TTT〔丹沢 to 高尾〕

日程:2023/01/05

概要:渋沢駅からスタートして丹沢主脈縦走路を辿り、西野々から北の石砂山・石老山、相模湖の東の嵐山を経由して城山に登り返し、高尾山を経て高尾山口駅に下る。いわゆる「TTT」(丹沢 to 高尾)をランではなくウォークで。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:塔ノ岳 1491m / 丹沢山 1567m / 蛭ヶ岳 1673m / 黍殻山 1273m / 焼山 1060m / 鍋割山 1272m / 石砂山 578m / 石老山 702m / 嵐山 406m / 小仏城山 670m / 高尾山 599m

同行:---

山行寸描

▲竜ヶ馬場から見た黎明の相模平野。シルエットは大山。(2023/01/05撮影)
▲不動ノ峰の先から見た富士山。檜洞丸の向こうには南アルプス全山が一列に並んでいる。(2023/01/05撮影)

2023年最初の山行は、1月4-7日の4日間の北海道アイスクライミングツアーの予定だったのですが、出発前日の朝にメッセンジャーをチェックしてみると在道のパートナーから「コロナに罹ったかも」という連絡。彼の奥様も1週間ほど前にコロナに罹患しており、症状も喉が痛いということなのでほぼ間違いありません。残念ではありますが、彼らに限らず今は身近な人たちが次々に罹患している状況なので、コロナ感染に伴う中止の可能性は山行プランの中に当然に織り込むべきものです。

しかし、こういうときに頼りになるのが丹沢です。手元の「いつか行くリスト(丹沢)」の中から長短いくつかの計画を取り出して検討してみましたが、年末に丹沢でも降雪があったことと1月7日に南岸低気圧の通過に伴う雨または雪が予報されていることを考慮に入れ、ワンデイでの長距離縦走に取り組むことにしました。それがこの「TTT」(Tanzawa to Takao)です。

2023/01/05

△00:00 渋沢駅 → △01:05 大倉 → △04:30-45 塔ノ岳 → △05:30-06:25 竜ヶ馬場 → △06:40-55 丹沢山 → △08:40-55 蛭ヶ岳 → △12:05 焼山 → △13:20-35 西野々 → △15:00 石砂山 → △15:35 石老山登山口 → △16:50-55 石老山 → △18:10 鼠坂 → △19:10 嵐山 → △19:45 弁天橋 → △20:05 城山登山口 → △21:10-15 小仏城山 → △22:00 高尾山 → △22:50 高尾山口駅

「TTT」はその名の通り丹沢から高尾(またはその逆)を目指すもので、起終点は丹沢側が小田急線の渋沢駅、高尾側が京王線の高尾山口駅です。この二つのポイントを押さえれば途中のルートはある程度自由に組み立てられるようなのですが、今回は最もポピュラーと思われる丹沢主脈縦走→相模湖→城山・高尾山としました。トータル約50kmはトレイルランナーなら12時間くらいで走れる距離ながら、自分の場合はそれは無理。そこで24時間以内の徒歩での縦走を目指すことにし、渋沢駅23時55分着の急行に乗りました。

渋沢駅から大倉までの道はごく緩やかな登りで、月齢12日ほどの月明かりとたくさん設置されている街灯の明かりのおかげでヘッドランプなしで歩くことができます。途中、いつもなら行き過ぎるバスの車中から眺めるだけの堀之郷正八幡宮にも立ち寄って、今回の山行の安全を祈願しました。

誰もいない大倉の自動販売機で温かい飲み物を口にしたら、いよいよ山道です。気温がかなり低いので、とにかく汗をかかないようにとひたすらゆっくり足を運び続けましたが、それでも高さが出てくれば眼下に広がる秦野盆地と小田原方面の夜景が綺麗です。

塔ノ岳に到着すると風が強く、建物に寄り添って風を避けながら衣類を重ねました。この日は冬の八ヶ岳での装備に比べれば耐寒性能を全体にワンランク落としたレイヤリングにしてあったのですが、これは丹沢を甘く見ていたかも……と後悔しているところへ、表尾根方向から単独のナイトハイカーが登場しました。この寒いのに酔狂なことだ、と自分のことを棚に上げつつ先に丹沢山へと向かった彼の後を追うと、樹間から見える下界の夜景がこれまた綺麗。しかし、一応日中に寝だめをしてあったにもかかわらずこの頃から強い睡魔が襲い始めます。実は花立でも短く仮眠をとっていたのですが、日高を通過するあたりでは足がふらつくようになってしまいました。過去数度のハセツネでの経験から、こういうときは思い切って短時間でもしっかりした睡眠をとった方が後の行程がはかどることを知っているので、竜ヶ馬場の笹原の上に横になり、持参したツェルトをかぶって風をしのぎながら寝入りました。

