丹沢グルメ山行〔大山北尾根・キュウハ沢戦争遺物・蛭ヶ岳南稜・同角尾根〕

日程:2022/11/10-13

概要:3泊4日で丹沢グルメ巡り(さくらやのルーメソ・丹沢ホームの夕食・みやま山荘の夕食・蛭ヶ岳山荘のひるカレー・青ヶ岳山荘のコーヒー)。これらの間をつなぐために大山北尾根・キュウハ沢流域の戦争遺物・蛭ヶ岳南稜・同角尾根を辿る。

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山頂:大山 1,252m / 塔ノ岳 1,491m / 寿岳 1,331m / 丹沢山 1,567m / 蛭ヶ岳 1,673m / 檜洞丸 1,601m / 同角ノ頭 1,491m

同行:---

山行寸描

▲大山北尾根から眺めた塔ノ岳〜丹沢山の稜線。明日そこに立つ寿岳とプロペラが残されているキュウハ沢上流も見えている。(2022/11/10撮影)
▲キュウハ沢上流の斜面に残された米軍機のプロペラ。大きさを示すために中央の木にストックを立て掛けてあるが、遺物には一切手を触れていない。(2022/11/11撮影)
▲熊木沢の河原から見上げる蛭ヶ岳。これからあれを登り返すのかと思うと少し気が遠くなる。(2022/11/12撮影)
▲同角尾根の難所・大タキリの登り返しの様子。対岸を懸垂下降しながら眺めたときは絶望的な斜度に思えたが、実際はさほどでもない。(2022/11/13撮影)

11月に入ってヒルの活動も下火になった(であろう)ことから、久々にたっぷり時間を使って丹沢を歩くことにしました。日程の制約がないのでコース取りは好み次第ですが、今回は前々から温めていたテーマである「丹沢グルメ山行」と題して、大山のさくらやのルーメソ、札掛の丹沢ホームの夕食、丹沢山のみやま山荘の夕食、蛭ヶ岳山荘のひるカレー、そして檜洞丸の青ヶ岳山荘のコーヒーをいただく山旅とすることにしました。ただし単純にこれらの地点を一般登山道でつなぐだけでは時間が余る(かと言って日数を縮めるのも難しい)ので、これら丹沢グルメ(TG)ポイントの間に大山北尾根・キュウハ沢流域の戦争遺物・蛭ヶ岳南稜・同角尾根を辿るバリエーション的な歩きを織り込む贅沢なプランとすることにしました。

2022/11/10

△10:15 大山ケーブル駅 → △10:55-11:10 さくらや → △12:25 大山 → △14:45-15:00 札掛森の家 → △15:10 国民宿舎丹沢ホーム

これから始まる3泊4日の旅の始まりは、伊勢原駅からバスに乗って大山ケーブルまで。紅葉目当てと思われる登山者・観光客でバスは超満員でした。

これまで大山には何度か登頂していますが、実はこちら側から登るのはこれが二度目。前回は大山川の沢登り(二重滝の登攀はまだ禁止されていませんでした)を目的として登った2017年で、そのときは男坂をアプローチに使ったので今回は女坂を登ってみました。5年前の大山寺周辺はすばらしい紅葉だった記憶があったのですが、あいにくまだ早すぎたようで紅葉の出来としてはイマイチでした。

しかし下社の境内まで上がってみると、グラデーションがいい感じ。そして右手奥の売店「さくらや」さんのルーメソ暖簾も鮮やかなピンク色で存在を主張していました。もちろんこれは「ラーメン」の幟を裏返しで暖簾にしたところこうなっているわけですが、メニューを見てもラーメンのところにルーメソとも言うとさりげなく注記してあり、大山ファンの間ではルーメソという呼称が完全に市民権を得ているようです。

【TG1】……というわけで注文したのは、こちらの正油らーめん(メニューにはラーメンでもなければルーメソでもなく平仮名でらーめんと書かれていました)。長くその存在を知りながら実際に食す機会を得ていなかったルーメソとようやく対面できて感無量です。ごちそうさまでした。

