丹沢横断

日程:2023/04/01-03

概要:2泊3日で西丹沢から東丹沢へつなぐ丹沢横断コース。山中湖畔の平野を起点として、初日は切通峠から丸尾山経由で水ノ木に下り、世附山神峠から椿丸に登りエルドラドを見物しながら法行沢へ下った後、千鳥橋から二本杉峠経由で細川橋近辺に宿泊。2日目は大杉山に登り、北上して箒沢乗越から穴ノ平沢を下って中ノ沢径路を辿り、東沢乗越を越えて同角山稜に上がりユーシンに下る。3日目は朝日向尾根を小虎杖ノ頭経由水晶平まで登り、熊木沢へ降りて熊木沢出合から箒杉沢へ入り直し、みやま新道を使って丹沢山に登った後、堂平を経て塩水橋経由唐沢キャンプ場まで歩いてから鍋嵐に登り返し、物見峠から唐沢林道を使って下山。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:丸尾山 1050m / 橡ノ丸 1007m / 椿丸 902m / 大杉山 861m / 大石山 1220m / 小虎杖ノ頭 1196m / 丹沢山 1567m / 鍋嵐 817m

同行:---

山行寸描

▲「エルドラド」と通称されるミツマタ群生地。既に盛りを過ぎ、黄色から白に変わっていた。(2023/04/01撮影)
▲遺言棚。ここを登ったのは2006年だから17年ぶりの対面となる。(2023/04/02撮影)
▲夕方の残照の中でひっそりとした鍋嵐の山頂。(2023/04/03撮影)

丹沢での長距離(50km以上)縦走は私が力を入れてきた領域の一つですが、稜線を辿って距離を稼ぐタイプの山行は丹沢全山縦走(2014年)・西丹沢周回(2017年)・東丹沢周回(2022年)の長尺三部作で一段落としていました〔下図〕。

次にこれらとは別の路線として、あるテーマに即した訪問ポイントを設定し、それらをバリエーションルートでつなぐというコンセプトで実行したのが丹沢グルメ巡り(2022年)です〔下図〕。

ところが、この丹沢グルメ巡りを終えた後で記録を整理するために主に同角尾根を歩いた記録を探したところ、登山ガイドWakaさんが丹沢の横断を企図した記録がヒットしました。その山行はタイムマネジメントに問題があったらしく完遂に至っていなかったのですが、前半で宮ヶ瀬から沢登りで鍋嵐に登った後に林道を歩いて堂平から丹沢山に登るルートどりがユニークで、これと似たようなことを丹沢の西半分でもできないかと地図を眺めながら検討を重ねた結果、長尺三部作とグルメ山行との両方のコンセプトを折衷したような山行プランが出来上がりました。それが今回の丹沢横断で、このプランのポイントは次の3点です。

  1. 山中湖畔の平野から東に向かって煤ヶ谷まで、なるべく南北にブレないように線を引く。
  2. 未踏のエルドラド、大杉山、水晶平、みやま新道、堂平、鍋嵐なべわらしを組み込む。
  3. 丹沢全山縦走ルートと同じコースは通らない(交差するのはアリ)。

起点となる平野には前泊することとし、新宿からの高速バスで夕方に入りました。夕焼けの中の富士山のシルエットを愛で、宿で教えてもらった定食屋「まるたか」でワカサギフライ定食にお銚子をつけて一人前祝い。食事を終えて宿に戻る18時半すぎにはあたりは真っ暗になっており、翌日以降のためにこの暗くなるタイミングを記憶にとどめました。

2023/04/01

△05:30 平野 → △06:05-15 切通峠 → △06:40 丸尾山 → △07:00-15 橡ノ丸 → △08:50 水ノ木橋 → △09:45-10:10 世附山神峠 → △11:10-25 椿丸 → △12:45-50 ソーラーパネル → △13:15 千鳥橋 → △14:20-30 二本杉峠 → △15:25 八戒荘

