笹子川真木川アモウ沢

日程:2024/05/25

概要:遊仙橋から恵能野川沿いを歩いてアモウ沢に入り、大堰堤をかわしたところから入渓。アモウ沢乗越に詰め上げた後、滝子山に登頂してから寂惝尾根を下って笹子駅へ向かう。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:滝子山 1620m

同行:---

山行寸描

▲3段30m滝。正面突破もできそうだったが、自重して1段目は左から巻いた。(2024/05/25撮影)

◎本稿での地名の同定は『ウォーターウォーキング2』(白山書房 2013年・以下『WW2』)の記述を参照しています。

諸般の事情から日曜日を山行に使えないため、土曜日に日帰りで簡単な沢を登ろうと選んだのは滝子山の北側に短い流程を持つアモウ沢。このあたりでは2022年に大ゴ沢も登っており、そのときと同じくナメ滝に期待しての遡行となります。なお大ゴ沢もアモウ沢も真木川まぎがわの支流ですが、相模川が山梨県内に入って桂川と名前を変えた後に大月から富士山(山中湖)を目指して南西へ向かうところで分岐して引き続き西進する笹子川の、そのまた支流がこの真木川であるという位置関係です。

2024/05/25

△09:10 遊仙橋 → △11:20-40 アモウ沢入渓 → △12:05-20 30mナメ滝 → △13:05-20 アモウ沢乗越 → △13:40-50 滝子山 → △16:05 笹一酒造酒遊館

大月駅からハマイバ前行きのバスに乗って20分、遊仙橋がこの日の山旅の起点です。

遊仙橋から左に曲がる道を進むと恵能野の集落で、橋のところにあった案内図によれば23戸が恵能野川沿いに散らばっている模様。

恵能野の集落を抜けて子の神社から林道に入ると、道は途中で路肩が崩れて車が通れなくなっていましたが、人の通行には支障ありません。今回の山行に際し参照した『WW2』にはアモウ沢と共に「恵能野川中流」も紹介されており、そこにはこの林道の終点まで車で入れるという記述があるのですが、少なくとも現在はそれは不可能なので、もし恵能野川を遡行対象としようとするのであれば公共交通機関を利用するしかなさそうです。ともあれ、この林道を奥へと進むと恵能野川に橋が架かっているところに出て、ここから先は正真正銘、人が歩くための仕事道を進むことになります。

仕事道は何度か川を飛び石で渡り、またところにより路肩が削れて狭くなっているところもありますが、道そのものは明瞭で迷う心配はなく、どんどん奥へと進むことができます。眼下に流れる恵能野川を遡行してアモウ沢につなげることもできるのですが、先行記録をいくつか見てみたところこの川は沢登りの対象としてはイマイチという評価だったのでパスし、ひたすら仕事道を辿って時間短縮することにしました。

「恵能野川中流」のハイライトとなる10m滝を見下ろすと、なかなかの存在感。直登している記録ももちろんありますが、仕事道を使って上流側に回り込み落ち口を見下ろしてみるとヌメヌメな感じ。これはお近づきにはなりたくない雰囲気です。これが登れないのであれば恵能野川を遡行対象とする意味はなさそうなので、今回この沢をパスした判断は正解だっただろうと思います。

『WW2』に石垣状大岩と書かれている岩のあるあたりで恵能野川は二つに分かれ、右俣がトヨミ沢、左俣がアモウ沢となります。地形図では仕事道はトヨミ沢の上流へと伸びていますがアモウ沢の方にも踏み跡は続いており、『WW2』によればその途中に山の神があるはずです。残念ながらそれは目に入らなかったかわりに目についたのは真新しい熊剥ぎで、ずいぶん派手にやってくれたものだなと感心しつつ熊鈴を持参しなかったことを後悔しました。

左に沼ノ沢、ついで右にコクトチ沢を分けて等高線の間隔が広がったあたりには思いがけず真新しいネットに囲まれた植林地が広がっていてルートどりが悩ましく、しばらくアモウ沢の両岸を右往左往することになりました。後から振り返ればおそらく植林地の中に通路があって、そこを進めば桑西林道終点に続いているのだろうと思いますが、このときはネットとアモウ沢との間の狭い隙間を使って上流に進むことにしたところ、やがて対岸(右岸)が広がってきてそちらに渡ると歩行が楽になりほっとしました。