境内の階段を上がると背後には相模の大地と相模湾の景観が広がり、さらに登山道を登ると見事な円錐形を見せる富士山。高さを上げるにつれて冷たい風が吹き始めましたが、それでも絶好の登山日和です。

大山頂上の奥社でこれからの山行の安全を祈願してから、ただちに裏手に回って北尾根に入る脚立を乗り越えました。

大山北尾根は昨年11月下旬に歩いていますが、そのときと比べるとまだ木々に葉が残って穏やかな雰囲気が漂っており、もちろん色づいた葉を楽しむこともできて、ベストのタイミングでこの尾根を歩けたのかもしれません。もちろん新緑の季節もすばらしいことでしょうが、その場合はヤマビルの出るタイミングを見極めなければなりません。

前回は一ノ沢峠まで歩いてから東へ下ったのですが、今回は手前の分岐を西へ下りて丹沢ホームを目指します。ただし直行したのでは少し時間が早いので、札掛森の家に立ち寄ってみることにしました。ここがどういう施設なのか予備知識なしに立ち寄ったのですが、どうやら「森林および自然環境に関係する普及啓発活動」を目的とする学習施設という位置付けのようで、博物館的な展示を期待すると肩透かしに合うものの、それでも丹沢の動物たちの生態に関する解説や標本もあって興味深いものでした。

国民宿舎丹沢ホームに泊まるのはこれが二度目。前回は今年4月の東丹沢周回の際に利用したのですが、そのときの印象がとても良かったので今回のグルメ山行に組み入れることにしたのでした。あてがわれた部屋から数時間前にそこにいた大山を眺め、温泉でもないのに身体が芯から温まる気持ちの良い風呂を使い、そして待望の夕食はこちら。

【TG2】前回はアイガモの鉄板焼きだったので、今回は岩魚の塩焼きをメインにしてもらったのですが、そこにドンと湯豆腐が加わってこれまたゴージャス。お酒も進みます。同宿者は単独男性だけでしたが、そちらは鉄板焼き。これに味をしめて彼も丹沢ホームのリピーターになってくれるといいのですが。

2022/11/11

△07:20 国民宿舎丹沢ホーム → △10:25-30 塔ノ岳 → △11:25 寿岳 → △12:35 キュウハ沢出合 → △12:50-55 エンジン → △15:25-30 プロペラ → △16:30 丹沢山(みやま山荘)

この手の宿での心配事は、朝食に生卵がつくのではないかということ。基本的に好き嫌いのない自分ですが、例外的に生卵は苦手です。朝食のテーブルについたときに案の定、生卵があって思わず顔を曇らせたのですが、そこは丹沢ホームの方も慣れたもので「苦手だったら目玉焼きにしますけど」と先方から声をかけてくれました。

おかげで朝食もめでたく完食し、2日目のスタートです。もともとのつもりでは長尾尾根に上がる予定でしたが、出掛けにスタッフの方らしき男性が「境沢林道の方へ行きますか?」と声を掛けてきました。手持ちの地図では荒れているところがあるように書いてあったのでそのつもりはなかったのですが、完全に修復されていて通行できますよというその言葉の裏に「ぜひそちらを歩いてみてほしい」という意図を感じたので、その言葉に乗ってみることにしました。

林道をしばらく進んで沢沿いの登山道になるところには、目立つ黄色の標識に「この先上級者向」の表示。登山者(私)の力量におかまいなしに上級者向きコースを勧めるあの男性もいい根性してるなと内心苦笑しながらその先に踏み込みましたが、確かに彼の言う通り桟道や橋はきちんと整備されていて、これのどこが上級者向?と思えるほど快適に歩くことができました。裏返すと、これだけちゃんと修復をしたのだから多くの人に歩いてもらいたいという気持ちがあったのかもしれませんが、ただし道の上部は地図に書かれている元の登山道を離れ、尾根上に付けられている林業管理道を登山道として流用している状態でした。

