笛吹川東沢金山沢↑信州沢↓

日程:2024/04/25-26

概要:笛吹川東沢を釜ノ沢出合まで進んでから直進して金山沢・信州沢二俣で幕営。2日目に金山沢を遡行し、右俣から奥の二俣を右沢に入り、信州尾根を乗り越えて信州沢を金山沢・信州沢二俣まで下降し、往路を戻る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:---

同行:---

山行寸描

▲金山沢25mナメ滝。上の画像をクリックすると、金山沢の遡行と信州沢の下降の概要が見られます。(2024/04/26撮影)
▲金山沢名物堰堤祭り。今回のルート上には七つの堰堤が連なっていた。(2024/04/26撮影)

◎本稿での地名の同定は『日本登山体系 8 八ヶ岳・奥秩父・中央アルプス』(白水社 1997年)、『奥秩父・両神の谷100ルート』(山と溪谷社 1997年)および『東京周辺の沢』(白山書房 2000年)の記述を参照しています。

そろそろシーズン最後の雪山にでも行こうかと思いながら各地の週間天気予報を見ていると、山梨県の4月25日から26日にかけては晴れ、しかも下界の最高気温が30度超え。これは沢登りに行くしかないだろうと方針を転換し、前々からリストアップしてあった金山沢〜信州沢(国土地理院の地形図では「信州谷」)の周回コースをセレクトしました。このコースを選んだポイントは、まだ雪が残っている標高の高い稜線に出ずに行って帰って来られる点にあります。

2024/04/25

△09:50 西沢渓谷入口 → △10:35-50 東沢入渓点 → △15:20 金山沢・信州沢二俣

前日ずっと降り続いた雨が未明に上がったものの、まだすっきり晴れてはいない空の下、始発電車に乗って中央本線塩山駅へ。予報通りに西の方からどんどん雲がとれてきて、塩山駅から西沢渓谷入口行きのバスに乗る頃には青空が広がってきていました。

この日の行程は、笛吹川東沢を遡行して釜ノ沢出合に達し、さらに西へ少し進んだところにある金山沢と信州沢との二俣あたりに幕営です。釜ノ沢出合まではこれまで二度歩いているので楽勝だ、と歩き出す時点では思っていたのですが、そうはいきませんでした。

西沢山荘跡まで歩いてみると、西沢渓谷に向かう道に柵が設置してあり「4月28日まで西沢渓谷は通行止め」だと書かれていますが、その後に東沢溪谷や鶏冠山方面へ入山される方は河川敷の迂回路をご利用して下さいと記されています。正しくは「ご利用下さい」か「利用して下さい」ではないのか?と文系的なツッコミを心の中で入れつつもこの先に進んでいいのかどうか思案しましたが、ここから河川敷に降りたのでは吊り橋の上流側にある堰堤に行く手を阻まれてしまうので、西沢渓谷の入口までは入ってもいいのだろうと解釈して柵の脇から道に入りました。すると、ここまでの途中にある東屋の近くの案内図にも登場していたキツネがまたしても現れてあ〜痛い 痛みも怪我も 自己責任とこちらの神経を逆撫でしてきました。

吊り橋を渡って少し登ったところに西沢渓谷の看板があり、そこから右に折れて河川敷に下ると鮮やかなブルーの案内標識あり。ここでヘルメットをかぶり、沢靴に履き替えて東沢の遡行を開始しました。

鶏冠谷の入口を横目で見送り、道が東沢左岸(北側)の高いところを通るようになったら魚留ノ滝を見下ろして……というところまでは経験済みのルーチンのようなものでしたが、やがてトラバース道はところどころで路肩が崩れて荒れてきます。もともとそれほどしっかりした道ではありませんでしたが、それにしてもこんなに悪かったかな?これでは丹沢の廃道歩きと大差ないぞと思いつつ気を抜かないようにして歩いていくと、ホラの貝ゴルジュを過ぎていったん河原に降りた道がまた上がった先で道型がほとんど崩れた場所に行き当たりました。これはひどいなと思いながらここを際どく越えて先に進むと今度はフィックスロープが下り方向についていますが、その先も危なっかしい下降が続いていて、さすがにこれはおかしいと引き返しました。

