丹沢ミツマタ巡り

日程:2024/03/27-29

概要:2泊3日をかけての丹沢ミツマタ巡り。初日はミツバ岳からエルドラドに回って椿丸まで。2日目に大ノ山ミツマタヒルズを堪能し、玄倉ノ野から山神峠を経て伊勢沢ノ頭に上がり、雨山峠、鍋割山を越えて塔ノ岳まで。3日目に表尾根を下ってヤビツ峠から大山に登り、不動尻へ下る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:ミツバ岳 834m / 世附権現山 1018m / 椿丸 902m / 大ノ山 723m / 大橅ノ丸 954m / 檜岳 1167m / 鍋割山 1272m / 塔ノ岳 1491m / 大山 1252m

同行:---

山行寸描

▲エルドラド。彼方に見えている檜洞丸の山腹はまだ残雪で白い。(2024/03/27撮影)
▲大ノ山ミツマタヒルズ。これだけではとても魅力を伝えられないので、上の写真をクリックして動画を見て下さい。(2024/03/28撮影)
▲不動尻。植林地の中というのが少し残念だが、アプローチの良さは貴重。(2024/03/29撮影)

昨年秋の「丹沢ブナ巡り」を終えた時点で、次の丹沢での山旅はミツマタ巡りにしようと決めており、年が明けた頃から行程の検討に入っていました。ミツマタの群生地は丹沢の至るところにありますが、一般登山者がアプローチしやすいところとしては西丹沢のミツバ岳と東丹沢の不動尻があり、規模の大きさでは昨春の「丹沢横断」の際に通過したエルドラドも外せません。さらにネット上で調べてみると丹沢湖北東岸に面する大ノ山の尾根上に「ミツマタヒルズ」と通称される大群生地があることがわかり、これらをつないだコースを構想して宿の手配も3月上旬にはすませたのですが、今年の春は気候が不安定で例年になく晩春の降雪が続き、計画の実行時期をたびたび後ろ倒しにして、これ以上遅らせるとヤマビルの被害が無視できなくなる3月最終週というタイミングでいよいよ実行に移すことにしました。

2024/03/27

△08:15 浅瀬入口 → △09:35-45 ミツバ岳 → △10:25-30 世附権現山 → △11:05-15 二本杉峠 → △12:05 千鳥橋 → △12:35 ソーラーパネル → △13:45-50 P838 → △14:15-30 椿丸 → △16:25 浅瀬橋 → △17:20 落合館

この日は水曜日ですが、それでも新松田駅前から西丹沢ビジターセンターへ向かうバスはそこそこの賑わい。そして私を含む数名の客が浅瀬入口でバスを降りました。

この日の午前中は素晴らしい青空で、世附大橋あたりからは前方にこの日の最初の目的地であるミツバ岳の姿を眺めることができました。

滝壺橋を渡ったところにミツバ岳登山口があり、そこから緩やかな斜面をジグザグに登っていくと、登り出して15分ほどもたった頃から早くもミツマタの黄色い花が見られるようになりました。さらに登り続けて植林地を抜け、葉が落ちて明るい自然林の中を登り続けるうちにまとまった数のミツマタが前方に現れました。

お、これはいいぞ!と思いながらミツマタの中を抜けていくと、あっけなくミツバ岳の山頂に到着です。そこにはすでに何人かのハイカーが先着していて、写真撮影に余念がありませんでした。このミツマタ群生地は向こうの富士山とセットで見られるところがポイントで、間を遮る植林がなければもっといいのにとは思うものの、それでも黄色と白の組合せはすてきです。

さて、ここからは少し進んだピークから西北西へ伸びる尾根を下ることを計画していた(右図青線)のですが、前日がたいへんな雨量だったので大又沢を渡れるかどうか確信が持てなかったため、世附権現山を越えて二本杉峠を目指すことにしました。

懐かしの二本杉峠でザックを下ろし、ヘルメットをかぶりチェーンスパイクを装着してバリエーションルックに変身してから西の大又沢にかかる千鳥橋を目指しますが、この峠からただちに西へ下る道(大杉歩道)が危険極まりないことは「丹沢横断」の際に経験済みなので、いったん北上して三ヶ瀬古道に入り、これを少し進んだところから西へ下る尾根を使うことにしています。