明るい長尾尾根に合流し、そこからわずかで新大日。廃墟と化して久しい新大日茶屋は、まだ解体の目処がついていないのでしょうか。

塔ノ岳の頂上からは富士山を遠景に丹沢の主だった山々が見えており、その中には目立たないながらも最終日に縦走する予定の同角尾根の姿も明瞭に見られます。これまであの尾根に注目したことはありませんでしたが、今回ばかりは若干の緊張を感じながらその稜線の起伏をひとつひとつ頭の中の地形図と照らし合わせました。

さて同角尾根のことはいったん横に置いて、この日の行動は塔ノ岳から日高を経て寿岳(三角沢ノ頭)の山頂を踏み、そこからキュウハ沢出合まで尾根を下ってからキュウハ沢を丹沢山に登り返すというもので、その過程でキュウハ沢出合近くにある航空機のエンジンと上流の斜面に残されているプロペラとをこの目で見ることがメインイベントです。丹沢ホームからキュウハ沢出合に向かうだけなら長尾尾根を越えて本谷橋に出る方が簡単なのですが、昨日立ち寄った札掛森の家に掲示されていた最新情報でもこのルートは途中崩落のため通行止めとされていましたし、塔ノ岳から丹沢山に向かう縦走路の東に張り出した不遇のピークである寿岳の存在は少し前から気になってもいたために、このように登って下りて登り返すという一見不合理なラインを地図上に引いたのでした。

塔ノ岳から北へと向かう道の途中からは右手に三角形の寿岳のピークが意外に大きく見えており、日高の標識の裏手からはそこへ通じる道が驚くほど明瞭に続いていました。

最初は笹の中のはっきりした踏み跡、途中から灌木帯の中の落ち葉の窪み、さらにザレたところでは多少の勘も働かせながら尾根通しに下って、やがて尾根が平坦になった先の丸みを帯びたピークへと登り返すと、そこが寿岳でした。

しかしながら、地形上の最高点と思われる場所に立っても山名を示す標識などは見つかりません。地形図では1,331m標高点が表示されているあたりでひと休みし、行動食をとってからザックを背負っていつもの習慣で忘れ物はないかとあたりを見回したとき、そこにどうやらかつて山名を表示していたらしい五角形の板が横倒しになった木の幹に針金で括り付けられているのが目に入りました。その板にはボルトも残っており、かつては木柱にこのボルトで固定されていたのだと思いますが、今は柱はなく、文字もすっかり消えてしまっています。またこの板の足元に細い枝でヤグラが組まれていますが、これが何を意味しているのか(いないのか)も不明。しかし、この不遇感がこの山にはふさわしいような気もしてきます。

寿岳からキュウハ沢出合へ向かう尾根は植林帯の中をおおむね同じ斜度のまま下っており、チェーンスパイクのグリップが極めて有効です。そして、途中の尾根の分岐でだまされないように気をつけながら快調に下ってゆくと1時間ほどでキュウハ沢の右岸に達しました。

降り立ったところは下から二つ目の堰堤の上で、上流にある三つ目の堰堤は右(左岸)から容易に越えられます。

さらに四つ目の堰堤を強度が怪しいステップを使って越えると、五つ目の堰堤の手前、左岸の木にくくり付けられた金色のテープがひらひらとはためいていました。

そこにあったのがこちらのエンジン(大きさを示すためにカラビナとATCを手前に置いています)です。Web情報によればこれは空冷星形18気筒「誉」エンジンで、この位置だけでなく上流の沢の中にも同型エンジンが埋もれていることから双発爆撃機「銀河」のものだったのではないかという説[1]があります(異説あり)。「銀河」と言えば蛭ヶ岳の東面にも機体の一部が残っていることが知られていますが、距離が離れすぎているだけに同一機体のものと考えるのは無理がありそう。それにしても、このエンジンのことを調べているときに見た写真では見る角度によってシリンダーが2段見えていたのですが、この日の姿は写真の通り土砂にほとんど覆い隠されています。土砂ではなく枯葉に埋もれているだけであれば幸いですが、もしキュウハ沢の増水の影響だったなら、これ以上埋もれないことを祈るばかりです。