この日は平野から切通峠を越えて世附川流域の水ノ木に下り、世附山神峠に登り返して椿丸を越えエルドラドを訪問後、大又沢流域から二本杉峠を越えて中川川流域の細川橋まで。峠越えが3回ありますが比較的行程が短いので気は楽です。ただし、今回の行程では初日の終わりには宿をとってあるものの2日目の宿泊はユーシンロッジを活用する計画で、そのために寝具や食料・火器・燃料を運ばなければなりません。そして、初日の夜の宿泊地である細川橋近辺にはあいにくコンビニエンスストアがないため、起点の平野で食料を買い込んで2日目の夜まで担ぎ続ける必要があるという点が少々負荷を高めています。

午前5時起床。食料調達は前夜のうちに済ませてあり、朝食をコンビニ前でとってから東へ一直線に向かう車道を進み、やがてわずかの区間の山道を登って切通峠に着きました。平野の標高がおよそ990m、切通峠が1050m、水ノ木が600m未満。かつて、この峠を越えて世附川流域へと降りていき山仕事に従事していた平野の人たちが小田原藩との間で相甲駿国境紛争を戦った歴史も、こうして平野の丹沢へのアクセスの良さを歩いて実感すると自然なことのように思えてきます。しかし、自分にとってはこの切通峠は丹沢=ヒルがいる世界への入り口でしかありません。峠に着いたところでシューズとショートスパッツに念入りに忌避剤を吹き付け、敵地に赴くような心持ちで峠の東へと踏み込みました。

切通峠からは切通沢沿いの道を下って水ノ木橋を目指すのが一般的ですが、今回は丸尾山のある尾根筋を下ることにしており、そのために切通峠から南へ水平にトラバースして火燃峠へと向かいます。地形図ではわかりませんが、そこまでの間は明瞭な径路がつけられており、苦もなく火燃峠に達するとそこからしばらくは穏やかな林道歩きとなりました。

この尾根上では丸尾山と橡ノ丸という二つのピークが名前を知られているものの、地図によってその場所に異同があるようです。ここでは1050mピークを丸尾山、1007mピークを橡ノ丸と認識して記述を進めますが、歩きやすい林道はなだらかに橡ノ丸の手前まで伸びており、その先端が自然の地形に溶け込むように消えてからも尾根筋はほぼ明瞭。ところが橡ノ丸の次の918mピークでここからは地図読みが必要だと思った矢先に、丹沢ではよく見掛ける紫のスズランテープに遭遇しました。丹沢のバリエーションルートに親しんでいる登山者にはおなじみのコイツは、尾根の降り口などポイントになるところに巻かれてからその尾根の下まで数メートルおきに巻かれていることが多く、その物量作戦に辟易するだけでなくルートファインディングの楽しみを奪っている点で罪深い存在でもあります。そもそもGPS全盛のこの時代にこうしたテープに頼る登山者は多くない(と思われる)わけで、これは他人のためというよりは自分のアピールのために巻いているとしか思えませんし、そうであれば単にゴミを山に残しているだけということになります。

したがって918mピークからの急斜面に点々と続くスズランテープを次々に回収しながら下降していったのですが、標高750m付近で自分の読図では右手の尾根へ下るべきところをスズランテープは直進していってしまったので、そこから先のテープを回収することはできませんでした。ともあれ自分の読み通りに林道へスムーズに降り着いて、積み上げた戦利品の写真を撮って悦に入ったのはいいのですが、実は途中でこのテープを切り離す際に誤って左手親指をナイフで傷つけてしまい、この後3日間その痛みを感じながら歩くことになってしまいました。

水ノ木橋から15分ほど南下して、今度は世附山神峠への登り返し。この沢筋は2021年の世附山神峠越えの際に下っており、そのときは峠からの降り口の急斜面を避けて右岸の尾根を使ったのですが、登り返す分には沢通しでもさほどの斜度に感じず、難なく峠に立つことができました。

