穂高の池巡り③〔ひょうたん池・奥又白池・北穂池・天狗池〕

日程:2023/08/30-09/02

概要:穂高連峰から槍ヶ岳にかけての山稜の東斜面に点在するひょうたん池、奥又白池、北穂池、そして天狗池を、主稜線に上がることなく山稜の東側の谷を渡り尾根をまたぎ越しながら、一筆書きで結んで歩く。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:---

同行:---

山行寸描

▲山行のあらまし。池を訪ねるというよりも谷渡りと尾根越えの繰り返し。(2023/08/30-09/02撮影)

北アルプスの穂高連峰から槍ヶ岳にかけての山稜の東斜面の標高2300〜2500mの位置に点在する四つの池、すなわち南から順番にひょうたん池(2300m)、奥又白池(2470m)、北穂池(2480m)、そして天狗池(2500m)を、主稜線に上がることなく山稜の東側の谷を渡り尾根をまたぎ越しながら一筆書きで結んで歩こうというのが今回の山行のコンセプトで、これは北穂池への下降路を発見できずに敗退した2018年のトライの、いわばリベンジです。

計画のあらましは、次の通りです。

  • 初日は明神からひょうたん池に上がり、明神岳東稜を少し登ったところから下又白谷に降りてこれを横断し、茶臼のコルに登り返して奥又白池のほとりに幕営。
  • 2日目は奥又白谷を横断して前穂高岳北尾根の五・六のコルをまたぎ越し涸沢に下った後、北穂高岳東稜を乗り越えて北穂池のほとりに幕営。
  • 3日目は横尾本谷左俣源頭部を横断して南岳東南稜を乗り越え、横尾本谷右俣に降りてから横尾尾根のコルへ登り返して天狗池に達し、さらに下ってババ平から小梨平までの間のどこかに幕営。
  • 最終日はのんびり下山・帰京。

結論から言うとどうにか目的の四池訪問は果たせたのですが、途中で何度もルートミスを犯してしまい手戻りや軌道修正を繰り返しながらの迷走に近い歩き方になってしまいました。しかし、そうした右往左往も含めた行程の逐一を時系列に沿って記述していては読みにくいものになってしまうので、以下のレポートではまず辿ったルートの大筋の部分をなるべく直線的に(つまりミスの部分をはしょって簡潔に)振り返り、そして最後に山行の過程で生じたミスの反省をまとめて行います。

2023/08/30

△05:40 上高地 → △06:25-50 明神 → △10:25-11:10 ひょうたん池 → △11:40 2430m地点 → △14:35 下又白谷の沢筋 → △16:20 奥又白池

前夜22時台に新宿を発った「さわやか信州号」で上高地に着いたのはこの日の5時半頃。これまで何度も来ている上高地ですが、前回ここに来たのは屏風岩を登った2020年のことなので3年ぶりということになります。まだ早朝なので観光客の姿はまばらですが、その代わりここを起点として意気揚々と山に向かう登山者たちの活気はコロナ前と何ら変わりがありません。

そうした登山者たちの多くは横尾の方へと梓川左岸の道を進んで行きますが、こちらは最初の目的地であるひょうたん池に向かうために横尾で左折します。横尾橋を渡るところからは正面に明神岳五峰の立派な姿が眺められますが、こちらの視線はその右下にある長七ノ頭の山側にある鞍部、すなわちひょうたん池の所在地に向けられます。

ひょうたん池への登り口がある信州大学の施設周辺には野生の猿の大部隊が闊歩していて少々緊張しましたが、どうやら彼らは人間に対して友好的な猿たちだったらしく、私がその横を通り抜けて施設裏手の木橋を渡ることを黙って見逃してくれました。道の方は下宮川谷の中をぐんぐん高度を上げて途中で宮川尾根を乗り越し上宮川谷の開けた斜面を斜上するかたちになりますが、明神岳東稜などを目指す登山者が通年そこそこの頻度で歩いているために道形がおおむねはっきりしており、ところどころにはペンキマークもあって、点線ルートとはいっても道に迷う心配はほぼありません。そもそも2018年に自分はここを登っているのでそのときの記憶を生かせばよいはずなのですが、それにしては上宮川谷が突き当たる岩壁に立派な慰霊プレートが三つも設置されていることに前回は気付いていなかったので、もしかすると部分的に道が付け変わっていたのかもしれません。