エンジンに手を合わせたら引き続きキュウハ沢の遡行にかかりますが、今回は沢登りの装備を持ってきていないので滝は基本的に巻きです。最後の堰堤を越えて上流に進み、すぐに滝場が現れたところから左(右岸)の高巻きにかかりましたが、踏み跡は明瞭で危険を感じることはありませんでした。

巻道は四丁四反沢の出合で沢に下りますが、そのすぐ上流に大滝が待ち構えているので引き続き右岸を巻いてから赤テープを目印に沢筋へ下りました。

続く滝は右から巻き、適当なところから30mロープで懸垂下降。

巻いてばかりではキュウハ沢に対して失礼なので、この滝は左の乾いた壁を直登します。

そして標高1,000mの二俣でキュウハ沢を離れ、沢の間の尾根に取り付きました。キュウハ沢上流には見目麗しそうな滝が見えていて気になったのですが、さすがに時間が押してきていることもありここは我慢。

尾根を標高差にして200m余り登ると斜度が落ち、その右側にキュウハ沢の上流部が近づいてきます。ここで尾根の右手に下りて沢筋を横断し、あらかじめ目をつけていた広い斜面に踏み込みました。

あったあった、見通しの良い斜面であるにも関わらず色が同化していてなかなか見つけられませんでしたが、これがこの日どうしても見つけたかったプロペラです。

その構造や残された文字(墜落から80年近くたっていても鮮明であることにびっくり)から、これはグラマンF6Fヘルキャットのものだとする説[2]がありますが、機種が何であるかということもさることながら、この機が墜落したときのパイロットの運命の方が気になります。運良くパラシュートで脱出できたのか、それともこの機体と運命を共にして丹沢の土となってしまったのか……。正直に言えば、ここに来るまでは宝探しのような興味本位の感覚を持っていたことを否定できませんが、実際にこのプロペラに接してみるとそうしたうわついた気持ちは薄まり、自然に鎮魂の念が湧き起こってきます。

プロペラに向かって合掌したら、斜面を適当に右へ上へと辿って天王寺尾根の上部に出ました。急がないと、予約しているみやま山荘に心配をかけてしまいます。

とは言うものの、山頂に着いたときはちょうど夕日が富士山の左肩に落ちるまさにその瞬間。日が落ちると共に空の色がオレンジから赤へと変化する様子をしばし堪能してからみやま山荘に入って宿泊の手続を行いましたが、やはり予約していた宿泊客の中で私が最後の到着になったようでした。

【TG3】丹沢の山小屋の中で随一と言われるみやま山荘の夕食。鉄板焼肉という豪華な日もあるそうですが、この日の献立は写真の通りでした。何しろ副菜が多い、そして野菜をたくさんいただけることは評価点高し。信州の山小屋を見渡せばもっとゴージャスな山メシはありますが、あまりに行き過ぎると丹沢らしくなくなってしまうので、ここらへんが絶妙なバランスではないでしょうか。

この山小屋のもう一つのポイントは、この正統派の蔵書です。登山にまつわる古典的名著は全集として揃えられており、さらに中央アジア探検で名高いスウェン・ヘディンの著作も一式(『さまよえる湖』はいずれ読んでみたい)。もちろん丹沢本も書棚の一角を占めていましたが、ちょっと肩身が狭い感じでした。

2022/11/12

△06:35 丹沢山(みやま山荘) → △07:40 棚沢ノ頭 → △09:45 熊木沢出合 → △11:20-30 蛭ヶ岳南稜取付 → △13:20-50 蛭ヶ岳(蛭ヶ岳山荘) → △15:10-15 臼ヶ岳 → △17:00 青ヶ岳山荘