お久しぶりの山神様。祠の荒れ具合は相変わらずですが、崩壊が進んでいないだけまだマシなのかもしれません。

峠から北へぐっと登って東へ向きを変えしばらく歩くと、これも久方ぶりの椿丸です。桜の花とケヤキの新緑の下で男女二人組の登山者が寛いでおり、ヘルメットにハーネス、リュックサックにはマットがくくりつけられた物々しい出立の私に興味を持ったのか、女性の方がどこから来たのか?と話しかけてきたのでかくかくしかじかと説明すると、登山詳細図を取り出してルートを熱心に確認していました。自分もそこにリュックサックを置かせてもらって北の菰釣山方向を見やると、すぐ近くの斜面にミツマタが群生して見事な景観を作っていていい感じ。しばらく寛いで行動食を口にしましたが、実は切通峠から丹沢に入った瞬間からずっと花粉アレルギーの症状が強く出ており、飲食の最中にもくしゃみが止まりません。うーん、丹沢はヒルがいる世界であると同時に花粉舞い散る世界でもあったか。これは困った……。

この日のメインイベントは、椿丸を東に進んでクマ沢ノ頭(838m)から北東に法行沢へと降りる尾根の途中のミツマタの群生地=通称「エルドラド」です。既に盛期は過ぎて花の色が黄色から白に変わっていましたが、それでも行けども行けども抜けられないほどにびっしり敷き詰められたミツマタは素晴らしく、来年こそは黄金色の時期にここを通り抜けてみようと心に誓いました。

法行沢への下り口は脆い上になかなかの急斜面で、ある程度山慣れていないと腰が引けてしまいそう。そして沢を渡って対岸の階段を登った先には、ぽつねんとソーラーパネルが立っていました。

ついで大又ブルーを眺めつつ大又沢沿いの道を北上し、千鳥橋の先から右に折れて二本杉峠越えの道に入ります。この道は2020年に三ヶ瀬古道を歩いた時に見た峠の看板には「登山道ではありません」と書かれていたと記憶していますが、手元の『山と高原地図』では破線ルートとなっており初心者通行禁止 急坂足元注意とだけ書かれているので大したことはあるまい、とタカをくくったのですが……。

実際に歩いてみると、この道はなかなかデンジャラスでした。高さと斜度のある壁沿いにかろうじて両足を並べて置ける程度の幅の土の道が続く区間が長く、少なくともヘルメットなしに歩こうとは思えません。人生80年のうちのたぶん5分か10分くらいは寿命を縮ませた末に二本杉峠に着いてほっと一息、バリエーション用の装備一式をリュックサックにしまって細川橋への一般登山道を下りました。

細川橋に降り着いたところで時刻はまだ15時台ですが、コース上に幕営を許可されている場所がありませんし、そもそも今回の山行はタイムトライアルではないので、今日の行動はここまで(計画通り)。

この日の宿は細川橋バス停の近くにある八戒荘です。スポーツ系の合宿で使われることが多い宿らしく収容力があり、この日も小学生の野球チームが合宿で利用していました。そのためか風呂は広々として気持ちよく、夕食もご覧の通りの豪華版(お酒はオプションです!)。宿の方のもてなしも温かく、とても過ごしやすい宿でした。

2023/04/02

△05:30 八戒荘 → △07:50-08:05 大杉山 → △09:25-40 橅ノ平 → △10:25-40 箒沢乗越 → △12:35 穴ノ平橋 → △14:15 欅平 → △15:25 東沢乗越 → △15:50-16:00 遺言棚 → △17:05 同角山稜合流 → △17:35 大石山 → △18:25 ユーシンロッジ

2日目の今日は細川橋から大杉山に登り、北上して箒沢乗越から穴ノ平橋へ下り、小川谷沿いの中ノ沢径路を辿って欅平。東沢を遡行して東沢乗越に達し、同角沢の遺言棚を見てから同角山稜へ登り返してユーシンまで下るというちょっと歯応えのある行程です。中ノ沢径路と東沢乗越以降の区間は歩いたことがあるもののいずれも相当昔ですし、大杉山周辺はそもそも歩いたことがないので時間が読めません。それに今日の天気予報はあまり思わしくなく、日中は曇りで夜には雨が降るとされています。それでもネット上の記録を参照しながら、たぶん日没までにはユーシンロッジに到着できるだろうと予測して前日と同じ5時半に出発しました。

