石筵川
日程:2021/10/02-03
概要:安達太良山南面の銚子ヶ滝入口から登り銚子ヶ滝の上で石筵川に入渓。途中で1泊して2日目に稜線に登り、安達太良山の山頂に立って「ほんとの空」を眺めてからあだたら山ロープウェイ山頂駅へ下山。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:安達太良山 1700m
同行:エリー
山行寸描
COVID-19に伴う緊急事態宣言が解除になってやっと遠出解禁!その最初の週末は金曜日に休みをとっての三連休にしてエリーと共に北東北の沢に2泊3日で入る計画でしたが、台風16号の接近に加え寒冷前線の通過で現地は雨予報。増水すると一気に厳しくなる沢であったことから直前に計画を断念して代替案をいくつか検討した結果、各地の天気予報とエリーがまだ安達太良山に登ったことがないことを決め手として安達太良山南面の石筵川に入ることにしました。安達太良山の沢としては以前杉田川に入ったことがありますが、そのときは山頂を踏んでいないので、今回は安達太良山のてっぺんに立って「ほんとの空」を見上げることをゴールに設定しています。
2021/10/02
△09:35 銚子ヶ滝入口 → △10:10-35 銚子ヶ滝 → △10:40-11:05 入渓点 → △13:15-14:15 2段15m滝 → △15:30 1210m幕営地
私は金曜日の休暇を返上して仕事をし土曜日早朝発としましたが、エリーはせっかくだからと磐梯熱海の温泉宿におひとり様宿泊。そのおかげで宿の方が車で登山口まで送ってくださることになり、磐梯熱海駅からのタクシー代(予価3,500円)が浮きました。
宿のおじさん、ありがとうございました。運んでもらったのは銚子ヶ滝入口で、せっかくの機会なので登山道をしばらく進んだところの分岐にリュックサックをデポし銚子ヶ滝を見物することにしました。
高距80mほどの階段道を下ると滝壺のすぐ前に降り立つことができ、ちょうど日が当たって水面近くに虹ができていました。滝の形が酒器の銚子のように見えることから銚子ヶ滝で、高さは48m。その昔、名主の娘が滝壺に身を投じて竜神を呼び旱魃から村を救ったという言い伝えもあるそうです。
階段を登り返して和尚山に向かう登山道を少し進み、道が石筵川を渡るところ(申し訳程度にロープは張られているが水の中を歩かなければ渡れない)で身繕いをしてから入渓です。しばらくの間はあまり高度が上がらず、明るい森の中に通じるゴロゴロの河原をおおむね左岸の踏み跡を使って上流へ進んでいきますが、この最初の1時間ほどははっきり言って退屈です。
やがて巨岩がゴロゴロするようになり、それらの弱点を探しながら右岸へ左岸へと渡って進むうちに、前方にやっと大きな滝が見えてきました。この沢のテクニカルな面での核心部となる2段滝です。
15mとも20mとも言われる2段滝の下段は水流の右壁を登りますが、左上する凹角を登って突き当たりのコーナーから庇状のハングを越えるラインには残置ピンがあり、一方その右の傾斜が立った凹角も丁寧にホールドをつなげば登れそう。ここはセオリー通り前者を登ることにしてエリーとロープを結び合い、まずは私が登り始めました。
凹角の突き当たりまでは何ということもなく登れて、そこにある残置ピンに墜落防止(エリーはまだビレイができないので)のためにクイックドローとPASを掛けてから身体を引き上げようとしましたが、案に相違してけっこう難しい!というよりリュックサックが左壁に押さえつけられて上がれない。しばらくああでもないこうでもないとムーヴを探した末に諦めて安定したスタンスまで戻り、リュックサックを背中から下ろし残置ピンにスリングを足してぶら下げて空身になってから再トライ。膝スメアを駆使する格好悪い形にはなりましたが、どうにかハングの上のテラスに乗り上がることができました。
後は自分のリュックサック、エリーのリュックサック、そしてエリー自身の荷上げ三連発でここを突破です。先人の記録によってはここのピッチグレードを「III-」としているものもありますが、それはあり得ません。一体どうしたことなのか?