河原に戻り着いて上流を見てようやく得心がいったのですが、先ほどははるか上の方にある「足もと注意」の標識に導かれて上に上がったものの、実は沢筋の中にもぼろぼろの印が垂れ下がっていて、ここは短く沢に入って左岸沿いに水の中を進むとすぐにフィックスロープを使って道に上がれるようになっていたのでした。してみると先ほどの際どかった道は、増水時の巻道だったに違いありません。また、少し上流に進むと見える赤テープの先には水面から3メートルほどの高さに沢に入らずにすむ道らしきものもありましたが、試みにそちらを探ってみるとその降り口にかつてあったはずのフィックスロープは残っておらず、クライムダウンはそこそこ難しそうでした。ちなみに過去の二度の遡行時にどう進んだのか、恥ずかしながらまったく覚えていません。

山ノ神を過ぎたらあとは沢の中を進むばかり。道中のビューポイントとなる乙女ノ滝や東のナメ沢の姿は何度見ても飽きることがありません。乙女ノ滝の方はアイスクライミングで登ったことがあるものの、東のナメ沢はクライミングシューズの世界で未登。かつてはここを登りたいと思ったこともありましたが、メンタルの強さを問われるフリクションクライミングは不得手ジャンルなので、この先もはや東のナメ沢に取り付くことはないでしょう。

フリクションと言えばこの斜めのスラブ状側壁も東沢のポイントの一つで、ラバーソールならすたすた歩けてもフェルトソールだと苦労するという絶妙の斜度です。さらにこの斜めスラブを進んだ先の狭隘部ではスピードが増した水流をまたぎ越して左岸から右岸へ渡らなければならないのですが、2020年に同行した小柄なエリーはここでうまく渡れずにあやうく流されかけたので、私は勝手にここを「エリーポイント」と呼んでいます。実はここまで、前日の雨のために水位が上がっていて渡渉ポイント探しに時間を費やしてきていたのですが、このエリーポイントの水位と水圧も前回比何割か増しになっている感じで、足元をすくわれないように力をこめながらできるだけ水の中に足を下ろし、最後は対岸の岩に倒れ込むかたちで手を突いてどうにか渡ることができました。

西のナメ沢の前を過ぎてくねくねと曲がる沢筋を右岸から左岸、またその逆と渡渉しながら上流へと進み、やがて岩に赤ペンキで薄く「釜ノ沢」と書かれた釜ノ沢出合に達したら、今回は右に折れずにまっすぐ進みます。

ここから先は未体験ゾーンですが、そこで真っ先に出迎えてくれたのは小さいながらも残雪でした。この場所の標高は1420mほどとずいぶん低いのに、まだ雪が残っているとは。

ともあれ、釜ノ沢出合からほんの少し歩いた先で沢筋は二分しています。この左俣にあたるのが金山沢、右俣にあたるのが信州沢で、同時にここが今日の幕営予定地です。

二つの沢が合わさるところにはやはりブルーの標識が「金山沢」「信州沢」と沢の名前を示しており、その標識の裏手の一段高いところに狭いながらもテント一張り分のスペースがあったので、ここを今宵の寝ぐらと定めてテントを張るとただちに薪集めにかかりました。幸い少し範囲を広げて探せば薪は豊富で、さして時間をかけずに必要十分な量を集めることができ、火を熾したらウイスキー(先日買い求めたばかりの「TWINALPS」)の水割りをちびちび飲みながら焚火缶で夕餉をこしらえて、やがて暗くなったところで早々に就寝しました。

2024/04/26

△06:30 金山沢・信州沢二俣 → △08:10 金山沢二俣 → △09:10 奥の二俣 → △10:10 信州尾根上 → △10:25 信州沢 → △12:15-45 金山沢・信州沢二俣 → △15:30 東沢入渓点 → △16:05 西沢渓谷入口

さすがにまだ4月とあって夜中は少し寒い思いをしましたが、それでもそれなりに十分な睡眠をとることができたというのに、朝3時半にセットしていた目覚ましはいつの間にか止めており、次に目を覚ましたのは鳥の囀りが聞こえ始める4時半でした。しまった、完全に寝坊した。

