泉水谷小室川谷

日程:2024/06/08-09

概要:三条新橋を渡った駐車スペースから泉水横手山林道を歩いて小室川出合で入渓し、初日はS字峡を越えた先の松尾沢出合で幕営。翌日、小室川谷の遡行を続けて大菩薩嶺の南東に詰め上げ、大菩薩嶺を越えて丸川峠を経由し泉水横手山林道まで下り、起点に戻る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:大菩薩嶺 2057m

同行:ミホさん / ノリコさん / クス氏

山行寸描

▲S字峡入口の滝。上の画像をクリックすると、初日の遡行の概要が見られます。(2024/06/08撮影)
▲4段大ナメ滝。上の画像をクリックすると、2日目の遡行の概要が見られます。(2024/06/09撮影)

◎本稿での地名の同定は主に『新版 東京起点 沢登りルート100』(山と溪谷社 2020年)の記述を参照しています。

5月中旬に男山ダイレクト天狗山ダイレクトを一緒に登ったミホクスコンビとの次なるコラボレーションのテーマは「泊まり沢」。ミホさんは丹沢で沢の中での宿泊を経験しているそうですが、クス氏は未体験なので、沢での焚火の楽しさを体験してもらおうというわけです。ここに昨年ナメラ沢を一緒に遡行したノリコさんにも加わってもらって、私の山行としては異例に多い4人パーティーで大菩薩嶺近くの名渓・小室川谷に繰り出すことにしました。実はこの「異例に多い」というところが今回の遡行のキーワードになってしまい、現地でたいへん苦労することになるのですが……。

2024/06/08

△10:20 三条新橋 → △11:30 小室川谷入渓 → △14:25 S字峡入口 → △16:30 松尾沢出合

4人の中では最も遠い千葉市在住のノリコさんの始発電車の時刻に合わせて9時半に奥多摩駅集合とし、ここからクス氏の車で丹波川の奥へと進み、三条新橋を渡ったところにあるゲート前の駐車スペースを今回の山旅の起点としました。

ゲート前には少なからぬ車が駐まっていましたが、その中には沢登ラーと共に釣り師の車も含まれていただろうと思います。我々は出発が遅めなので釣り師とバッティングする懸念は少ないだろうと期待しつつゲートの脇を通って泉水横手山林道に入り、小室川谷が出合うあたりから脇道の下りに入りました。ここにかつてあった「小室向」と書かれた道標は今では破損しており、代わりにガードレールに「小室向」の札が下がっています。そして脇道への入り口は「歩道崩落のため通行止」の標識で通せんぼされていました。

泉水谷の上流方向へ下っていくと木橋が架かっていた場所に出ましたが、石組みは残っているものの橋はなし。ここで装備一式を身につけて、まずは対岸の橋の跡近くから道形を辿ろうとしましたが、すぐに不鮮明になってしまったので結局泉水谷を少しだけ下ることになり、最後に小尾根を乗り越して小室川谷に入渓しました。ちなみにこの沢の名前は、国土地理院の地形図では単に「小室川」なのに『日本登山体系 4 東京近郊の山』(白水社 1997年)では「小室川谷」と表記されており、今回参照している『新版 東京起点 沢登りルート100』も「小室川谷」です。なぜこういう違いが生まれるのかは不明ですが、国土地理院地形図と他の地図や書籍とで呼称が違うというのはよくあること(たとえば4月に歩いた信州沢も地形図では「信州谷」)です。

小室川谷に入ってしばらく進むと、最初に現れるのがこの滝。下段は手前のバンドからでも右奥の木が生えたところからでも簡単に登ることができますが、その上に少々難しいリッジがあってロープを出すことになりました。なおトポにはここに「フィックスロープ」があると書かれていますが、それはなくなっていました。

続く7m滝は右の凹角を登って水流の右を簡単に通過できます。ここを抜けてしばらく歩くと左(右岸)に平坦地が開け、斜面にはワサビ田の石垣跡が残されていました。あまりに気持ちの良い平坦地なのでついここで幕営(というより焚火を)したいという誘惑に駆られましたが、その時点で時刻はまだ13時前。さすがに早すぎるだろうと気持ちを入れ替えて先に進みます。

カーブを右に回ったところに出てきた細長い淵は奥に6m滝を持っており、手前から泳いで奥の右壁に取り付けばこれを通過できるのですが、この日は晴れてはいても水温は低いために泳ぐ気にはなれません。切込み隊長のクス氏が右壁からのトラバースを試みたもののこれも微妙に難しく、悩んで時間を使うくらいならとカーブの手前へ戻って緩いリッジを登ったところ、そちらには中途半端にフィックスロープが残されていました。