二本杉峠からまずは登山道を歩いて旧二本杉峠とも呼ばれる鞍部に達し、そこから尾根通しではなく左(西)の山腹を巻いて地蔵平へ向かう道[1]が三ヶ瀬古道ですが、もともと崩れかけていて悪いこの道は2020年に歩いたときと比べるとさらに際どさを増しているような気がします。それでも無事に目指す尾根に達したところで下り方向を見てみると地形図通りに緩やかな下降路になっており、尾根の上の方も同様に緩やかで歩きやすそうな尾根が下ってきていましたから、ここは無理に三ヶ瀬古道を使うのではなく旧二本杉峠からさらに屏風岩山方向へ登ってこの尾根のてっぺんから下る方が安全そうです。

二本杉峠から西へ下る沢筋の北(右岸)の尾根はたいへん歩きやすく、危険な箇所は皆無で下り続けるうちにかつての登山道にぶつかって、そこから右へわずかの歩きで千鳥橋です。これを渡って南へ10分ほど歩けば大又沢ダムで、水面は美しいエメラルド色でしたが上流からの土砂でずいぶん狭くなっているようにも思いました。ここからさらに南に進んだらすぐに法行沢林道の分岐ですが、そこから見下ろす大又沢の水位はまったく上がっていません。大正時代に作られた大又沢ダムは今でも雨降りで増えた水をせっせと丹沢湖畔の落合発電所へ送り込んでくれていて、このためたとえ雨が降ってもダムより下流の水位に影響しないのでしょう。そうとわかっていれば上記の通りミツバ岳からダイレクトに大又沢に下ったのに……とは思いましたが、久しぶりに三ヶ瀬古道の一部を歩くことができたのもそれはそれで意義のあることでした。

次の目的地であるエルドラド(椿丸を中心とする山塊の東端の尾根上)は、法行沢林道を上流へ歩いてすぐに出てくるソーラーパネルの左から法行沢に下り、法行沢を渡って左手の岩がちの尾根を登った先にあります。以前は下り方向でエルドラドを通過したので、登り方向で見るとどうなるのだろうと楽しみにしながら尾根を登ってみると……。

うーん、エクセレント。やはりミツマタは(ミツマタだけを見るのであれば)見上げる方向が映えますね。しかしこのエルドラドの魅力は、開けた背後に重畳と連なる山や谷とセットで眺められる点でもありますから、結局のところ登って見てもよし、下って見てもよしといったところです。

エルドラドを抜けたらP838まで尾根を詰め、稜線を西に辿って椿丸を目指します。途中には林道が横断する切通しができていますが、この切通しの両側の土壁には数多の登山者が歩いて付けたスロープができており、これを使って難なく先に進むとわずかの登りで、いささか毒々しい赤色の手製標識が木に付けられた椿丸の山頂に到着しました。

椿丸から北に遠く菰釣山を見通すこの景色は私のお気に入りの風景の一つで、樹木が伐採された斜面はやはりミツマタの花盛りになっていました。今日の最後の目的地はこの椿丸でしたが、ここに到達する手前あたりから雲が広がり、肌寒くなってきました。さっさと下らなくては。

下山のコースは先ほど歩いてきた道を東に戻って、P838の手前から南に伸びる尾根を浅瀬橋の近くまで緩やかに下るルート(椿丸南ルート)です。この道自体はよく踏まれていて歩きやすいのですが、実はエルドラドからずっと「丹沢汚し」と呼ばれる紫のスズランテープがあちこちに付いており、これらをせっせと回収しながら歩いたために下りのペースが遅くなってしまいました。このスズランテープは、本当に登山者が必要とするであろう場所に括りつけられているのならまだしも、明瞭な道筋の途中であったり、ひどい場合には既存のピンクテープの上に結んであったりするので、もはや道しるべのためではなく自己顕示欲の発露でしかないだろうというのが私の理解です。そんなわけでウエストポーチをスズランテープでいっぱいにした頃に下界に降り立ち、あとはてくてくと車道を歩きました。