お久しぶりのひょうたん池は相変わらずぱっとしない雰囲気ですが、樹木や地形の起伏の中にひっそりと息づいているこの池は今回訪れる予定の四つの池の中では最もこじんまりとして可愛い、という見方もできるかもしれません。ともあれ、この池の少し上の位置にあるテントサイトのように開けた広場にザックを置いて、上高地ではとらなかった朝食をまずはとり、ついでハーネスとギアを身につけました。持参しているギアはもっぱら懸垂下降に関わるもので、セルフビレイ用の長いスリング、枝に巻き付けて懸垂支点とするための捨て縄、エイト環、そしてザックの中には8mm30mロープと5mm30mスリングです。

準備が整ったら行動再開。目指す茶臼のコルはひょうたん池から下又白谷の対岸に見えていますが、ここからダイレクトに下又白谷へ下るのは斜面が崩壊して急崖となっているので不可。よっていったん明神岳東稜を100m余り登った標高2430m地点から右手へ下るのがセオリーですが、前回そこから水平方向にトラバースすることにこだわって時間を浪費した反省を踏まえ、今回は谷側に降りたらすぐに下れる尾根を見つけて下るという方針を立てていました。しかし現場に着いてみるとそこには(前回も目にした)ピンクテープが下降路を示しており、頭を使う必要は皆無でした。自力でルートファインディングできないことにいささか複雑な気持ちを抱えつつテープを追ってみると、道筋は東稜右手の谷筋の突き当たりをトラバースして1本隣の小尾根に乗り、これをしばらく下ってから小尾根の左側の急斜面を降りて下又白谷上部の斜面に立つというものでした。この「急斜面を降りて」のところでは安全第一でロープを出し懸垂下降しましたが、クライムダウンを苦手としない人であればロープはなくても下れそうですし、少なくとも登り返しはフリーで問題なく可能(と断言するのは回収しようとしたロープがスタックしたために実際に登り返したから)です。

樹林に覆われ見通しがきかない小尾根を離れ広闊な展望を得られるようになったところで下又白谷上部を見渡すと、全体としては緩斜面と呼ぶには少々斜度のきつい草付の斜面になっていて、その中を前穂高岳と明神岳とのコルあたりを起点として太い沢筋がなだれ落ちてきているほか、草付斜面の中にもいくつかのルンゼや尾根筋があり、尾根筋にはそこを下る者に支えを提供してくれる樹木がところどころに繁茂していることがわかります。やっかいなのは沢筋で、位置や標高にもよるものの、ところにより草付斜面から沢筋に降りようとするところが急崖になって行く手を阻みます。これが残雪期であればそうした凸凹を気にせず最短距離で斜面を横断できるのでしょうが、今の時期に初見で歩くなら潔く尾根筋を下れるだけ下って尾根の末端から各ガレ沢の合流点(下又白谷F5の上)に降り、茶臼のコルへ通じるルンゼをがんばって登り返す方が紛れがないように思いました。

……という考えに至ったのはどうにか大過なく茶臼のコルに通じるルンゼに入って下又白谷上部の緩斜面を振り返り見たときで、実際にはつい水平移動を試みて地形の意地悪に阻まれ、危ない目にも遭っていたのでした。もしもう一度この斜面を渡れと言われたら、そのときこそはより良い(安全かつスピーディーな)ラインで渡れるだろうと思いますが、おそらくこの谷に入ることはもうないでしょう。

