鬼怒川寂光沢

日程:2023/09/17

概要:日光の癒し渓・寂光沢をウォーターウォーキング。遡行終了後に聖天ヶ岩の石仏にお参りしてから登山道を下山。沢そのものもさることながら、その終点にある湧水広場の雰囲気がとりわけステキだった。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:---

同行:トモミさん / エリー

山行寸描

▲遡行のあらまし。穏やかな流れ、小粒ながら楽しめる連瀑、フリクション抜群のナメ滝とステキな湧水広場、そしてどん詰まりの石仏と短い行程の中にたくさんの魅力が詰まったよい沢歩きだった。(2023/09/17撮影)

◎本稿での地名の同定は、主に『ウォーターウォーキング3』(白山書房 2021年・以下『WW3』)の記述を参照しています。

今年の3月に唐松岳を一緒に登ったトモミさん・エリーの山ガール二人と沢登り。二人とも沢を歩くのは2年ぶり(トモミさんは安達太良山の湯川以来、エリーも安達太良山の石筵川以来)ですし、私も先月末の穂高の池巡りの後に腰痛が出てしまって万全の状態ではないので、極軽のウォーターウォーキングかつ遡行終了後に温泉に入れるところという基準でエリーが見つけてくれた日光の寂光沢を歩くことにしました。寂光沢という名前にはなじみがなかったのですが、これは鬼怒川の支流で中禅寺湖から流れ落ち日光市内を通る大谷川に北側の女峰山から流れ下る田母沢のそのまた支流という位置付けの沢です。

2023/09/17

△09:30 寂光の滝駐車場 → △12:05-55 湧水広場 → △13:10-15 聖天ヶ岩 → △13:25-50 登山道合流 → △14:25 寂光の滝駐車場

当日の朝に東武日光駅前で合流し、タクシーを飛ばして寂光の滝駐車場に直行。ここで沢装備を身につけて出発です。今日はガールズに引率してもらい、私は後からついていくお気楽遡行のつもりです。

まずは鳥居をくぐって若子じゃっこ神社の神域に入ります。二荒山神社の摂社であるこの若子神社は弘法大師が寂光の滝で修行した際に女神のお告げがあって祠を建てたことが由来とされ、神仏習合の「寂光寺」または「寂光権現」として堂宇を連ねていたものの、明治の神仏分離で若子神社となった後に火災に見舞われ、現在見られる社殿は明治20年(1887年)に再建されたものだそうです。

若子神社の拝殿へ通じる階段の横からすぐに入渓すると、ちょっとした河原歩きの後にきれいなナメがあり、その向こうに寂光滝が豊富な水量を落としていました。高さ50m幅6m、下から見える3段の上にさらに段数を重ねて7段になっており、あいにくの倒木にもかかわらず立派な姿でした。

寂光滝を飽かず眺めてから下流方向に戻るように斜めにつけられた道を登って若子神社の社殿に着き、失礼ながら直接本殿に上がって安全祈願。その後、これら社殿の左側を登り女峰山の山頂に通じる登山道をしばらく登って、やがて左に分かれる踏み跡を辿って寂光滝の落ち口の上に出ました。ただし我々が登山道を離れたタイミングは実は早すぎたようでこの踏み跡は少々危うく、下山時に確認したところもう少し登った先で登山道が緩やかな鞍部に差し掛かるところから安全な踏み跡がつけられていて、そこには赤テープの目印もありました。ともあれ無事に入渓できて一安心。しばらくはいかにもウォーターウォーキングな穏やかな渓相が続き、曇りがちな中にも時たま日の光が差し込んで周囲の樹木の葉やクリーンな水をキラキラと輝かせました。

入渓して20分ほどで、小滝が連なるところが現れました。最初の2m滝と次の3m滝はほぼ連続しており、2m滝は水流の左側から直登。3m滝は巻こうと思えば右から容易に巻けそうでしたが、手掛かり足掛かりが豊富なので正面突破です。

手前に一見深そうな釜を持ち流れがきつそうな3m滝は、まず私が踏み込んでみると私の身長(172cm)で水深は腰までで、水圧をかわすように右端から近づいて突破できましたが、登り終えて振り返るとガールズはあっさり巻きにかかっていました。そこから少し歩いて出てくる2条3m滝も左の水流をまたぐようにして滝の上に出られ、ここはエリーもがんばって直登。しかし、しんがりのトモミさんは岩に取り付こうとしたところで足を滑らせてしまい、おとなしく左(右岸)を巻いて上がりました。

連瀑帯が終われば再び渓相は穏やかなものになり、木と岩と水が織りなす日本庭園風の風情に癒されつつ、緩やかに上流を目指します。やがて傾斜が強くなってきたところに右(左岸)に落ちてくる立派な枝沢を面白く見上げたり、木の生えた大岩に自然の不思議を思わされたりしながら遡行を続けると、行く手に最後の滝が見えてきました。

