区間を指していました。ところがこの日の計画では、その旧金沢キャンプ場から中津川を渡渉して大山北尾根の末端に取り付くことにしていたのでこれには困り果ててしまいました。そんなことなら、丹沢三峰から天王寺尾根方向への分岐点に注意書きを出してくれたらいいのに。これでは、自分だけでなく少なからぬ登山者がここまで降りてきて通行止めだと言われて往生しているのでは?などと思いはしたものの、もともと県道70号はたびたび通行止めになる道なのできちんと下調べをしなかった自分の責任です。それにしてもこの先どうするか……と地図を眺めて沈思黙考約30秒。ここから札掛方向へ歩いてすぐの布川出合あたりで道から河原に降り、対岸の斜面を登れば(末端からということではなくなるにしても)大山北尾根に乗ることができそうだと見当をつけて、心配顔のおじさんに「わかりました、こっちへ行きます」と告げると、おじさんはほっとした顔をしてくれました。
おじさんに別れを告げて車道を進み、最も傾斜の緩そうな尾根を選んで下ってみると案の定そこは植林地になっていて踏み跡も続いています。無事に布川の河原に降り着き、浅瀬を選んで対岸に渡った頃から本降りの雨になりましたが、この渡渉さえ終わってしまえば川がいくら増水しても平気です。
地形図で等高線を読んで適当と思われるラインを選び取り付いてみると、下部は斜度が強い上に斜面が脆く慎重さが求められましたが、途中から植林地になって一安心。日頃植林地の潤いのなさに文句を言っている自分も、こういうときはありがたみを感じるのだから勝手なものです。ともあれ、計画していたライン(上図オレンジ色の線)に横から合流するかたちにはなったものの、無事に大山北尾根に入ることができました。
しかし、一ノ沢峠に着く頃から雷鳴が聞こえてきたときには肝を冷やしました。幸い、雷が鳴っているのは高空であることと雨が小降りになってきたことで足を止めずにすみましたが、大気を不安定にしている冷気が入ってきて身体を冷やし、ここからしばらくの間は悲壮感漂う登りになってしまいました。
我慢の登りを続けること1時間、地獄沢橋へ下る道を分ける頃には雷が収まり、雲が切れて日が差すようにもなってきました。さらにミズヒノ頭までのひと登りをこなすと、そこから先は緩やかなアップダウンを繰り返す気分のいい尾根道になり、そしてモノレールが三方から集まる場所に出ました。ここが、これから下ろうとしている石尊沢左岸尾根(通称「ネクタイ尾根」)の下降ポイントです。
ネクタイ尾根の下りは緩やかで迷う要素もあまりなく、チェーンスパイクの力を借りるまでもなくぐいぐい下ることができます。行く手に見えている大山〜三峰山間の尾根が徐々に高くなってくるのを意識しながら降り続けて、途中で右に向きを変えて石尊沢に下ればネクタイ尾根はほぼ終了です。
ありました、派手なネクタイ。この尾根は昔から降り口や途中にネクタイがつけられては失われといったことを繰り返しているようですが、このエンジ色とクリーム色の縞模様のネクタイはそれほど古いものではなさそうです。しかも特筆すべきはその結び方で、どうやらきちんとしたネクタイ用のノット(プレーンノット?)を採用している様子に結び手のこだわりを感じました。ちなみにネクタイのブランドは「J.Crew」です。
地形図によればここから道(点線)は唐沢川の左岸に付けられていることになっていますが、実際には右岸に水平道があり、これを下流方向に進むとすぐに右上へ折り返して唐沢峠へ通じていました。
唐沢峠に着いた時点で16時45分。思いの外に時間がかかってしまっていて、エスケープするならここから不動尻に下ることもできますが、予定しているコースの終盤は真っ暗になっても歩ける道なので初志貫徹です。唐沢峠から大山方向へ標高差100m弱を登って矢草ノ頭を越えた先にある分岐が梅ノ木尾根への入り口で、ここは2022年の東丹沢周回の際に弁天御髪尾根から登ってきたところですが、今回は逆にここから下って途中から梅ノ木尾根に入ることになります。この尾根の入り口には不用意に入らないようにと木の枝や幹で通せんぼされていましたが、確かに出だしはそこそこの急傾斜で一般ハイカー向けとは言いにくい難しさがありました。
また、先ほど「梅ノ木尾根に入ることになります」と簡単に言いましたが、矢草ノ頭から降りてくると梅ノ木尾根の分岐が上の写真(矢草ノ頭方向を振り返り見た構図)の中央のこんもりしたマウンドの陰になるので見落としがち。道標もないので、地図やGPSで「そろそろ分岐があるはず」と意識しながら歩く必要があります。
梅ノ木尾根の最初の方には細い岩尾根風の箇所もあってちょっとしたアルペンムードを味わうことができますが、やがて道は植林地の中の歩きやすいものに変わり、そのままどこまでも高度を下げていきます。そして浄発願寺奥の院へ通じる道を分ける頃から、ヘッドランプに点灯することになりました。
日向薬師へ降りる道を分けて登り返せば日向山、さらに七曲峠へ下って再び登り返すと見城。この見城には初めて訪れましたが、15世紀中頃に関東管領山内上杉憲忠が築いて後に扇谷上杉氏が所有した七沢城のうち物見の兵が詰めたところだそうです。本来ならじっくりあたりの地形を見て回りたいところですが、この真っ暗な中ではそれは無理……。
ともあれこれで踏むべきピークはすべて踏み終え、夜景の明かりに向かって下山しました。この手の山行の最終日では毎度のことですが、やれやれ、長い一日でした。
今回歩いたコースを2014年の丹沢全山縦走および2023年の丹沢横断のコースと重ね合わせてみると下の図のとおりで、冒頭に記した三つの条件は完璧とは言えないまでもおおむね果たすことができました。なお1番目の条件である「真東」という点に関しては、前回のラインの方がより直線的で美しいのですが、その代わり今回の下山口である広沢寺界隈は平野から見てほぼ真東になっているのではないか、という理屈です。

こうしてみると「丹沢を西から東へ」という素朴なテーマでも、工夫次第でいろいろなラインが引けるものです。2年前の丹沢横断の記録の末尾にはさすがにこうしたストイック系のコース設計はもはやネタ切れ
だと書いたのですが、実際には丹沢の懐はそんなに浅くはなかったということなのかもしれません。とは言うものの、今週から気温が上がってヒルのシーズンに入るので、今季の丹沢はこれでおしまい。次の冬になったらあらためて、新しいテーマで新しいラインを地形図上に引けないか考えてみようと思います。