大きな堰堤が姿を現せば入渓点は間近です。一番下流側の堰堤の左岸には桑西林道が上がってきているはずですが、それを確かめる暇もなく五つ連続した堰堤をすべて左(右岸)から巻いた先で沢筋に下りました。

前方に20m滝が見えているここが入渓点で、まずはこの日最初の小休止をとって行動食を口にし、ついで沢装備を装着しました。もっとも今回は登攀的要素は少ないと予想しているので、ヘルメットをかぶり足回りを沢シューズと沢スパッツにしただけ。ギアはもとよりハーネスすら持参していません。

まずは傾斜の緩い5m滝からですが、滝の滑りやすさを確認するためにあえて水流の真ん中を登ってみたところ、確かにフリクションは良好とは言えず、上手に岩の凹凸をとらえなければ簡単に足元をすくわれそう。これは続く3段20m滝も同様です。

『WW2』は「下段は左、中段は右、上段は水流中」などと登り方を指定していますが、はっきり言えば余計なお世話。よく観察すれば弱点はあるので、自分の目とフリクションを信じて好きなように登るべきです。

20m滝を越えた先にはところどころに雰囲気のある小滝があって、気持ちの良い遡行が続きます。そのいずれも容易に越えることができますが、岩が脆いところもないわけではないのでホールド選びは慎重に。

右(左岸)から枝沢を合わせるところに出てきたのが、この沢では最大の3段30m滝です。もっとも上の2段は傾斜が寝ているために下段に近づくと目に入らないので「30m」という高さはまるで感じられません。

この滝の下段は左から巻き上がるのが一応のセオリーとなっているようですが、左右から観察してみたところ、右からバンドに上がって流芯に近づき、そこにある足場の上に乗ると手掛かりが得られそう。つまり直登の可能性が感じられたのですが、ソロで来ている上にハーケンなども持参していないために万一目算が狂った場合には進退窮まってしまうので、ここは自重することにしました。

……というわけで滝の左端から巻き上がりかけたのですが、この斜面をトラバースして流れに戻るのもどことなくリスキーな感じがします。そこでいったん降りて滝身に近い場所に取り付き直し、壁を乗り越えて下段を突破しました。

2段目と3段目は右(左岸)に回り込んでしまえば簡単に越えることができて、これでアモウ沢のメインイベントは終了です。

それでも引き続き明るい樹林の下にナメやチョックストーンが出てきて、遡行自体は飽きることがありません。

標高1350mくらいで右岸から合わさるナメ滝はかなり立派で、これを登ればダイレクトに滝子山の山頂に出られそうですが、地形図によればその途中にはゲジゲジマーク(つまり崖)がある模様。ここはおとなしく本流を詰めるのが無難そうです。

アモウ沢の沢筋上にはこれという滝はなくなってしまいましたが、先ほどの右岸からのナメ滝に続いて左岸の天空高いところから水を落とす枝沢などもあり、景観という点では案外見どころが尽きません。そしてこの天空の枝沢のすぐ先、標高1400mで水涸れとなり、以後は谷筋の中の淡々とした登りが続きます。

顕著な崩壊地を右に見送ったらゴールは間近。すぐ先の斜面を藪漕ぎ皆無で登り切った先がアモウ沢乗越で、そこには大谷ヶ丸から滝子山へ通じる登山道が通っていました。短かったものの楽しかった遡行はここで終了となり、ヘルメットを脱ぎ足回りをもとのアプローチシューズに換えたら、歩きやすい道を滝子山山頂へと向かいます。

山頂の手前にある鎮西ヶ池は相変わらず細々とした流水で維持されており、白縫神社の祠も健在でした。この池には鎮西八郎為朝にまつわるいろいろな言い伝えがあるようですが、それは〔後述〕することにして先を急ぎます。

滝子山のてっぺんに到着してみると、遠くは雲が低く垂れこめており富士山の姿も見えませんでしたが、それでも10人に満たない登山者が三々五々寛いでいる穏やかな山頂でした。ところがその一角に腰を下ろして行動食をとっていると、寂惝尾根の方からヘルメット、ハーネス、ランヤードなどフル装備に近い一団が登ってきて山頂は一気に賑やかになりました。そこで彼ら(と言っても大半が女性)の登場をきっかけに腰を上げて、自分は逆に寂惝尾根を下り始めました。