この日は棚沢ノ頭からいったん熊木沢に下って蛭ヶ岳南稜(南尾根)を登り、その後に檜洞丸を目指す計画ですが、問題は蛭ヶ岳名物「ひるカレー」の提供時間帯内に蛭ヶ岳に着けるかどうかです。しかし、昨日の到着が遅かったために食事は2回制の後半組に回されており、夕食も朝食も「6時から」。今朝の丹沢ホームもそうですが、宿で朝食をとるとなると思いのままに早出するわけにはいかなくなるのが行程上の制約要因となります。しかし、そうした制約要因の下でドキドキハラハラしながら意欲的な計画を実現してみせるのが、この手の登山の醍醐味でもあります。

朝食に炊き込みご飯が出てきたのには驚きましたが、食事を終えて2階の宿泊室に戻るとちょうど大山の周囲を雲海が囲み、その彼方に朝日が顔を出すところでした。丹沢山の山頂は樹林が囲んでいるため都心方向の眺めが良くないのですが、食事の時間が後半組になったことで図らずもジャストタイミングの展望を得られたというわけです。

出発。見事な快晴の空の下、不動ノ峰に差し掛かったところで振り返ると、雲海の末端が丹沢三峰の尾根筋を越えてなだれ落ちる滝雲が見られました。

行く手の彼方には相変わらずの富士山が鎮座し、そして蛭ヶ岳の左奥の同角尾根が少し近づいたようですが、今日最初のアルバイトはその手前を左下に下っている長い尾根の下降です。

棚沢ノ頭で主脈縦走路を離れ、熊木沢出合を目指して南西へと下ります。この道を下るのは初めてでしたが、登山道と呼ぶにはやや不明瞭、しかし基本的に尾根通しの下りなので多少の勘を働かせれば概ねOK。ただ、特に尾根の上部ではトゲトゲのイバラのような植物に痛い目に合わされました。

熊木沢の河原に降り立ってただちに上流方向へ向きを変えたところ、なんと上流方向から単独の男性登山者が歩いてくるところでした。「こんにちは」程度の挨拶しか交わしませんでしたが、彼はいったいどこから来たのだろうか?ともあれ河原のごろごろ石の上を適当につないで上流に進み、最初の巨大な堰堤は右斜面をよじ登ってこれを越えると、開けた河原の奥に蛭ヶ岳の全貌が真正面から眺められるようになりました。

熊木沢の途中で左に移るとそこには車道の跡が残っていて、崩壊地をかわし、ススキの原を漕ぎ、イバラの棘に悲鳴を上げながら進むと、ところにより路面が現れて歩きやすくなったりもしながら上流へと導いてくれます。

廃棄されたバンと玄倉国有林でのマナーを啓蒙する看板が現れたら、その対岸が蛭ヶ岳南稜の取付です。よってここで熊木沢を離れることになりますが、Facebookの丹沢関係のグループで「蛭ヶ岳山荘では水不足で困っている」という情報が流れていたので、沢を渡る際にPETボトル2本を軽く洗ってから水を詰め、ザックにしまいました。

蛭ヶ岳南稜は「稜」とは謳われていますが岩稜の部分はごく一部で、したがってクライミングの要素は皆無です。しかし、だからといって簡単かと言えば必ずしもそうではなく、特に下部の急傾斜の部分ではスリップすれば致命的なので慎重に手足を使って登らなければならない場面が出てきますし、中間の岩が露出したパートでは岩の強度を確かめながら取り付いたり巻いたり、上部ではまたしても出てくるイバラに苛められたりと一筋縄ではありません。

それでもこうして振り返ると、左には先ほど下った棚沢ノ頭からの尾根が伸び、その右下に河原〜車道跡を繋げた熊木沢が蛇行していていい気分。もともとこの南稜は歩荷道として用いられていた(現在は廃道扱い)らしく、もしかしたら取付近くに放置されていたバンも蛭ヶ岳山荘へ上げる資材を運搬していたものなのかもしれません。

丹沢山の山頂に着いたのは13時20分、そしてひるカレーの提供時間は13時半まで。危なかった!