リッジを登ってから左岸を水平に移動し、10mほどの懸垂下降。広沢寺弁天岩では懸垂下降の経験を積んでいるものの完全に垂直な壁を懸垂下降するのは初めてのミホさんは少々怖い思いをしたようでしたが、何事も経験です。この後に空中懸垂まで出てくることになりますが、回を重ねるごとに動作がこなれていきました。

この日のハイライトとなるS字峡の入り口の滝に到着してみると、見事なまでの奔流が噴き出していました。本来は左側から迫り水流の中に乗り込んで突破すべきこの滝の、これが平水の姿なのかどうかわかりませんでしたが、今日のメンバー構成ではあまりお近づきになりたくない様相であるため、左上のテラスまで私がフリーで登ってからロープを投げて残りの3人にも登ってもらいました。実はこのテラスへの登りも一筋縄ではいかず、内心冷や汗をかきながら登っていたということは内緒の話です。

テラスからS字峡の中を見下ろしてみると、そこでも水流が轟々と流れています。通常はここからテラスの上流側に設置されている支点(カラビナが残置されていました)を使ってあの中へ懸垂下降してS字峡の中を行くのですが、ここも安全サイドで考えてさらに高巻きを続けることにしました。そこでこのテラスの下流側の岩のバンド上を少々際どく横断してから右上へ切り返して斜面を登り、10mほど登ったところから上流方向へ水平に移動していくと、その先にS字峡の途中の屈曲部近くへ向かう尾根状の斜面が伸びていました。

尾根状の斜面の末端にある太い木には残置スリングが巻きつけられていたので、我々がとったこの高巻きコースはやはりよく歩かれているもののよう。30mロープを2本つないでS字峡の中に下るとそこは水深が浅く水の流れも強くはなかったので、安心して対岸に渡ることができました。

屈曲部の上流側は再び幅が狭まって水流が強くなっていますが、ここは右側の岩の上を歩いて簡単に通過することが可能です。小さい滝を一つ越えるとその先はやや深い淵になっていました。

こればかりは仕方ありません。腰まで水につかって右壁沿いを進んでから対岸に渡れば、S字峡の出口の小滝を左から小さく越えることができて、その先に松尾沢出合の平坦地が広がりました。

左から合わさるのが今倉山(サカリ山)から流れ下る松尾沢、右に続くのが小室川谷で、この出合には小規模ながらも絶好のキャンプサイトができあがっていました。時刻は16時半、腰を落ち着けるべき頃合いです。

装備を解いたら薪集め、ついで女子用テントと男子用ツェルトを設営し、火が熾ったところで乾杯です。その後は持ち寄ったアテをシェアし合いながらお酒を飲み、夕食を各自とり、のんびりと火を眺めてから21時前に就寝しました。

2024/06/09

△05:15 松尾沢出合 → △08:45 中ノ沢出合 → △11:50 水源巡視路 → △16:30-50 登山道 → △17:15 大菩薩嶺 → △18:40-40 丸川峠 → △19:20 林道 → △20:20 小室川出合 → △20:40 三条新橋

本当は中ノ沢出合で初日を終える計画だったのに、実際にはそこからトポの参考タイムで1時40分も手前の松尾沢出合で一夜を過ごした我々は、遅れを取り戻すべく3時起床→5時出発としました。

ところがのっけから私が大失敗。3m・4mと連なる滝はそこそこ見栄えがしますが、下段の方は左から簡単に巻けるとして、そこから上段の滝に近づくラインが見つけられずに大高巻きにしてしまいました。もちろん最初のうちはそこまで大高巻きになるなどとは思っていなかったのですが、ふかふかの苔と腐った樹木に覆われた急斜面をぐんぐん登らされて気がつけば上段の滝の落ち口ははるか下。ここではミホクスコンビとノリコさん・私の2パーティーに別れた状態で行動していたのでそれぞれが30mロープ1本での懸垂下降を2回重ねて沢に戻ることになりましたが、後日調べてみたところやはり下段の滝を最小限で巻いて上段の滝の脇を通る(つまりロープを出さずにすむ)ラインがあったようです。この大高巻きを終えて2パーティーが揃ったところで時計を見ると6時を大きく回っていましたから、早発ちしたことによる貯金を早くも使い果たしてしまった格好です。

気を取り直して先に進むと、いずれも釜を持つ幅広2m滝や2段4m滝を簡単に越えた先に狭隘部から力強く水を落とす石門ノ滝5mが現れました。登攀意欲をそそりはする(登るなら左壁ネイリング?)ものの、セオリーに従うことにしておとなしく右岸からの高巻きにかかります。