今宵の宿は永歳橋の南のたもとにある落合館さん。風呂につかって疲れをとり、おいしい料理に舌鼓を打って、早々に就寝しました。

2024/03/28

△05:20 落合館 → △06:05 玄倉川橋 → △07:45 大ノ山 → △08:55 玄倉川橋 → △10:50 玄倉ノ野 → △11:35 大橅ノ丸 → △11:50-12:00 山神峠 → △12:45 伊勢沢ノ頭 → △13:10 檜岳 → △13:40 雨山 → △14:00 雨山峠 → △14:45 鍋割峠 → △15:15 鍋割山 → △16:15 塔ノ岳(尊仏山荘)

午前4時30分に起床し、持参したパンでの朝食をとってから身繕いをして、まだ暗い中を出発しました。

歩いているうちにすぐに明るくなってきましたが、天気予報の通り空は雲に蓋をされていて薄寒い雰囲気です。この日の目的地である大ノ山は丹沢湖の対岸に見えている遠見山の南に派生した尾根上のピークで、湖の南岸を玄倉バス停の先まで歩いて玄倉川橋を渡ってのアプローチとなります。

玄倉川橋から丹沢湖北岸を西に進むとわずかの歩きで今日沢橋があり、『西丹沢登山詳細図』ではその西(右岸)の尾根を登るコースを「大杉山南山稜ルート」の一部としていますが、ミツマタが群生しているのはそちらの尾根ではなく今日沢の東(左岸)の尾根です。したがって登りは東尾根を使い、下りに西尾根を用いる計画にしていたのですが、幸い東尾根の登り口には階段があって迷うことなく予定のルートに入ることができました。

しばらくは木々もまばらな裸地の急坂が続きましたが、標高520mあたりからミツマタ畑が始まり、600m以上がすごいことになりました。「ミツマタヒルズ」というネーミングの由来は寡聞にして知らないのですが、雰囲気をよく伝える言い得て妙の名前だと思います。登り斜面に息を切らせながらも、次々に現れるミツマタの花を追って自然に足が速まってしまいました。

上の動画は東尾根のてっぺん近くでのもの(大ノ山のピークは西尾根の上)で、かたや尾根の途中にあるアンテナ周辺で撮った動画は〔こちら〕ですが、どちらにしてもこれはすごい。尾根上に濃淡を描きながら標高差200mにわたってミツマタ畑がどこまでも続き、さらに目を横に向けると尾根の隣の山腹にもミツマタが続いていて、その広がりはエルドラドを凌駕しています。曇り空の下ですらこれですから、晴れの日には眩しいくらいの黄金郷になっていることでしょう。このミツマタヒルズは、今回の山行で訪ねた中で最高のミツマタ群生地でした。

植林に囲まれて特徴のない大ノ山のピークから西尾根を下りましたが、こちら側にもところどころにミツマタの群生があって目を楽しませてくれました。ただ、どちらの尾根も部分的にザレて滑りやすい急斜面があり、丹沢でのいわゆるバリエーション歩きの心得がないと、登りはともかく下りでは肝を冷やすことになるかもしれません。しかし、そのおかげでミツマタヒルズがオーバーユースの危険から守られているということもできそうです。

最後は木の根につかまっての短いクライムダウン(トラロープあり)で車道に降りて、これでこの日のミツマタ詣では終わりです。次のミツマタポイントははるか東の彼方の不動尻で、そこに着くためには塔ノ岳と大山を越えなければなりませんが、もちろんこの日のうちに不動尻まで達することは無理。よって今夜は尊仏山荘に宿泊の予約を入れてあるのですが、夕方から雨が降り出す予報になっているのでなるべく早く塔ノ岳に着きたいところです。

まずは玄倉の集落の奥にある玄倉八幡神社に詣でてから、その左脇から山に取り付きます。この道は仕事道ですがすこぶる歩きやすく、息が上がることもないのに高度はどんどん上がってくれるというスグレモノ。ただし、登山者が大手を振って歩いていいものか若干疑問ではあります。