茶臼のコルに登り着いて明瞭な踏み跡を15分ほども歩けば、この日の宿りとなる奥又白池。先客が誰かいるだろうと思っていたら一人もおらず、この山上の別天地は今宵私の独り占めとなりました。前回ここで虫にさんざん喰われた経験を生かして防虫ネットと虫除けスプレーの備えも万全で、おかげで落ち着いてテントを設営し、持参したウイスキーを水割りにしてこの日の行程の成功を寿ぐことができたのですが、あいにくだったのは沢筋の水場が涸れていたことです。あるいは中又白谷をもう少し下れば水が出ていたのかもしれませんが、北アルプスの山小屋が次々に渇水情報を出している今年の夏にここの水場がこの時期までもっていなくても文句は言えないと考えていたので、さっさと池の水を汲んでせっせと煮沸しては飲料水用パックに貯め込みました。

話し相手のいない単独行での夜の無聊を慰めてくれるのは、いつものように音楽です。今回はJoni Mitchelのライブ盤『Shadows and Light』(1980年)を聴き込みましたが、楽曲の良さもさることながら、バックのミュージシャンの絢爛豪華さにくらくら。ギター:Pat Metheny、サックス:Michael Brecker、キーボード:Lyle Mays、ドラム:Don Alias、そしてベースはあのJaco Pastoriusです。Joniの歌に寄り添いながらところどころに彼ならではのフレーズを繰り出すJacoの音を聴きながら、6月のヨーロッパ旅行の前に買い求めたもののほったらかしにしていたフレットレスベースを、下山したらちゃんと練習しようと思わせられました。

2023/08/31

△06:00 奥又白池 → △09:25-40 五・六のコル → △11:00-45 涸沢 → △14:25 北穂高岳東稜のコル → △17:25 北穂池(一ノ池) → △18:20 北穂池(三ノ池)

2日目は涸沢を経由して北穂池までの行程ですが、その途中には奥又白谷の横断と前穂高岳北尾根の乗越し、そして北穂高岳東稜の乗越しがあり、さらに2018年の山行で発見できなかった(ために敗退することになった)北穂池への降り口の発見という難題が控えています。

美しい朝焼けの中でテントを撤収。すてきな幕場でしたが、気になったのは焚火の跡とキジ紙の残置です。前者は論外、後者はたとえ水溶性の紙を使ってもなかなか消えるものではないので持ち帰り推奨。ちなみに私は焚火ができるところでは燃やしますが、そうでなければキジ紙は持ち帰ります(今回も持ち帰りました)。

奥又白谷の斜面をトラバースした先に、斜めに傾いた屏風のように行く手を遮るのが前穂高岳北尾根。越えるポイントはひときわ大きく白いガレルンゼの上に顕著な鞍部となっている五・六のコルですが、その手前に走る2本のガレ沢の横断も侮れません。ガラガラと音を立てて崩れる足元に緊張しながらだましだましこれらを渡り、その後は踏み跡やペンキマークを頼りにガレルンゼの左斜面から右(左岸)尾根へと乗り移って五・六のコルに向かいます。

五・六のコルの手前にはおなじみの際どいトラバースがありますが、前回の経験からここは見た目ほど恐ろしい場所ではないことがわかっているので委細構わず突っ込みました。すると案の定、足元はよく踏まれてしっかりしており、壁面にはバランスを保つのに役に立つホールドが豊富で何ら問題なく歩くことができました。そうは言ってもここは、もし逆コース(涸沢→奥又白谷)で通過しようとしたら慎重にならざるを得ず、きっと残置スリングのお世話になることでしょう。

五・六のコルに立つと唐突に、涸沢のカールとこれを見下ろす奥穂高岳・涸沢岳・北穂高岳の姿が目に飛び込んできました。この光景には思わずテンションが上がりましたが、前回は奥又白池からここまで2時間15分で到達しているのに今回は3時間25分かかっています。思わぬ道迷いのせいもあるでしょうが、やはり脚力が落ちてきていることも原因のひとつだと認めないわけにはいきません。計画上のこの後の行程には相当程度の時間のゆとりを見込んでいましたが、それはいったんリセットして、とにかく「明るい内に次の幕営予定地=三ノ池に到達する」ことを目標とすることとしました。

