塔ノ岳〔表尾根・尊仏岩跡〕

日程:2024/12/22

概要:ヤビツ峠から岳ノ台を経由して表尾根を縦走し、塔ノ岳に登頂。尊仏岩跡に詣でてから大倉尾根を下る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:塔ノ岳 1491m

同行:ミホさん / クス氏

山行寸描

▲三ノ塔地蔵菩薩から見通した表尾根全景。ここを歩くのは2年半ぶりだが、塔ノ岳ってこんなに遠かったんだっけ?(2024/12/22撮影)
▲おなじみ尊仏岩跡。今年一年が息災で終わりそうであることの御礼を申し上げた。(2024/12/22撮影)

師走も押し詰まってきたこの週末から週明けにかけて一泊二日で西丹沢を歩こうと計画していた土曜日、丹沢&アイスつながりのクス氏から「明日、ミホさんと共に表尾根を歩いて大倉に下山後、渋沢で忘年会を兼ねて飲む予定だが、都合がよければ一緒にどうか?」との連絡あり。単に「表尾根」を歩くだけという誘いなら当初の計画を優先するところでしたが、その後に付された「忘年会」の3文字にふらふらとつられて予定を変更することになりました。我ながら誘惑に弱すぎる……。

2024/12/22

△08:00 ヤビツ峠 → △08:35-40 岳ノ台 → △09:15 菩提峠 → △10:30-35 三ノ塔 → △11:05 烏尾山 → △12:05-25 木ノ又小屋 → △12:50 塔ノ岳 → △13:05-10 尊仏岩跡 → △13:30 塔ノ岳 → △15:45 大倉

秦野駅前のバス停でクス氏、ついでミホさんと合流。クス氏とは先週八ヶ岳でご一緒したばかりですが、ミホさんと山行を共にするのは7月の小川山以来です。ヤビツ峠に向かうバスは超満員でしたが、我々はそのことを見越して早めに秦野駅に着いていたのでヤビツ峠まで席に座って移動することができました。しかし、バスが峠に近づくにつれて窓から見る下界の景色が驚くほど雄大になっていくことに気づき、自分の足ではなくバスでこれだけの高さを稼ぐことに若干の後ろめたさも感じてしまいました。

ヤビツ峠から表尾根に向かうには北側の車道を歩く方法と岳ノ台を越えていく方法とがありますが、今回は後者を歩きました。階段を緩やかに上がるとすぐに東屋が現れ、少し進んだ先の鞍部が旧ヤビツ峠。昭和9年の丹沢林道開通まではこちらが「ヤビツ峠」で、古い地形図を見るとその頃の道の付き方がよくわかります。峠の名前の由来となった矢櫃(北条・武田間の合戦の際に遺棄されたもの?)が出土したのもこのあたりだったのでしょうか。

岳ノ台の上には展望台があり、海側は木々に遮られてあまり展望が得られなかったものの、北側は開けていて札掛方面の眺めを楽しむことができました。中でもすぐ近くに聳える大山が北尾根を伸ばしている姿は、この山を修験道の行者たちが崇拝したのも納得の立派さです。周囲にはテーブルやベンチもあって、次にここに来るなら宴会山行だな(ただしヒルのいない時期に)と語り合いました。

岳ノ台から二ノ塔にかけては、何気にいろいろ立ち寄りスポットがあります。まずは菩提風神祠。丹沢ではあちこちで見かける石祠と同種の姿をしていますが、屋根が前に長く伸びている点が特徴的です。この祠がある場所はやはり鞍部になっていて、北からの寒風がここを越えて南の菩提集落に吹き降りることを防ぐために祀られているものらしく、左側面には寄進者の名前らしきものが彫られていましたが、文字を読み取ることはできませんでした。

続いてパラグライダーが飛び立つ菩提テイクオフ。正面に箱根の山々が連なり、右には愛鷹山から富士山までが見えています。

菩提峠から二ノ塔方向へ急登をしばらくこなすと出てくるのは日本武尊の足跡ですが、これには東征の中で相模の阿夫利山(大山)に兵を進めた日本武尊が水を求めてここを踏みつけると清水が湧き出たという言い伝えがあるのだそう[1]。それが本当なら、日本武尊は驚くべき大男だったに違いありません。