30分間の仮眠の後にツェルトから出てみると、眼前には美しい光景が広がっていました。大山の三角形のシルエットの向こうには、地平線に近いところを明るく輝かせつつある夜明けの光。空の色も明るい青から赤、そして黄色と白へと刻々と変わっています。このまま御来光をここで迎えたいところではありますが、日の出の時刻までまだ30分ほどもあり、先の行程を考えるとそこまで竜ヶ馬場に滞在し続けるわけにもいきません。

縦走再開。左手には少々元気のない笹原の向こうに寒々しい風情の富士山を眺めながら、雪のまだ残る丹沢山の山頂に到着しました。

しかし、丹沢山から蛭ヶ岳に向かって歩き始める頃には富士山にも朝日が当たりだし、その山腹は暖かいオレンジ色に染まりました。この眺めの良さもさることながら、これで気温が上がってくれれば歩きやすくなるだろうとうれしくなってきます。

日が高くなって山々が普段の色を取り戻すと共に、遠くの雪山がクリアに見えるようになってきました。気温の低さと風の強さが幸いし見通しはすこぶる良好で、ことに富士山の右に見える白雪を戴いた南アルプス全山は壮観です。

蛭ヶ岳に着いたところで時刻は9時前。大倉出発が1時すぎだったことを思うと極度に遅いペースです。行動食をとるためにグローブを脱いで素手になるのもつらい寒さの中、さっさと姫次方向への登山道に入ると斜面には雪が大量に残っており、木の階段もところどころ凍りついているので足運びは慎重にならざるを得ません。一方、この頃には蛭ヶ岳を目指して登ってくる登山者とひっきりなしにすれ違うようになりました。

日当たりがいい姫次は地面がぬかるんでいましたが、樹林帯の中の登山道では道をボコボコにした大きな霜柱が残っていました。それでも下り基調のこの姫次から焼山にかけての登山道はおおむね歩きやすく、なんとか遅れを取り戻そうとスピードを上げて進みます。

丹沢パートでの最後のピークである焼山に到着しました。前回(東丹沢周回)ここに来たときには山頂にある三つの祠(青根・青野原・鳥屋の三部落の境界を示すもの)のうち青根の祠を見そこねていたので山頂広場の裏手の林間に入ってみたところ、思いの外にわかりやすいところにその祠を発見。他の二つの祠はいずれも屋根が落ちて気の毒な姿でしたが、この青根の祠だけはしっかり祠の形を維持していました。

宿題が一つ片付いて気分よく焼山から西野々への下り道に入りましたが、途中の急降下には辟易しました。このコースは初めて丹沢主脈を歩いた1986年にも歩いているはずですが、滑りやすい乾いた土の斜面に落ち葉も乗って危なっかしい急坂をロープ頼みで下る坂道の記憶はまったくありません。しかし、おっかなびっくりで下っていると後ろから近づいてくる人の気配があり、脇によけて道を譲ると単独の男性がラジオを鳴らしながらまるでスキーで下っているかのように風を切って通り抜けていきました。もしやこの道のエキスパート?

西野々に降り着いて向かった先は、このコースでの貴重なエイドステーションとなるセブンイレブンです。買い求めたのは、昼食用にサンドイッチと紅茶、行動食として菓子パンとスポーツドリンク。ここにセブンイレブンがあることが、どれだけこの行程を(物理的にも心理的にも)楽にしてくれることか。そして、この西野々から城山の下の登山口までの間は自分にとっての未体験ゾーンです。

車道から道志川越しにこれから向かう石砂いしざれ山を見上げてから登山道に入ると、道は幅広く明瞭です。おっ、この幅はもしや馬も通った仕事道の跡?などとついオガラ沢乗越の連想で考えてしまいましたが、単にこの道が東海自然歩道の一部であるために整備が行き届いているだけだったようです。なお、今回のTTTコースでは姫次から既に東海自然歩道に乗っており、そしてゴールの高尾山口駅までもおおむね東海自然歩道の一部です。

冬枯れの明るい石砂山頂から石老山に向かうコースは二つあり、ひとつは北に向かって篠原地区の石老山登山道を目指すコース、もう一つは東尾根(破線ルート)を辿って牧馬峠から石老山に取り付くコースです。当然後者の方が標高差が少なく有利なのですが、石砂山の山頂から東尾根入口とおぼしき急斜面を覗き込んでみると道筋が不鮮明。ここでルートミスして時間をくっては致命傷になりかねないので、大人しく東海自然歩道の一部である北向きの道を下ることにしました。