予定していた5時半にはすっかり明るくなっていましたが、出発できたのは1時間遅れの6時半。幕営装備一式を残置して身軽な状態で、朝一番の冷たい水の中に足を浸しました。幕営地の前もそこはかとなくナメっぽくなっており、その先しばらくは平凡な河原状が続くものの、幕営地から10分ほども進むと黄色いナメが目立つようになってきました。

中でも立派なのはこの25mナメ滝です。岩の黄色い部分はフリクションがいいので、これが夏だったら滝のど真ん中の直登にトライしたかもしれませんが、さすがにこの時期この水温でスリップして滝下の釜に滑り落ちたら大変です。ここは自重して左岸の接線を巻き気味に登りました。

25m滝の先にもナメやナメ滝が続いてなかなかの面白さですが、よく見るとこの黄色は岩の本来の色ではなく、水が運んできた色素が付着したもののようです。この後に出てくる第一の堰堤より上流にはこうした鮮やかな(毒々しい?)黄色は見当たりませんでしたから、このペンキを流したような色には第一の堰堤が関係しているのだろうと思いますが、出合からここまでの区間のナメの上にしか色がついていないというのも不思議なことです。

ナメの区間が40分あまりも続いた後に、噂の堰堤が出てきました。これはどちらから越えるのかと左右を眺めてみると、右(左岸)はどうやら望み薄なのに対し左(右岸)は樹林帯の中に少し高く入れば越えられそうです。かくしてこの堰堤を皮切りに続く第二・第三とも左から越えましたが、第一以外は堰堤が低く容易に越えることができました。

第一と第二の堰堤の上流側には「金山沢グリーン」とでも呼びたくなるような水たまりができていて目を楽しませてくれましたが、それにしてもこれらの堰堤に人が越えるための梯子などの仕組みが備わっていないのは困ったものです。

第三の堰堤の上流に二俣があってここで沢は二分されますが、地形図で見る限り源流域の面積はさほど変わらないように思えるのに左俣は目立たず、いかにも右俣が本流という雰囲気を漂わせています。そして今回の遡行の参考にした『奥秩父・両神の谷100ルート』と『東京周辺の沢』のいずれの記事も1996年7月現在の記述になっていますが、そこにはこの二俣の手前で砂防堰堤の工事が行われていること、そして二俣には廃屋となった作業小屋があることが記されており、その廃屋は今でも残っていました。

「兵どもが夢の跡」……というのとは趣が違いますが、それでも立派なものです。ネット上の古い記録(2005年)の中には堰堤工事の作業員がモノレールでここに降りてきたという描写がありましたが、車輪とレールがあるということは軌道がどこかからここに通じていたのでしょうか?さらに一段高いところには明瞭な廃屋跡があって、この手の遺構につきものの一升瓶ももちろん残されていましたし、ヤカンがポンとそこに置かれたように残されていたのも印象的でした。

第四の堰堤も左から巻きましたが、これには少し手こずりました。いわゆる普通の沢登りの高巻きに近い感覚で、もしかすると反対側の方が良かったのかも?また第五の堰堤は左から、第六の堰堤は右からいずれも容易に越えられましたが、第七の堰堤を右から越える際にはIII級テイストの岩登りが必要でした。

堰堤はもうお腹いっぱいだ!と思っていたらまたしても堰堤が現れましたが、ここは奥の二俣で、堰堤があるのは左沢。これから向かうのは右沢で、幸いなことにそちらにはもう堰堤はありません。

しかも右沢に入ってみると遡行感度がぐっと回復してきます。ガレの要素が減って小ぶりながらも穏やかに開けた沢筋を進むと、水流がねじれた滝の後に二連の滝が現れて楽しくなってきます。

二連の滝の上流側は12m階段状滝。一見滑りそうでも凹凸が豊富なので、ラインを選べば不安なく登れます。

途中で左から沢床の低い枝沢が合流しますが、本流は右前方の滝。これまたジグザグに流れ落ちる水流の中を気持ちよく登ることができました。

基調として西進している金山沢は、奥の二俣を右沢に入ったところで急激に向きを変えて北に向かっていますが、先ほどのジグザグ水流の滝を越えると再びぐっと曲がって西へと向きを変えます。しかしそちらの奥を見るとガレガレなのに対し、北から落ちてくる枝沢は笹の斜面に囲まれていい雰囲気です。遡行図を見るとガレの先にもいくつか滝はあるようですが、もうこのへんでいいだろう(寝坊したことでもあるし)と見切りをつけて北からの枝沢に入り、早々に右の斜面に取り付いて信州尾根から南下する支尾根に乗り上がりました。