涸沢ヒュッテのファンタオレンジとカレーライスで心身に補給を行ったら、北穂高岳への登路を辿る400mの登り返し。このステージはとにかく日差しが強くて気温が高くつらい登りでしたが、時折思い出したように涼しい風が通り抜けてくれたのが救いでした。

北穂高岳へ登る登山道が左の南稜へと折れるところで反対の右側を見ると、そちらに右下から左上へ伸びている尾根が有名な「ゴジラの背」を乗せる北穂高岳東稜です。近年の北穂池訪問の記録を見ると横尾本谷左俣を遡行してアプローチするものと大キレットのA沢のコルから下るものとがメジャーのようですが、北穂池はあの東稜を乗り越えて向こう側に下ったところにあるので、涸沢から行くのであれば東稜越えが最短距離。私は東稜を2002年にソロで登っており、2010年には東稜越えで北穂池を訪れたことがある上に、2018年にも(北穂池には到達できなかったものの)同様にあの稜線を越えているので、少なくとも東稜に乗るところまでは何ら不安がありません。

問題は東稜から北穂池への下降路のルートファインディングで、2010年には難なく北穂池に到達できたのに2018年には道半ばにして下降を断念することになった理由がつかめていない(そのときは狐につままれたようでした)ために、また同じことになりはしないかという不安を抱えながら北穂池を目指しています。その最初のポイントは台地状になった東稜北東斜面から北穂池に向けての降り口の発見ですが、幸いこれはケルンが見つかりました。そこからはゴロゴロした岩の斜面をどこまでも下っていき、やがてゴーロが尽きると灌木が密生した小尾根の右斜面の草の中をさらに下るようになりますが、北穂池への下降路はこの小尾根をどこまでも下るのではなく、途中で左下を走る涸れ沢に降り、さらに涸れ沢の途中から左の斜面へ踏み替えていって幅が広く一ノ池まで障害物のないガレ斜面を目指すというものです。しかし2018年はこの「左下を走る涸れ沢に降り」るポイントが見つけられずに敗退していたので、今回は小尾根上の踏み跡と左の涸れ沢とを遮る灌木の密生の中にあるはずの切れ目を見逃さないようにしようと目を凝らしながら下降を続けました。

すると一箇所、もしや?と思われる植生の変化があり、そこから身を乗り出して左の崖下を覗いてみると確かに左の深い涸れ沢から派生する小ルンゼが足元まで上がってきています。早速その中を下ってみたところ目指す涸れ沢は手の届くところに見えたのですが、そこへ降りる途中の斜面がガラガラに脆くフリーでの下降はリスキーそう。このためいったんこの線を保留したのですが、試行錯誤の末にやはりここしかないだろうと再び小ルンゼに入り、リスキーだと思った破砕斜面の手前にある灌木の枝にスリングを巻きつけて懸垂下降することでダイレクトに下の涸れ沢に降りられました。この涸れ沢の中はさほど荒れてはおらず、順調に高度を下げて適当なところから左へ左へと浅く盛り上がった尾根を二つ続けて乗り越して、予定したガレ斜面に達しました。

かくして無事に一ノ池に降り立つことができましたが、幕営予定地はすっかり水が涸れているここではもちろんなく、水をたたえていることを上から目視してある三ノ池です。ここでもすったもんだの挙句に、やっと三ノ池へ辿り着いたのは日没まで間もない18時20分。長い一日でした。