『WW3』には25m多段滝と書かれているものの一見すると「どこが25m?」という感じのこの滝を、私は正面右寄りの滝が割れているところから登り、ガールズは斜度が緩い右端から。この正面から見えている壁状の部分の上に斜度の緩いナメ滝が続いており、なるほどこれを合わせれば確かに25mほどの高低差はあるのかもしれません。溶岩流の名残のようにも見えるこの滝は、フリクションが抜群である上に嵌っていた礫が抜けた跡なのか数多のポットホールを有しており、高さを感じることなくすいすいと登れてしまいます。

そしてナメ滝が終わった先に広がっていたのは、トポで終了点とされている湧水広場でした。トポには地面から水が溢れ出てくるようと書かれていますが、実際には周囲の斜面の至るところから驚くほど豊かな水が滾々と湧き出てこの広場で合流しているのでした。

ここで大休止とし、きれいな湧き水を汲んでお湯を沸かしてお茶の時間。トモミさんからおやつのお裾分けをいただき、エリーをモデルに撮影会を開いたりと贅沢な時間をのんびり過ごしました。この時点で正午を回っており、この谷を詰めたところにある聖天ヶ岩まで『WW3』に書かれているように1時間程かかるのであればもう下山にかかるべきところですが、GPSで見るとここから聖天ヶ岩までの標高差はわずか70mです。それなら聖天ヶ岩まで足を伸ばそうよと提案した私がじゃんけんに勝って、さらに谷の奥を目指すことになりました。

湧水広場から最奥の斜面を少し上ると笹原が広がり、そのさらに奥を目指すと案の定わずか15分ほどで見事な岩壁が行く手に現れました。これが聖天ヶ岩で、冬は氷筍鑑賞のためにここまで登ってくる人も少なくない模様。ちなみに聖天しょうでんとは歓喜自在天の別称である大聖歓喜天の略名です。

痛いアザミの棘をかわしながら岩壁の足元を目指すと、そこにある岩屋の中に石仏二体が安置されていました。向かって右の石仏には首がありませんが、左の石仏の頭部を見ると聖天の本地仏である十一面観音のように思われ、その左手に握られた金剛杵(三鈷杵または五鈷杵)らしき法具は若子神社の空海伝説に即して密教との関連を示します。これらは宝暦年間(18世紀)のものという話もありますが、それは確認できなかった代わりに手前に置かれていた真新しい木札に「令和二年」の文字が読め、今でもこの洞窟が修行で使われていることがわかりました。そういえばこの洞窟のすぐ左手には水が湧き出ているところがあり、確かにこれならここで参籠もできそうです。なお、岩壁の足元から水が出ているところは女性の器官にたとえられることがあります(たとえば茅ヶ岳の女岩)が、その豊穣のイメージが衆生の欲望を成就させて仏法へ導くという歓喜天に通じているような気もします。

さて、見るべきものは見尽くしてあとは下山するばかり。聖天ヶ岩の前から薄い踏み跡を頼りに等高線に沿って山腹を回り込むように歩き、登山道に合流したところで沢装備を解除しました。どうやらこの道は最近刈り払いがなされたばかりらしく、明瞭で歩きやすい道が上にも下にも続いていました。

カラマツ林からミズナラ林へ、さらに杉の植林地へと植生を変えながら続く傾斜の緩やかな尾根上の道を楽しく下って、戻り着いた若子神社で無事下山の御礼を申し上げたところで山行は終了です。お疲れさまでした。

寂光沢は『WW3』に掲載されているくらいですからさしたる経験も技術も不要な沢ですが、あえて小滝に正面から挑めばそこそこ楽しい登攀気分が味わえる上に、出だしの寂光滝と若子神社、途中の日本庭園風の景観、終点の湧水広場、そして聖天ヶ岩の石仏と見どころが多く、本格的な沢登ラーをも退屈させない良い沢だと思いました。中でも天上の霊泉といった趣の湧水広場の雰囲気はすばらしく、ここで湧き水の音に耳を傾け、お茶請けをいただきながら飲む紅茶の味は格別です。また『WW3』のトポは湧水広場で終わっていますが、上記の通りそこから聖天ヶ岩まではわずかの時間で到達できるので、遡行終了後は是非とも石仏に詣でることをお勧めします。

下山後はバスで移動して「やしおの湯」のアルカリ泉につかってお肌をつるつるにし、駅前に戻ったらもちろん湯葉料理に舌鼓。ガールズ大満足の締めくくりでしたが、電車の発車時刻までゆとりがなかったのでビールをいただいたのは私だけです(すみません)。休日の日光は国内外の観光客で賑わっていて、そのため食堂には行列ができており帰りの特急電車もほぼ満席。加えて観光地だというのに土産物屋などは19時には閉まってしまうので、遡行終了後のアクティビティを充実させようと思ったら時間との勝負になることを覚悟しなければならないようです。