2段滝の上段は水流の右端が階段状になっていますが、念のためここも私がロープを引っ張って先行。難易度は水量次第でしょうが、この日のコンディションでは特に問題になるところはありませんでした。
苦あれば楽あり、滝の後には見事なナメが待っていました。これはヤバイ!とエリーも興奮気味。
ナメとも滝ともつかない穏やかな斜滝。夏なら積極的に釜に入って中央から取り付いてもよさそうですが、この日はもちろん左端を辿ります。
もうロープを要する滝はなく、この滝は右から簡単に突破。
この滝は左から登ると、その上に樋状の滝が続いて面白い景観を作り出していました。
穏やかな渓相の中をゆるゆると歩いて、標高1210mあたりの右岸に幕営に最適な広場を見つけました。その入り口にも広場の中にも焚火の跡があり、ここがこれまで多くの遡行者を迎えていることがわかります。そればかりか、この広場の山側には謎の塩ビパイプが上流から下流に向かってつながる形で何本も放置されており、この周辺に何らかの人工的な施設があった可能性を窺わせます。
ともあれ私はテントの設営、エリーは薪集め。分業に基づく協業を通じて古典派経済学の原点を再確認したら、労働の対価として日本酒で乾杯です。食当エリーによる夕食は前菜にエリンギとソーセージを焼き、メインは豆乳鍋(高野豆腐・鮭入り→締めは雑炊)、デザートは焼きマシュマロ。夏なら現地調達の魚を添えられたかもしれませんが、これだけでも十分豊かな食事を堪能して、さあ後はビッグファイアでお祭りだと炎を燃え上がらせた途端に雨が降り始め、無念の思いを抱えつつテントに退避しました。
2021/10/03
△07:40 1210m幕営地 → △09:45 1380m二俣 → △11:30-50 1520m二俣 → △12:15-40 登山道 → △13:15-25 安達太良山 → △14:30 ロープウェイ山頂駅
5時起床。周囲はほのかに明るくなっており、昨日の薪の残りで火を熾すところから新しい一日が始まります。
朝食にはソーセージを焼き、マッシュドポテトと共にバターロールにはさんでいただきます。デザートはオレンジ各1個。いかに昨夜の雨でフライシートが濡れていたとしても、これだけ食べれば荷物は軽くなるはずです。
遡行再開。ところどころのナメとちょっとした滝を越える行程は昨日と同様です。ただし若干ヌメり気味なのでフェルトソールの方が相性がいいかも。
枝沢を分けるにつれて水量が徐々に減っていき、ついに標高1380mの二俣に達しました。ここを右(安達太良山と和尚山の間方向)に進んでいる記録もありますが、厳しい藪漕ぎが待っている模様です。
我々が進んだのは左俣ですが、こちらも笹やら灌木やらが覆いかぶさるボサ地帯となっていて一筋縄ではありません。小柄なエリーは笹の下をくぐって行けるのでまだしもですが、私の方はあっちに引っ掛かりこっちに突っ掛かりでスピードが上がらず、しばしばエリーを待たせることになってしまいました。これも先人の記録の中に「ナメの記憶がヤブの記憶によって上書きされていく」といった表現がありましたが、まさに言い得て妙という感じ。しかし、そんな中でも途中から前方には稜線が見えるようになり、雲に覆われていた空もところどころ青みを増して、やがて安達太良山の山頂とそこに立つ登山者たちの姿が目視できるようになってきました。そして薮が後退して沢筋が開けてきたと思ったら、そこが標高1520mの二俣で、そこには先ほど薮の中で我々を抜かしていった単独行の男性が休憩中でした。
言葉を交わしてみると彼は地元・郡山市の方で、この石筵川は以前も釣りがてら遡行したことがあるそうですが、その彼曰く。
- 薮はこれでも随分ましな方だ。以前は両側から覆いかぶさってくるようだった。
- 2段滝下段右壁はどこかが崩壊して難しくなっている。自分は仕切り直して真ん中から越えた。
- ここから先は薮はなく、平らに開けたところを歩いて最後に砂地を登るだけだ。
最後の説明を聞いて、笹のトンネルに辟易としていたエリーも私も大喜び。先に行く単独行者を見送ってさらにゆっくり休憩してから、彼の後を追って最後のワンピッチを開始しました。
彼の言葉通り、水の涸れた浅い沢筋の中をゆっくりと登っていくと船明神山と矢筈森をつなぐ稜線上を行き交う登山者の姿がぐんぐん近づいて、最後に適当な斜面を選んで登山道に乗り上がると一気に展望が開けました。稜線の向こう側には荒涼とした沼ノ平火口、目を右に転じると箕輪山から鉄山を経て安達太良山に連なるこじんまりとしたスカイライン。冷たい風に上衣を1枚はおってから、沢装備を解除しました。
安達太良山の山頂はお年寄りから子供までさまざまな年齢層の登山者で大賑わいでした。そんな中、順番を待って山頂標識と共にエリーの記念撮影を終えたら、思い思いに景色を楽しむだけです。
この山頂に初めて登ったのは1990年のことで、そのときは天気に恵まれず山頂はガスの中でしたから、この展望は初めて見るものです。遠く左寄り(方角はほぼ真西)に見えている尖った山は磐梯山、その手前が船明神山で、我々はその足下の沢筋をぐるりと回って山頂の少し右の斜面に登り着いたわけです。そこから右へ登山道を辿ると矢筈森で、その向こうの黒々としたピークは鉄山、さらにその先に箕輪山の平らな山頂もちらりと見えており、その左奥に連なるのは吾妻連峰です。
阿多々羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
すっかり好天を取り戻した山頂でその青い空を見上げてから、あだたら山ロープウェイ山頂駅を目指して下山にかかりました。