大杉山への登り口を見つけるために少しうろうろした上で魚山亭やまぶきの前の道を右奥へ進み、適当に斜面に取り付いて主尾根に乗り上がると、そこには用途不明の大きな石櫓が立っていました。これで正しいルートに乗ったことが確認でき、ここからはおおむね植林の中の道をひたすら登り続けます。

途中の馬草山手前でいったん平坦になり、その後もう一度尾根へ乗り上がるところがザレた急斜面で緊張しましたが、後は淡々と登り続けて植林に囲まれ展望のない大杉山の山頂に着きました。朝一番にしては少々厳しい2時間あまりの登りで汗ばみつつも、外気はまだひんやりしているのでレイヤリングが難しく、おまけに昨日と同じく花粉アレルギーで呼吸器系がひどい状態です。

それでも大杉山から北へ向かうと植林地を脱して稜線が開放的になり、今を盛りと咲き誇るアセビや咲き始めのツツジが目を楽しませてくれました。

橅ノ平は小広い山頂が全面ブナの林になっていて素晴らしいところでした。ブナの名所としては翌日に水晶平と堂平を訪れることになるのですが、自分の印象としてはここが(そのこじんまりしたところも含めて)最も心を惹かれたブナ風景です。天気予報との兼ね合いから少しでも先を急ぎたいところではありますが、さすがにここを素通りするには忍びず、リュックサックを下ろして行動食をとりながらブナ林の景観を堪能しました。

行動再開。北に進んで厳しい急斜面を下った先の鞍部が箒沢乗越で、西に押出沢を下れば箒沢、東に穴ノ平沢を下れば穴ノ平橋。今回は後者を目指して箒沢乗越から沢筋に降りていくことになります。

見下ろしたところフリーで行けそうな気もするものの、出だしの20mあまりはそこそこ立っているので無理せずロープを出すことにしました。この場面を想定して持参した8mm30mロープと5mm30mスリングを連結しての懸垂下降でちょうど傾斜が緩くなる直前(笑)まで届かせることができ、最後の2mは慎重にクライムダウンしてロープを回収したら、歩きやすくなった沢床を下ります。途中1カ所3mほどの段差がありましたが、これはロープを使ってリュックサックを先に下ろし空身になってクライムダウンです。

さらに下ると左岸に植林地が出てきて、ここから簡単に隣の薮沢へ出られそうであることを確認してからさらに穴ノ平沢を下りました。すると両岸がぐっと迫ってきて狭隘なゴルジュ状の中が細い釜になっている場所に行き当たりました。位置的にはF1はさらに先のはずですが、そのF1は降りられないことがわかっているので未練を持たずに先ほどの植林地まで引き返し、薮沢との間の尾根に乗り上がりました。試みにこの尾根を末端まで降りられないかと進んでみましたが、突端らしきところから先は急傾斜で落ちており下が見通せません。また右手(穴ノ平沢側)のきわどい斜面に踏み跡と標識杭があり、これはおそらくF1の手前(上流側)からこの尾根に上がって来られるようにつけられているという四連梯子に通じているのだろうと思いましたが、それを確認している時間のゆとりもありません。よってここで見切りをつけて薮沢側に下り、堰堤をいくつか越えて薮沢に穴ノ平沢が出合う場所まで降りて穴ノ平沢を覗き込んでみました。

なるほどこのF1はなかなか立派ですが、見たところ直登は絶望的で沢登りの対象にはなりにくい感じ。一方、右(左岸)の尾根は立ってはいるものの樹木が続いていますから、登りはもちろん、ロープの補助があれば下降に使うことも十分可能です。もっとも、こうしたことをあらかじめ知っていなければ踏み込めるものではないので、穴ノ平沢を下る場合はF1が降りられないという予備知識だけを持って早めに先ほどの植林地から薮沢側へエスケープするのが賢明だろうと思います。