篠原地区までは大して時間を費やすことなく下れましたが、ここから石老山の山頂までは標高差400m余りの一気の登りです。下部では植林の中で間伐のためにチェーンソーを使う音が鳴り響き、その上の標高570mあたりの小平地には「金比羅神社」(「刀」の字がない)の額を掲げた祠あり。そして、ここで日没を迎えました。

富士山の山頂近くに沈む夕日が作る景色は神々しいほど美しいものでしたが、間もなくあたりは闇に包まれることになります。せめて石老山の山頂は明るいうちに踏んでおこうとピッチを上げました。

石老山の山頂も広場になっており、ベンチが多数置かれていてハイキングシーズンには善男善女で賑わうことになりそうですが、この日この時間に山頂にいるのは自分だけ。これからつのる寒さと暗さに備えて衣類を調節し、ヘッドランプを頭に着けました。

石老山の名前は北麓にある石老山顕鏡寺の山号から来たもので、この顕鏡寺へ向かう登山道や顕鏡寺から下界へ通じる沢筋の中の道はさながら奇岩ルートの趣きを呈しています。それぞれの奇岩も興味深いのですが、それよりも各奇岩に付された解説がけっこう面白い。この岩に登れば八方が見えるといわれているが、東南方向が見えるだけである(八方岩)とか中央に拳の跡が二つある。弁慶は強かった人かも知れないが、この岩に拳の跡を残す力はなかったと思う(弁慶の力試岩)などと妙に冷静です。この寺と奇岩群は、できることなら明るい時間帯に再度見てみたいものです。

顕鏡寺から麓に降り、いったん東海自然歩道を離れて直線的に車道を歩き鼠坂ねんざかから再び東海自然歩道に復帰して嵐山へ通じる登山道に入ることになりますが、この道はちょっとひどい。まず鼠坂からの入口がわかりにくいのですが、ここはプレジャーフォレスト前の信号を過ぎてしばらく車道を西へ進んだ後に、車道の上を横断する橋に向かって坂道を上がったところから右に曲がるとすぐ右側に出てくる細い(車は通れない)坂道を上るのが正解。この細い坂道の入り口に標識がないのでここに入っていいのか車道を直進するのか迷うところですが、細い坂道を少し上ると標識が出てきて安心する仕掛けです。この入口を正しく見つけられれば後はひたすら道なりに進むばかりですが、かなり長いトラバースになるこの道は等高線に沿った水平道ではなくアップダウンが多く、特に下りになると「せっかくさっき高さを稼いだのに」と心が折れそうになります。こんなに(登山者目線で)無駄の多い道を作るくらいなら、車道をさらに歩かせて最短距離で山頂へ登るコース設定にすればいいのにと思いますが、そうはできない理由があるのでしょうか?

漆黒の闇に包まれて自分の心も闇に落ち、この無体な登山道に対する怨嗟の言葉を百万遍も繰り返した頃にやっと到着した嵐山の山頂で迎えてくれたのは、昭和30年鎮座創建と新しい嵐山宮と相模湖方面の夜景です。山頂の解説板によればこの山は南は同志山、北は小仏山脈の中間にあって間の山あいのやまというのが本当の名で、湖岸の景観が京都の嵐山に似ていることからいつのころか嵐山といわれるようになったとのこと。何やら観光振興の意図が感じられる由来ですが、それはともかくここから北へ下って車道に出て相模川を弁天橋で渡り、城山下売店(富士見茶屋)のある城山登山口に到達したら、ここから先は再び歩いたことがある区間なので心が楽になりました。未踏区間でもよく整備された登山道や車道なので歩くことに不安はないものの、道迷いを避けるために地図をこまめにチェックしながらの歩きというのはやはり疲れるものです。

登山口から小仏城山までの標高差450mをかつては35分で登りましたが、さすがにそこまでの足は残っておらずたっぷり1時間をかけて山頂に登り着くと、関東平野の夜景の見事な広がりが見渡せました。

この夜中に高尾山から陣馬山方向へ走るランナー3人と挨拶を交わし、最後の階段を頑張って登って誰もいない高尾山頂に到着しました。ようやくこれが最後のピークですが、山行としてはまだ終わっていません。ただちにゴールの高尾山口駅に向けて1号路を下り、舗装路の下りに太腿が張る感覚を覚えながらもめでたく駅に着いたときには、渋沢駅の出発から22時間50分がたっていました。GPSログのヤマレコ解析に基づく歩行距離は51.3km、累積標高差は登り下りとも4000mほど。体力的にはゆとりをもって終えられましたが、心理的にはもうたくさんという感じです。