このコース上では、なんとなくその名前が気になっていた玄倉ノ野を通ることにポイントがあったのですが、実際にそこに達してみると植林の中のただの平坦地でがっかり。

同じことはその先の大橅ノ丸についても言えて、昨年の「丹沢ブナ巡り」の際に訪ね歩いた麗しいブナ林のピークを想像していたら半分植林に覆われたなんの変哲もないピークでしかありません。こんなところに長居は無用だと直ちに南東へ、土の斜面にシューズのエッジを利かせながら山神峠を目指して下りました。

最近の記録を見て知ってはいましたが、山神宮・水神宮の祠の惨状を目の当たりにするとやはりびっくり。私が前回ここを訪れたのは2020年の山神径路歩きのときでしたが、そのときは祠の前面を覆う板壁はまだ残されていたのに、今は二つの石碑が露わになってしまっています。地元のどなたかでこれを修復しようという方がいれば寄付もするのですが、なんとかならないものだろうか?……と思いつつ、ここで小休止して行動食を口にしながらこの後のコースタイムを再計算してみると、ミツマタヒルズで時間を使いすぎたために尊仏山荘到着が予定の16時を回ってしまいそうです。

山神峠に別れを告げて、行動再開。伊勢沢ノ頭へは明瞭な道がついているわけではありませんが、尾根筋は明瞭であり、黄色いプラスチックの杭が道筋を示してくれてもいます。

さらに標高1020mから1140mにかけては林業用のモノレールが設置されているので、その脇を登り続ければ自然に檜岳山稜に乗り上がることができます。登山道に達したらわずかに南に歩いて伊勢沢ノ頭の山頂標識にタッチし、すぐに踵を返して北東へ、まずは雨山峠を目指します。この檜岳山稜から塔ノ岳までの道は2017年の西丹沢周回の際に逆コースで歩いているので勝手はわかっていますが、同時にその長さも経験済みです。

檜岳ひのきだっかを越え、雨山を越え、雨山峠に向かって降りる途中で「これは峠に降りる前に尊仏山荘に到着遅延の電話を入れておかねば」と思いついてiPhoneを取り出すとアンテナが2本立っています。さっそく尊仏山荘に「約束の16時を回ってしまいそうだ」と謝罪かたがた連絡を入れてから、雨山峠へ下りました。

雨山峠から鍋割山までの間は、ここ数年足繁く通っている茅ノ木棚山稜。ここを駆け抜けるように飛ばせればかっこいいのですが、予想よりも早く降り出した雨のために着用した雨具のパンツが足にまとわりついて腿が上がらず、スピードが出せません。そのため鍋割山に着いたのは15時15分。遅延の電話を入れはしたもののあわよくば16時までに尊仏山荘に着きたいという目論見はこの時点で潰え、それでも鍋割山から1時間で尊仏山荘に到着したときには小屋番のお二人から「予想していたよりも早かった」と言ってもらえました。

この日の尊仏山荘の宿泊客は、大倉から上がってきたという単独の男性と私の二人だけ。例によっておいしいカレーをおかわりしてお腹も心も満ち足りて、この日も早々に就寝しました。

2024/03/29

△09:00 塔ノ岳(尊仏山荘) → △11:15-35 三ノ塔 → △12:55-13:00 ヤビツ峠 → △14:35-55 大山 → △15:50 唐沢峠 → △16:30-17:20 不動尻 → △18:20 広沢寺温泉入口

山荘の外を吹き荒れる風の音は夜通し響き渡り、ときには建物が揺れる感覚もあって「これはえらいことだな」と思いながら惰眠を貪り続けましたが、午前5時半に起床してみると「えらいこと」どころではありませんでした。