それにしても今日はすこぶるいい天気。二ノ塔から三ノ塔にかけて、開放的な尾根道を気分よく歩きます。

三ノ塔はとりわけ眺めがよく、箱根から富士山、そして目指す塔ノ岳方面の展望を堪能しました。この表尾根を登り方向で歩くのは2年半ぶりですが、塔ノ岳ってこんなに遠かったんだっけ?とその意外な長さをここで再認識しました。

尾根の反対側には大山が聳えていますが、その右には相模湾や東京湾が見えていて、江ノ島さえも指呼の間といった近さに感じられます。

お地蔵様に挨拶をしたらぐっと下って烏尾山、さらに進んで行者ヶ岳となり、その先は岩場や崩壊地となって修験の行場らしき荒々しさが漂います。ことに崩壊地は登山道の状態が危なっかしく、遠からず手を入れないと通行の安全を維持できないだろうという気がします。

そうした難所を越えて高さを上げたところで振り返ると、相模湾の海面が日の光に照らされて金色に輝いていました。

正午をわずかに回ったところで木ノ又小屋に到着し、ここでコーヒータイムとしました。ミホさんは小屋のご主人と顔見知りらしく親しげに会話を交わしていましたが、私もこの小屋は以前から気になっており、いつか泊まってみたいと思っているところです。

寒風が吹き募る塔ノ岳の山頂は大賑わい。表尾根の縦走はこれでおしまいで、ここからは大倉尾根を下るだけなのですが、せっかくここまで登ってきたのだからと急に思い立ってミホさんとクス氏を尊仏岩跡に案内することにしました。二人とも尊仏岩についての予備知識を持ってはいなかったようですが、それは下山後に勉強していただくとして、百聞は一見に如かず、とにかく足を運びましょう。

塔ノ岳から丹沢山へ向かう山道を少し下ってから左の笹原の中の踏み跡を辿り、あるポイント(ここが迷いやすい)で左に折れると岬のような地形あり。これを右に下って左に折り返し、目印のトンガリ岩を見つけたら再び右に下って左に折り返すことの繰り返しです。このあたりの歩き方は以前映像[2]にまとめたことがありますが、滑りやすい急斜面の下りなので気をつけて。

それでもミホさんもクス氏もさほど苦労する様子もなく、無事に尊仏岩跡に到着しました。ここに立つ石仏とは、私は11ヶ月ぶりの顔合わせ、そしてお二人は初対面です。その前で尊仏岩についての簡単な歴史解説[3]を行い、さらにもう一段下って大正時代の地震で尊仏岩が崩落した跡と思われる背面を観察してから、再び石仏の前に戻って手を合わせました。なお、そこには修行者が残した木札とお供えのお菓子が残されていましたが、お菓子の方はそのまま放置してはゴミになるだけなので、ミホさんに持ち帰ってもらいました。

見るべきほどのことは見つ、と元来た道を慎重に登り返して塔ノ岳の山頂に戻り、そこで出会ったミホさん・クス氏の共通の知人と少し言葉を交わしたら、あとは大倉尾根を下るばかりです。

撮影スポットで無駄にポーズ。最初に塔ノ岳に着いたときには箱根の上にあった黒雲は、この時点では秦野盆地の上に移動しています。

しかし大倉尾根はずっと明るく、わずかに残された紅葉を愛でることもできました。そうした中、我々は普段より足を早め、何人もの登山者を追い抜かしてひたすら下界を目指しました。

……と言うのも、この日のメインイベントはあくまで「忘年会」であって、塔ノ岳登山はそこに向けたアプローチに過ぎなかったからです。

その会場となったのは渋沢駅の南口から徒歩5分の至近にある「海な灯みなと」さんで、まずは熱燗で体を温めてから各種料理を注文したところ、どれも美味にしてお値段はリーズナブル。おかげで会話が弾み、ついお酒を飲み過ぎてしまいました。ここはリピート決定です。

脚注

  1. ^秦野市役所ウェブサイト「昔話と伝説」(2024/12/23閲覧)
  2. ^尊仏岩跡への行き方については〔こちら〕を参照。
  3. ^尊仏岩の由緒などについては〔こちら〕を参照。