石門ノ滝の少し手前の右岸垂壁にはフィックスロープが残されていますが、先人の記録を見るとこの登りは「嫌らしい」「高度感がある」「支点が不安」などとさんざんに悪口を書かれているので、さらに手前に戻って右岸のルンゼから高巻きにかかりました。こちらの高巻きラインはフィックスロープを登った先のバンドのさらに一段上を行き、沢に戻るには懸垂下降となるもののほとんど危険のないものであったので、幕営装備などでリュックサックが重い場合にはオススメです。

石門ノ滝を越えて先に進むと沢筋が右に曲がるところに出てきたこのオブジェのような岩が、どうやら本来の石門であるようです。見ての通り右の岩に左の岩が寄りかかるようにしてトンネルを形作っており、沢筋自体はこれらの左側を通って向こう側に続いているのですが、ここは自然の造形に敬意を表して石門の下を潜りました。

右岸の小沢沿いのワサビ田跡を横目で見ながら進むと、小室ノ淵に到着。夏であればここも泳いでチョックストーンの左側に取り付きたいところだが、これまたセオリー通りの左巻きを選択。この高巻きも比較的安定したルートをとることができ、ロープを出すことなく自然に淵の向こう側へ下ることができました。

まあそれにしてもこの沢は水がきれい、そして岩がきれい。沢の中の至る所にこうした美しい縞模様が見られて目の保養になります。このあたりの地質は後期白亜紀の付加体だと言われています[1]から、この特徴的な縞模様はもしかすると海に由来するものなのかもしれません。

小滝を左から巻いたところが中ノ沢出合で、これを左(小室川谷上流)へ少し進むとどんな大部隊でも泊まれそうなくらい広い幕営適地が広がっていました。

幕営適地の先の2条滝は釜を左から回り込んで左壁の上に乗り上がるのですが、水面からわずか1mのこの登りがテクニカルでなかなか面白い。ホールドは手足共にあるものの上手に手順を組み立てる必要があって、先頭を行くクス氏は膝スメアを駆使、ミホさんはお助け紐の世話になったのに対し、ノリコさんがきれいにフリーでここをクリアしたのには感心しました。

この3m滝は右岸に釣り師のものらしいフィックスロープが垂れていましたが、あえて水流の左壁を直登しました。足が揃っているパーティーであればロープを出す必要はないところですが、ここまできたらたとえ時間はかかっても(沢の中で日が暮れない限り)排除できるリスクは徹底して排除する方針に切り替わっています。

この見事な直瀑は雨乞ノ滝10m。右から巻いている記録もありましたが、ざっと見まわしたところでは左から巻くのが自然ですし、実際にそちらに向かってみると踏み跡らしきものもありました。

雨乞ノ滝を巻き終えると目の前に現れるのが、小室川谷のハイライトである大ナメ滝4段40mです。この滝は本当に美しく、確かにこれを見るだけのために小室川谷を遡行する価値があると思えるほどですが、登攀自体はさほど難しくなく、1段目はど真ん中、2段目は水流の右側の岩の斜面、3段目は右から小さく巻き気味に登って4段目の手前に到着します。

4段目は水流の右のつるりとした岩を登ることになりますが、右の側壁に近いところを進めばフットホールドはそれなりにあり、しかもすぐにフィックスロープが使えるようになるのでさしたる苦労はありません。ただしフィックスロープを使わないで登ろうとするとそこそこ大変で、特に右から側壁が迫ってくるあたり(上の写真の中央にクス氏が登っているところ)を一段上がるにはしっかりした技量が必要だろうと思います。

メインイベントは終わっても滝は終わりません。大ナメ滝を過ぎた先でうっすらとした水源巡視路の跡を見送った後に出てくる2段滝(4m・4m)の下段は左寄りの斜めチムニーから上がり、上段は水流の中にフットホールドを求めて突破しましたが、これに果敢に挑んだノリコさんは惜しいところで足を滑らせ見事なウォータースライダーを披露していました。

2連幅広の滝もとても立派で、なんとか下段の滝だけでも直登できないものかとオブザベーションをしてみたところ、その中段までは右壁を使うにしてもそこから滝に近づいて水流の右端に取り付くことができそう。早速そこまで進んで2、3歩ほど上がって水をかぶりながら検討したのですが、落ち口あたりで頼りになるホールドを得られるかどうか確信が持てず、渋々クライムダウンしてから右の小ルンゼを登り、落ち口の高さでトラバースしました。しかし滝の上から落ち口あたりを眺めてみると、案の定そこはつるりとしていてフリクション頼みになりそうな形状をしており、無理とまでは言わないもののそれなりのリスクを負わなければならない様相でしたから、巻き上がったのは妥当な判断だっただろうと思います。なお、上段の方も右側から容易に巻き上がれます。