【TG4】これがご好評のひるカレー。ソーセージと卵焼きがついていますが、これはおまけです。熊木沢から担ぎ上げた1リットルの水を売店の朗らかなお嬢さんに提供したところ、こちらが恐縮してしまうくらい喜んでくれて、このようにスペシャルなカレーにしてくれたというわけです。しかし、たとえこれらがなかったとしてもスパイシーなひるカレーは十分においしいものでした。

ひるカレーを食べ終えたのは14時近くでしたが、この日は檜洞丸の山頂直下にある青ヶ岳山荘まで足を伸ばさなければなりません。蛭ヶ岳から檜洞丸までの間の大変さ(距離とアップダウンの相乗効果)は過去数度の縦走でよくわかっていますが、ここは我慢のしどころ。天気予報の通りこれまでの登山日和が終わりを告げようとするかのような黒雲の下に聳える檜洞丸を目指してひたすら足を運び続け、最後の斜面にかかったところで、明日その頂上に立つ同角ノ頭が夕日の中のシルエットとなる姿を眺めました。

どうにか日の光が残っている内に青ヶ岳山荘に到着しましたが、山荘の中は無人です。実は今回の山行の2週間ほど前から小屋主・理生さんとメッセンジャーでのやりとりを重ねており、11人いた予約客が日曜日の天候悪化を嫌って次々にキャンセルしたため最終的に宿泊客は私だけとなったので、火器と食材を用意していただいての無人営業となることを合意していたのでした。

【TG5】これが丹沢グルメ?と思うなかれ。荷上げはすべて歩荷に頼っている青ヶ岳山荘にとっては、食事の充実は至難の業。そこを補うため……という訳ではないでしょうが、前回泊まったとき夕食後に理生さんが宿泊客に提供してくれた挽きたてのエチオピアコーヒーの味が忘れられず、これを丹沢グルメの一つとして今回も味わおうと思っていたわけです。残念ながら今回はその願いがかないませんでしたが、すべてが計画通りに行くとは限らないのが山の常。コーヒーは次回の楽しみにとっておくことにします。

2022/11/13

△06:20 青ヶ岳山荘 → △06:25 檜洞丸 → △07:50-55 同角ノ頭 → △09:20-25 東沢乗越 → △10:35 女郎小屋乗越 → △11:30 大タギリ → △13:35-40 小川山出合 → △14:15 玄倉

朝、目を覚ますと時折小屋を揺らす風の音と共に水滴が壁を叩くような音も聞こえて、雨が降っているのか?と少々落胆。しかしまだ暗い外に出てみると雨まではいっておらず、濃いガスが風に乗って尾根筋を越えている状態でした。今日の計画は、今回の山行の中で技術的な要素が最も高い同角尾根の下降ですが、はっきり雨であれば断念して西丹沢VCに下ろうと思っていたものの、この程度であれば支障はなさそうです。

朝食を終え、あらかじめ指定されていた通りに後片付けをしてから、ヘルメット・雨具・ハーネスを装着して青ヶ岳山荘を後にしました。そこから木の階段を5分登って誰もいない檜洞丸に登頂し、引き続き同角ノ頭へと縦走路を歩いていると、雲の上に青空が覗いているのが見えました。しめしめ、これなら半日くらいは大丈夫。

同角ノ頭に着いたところで小休止をとり、チェーンスパイクを履いてストックを伸ばしました。このピークから南南東に向かって石小屋ノ頭を経てユーシンに下る尾根道が同角山稜と呼ばれるのに対し、これから辿る同角尾根は南南西に伸びる尾根を下って同角沢から東沢(小川谷の源流近くの支流)へとまたぎ越す東沢乗越に達し、さらに西進して玄倉川本流北面の分水嶺をトレースしてゆくもので、1940年11月にこの尾根の上半部[3]、1948年11月に下半部[4]を歩いた吉田喜久治氏(あの『丹澤記』の著者)が私だけの便宜称として命名したものです[5]。この尾根のポイントになるのはその途中に数カ所出てくるギャップの通過で、そこへの下降と登り返しをどのように処理するかが頭の使いどころなのですが、現在ではとりわけギャップが深い女郎小屋乗越と大タギリにフィックスロープが張られ、その分難易度は下がっています。この後、こうしたフィックスロープや下降の方向を示す青テープにはずいぶん助けられることになるのですが、それにしても誰が何のためにこうしたものを設置・維持しているのか、実に不思議です。