穴ノ平橋から小川谷左岸を上流に向かう中ノ沢径路はかつて小川谷廊下を遡行した際の帰路に使ったことがありますが、相変わらず際どい道でした。しかし、ところどころにロープが渡してあったり道の付け替えがされていたりと手が入れられていて危険度はそれほど高くなく、むしろ昨日歩いた千鳥橋から二本杉峠までの道の方が悪いと感じたくらいです。

径路のどんづまりは唐突に鹿柵に突き当たってしまいますが、その手前で右下に下るとそこが欅平でした。ここは小川谷廊下を遡行した場合の脱渓点であり、同時にこれから遡行する東沢の出合でもあって、東沢には鉱山の歴史があるということなのであるいはここに定着型の生活拠点があったのかもしれません。そのことに関係があるのかどうか、わさび田らしき石組みがあって「丹沢でワサビ?」と驚いてしまいましたが、この石組みから下流方向へ下ると容易に沢筋に降りられて対岸(左岸)で出合う東沢に入ることができました。

沢靴を履いているわけではないのでシューズを濡らさないように気を遣いながらの遡行になりますが、東沢の特に下流部の景観は滝やナメがところどころにあって沢ノボラー目線で見ても気持ちがよく、沢登りの楽しい感触を久しぶりに味わうことができました。やがてゴーロになって水が涸れ、その岩も消えて西丹沢特有の白ザレの谷筋を詰めた先に東沢乗越がありました。

垂れているトラロープをありがたく使わせてもらって東沢乗越に乗り上がると、そこには5カ月前のグルメ山行のときと同じように看板や道標が置かれていましたが、看板の位置や向きが微妙に変わっていましたから、ここを通った登山者が(おそらくは)写真映りがいいように看板を動かしたのに違いありません。この「まつだけいさつ」看板は長い間(少なくとも2006年にここで同角沢側に面して置かれた姿を目撃しています)あっちを向かされこっちを向かされしながらここで風雪に耐えてきたのだと思うと、なんだか健気に思えてきます。

東沢乗越から同角沢側に落ちる落ち葉の詰まったルンゼをそのまま滑り降りるとそこが遺言棚の落ち口の少し上で、左岸には同角山稜に向かって登る道がついています。まずは滝の落ち口を覗き込んでみると侵食によってできた細長い釜(たぶんポットホール)が連なっており、その向こうの滝本体を見下ろすことはできません。しからばと左岸の登り道に入って少し登ったところにリュックサックをデポし、薄い踏み跡を頼りに斜面に向かって右へ回り込みながら高度を下げ、最後にガラガラのルンゼを下ると遺言棚の正面に降り着くことができました。

これは大きい!そして懐かしい。同角沢を遡行して遺言棚を登ったのは2006年のことですからかれこれ17年も前になりますが、登攀ラインは明瞭に覚えていて目の前の光景の中に線を引くことができます。しかも今回の山行によって地形的概念が立体的に理解できたので、登攀を終えた後の行動が登攀終了直後よりもクリアにイメージできました。

遺言棚見物を終えてリュックサックのところまで戻り、同角山稜に登り着いたら後は下るだけ。もっとも途中に大石山での鎖場の登り返しがありますが、この鎖場の上の展望スポットから周囲を見渡すと雲がかなり低くなってきています。さらにスピードを上げて一目散に登山道を駆け降り、どうやらヘッドランプを使わずにすむぎりぎりのタイミングでユーシンロッジに到着したちょうどそのときに雨が降り始めました。

周知のようにユーシンロッジは現在営業していませんが、裏手の一室を避難小屋代わりに開放しています。他の避難小屋と同様にここも緊急避難時用施設という位置付けなので、最初からここでの宿泊を山行計画に組み込むことは本当は不適切なのですが、きれいに使いますのでご容赦下さい……と独り言を言いながら入館し、徐々に強くなる雨垂れの音を聞きながら簡素な食事を終えて早々にシュラフにもぐりこみました。