この後に出てくる2条滝を右から越えた後、沢筋はいったん荒れた様相を呈してきます。トポに書かれている「トロッコ台車」は見逃し、おまけに蛇抜沢出合もそれと認識できないままに潤いの少ない遡行が続きましたが、台車は見つからなかったものの空中索道のケーブルの残骸をひっきりなしに見掛けるようになって、この山にも林業の歴史が根を下ろしていたことを窺わせました。

フルコンバ小屋窪を左に見送って苔に覆われきれいな多段10m滝を登るともうこれといった滝はない……のかと思いきや、その後にも滝はいくつも続きます。斜度が上がって確実に稜線との標高差が縮んできているはずなのに一向に水量が減らないことに驚きつつ、互いに励まし合いながらいつ終わるとも知れない遡行を頑張り続けたところ、稜線から標高にして100mほど下の滝を越えた先でさしもの小室川谷もついに伏流となり、さらに前方の樹林の間から目指す稜線が見えてきました。

沢筋を離れ、右側の笹尾根に取り付いて薄い踏み跡を登り続けること20分、ようやく稜線の登山道に乗り上がることができました。稜線上は下がってきている雲の中で、冷たい風が吹き抜けていましたが、何はともあれ無事の遡行終了を喜びつつひと休み。装備をしまい、一般登山者ルックに変身して大菩薩嶺を目指します。

もっと早い時間帯であれば登山者で賑わうであろう登山道も、すでに17時とあって見かけたのは単独行の若い男性だけでした。富士山や南アルプスの展望が売りのこの道をガスに巻かれながら淡々と歩いて、やがて到着した大菩薩嶺の山頂はこれが3度目、33年ぶり

大菩薩嶺からコメツガ林の中の意外に長い道のりを下り続けて降り立ったのは青いトタン壁に風格(風雪に耐えてきた感じ)が漂う丸川荘が建っている丸川峠で、ここに至っては36年ぶりです。右の写真はそのとき、つまり1988年にここを訪れたときに撮った写真ですが、そこに写っている丸川荘の青い屋根と現在の姿とが重なり合い、泊まったことはないのにとても懐かしい気がしました。

しかし、さすがにこの老朽ぶりでは宿泊客は入れていないだろうと思っていたら大間違いで、帰宅してから調べてみたところ、丸川荘は今でも現役の山小屋として宿泊客を受け入れていました。失礼ながらこれにはびっくりですが、そうであるならいつか泊まってみたいような気もします。

……などと感慨に浸っている暇もあらばこそ。車で帰れるミホクスコンビはさておき、公共交通機関を利用して千葉まで帰らなければならないノリコさんには終電の二文字が重くのしかかります。よってここから先はスピード命。丸川峠から牛首谷を下って泉水横手山林道に降り立ち、三条新橋を目指して早足で歩き続けた結果、どうにか奥多摩駅から千葉まで戻れるタイムリミットに間に合うタイミングで車のもとへ戻り着くことができました。

『日本登山体系』には、次の記述があります。

小室川谷 四-五時間

ゴルジュの中に滝を連ねる楽しい沢で、大菩薩連嶺の代表的なバリエーション・ルートである。

解説の部分はまったくその通り!素晴らしい沢だったという印象ですが、コースタイム(入渓〜脱渓)の四-五時間に関しては、近年の各種記録を漁ってみてもそこまで速い記録はない(見かけた限りでの最短は7時間弱)のでいささか過少表記のきらいあり。それにしても、我々の実働16時間はいくらなんでも時間がかかりすぎでした。その原因は明らかで、メンバーの力量(技術+経験)と沢の難しさとが釣り合っておらず、そのため頻繁にロープを出さなければならなかった上に、4人パーティーで行動しているために一つ一つのポイントでの停滞時間が長引いてしまったためです。

しかし問題の所在はそこではなくて、あらかじめメンバーの力量と人数がわかっているにもかかわらず、安易にトポの参考タイムを採用して計画を組んだことにあります。仮に参考タイムの倍近くかかると予想して検討していたなら、そもそも小室川谷は行き先候補から外していたはずで、これはプランニング担当だった私のお粗末なミス。メンバーの皆さんに申し訳なし……。

それでも曲がりなりにも無事に下山し、全員がその夜のうちに帰宅できたのは、私のチョンボをリカバーしてくれたメンバー全員の心身両面の粘り強さのおかげと言うほかありません。同行の三人に対し、ただただ感謝あるのみです。最後はなかなかつらい下山になってしまいましたが、皆がこの遡行のことを楽しい思い出にしてくれたなら嬉しいのですが。

脚注

  1. ^国立研究開発法人産業技術総合研究所「20万分の1日本シームレス地質図v2」(2024/06/12閲覧)