第23回日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」
日程:2015/10/31-11/01
概要:奥多摩の山々をめぐる71.5kmのコースを24時間以内に走破する長谷川恒男CUP。
山頂:三頭山 1527m / 御前山 1405m / 大岳山 1266m
同行:---
4年ぶりの参加を目指した第23回ハセツネCUPは、一般枠があっという間に埋まってしまったので、あきる野市のふるさと納税エントリー枠での申込み。あきる野市に対して3万円の「ふるさと納税」を行うと出場権が得られるというもので一見高いのですが、出場権だけでなくあきる野市の産品の詰合せ(選んだのは秋川牛ビーフカレー2個、くんせい玉子5個入、カットくんせいチーズ1個、刺身こんにゃく(大)1個、めんつゆ1L、多摩のはちみつ75g、梅うどん・寒そうめん各1個、のらぼうそば・よもぎうどん各1個の豪華セット)をもらうことができて、これはこれで楽しいものでした。
なお、事前に送られてくる参加規定には確実に目を通す必要がありますが、今回の参加規定の注意事項には次のように書かれていました。
安全確保の見地から仮装とイヤホンを禁止するのは理解できます。タトゥーはそれ自体禁止というより見せてはいけないということのようですが、これはヤ◯ザも参加してよいという意味ではなく、タトゥーに対してオープンな外国からの参加者への配慮ではないかと想像します。そして最後の「動物の伴走禁止」ですが、かつて(2003年)は犬猫等の伴走は禁止します
と書かれていました。これを読んだときは「犬はともかく猫の伴走というのはあり得るのか?」と思わずツッコミを入れてしまいましたが、今年はこうしたツッコミどころがないのが少々寂しい(?)気もしました。
2015/10/31-11/01
予報では土日とも晴れだったのに、当日になってみるとどんより曇り空。予報通りだったのは気温の低さだけです。雨が降らないことを想定したパッキングにしてあったので出掛けに少し悩みましたが、運を天に任せてそのまま会場へ向かいました。
晩秋の気配濃厚な武蔵五日市の五日市会館に10時すぎに着いて受付を済ませ、五日市小学校の体育館に余分な荷物をデポしてから五日市中学校の校庭で開会式の開始を待ちました。参加者は招待選手を筆頭に速い順(自己申告)に10時間未満・12時間・16時間・20時間以上に分かれて列を作るのですが、見れば多くの選手が12時間のエリアに固まっており、私が属する20時間以上エリアは肩身が狭いくらいに少人数。それでも我が20時間以上グループも健気にトレランシューズで足元を固めていましたが、中に1人だけ登山靴を履いている上品なご婦人がおられて、その完走を祈らずにはいられませんでした。
開会式でのエアロビクスは、御岳トレランでおなじみ三人娘の疲労困憊系とは違って大変スローなまったりしたもの。確かにこれから70km以上も走ろうというのにエアロビで息を切らせていたのでは話になりませんが、この日の寒さの中では物足りない感じもしないでもありません。
13時スタート。廣徳寺の前から山道に入ってすぐに渋滞につかまりましたが、これは毎度のことなので心配はありません。それよりも気になるのはぶんぶん飛んでいるスズメバチですが、話によると先頭集団はその襲撃を受けて何人か刺されていたそうで、我々が通ったときのスズメバチたちは既に闘争本能が満たされて落ち着いた状態になっていたようです。そんなこんなはありつつ予備関門の入山峠(3時間)と醍醐丸(6時間)を無事に通過しましたが、やはり10月末ともなれば日が落ちるのは早く、醍醐丸のかなり手前から夜戦に入ることになりました。
第1関門の浅間峠に19時25分に到着。制限時間に対して2時間35分の貯金ができました。今回は最初から24時間の枠を目いっぱい使うことにしており、そのために第1関門まででゆとりを作って、その後の行程でその貯金を少しずつはたく計画です。そして予想通り、第1関門から第2関門までの間で睡魔に襲われることになったのですが、焦らずところどころで10分間の仮眠休憩を何度か入れながら歩き続けました。
こうして睡魔の方とはうまく付き合うことができたのですが、思わぬ霧と時折の小雨のために視界が遮られ、気温も下がってきました。参加者の中には通常のトレイルランニングスタイル、つまり両腕・両足を露出させた軽装姿も少なくなかったのですが、よほどの高速ランナーでない限りこの服装はハセツネにあっては低体温症のリスクをもたらすことになります。私はといえば長袖・短袖のTシャツ2枚重ねの上に薄手の中間着とアウターとを用意し、首にはネックゲイター、頭もしっかり覆って防寒対策は万全のはずでしたが、それでも寒さには苦しめられました。