2023/04/03

△06:00 ユーシンロッジ → △07:25-30 小虎杖ノ頭 → △07:40-55 水晶平 → △09:20 熊木沢出合 → △09:50 箒杉沢出合 → △11:15-25 みやま新道取付 → △12:45-13:05 丹沢山 → △14:10 堂平雨量局 → △15:05 塩水橋 → △15:40 唐沢公園橋 → △17:40-50 鍋嵐 → △18:15-20 能ノ爪 → △18:35 物見峠 → △19:40 上煤ヶ谷バス停

この日はユーシンロッジから小虎杖ノ頭を経て水晶平に行き、熊木沢に降りて箒杉沢に入り直し、みやま新道経由で丹沢山に登頂後、堂平を経て車道を延々と下り唐沢公園橋から唐沢川を遡ってすぐの堰堤で渡渉して尾根を登り鍋嵐に達して、物見峠から車道を使って下山という計画です。ユーシンから小虎杖ノ頭までの標高差が450m、みやま新道の取付から丹沢山の山頂までが500m、唐沢川から鍋嵐までの登りが500mですから、下りも考えるとそこそこタフな行程で、これに長い車道歩きが加わり3日間で一番の長丁場になるので早出をするはずだったのに、目覚ましのタイマーを早めるのを忘れていたため前々日や前日よりもむしろ遅い出発になってしまいました。

幸い雨は上がっていましたが、空には雲が強い風に吹き流されて不穏な空気を漂わせています。とにかく目の前の朝日向尾根に乗って我慢の登りをひたすら続けて小虎杖ノ頭に登り着き、そこから前方へ少し下った鞍部がこの日最初の目的地である水晶平です。

ここを「ブナ平」と呼ぶ人もいるようにブナの大木が林立する様子は見事ですが、さすがに新緑には早すぎるために空疎な空間の中で木々の足元の鹿柵が目立ってしまって印象はイマイチ。ここは若葉の芽吹く時期か紅黄葉の時期に訪れるのが良さそうです。ちなみに、ここを経由池に選んだのは純粋に水晶平のブナの景観に興味があったからですが、通行止めとされている玄倉治山運搬路(ユーシン〜熊木沢出合間)を迂回するためでもあります。もっともそれを言えば浅瀬〜切通峠間の道や同角山稜なども通行禁止ではあるのですが、そこは大目に見ていただいて……。

水晶平からは熊木沢側の斜面を横切るようにつけられている踏み跡を使って元来た方向へ横断し、一番太く傾斜も緩やかな尾根を使って沢筋へと下ります。最後に尾根の末端で崖にぶつかったのでロープを使いましたが、河原を下流へと歩きながら観察したところでは最後の標高差50mほどは私が使った支尾根よりも1本下流側の支尾根を使えば段差なく河原に降りられたようでした。

熊木沢出合には橋の残骸があり、これを無視して川筋の浅そうなところを跳躍して越えましたが、その後に振り返ってみたら橋の先端に梯子が掛けられていて靴を濡らす必要はなかったようでがっくり。そして、熊木沢出合から箒杉沢出合までの道もところにより危険を伴うほど荒れており、さらに箒杉沢出合から箒杉沢の上流にかけてかつて通っていた車道の荒廃具合も蛭ヶ岳南稜に通じる熊木沢のそれとそっくりでした。これらの道路はそれぞれの沢の中に連なる堰堤群を建設するためにつけられたものでしょうから、堰堤が完成しその役目を終えれば荒れるに任せるのもやむを得ないのだと思いますが、それでも無常感を覚えます。

河原歩きと道路(跡)歩きを続けて上流の堰堤群を見下ろす場所に達したところで観察してみると、道路はここで途切れているもののそのまま左(右岸)の斜面をトラバースして行けば対岸の上流側に見えている尾根の末端に取り付けそう。丹沢山への登路であるみやま新道の本線はたぶんあの尾根だろうと想像がつきますが、そこまで行かなくても眼下の堰堤のあたりからやや下流方向に戻るかたちで斜面に取り付けば上部で本線の尾根に乗れそうです。