このあたりから信州沢に入るまでは参照できる先行記録を持たない現場判断でしたが、幸いなことに支尾根上の樹林の間隔はまばらで歩きやすく、ほどなく信州尾根を越えて入った北斜面も藪漕ぎというほどの密度はなくて、浅いルンゼを見つけてこれを辿ればスムーズに下降することができました。

下り着いたところは信州沢の標高1800mの二俣の少し上流で、そこに流れている優しげな水流をずっと遡っていけば奥秩父縦走路上の国師のタルに出られるはずですが、少し下って二俣に着くとそこには大量のガレが押し出してきていて、このガレは標高1590mの二俣まで延々と続いていました。

さしものガレ沢も標高1590mの二俣から下流側では多少変化するようになり、厚い岩盤を穿つ立体的な滝に続いてナメ滝も現れました。

ここは左岸を行けばロープを使うことなく下れそうですが、その途中を倒木が遮っているのが厄介。そこで右岸のガレとスラブを横断して小さく高巻き気味に進み、10mほどの段差を懸垂下降(持参したロープは20m)でこなしました。

その後はロープを使う場面もなく、いくつかのナメ滝は側面をぺたぺたと歩いたり簡単なクライムダウンで下降して、やがて6時間ぶりの懐かしき幕営地に戻ってみると、ペグダウンしていなかったテントが風に煽られて横倒しになっていました。

テントを撤収したら昨日辿ってきた往路を戻るだけなのでこれといって書くこともないはずですが、一つだけ気になっていたのは増水のために慎重に渡らなければならなかったエリーポイントです。釜ノ沢出合から下流の渡渉の繰り返しの中で明らかに水位が下がっていることに気づき多少は安堵していたものの、それでもあの激流の横断は一筋縄ではいかないだろうと思っていたのですが、沢がカーブしているところで何の気なしに河原を離れて小さく巻き道を使ったところ、これがエリーポイントを回避するラインになっていたことに振り返って気づいて驚いてしまいました。巻き道の踏み跡はごく薄いものでしたが、やはりこれも増水時に使われているものなのでしょう。

その後は東沢左岸の高い位置をトラバースする道を使った下降が続きます。この道の悪さは枯葉がうず高く積もって不安定になっていることも原因の一つになっているので、夏に向けて多くの人が歩けば多少は踏み跡が明瞭になって歩きやすくなるかもしれません。それでもところにより設置されていたワイヤーやロープが流されている箇所がありましたから、これからこの道を歩こうとする人にはそれなりの覚悟と経験が必要になりそうです。

やっと入渓点に戻り、あの自己責任キツネの前を通って西沢山荘に着いたところで沢装備を解除。ちょうどその時刻は西沢渓谷入口から塩山駅に向かう最終バスの発車時刻(15時40分)だったので、あと1時間早く出発していれば、つまりは朝寝坊なんかしなければバスに間に合ったのに、と悔やみながらトボトボと西沢渓谷入口までの道を歩きました。ところがバス停に着いてみると、ノーチェックだった山梨市駅へ向かうバスの最終便(16時25分)が残っていて、おかげで高いタクシー代を出さずに帰路に就くことができたのでした。終わりよければすべてよし?違うか……。

金山沢は出合の少し上流から始まる黄色いナメの連続と奥の二俣以降の穏やかな雰囲気の区間がすてきでしたが、いかんせん堰堤の連続が興醒めであることに加え、下降に使う信州沢の大半がうんざりするガレ沢であることがマイナス。しかも釜ノ沢出合までの長いアプローチ区間を往復しなければならない点も考えると費用(苦労)対効果がいいとは言えず、率直に言ってあまりお勧めの沢とは言えません。

しかし今回の遡行は沢中泊を行うことが主目的でしたし、その中で沢での生活技術のあれこれ(立木へのロープの結び方とか焚火缶を使った調理のコツとか寝坊厳禁とか)を忘れていることに気づかされたので、その点では今シーズンの本番に向けてよい練習になりました。