滝子山の寂惝尾根(南稜)は近年人気のバリエーションルートで、私も2021年に病後のリハビリとして登っていますが、岩稜とは言っても難所らしい難所はなく、下りにも十分使える尾根だという印象を持っていました。しかし、いざそちらに向かってみると「この先危険」と翻意を促す看板が次々に出てきます。そんなに事故が多いのかな?と思いながら寂惝尾根の下降にかかりました。

しかし実際に下ってみると、確かに尾根の上部でクライムダウンを要する場所や道迷いしかねない箇所も出てはくるものの、全体を通してみればよく整備されており、これから盛りを迎えようとするツツジや新緑が美しい広葉樹の森の雰囲気も好ましく、登り下り問わず積極的に使われてよい道であるように思いました。しかし、そうは言っても実際に事故が起きているのでくだんの標識が設置されているのでしょうから、この尾根を使おうとする場合は自分の岩場経験を謙虚に振り返ってみる慎重さは必要ですし、ヘルメットを持っているのであれば装着するに越したことはありません。

寂惝尾根の名前の由来となった寂惝苑の前を通って車道に出たらもうそこは下界で、しばらく歩いた先にある稲村神社に立ち寄って無事下山の報告と共にお賽銭を納め、この日最後のイベントに向かいました。

この日最後のイベント……それは笹一酒造の酒遊館で甘酒アイスパフェをいただくことです。出だしが仙橋で終点が酒館。遊んでばかりの一日の締めくくりにふさわしいところですが、酒遊館自体は18時まで営業しているのにその中のカフェは16時閉店だったため、残念ながらパフェをいただくことはできませんでした。失意のうちに同じ館内のショップに移って、まずは吟醸ソフトクリームでクールダウンしてから、利き酒カウンターで酒遊館限定販売だという「山廃純米大吟醸 甲州夢山水」を試飲してみたところ、これがなかなかいい感じ。笹一酒造の説明によれば果実の香りに包まれた深い米の旨みと、清冽な仕込水の透明感をお楽しみくださいだそうで、これは自宅でも楽しまなくてはと四合瓶を買い求めてから、酒遊館を後にしました。

アモウ沢=尼落沢?

山頂直下にある鎮西ヶ池の「鎮西」とは源為朝(1139年-1170年)のこと。生まれつきの乱暴者であったために父の為義に持てあまされ、九州に追放されたもののそこでも暴れ回り鎮西八郎を名乗ります。このため朝廷から出頭を命じられて上洛していた翌年(1156年)に起きた保元の乱では父と共に崇徳上皇側について奮戦しつつも敗れ、流刑先の伊豆大島でも暴れたために追討を受けて自害したとされています。この生涯からは為朝と滝子山との接点は見出せないのですが、鎮西ヶ池については19世紀初頭に編纂された『甲斐国志』に「伊豆を出た為朝がここに庵を結んで住み着いた」という土地の話が記されており、他にも「肥後で為朝との間に子をなした白縫姫が一時ここに住んだ後に子を里人に預けて肥後に帰った」「伊豆を抜けた為朝はここで再起を期したが露見し、妻や侍女たちは池に身を投げ為朝主従も討たれた」などいくつかの言い伝えが残されているそうです[1]

さて、この為朝伝説のうち真木の恵能野に伝わるものが岩科小一郎『大菩薩連嶺』に収録されており[2]、これを読むとアモウ沢に尼落沢という字が当てられていました。アモウ沢とはいかにも変わった名前でカタカナで書かれるとその意味がわかりませんが、上記の説話と組み合わせてみるとなるほど「尼落沢」という名前にはいかにもそれらしい雰囲気が感じられます。ただし、岩科小一郎は恵能野で採取されたこの話を滝子山の為朝伝説を巧みに合わせて作られた家系伝説だと断じていますから、残念ながら「尼落沢」という表記も眉唾ものだと考えた方が良さそうです。

それにしてもこのあたりには「恵能野」だの「米背負峠」だのと何か由緒がありそうな地名が集まっているのが不思議です。掘り下げてみたいような気もするし、しかし深みにハマるのは避けたいとも思うしと、今のところはどっちつかずの気持ちで滝子山周辺の地図を見返しているところです。

脚注

  1. ^山梨県産業技術センター「#0556 鎮西が池」『山梨デザインアーカイブ』(2024年5月25日閲覧)
  2. ^岩科小一郎『大菩薩連嶺』(朋文堂 1959年)p.184-185