……というもくろみの下に取り付いた斜面は、しかし出だしの100mほどは斜度がきつく足元も脆く、危険を感じさせるものでした。アドレナリン全開でこのパートを抜けた後も厳しい登りが続き、その心身に感じるきつさは蛭ヶ岳南稜以上。これほど手応えのある道だとは予想していませんでした。

それでも最後は癒し系の笹の斜面の登りとなり、抜け出たところは山頂広場の一角のお地蔵さんの後ろ。今回の山行の中で最も高いピークにようやく立つことができました。ここからは宮ヶ瀬に出るだけであれば丹沢三峰を下っていくのが簡便なのですが、それでは冒頭に記した「なるべく東へ一直線」「なるべく未踏のポイントを織り込む」というコンセプトから外れてしまいます。ここはどうあっても堂平から鍋嵐へとつながなければなりませんが、この時点で既に13時近く。みやま新道の500mの登りに1時間20分を費やしたのも痛手でしたが、出だしが奮闘系だったからこれは仕方ありません。

みやま山荘で調達したコーラで喉を潤し、行動食を口にしながら残り時間を計算してみると、このペースでは日の入り前に鍋嵐に登頂できるかどうか微妙です。真っ暗闇の登山道を歩く経験はさんざんしていますが、せっかくなら鍋嵐の山頂には明るいうちに立ちたいもの。そんなふうにあれこれ検討した結果、とにかく堂平の下での車道歩きで時間短縮を図り、それでも唐沢キャンプ場に16時までに着けなければ鍋嵐は諦めて宮ヶ瀬へ下ることにしようと方針を固めて、堂平方面に向かう登山道に入りました。

遠目には広大な斜面にブナが林立している堂平でしたが、実際にそこまで達してみると登山道はその端をかすめているだけで、しかも振り返って見上げた構図は素晴らしいブナ林なのに進行方向を見下ろせば負けず劣らず大規模な針葉樹の植林地。率直に言って、これにはがっかりしてしまいました。

もっとも、しばらく植林地の中を歩いているうちにこれはこれで立派かもしれないと思うようにはなりましたが、割り切れない気持ちのままに塩水林道に降り着き、堂平雨量局の脇から引き続き山道を下ってショートカットしました。

さすがに走るというわけにはいきませんが、それでも早足で車道を歩き続けてどうにか15時半すぎには唐沢公園橋の向こうに鍋嵐を見上げられる場所まで達することができました。こうなったら、あの頂きに立つしかありません。

唐沢公園橋を渡って唐沢川左岸の道を少し進むとすぐに魚道付きの堰堤が現れ、そのラダーを使って川に降りることができましたが、濡れずに渡渉できる場所が見つからず、意を決して対岸に向かってジャンプしたところ、着地した下地が緩かったために足をとられ転倒して額や脛に切り傷を負ってしまいました。スズランテープのときのナイフ傷に加えてまたしても流血か……と自分で自分に呆れつつ手持ちの絆創膏で応急処置を終えてから、心を落ち着ける意味もあって周囲の様子と地形図とを突き合わせてみると、どうやら当初計画していた444m標高点のある南側の尾根よりも目の前の1本北の尾根を登る方が良さそうです。というのも南の尾根は自然林に覆われているのに対し目の前の尾根は末端まで植林の斜面で、したがって踏み跡が上まで続いている可能性が大ですし、さらに鍋嵐周辺に濃厚に生息するという熊との接触の可能性が相対的に低いことを期待できそうだからです。

思った通り植林の中には明瞭な踏み跡が続いており、下部で2回出てくる柵も出入口が開け放したままだったので通行に支障はありません。ただ、途中で明らかに獣の匂いが漂う箇所を通過したときは緊張し、熊鈴を鳴らしながら登りのスピードを最大戦速まで上げました。