変化がない上に全体として登り基調が続き心理的に最もつらい第1関門から三頭山までを何とかこなして、第2関門の月夜見山第二駐車場には制限時間の45分前である午前3時15分に到着しました。ここまでで貯金をずいぶんはたいてしまった形ですが、第2関門を制限時間内に通過できれば完走は難しくないことを経験則として知っているので、この時点で先が見えたと安堵しました。なお第2関門では飲料の補給が許されていますが、寒さのおかげでここまでに消費したのは水を500ccとスポーツドリンク500ccだけだったので同量ずつを補充しました(もっとも最終的にはそれらの大半をゴールまで運ぶことになってしまったのですが)。
ついでに書くと、食料の方は全行程を通じて稲荷寿司3個(浅間峠)、筋子にぎり1個(三頭山)、赤飯にぎり1個(日の出山)、ゼリー4個(適宜)、トレイルミックス1.5包(適宜)、塩飴2個(適宜)、アミノバイタル1包(大ダワ)で足りました。眠気覚ましにガムを持っていたらさらに良かったかもしれません。
長い登りの後の御前山から山頂を越えて大ダワへの下りにかかったところで御来光を仰ぎ、すっかり明るくなった大ダワからは緩やかになった尾根道を歩いてどん詰まりの急坂を登りきると……。
大岳山の山頂から西に向かって広がるこの大展望。夜間歩行の間を通じて苦しめられた湿った雲は勢力を失い、その下に越えてきた三頭山と御前山がどっしりとした姿を見せていました。ここまで来れば、後はおおむね癒し系です。
第3関門の長尾平には9時22分に到着。この頃になると一般ハイカーも山道を歩き出しており、大勢の方から「頑張れ」と声援をいただきました。そして最後のピークとなる日の出山から金比羅尾根をだらだらと歩き通し、痛み出した膝を庇いつつ傾斜の強い坂道を下って市街地の車道に入り、最後の角を回るとゴール地点がすぐそこにありました。
ゴール前では道幅いっぱいに広がったたくさんの大会運営スタッフが参加者たちを拍手と歓声で迎えてくれており、視界を埋め尽くすピンクのウェアを見たときにはさすがに少し胸が熱くなりました。12時41分ゴールイン。
コース上のスタッフとスイーパーの連携でゴール地点には最終走者の位置が逐一伝えられており、最後はギリギリ間に合わないのではないかと懸念される場面もありましたが、土壇場の頑張りを示した最終走者3人が一緒になってゴールインしたのは、制限時間まであと2分強を残す12時57分50秒でした。
ゴール地点でいただくこのフィニッシャーTシャツをもらうために24時間近く頑張ったようなものです。とにかく怪我なく歩き通すことができて何よりでした。
開催年 | 第1関門 | 第2関門 | 第3関門 | ゴール |
---|---|---|---|---|
2003年 | 05:53 | 12:44 | 19:26 | 22:46 |
2004年 | 06:39 | 14:36 | 棄権 | |
2005年 | 06:14 | 13:24 | 18:34 | 21:36 |
2006年 | 06:29 | 14:47 | 20:05 | 22:43 |
2011年 | 06:38 | 14:29 | 20:16 | 23:11 |
2015年 | 06:25 | 14:15 | 20:22 | 23:41 |
制限時間 | 09:00 | 15:00 | 21:00 | 24:00 |
今回の出走者総数は2,357名で、完走者は男女合わせて2,046名ですから、完走率は86.8%です。4年前の大会での完走率が8割を切っていたことからすると、この完走率は高かったと考えてよいのでしょう。ちなみに私の順位は男子完走者1,817名中1,810位ですが、これは上述の通り制限時間を使い切る作戦だったから計算通り。とは言うものの、作戦を変えればもっと早くゴールインできたのかと言われれば、これが目いっぱいだと答えるしかありません。
そうしたわけで、このハセツネへのエントリーはこれを最後にするつもり。初めて参加した2003年から12年間に6回参加し5回完走しましたが、完走できたときもできなかったときも、このハセツネはそれぞれに深い思い出を残してくれました。そして、いつどんなときも参加者に対して100%の支援をしてくれた大会運営スタッフと地元の方々に、このレポートを通じて心からの感謝を申し述べたいと思います。