同角ノ頭からの下り始めは苔むした岩がごろごろしていて歩きにくいものの、しばらく下ると素直な樹林の中の尾根下りになってペースが上がります。ところが、ひとしきり下った後の標高1,190mピークの手前の尾根のくびれに、地形図からは読み取れないギャップ(「同角キレット」と呼ばれている模様)が現れました。できるだけクライムダウンしてロープの使用距離を短くするのがこういう場合のセオリーですが、この山稜は白ザレで崩れやすい特徴を持っており、下手にクライムダウンを試みてハマるよりもさっさとロープを出して懸垂下降のピッチを重ねる方が得策です。地形を見て尾根筋の左斜面に30mロープ2ピッチで下り、そこからギャップを見上げてみると、巨大なやすりで削り取ったように見事なキレットがそこに出現しています。くわばらくわばら、とひとりごちながらロープを回収し、対岸の左斜面から尾根筋上に回帰して先を急ぎました。

ロープを使うことなく降り着いた次のギャップが東沢乗越で、ここに立つのは16年ぶり。2006年に同角沢を遡行したときに登り着いた場所で、そのときと同じく「まつだけいさつ」の看板が大石山への下山を促していました。事前のプランでは、ここで同角沢に降りて久しぶりに遺言棚を見上げることにしていたのですが、どうやら午後から雨模様だという情報を得ていたのでこれは断念して先を急ぐことにしました。

続くギャップは女郎小屋乗越で、その名の通り女郎小屋沢を詰め上げたところにあり、同沢の遡行終了後は反対側に下って東沢へ出るのが一応のセオリーとなっています。

女郎小屋乗越への懸垂下降は30m1ピッチでぴったり(固定ロープも15mほど)で、左(南)を見ればもちろん女郎小屋沢の源頭部のV字谷ですが、落ち葉に埋め尽くされていて威圧感は感じませんでした。一方、登り返しの方にも固定ロープが設置されており、念のためところどころこれをつかみながらも実際にはフリーで登れます。その先、1,031mピーク(大タル丸)の先でも地形図では読めないギャップを通過し、次なるギャップはこのコース中最大の大タギリです。

しかし、ここも下りと上りの両側にそれぞれしっかりした残置ロープが設置されていました。さすがに下りは自前のロープで懸垂下降したところ、30mロープの折り返しで3ピッチを要しました。幸い、残置ロープを設置している木がイコール懸垂下降のピッチを切る場所のよい目印になっており、悪場の懸垂下降としては難易度はそれほど高くありません。とは言えこの斜面は斜度もそこそこあり、もしこれを逆方向に辿り残置ロープ頼みで登るとすると途中で腕力が尽きてしまいそうです。

かたや反対側(自分にとっては進行方向)の壁にも新旧2組の残置ロープが垂れていて、対岸から見たときは絶壁のように思われたその壁も間近で見ると意外に斜度がマイルド。かと言ってフリーで登る勇気が湧くほど易しそうにも見えないので、ありがたく固定ロープをつかんで強引に身体を引き上げていきましたが、先ほどの下り斜面に比べれば距離はぐっと短く、すぐに尾根上の安定した場所に登り着きました。この大タギリでロープを使う場面は終了し、 続く小タギリを難なく越えたらその先は植林帯の中に紅葉の林やミツマタの群生やがっちりした鹿柵が現れる穏やかな尾根歩きとなりました。