そのようにして登り続けるうちにさすがに足が重くなってきましたが、それでもがんばって植林地を抜けると上部の稜線では展望が開け、宮ヶ瀬湖を見下ろすこともできて気持ちが晴れ晴れとしてきます。一方、陽の光が横から当たるようになっていることにも気付いて少々焦りが生まれてもきましたが、ここは何も考えずに前へ上へと足を進めるしかありません。

鍋嵐の北峰からいったん鞍部に下り、そこから見上げた南峰はすぐ目の前。残り50mを休まず登れば待望のラストピーク=鍋嵐山頂です。

鍋嵐の頂点に登り着くのと太陽が(おそらくは丹沢三峰の)山の端に沈むのとはほぼ同時でした。山頂は思いの外狭く、山名を示すものは木からぶら下げられたチリ取りのような汚れた板に下手な字で小さく書かれた「鍋嵐」の2文字だけでしたが、山行開始時点から録り続けたGPSログが確かにこの孤高の頂きに達したことを証明してくれるはずです。

物見峠と辺室山とを結ぶ登山道に達する途中の突起である能ノ爪(740m)も踏んでみたいピークでしたが、ここで点灯したヘッドランプで見回してみても鍋嵐のような山名看板はないなと不思議に思っていたら、帰宅して調べてみるとどうやら真ん中に立っている白い杭の一つの面に手書きされていたようです。灯台下暗しとはこのことですが、それにしても不思議な名前の「能ノ爪」の爪は、熊の爪のような「爪」ではなく沢か何かの「詰め」という意味であるようです。ともあれ鍋嵐からこの能ノ爪を経て登山道までの間は一般登山道並によく踏まれた道がついており、標識杭も連続しているのでヘッドランプ歩行でも迷う心配がありません。おかげで無事に登山道に合流して一安心、そこから物見峠までは10分もかかりませんでした。

物見峠から遠く夜景を眺めて感無量。一息ついたら下山にかかりますが、ここでなるべく東へ向かおうとして煤ヶ谷へ下る登山道に入ると途中から丹沢全山縦走の際に歩いた道をなぞることになってしまうので、唐沢林道を下界へと歩くことにしています。

物見峠からいったん札掛側へと下って唐沢林道に降り、峠の下のトンネルをくぐって煤ヶ谷側に抜けたら、後は町の光を右手に見ながらひたすら車道を歩くだけ。ゴールの上煤ヶ谷バス停まで1時間もかからずに到着し、ここで実質3日間の山旅を終了しました。

今回歩いたコースを2014年の丹沢全山縦走のコースと重ね合わせてみると下の図の通り(エンジ色の線が丹沢全山縦走 / オレンジの線が今回の山行)で、プランニング時の構想通りおおむね一直線に西から東へ進んでおり、かつ丹沢全山縦走コースとは交差することはあっても重なる区間はないことが見て取れます。

重い花粉症アレルギーに悩まされたりあちこちに傷を作ったりと自分の山行にしては珍しく身体的につらい目にあった丹沢横断でしたが、このように冒頭に掲げた三つのポイントをすべて達成することができ、山行としては成功裡に終えることができたので、気持ち的には満足です。

なお、この山行はミツマタの花が最盛期でヒルは不活性な半月前に決行できればなお良かったのですが、県道70号の塩水橋以東の復旧工事の完了を待つ必要があったためにこのタイミングとなりました。幸いヒルに喰いつかれることはなかったものの、既に各地から春ヒルの便りが伝わってくる中、これが今シーズン最後の丹沢山行となるでしょう。次に丹沢に足を踏み入れるのはおそらく11月以降ですが、さすがにこうしたストイック系のコース設計はもはやネタ切れ……というよりもうお腹いっぱいです。なので、長尺三部作にこれを加えて「四部作・完」としようかな。その場合の共通タイトルは三島由紀夫になぞらえて『豊饒の丹沢』といったところでしょうか。

参考

  • 「丹沢横断」というコンセプトに関して
  • 箒沢乗越と穴ノ平沢に関して
  • 玄倉の鉱山の歴史に関して