塔ノ岳山頂は暴風雨に見舞われ、とても外に出られる状態ではありません。天気予報を見てみると午前7時から8時までが雨のピークで、その後は雨足は弱まるものの午後まで吹き降りが続きそう。これは低気圧が発達しながら日本海を北上しているためで、ラジオのニュース番組も八王子で瞬間風速25mを記録したなどと恐ろしいことを言っています。このため、6時からの朝食が終わった後も単独行の男性と私とは風雨のピークが過ぎるのを待つことにしました。しかし、単独行の男性は大倉へ下るだけですから急ぐ必要はありませんが、私の方は不動尻までの長丁場が控えています。このためいつまでも無為に時間を費やすわけにもいかず、意を決して9時に出発することにしました。

いやー、これは厳しい。表尾根の痩せ尾根は風の通り道になっており、風に乗って雨が右(南)から吹き上がっている状態です。それでも鎖があるのでさほど心配はありませんが、身体がぐらつく場面もあって慎重に足を運びました。

重装備のお地蔵様の姿を横目に見れば三ノ塔の休憩所はすぐそこで、ここで行動食をとりながらレイヤリングを調整し、再び風雨の中に飛び出していきましたが、二ノ塔から下り斜面に入ると途端に風が収まってくれてほっとしました。当初のプランでは二ノ塔からまだ行ったことがない菩提峠・岳ノ台・旧ヤビツ峠を経てヤビツ峠に向かうことにしていたものの、出発が遅れたために時間短縮のためこれらを割愛して車道歩きを選択したのですが、もし予定通りのコースをとっていたら時間がかかるだけでなく引き続き強風にさらされ続けたことでしょう。

ヤビツ峠に着いた頃には雨もほぼ収まり、雨具のフードを下ろしてイタツミ尾根を登り続ければやがて25丁目、そして山頂手前の鳥居です。

大山の山頂に着いたときにはガスの中だったのに、しばらく休んでいると雲が下がって頭上に青空が広がりました。これは天佑?できれば相模湾方面の眺めもお願いします!というのは高望みのしすぎでしたが、不動尻に向かって東の尾根を下り始めると、前方に三峰山や相州アルプス越しの関東平野の広がりを見通すことができました。

実はこれも出発が遅れたことに伴う計画の変更点で、当初プラン(右図)では大山から北尾根に入り、石尊沢左岸尾根(通称「ネクタイ尾根」)を下って石尊沢を渡り唐沢峠へ登り返す予定でしたが、時間短縮のために一般登山道を利用したものです。

唐沢峠からまっすぐ進めば三峰山で、そちらのルートは2014年の「丹沢全山縦走」の際に経験済み。今日はここから右の山腹を巻いて不動尻へ通じる尾根を下ります。しかし、事前の情報ではこの尾根の下の方に分岐があって、そこからミツマタ群生地の中をジグザグに下る遊歩道に入れるはずだったのに、それらしい場所に着いてみると道にロープを渡して通せんぼされていました。おかしいな、と思いつつもそのまま尾根上の道を下ったところ……。

なるほど、これが有名な不動尻のミツマタ群落か。大きなハートマークに自撮台まで用意されていていかにも観光スポットという感じですが、ミツマタそのものは見事です。

ミツマタを見て回る前に沢の奥へ不動滝を見に足を運びましたが、増水のために渡渉ができず滝に近付けません。こちらは潔く諦めて、不動滝へ通じる道の途中から始まる遊歩道を登り返してみました。

こちらもなかなか。植林地の中というのが少し残念ですが、エルドラドやミツマタヒルズがバリエーション歩きを伴うのに対して、こちらはたとえハイキング未経験者であっても問題なく歩いて来られる場所にあるというのが貴重です。ヒルさえ出なければ……。

かくして2泊3日のミツマタ巡りの最終目的地である不動尻探訪を無事に終え、ここからは広沢寺温泉入口バス停まで1時間の車道歩きを残すのみとなりました。

あたかも結界のような山神隧道をくぐると、俗界に戻ってきたような気分になります。歩くにつれて暗くなる空の下で最後に振り返って見上げたのは、先日登った鐘ヶ嶽のピラミダルな姿でした。

脚注

  1. ^ただし明治21年(1888年)測量二万図「中川村」に描かれた道は「山腹を巻いて」はいない。