最後は丸太階段まで登場して道が明瞭になり、そのまま下り続けて小川谷が玄倉川に合流するポイントに降りつきました。雨具を着用しスパッツまで履いていることをいいことに小川谷の水流を駆け抜けるように横断して対岸に渡ると、すぐに車道に上がって登攀装備のすべてを解除。そこから玄倉のバス停までは1時間もかからない距離でした。そしてバス停に到着する直前になって、それまで我慢してくれていた暗い空からたまりかねたように雨粒がこぼれ始めました。


かくして「丹沢グルメ山行」に名を借りたバリエーション歩きの3泊4日の山旅は、ほぼすべての目的を果たして終了しました。もっとも、バリエーションのパートはいずれもアルパインや沢登りの素養があれば技術的には問題にならず、1日当たりの行動時間もマイルドで、どちらかと言えばお金と時間に物を言わせた感のある行程になっています(笑)。それでも、まず最初に押さえるべきTGポイントを設定してから地形図とにらめっこをして想像力を働かせ、これらをうねうねと一筆書きでつないで地形図上に描いた軌跡は自分のオリジナリティを発揮できたかなと自画自賛。つまり、この山行はプランニングの方に価値があり、実践の部分はいわばそのプランが実現可能であることの確認に過ぎません。

さらに付け加えるならこの山旅は、手軽なハイキングの対象としてとらえられがちな丹沢中央部においてもアイデア次第で北アルプスや南アルプスに引けを取らないスケール(距離・高低差)の縦走ができることの証明でもある……と言ったら言い過ぎでしょうか。ともあれ、天候に恵まれたことと共にこの長丁場を歩ききれる脚力を発揮できたことが完歩の要因でしたが、特に初日と2日目のグルメディナーのおかげでカロリー補給が十全だった[9]ことがその理由かもしれません。つまり、グルメあってのバリエーションというわけです。

【TG6】自分一人での打上げは、新松田駅前の「大松園」で生ビール(中)と焼肉の一人前セットを注文。ここは丹沢帰りの際にはかなりの高確率で訪れる店であり、何を隠そう自分にとっては究極の丹沢グルメです。

脚注

  1. ^Fibyさん「ヒルに負けじと丹沢エンジン探し その2」『鴨のきもち』2022年11月14日閲覧。
  2. ^Fibyさん「墜落機のプロペラ」『同』2022年11月14日閲覧。
  3. ^吉田喜久治『丹澤記』(岳ヌプリ書房 1983年)p.27-30。同角沢遡行後に同角ノ頭から下り、大タギリまで歩いて東沢へ下降。
  4. ^吉田喜久治『同』p.83-84。小川谷出合から尾根筋を登り、女郎小屋乗越まで辿って東沢へ下降。
  5. ^東沢乗越と小川谷出合の2カ所に「便宜称ドーカク尾根入口」の看板があり、吉田喜久治が命名したことが書かれている。このことからすると看板の設置者は東沢乗越から小川谷出合までの間を「ドーカク尾根」と認識しているようだが、『丹沢記』p.30の「追記」は大石尾根とはドーガクノ頭より大石山を経て玄倉川に没する尾根の、ドーガク尾根とは東沢打越、モチコシノ沢ノ頭、丈量小屋沢ノ頭、大タギレ、小タギレ、芋ノ沢頭とのび小川のドウに至る尾根の、私だけの便宜称であると書いており、文章構造的にはドーガク尾根とはの後にドーガクノ頭よりが省略されているとも読める。吉田喜久治の上半部踏破が同角ノ頭から始まっていることに照らしても、吉田喜久治は小川谷出合〜同角ノ頭間の尾根全体を同角尾根と認識していたと考えたい。なお『丹沢記』の記述では一貫してドーガクと「角」の発音が濁っていることに留意。
  6. ^吉田喜久治『同』p.426
  7. ^〇福さん「丹沢の鉱山跡を探る 11 丹沢だより436号 2006/12」『丹沢を探る』2022年11月14日閲覧。
  8. ^〇福さん「丹沢の鉱山跡を探る 8 丹沢だより433号 2006/9」『同』2022年11月14日閲覧。
  9. ^いずれもご飯はおかわり自由であった。

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