三ノ池の向こう側にはピラミダルな常念岳を正面に眺められるテント3張り分くらいのきれいな広場ができていて、池の右側から飛び石でその広場に乗り移ったらただちにテント設営。ふと気付いて背後の北穂高岳を見上げてみると正面上方に北穂高小屋のテラスの灯りが見えており、ということはこちらの様子も北穂高小屋から見えるのだなと思いながらテントを張り終えました。このテント場は前日の奥又白池ほどには虫が多くないのに対し、水のきれいさでは奥又白池に負けている感がありますが、それでも2リットルの水をプラティパスに詰めてテント内に持ち込み、翌日の行動用の水作り(煮沸)と夕食作りとに励みました。

2023/09/01

△05:50 北穂池 → △07:45 横尾本谷左俣横断 → △09:10 南岳東南稜の上 → △11:45-12:05 横尾尾根のコル → △12:50-13:00 天狗池 → △13:50 槍沢・天狗原分岐 → △14:55 ババ平

3日目は横尾本谷左俣源頭部と同右俣源頭部を渡って横尾尾根のコルに上がり、ここから登山道を下って天狗池に達し、その後上高地までの間に点在するテント場のどこかに泊まることにしています(そのためババ平・横尾・徳沢・小梨平のいずれも幕営は予約不要であることを事前に確認してありました)。

常念岳の右横から昇るお日様を拝んでから出発。この日も好天に恵まれますように(しかし気温はあまり高くなりませんように)。

この日の最初のステップは、北穂池から横尾本谷左俣源頭部までの藪漕ぎトラバースです。もっともトラバースと言っても正攻法で正面突破を図るのは人間の能力では無理があり、薮の薄いラインを上手に見つけていかなければなりません。上述の通り横尾本谷左俣またはA沢のコルから北穂池を訪れる登山者の数はそれなりにあり、私自身も2010年に北穂池からA沢のコルに上がっているのですが、なにせ藪漕ぎですからルートなどあってないようなもの。それでも現場判断で薮の弱点を見出し、ところどころに出てくる踏み跡にも励まされながら灌木との格闘を続けて、ふっと抜け出たのは横尾本谷左俣本流のまさに狙った高さでした。

横尾本谷左俣本流のガレを渡った左岸側にある尾根は南岳東南稜で、その上のP2652の左にはっきり見えるコルを目指してそこから右下に降りてきているルンゼを登るというのが作戦の要諦ですが、このラインは私が独自に見出したものではなく、検討の過程で検索にヒットした先人の記録[1][2]を参考にしたものです(ありがとうございます)。北穂池と天狗池とをつなぐ山行の記録は時折見掛けることがありますが、それらはいずれも北穂池からA沢のコルに上がって大キレットを渡り南岳に登り着いて、横尾尾根から天狗池に下るもの。しかしそれでは今回の山行のコンセプトに含まれている「主稜線に上がることなく」を満たさなくなるので、もし南岳東南稜を越えている記録に出会わなかったら横尾本谷左俣を下って二俣から右俣を登り直すことを考えただろうと思います。それはそれで充実しそうですが、山行3日目ともなるとさすがに減らせる労力は減らしたくなってきますから、南岳東南稜越えのルートの存在は願ったりかなったりというわけでした。

……にもかかわらず、またしても不用意なミスで余分なアルバイトをこの山行に付け加えることになってしまいましたが、軌道修正してみれば事前情報通りにP2652の左のコルに通じるルンゼは繁茂する草や小灌木に覆われながらも登りやすく、最後は明瞭な踏み跡を辿ってコルの上に達することができました。下山してから知ったことですが、この南岳東南稜越えのルートは涸沢の夏山常駐パトロール隊が涸沢と槍沢の間を移動する際にも利用しているそうなので、この踏み跡も常駐隊員の皆さんによってつけられたものかもしれません。

南岳東南稜上のコルからは前方に横尾本谷右俣源頭部の広がりが見えており、そこに向かって緩やかなルンゼが下っていました。そこでまずはこのルンゼをまっすぐ降り、やがて適当なところまで高度を下げたら横尾尾根の右下に見えているハイマツらしき濃い緑のブッシュの上を狙ってトラバースにかかりました。この横尾本谷右俣から横尾尾根への登りは2013年に経験済みなのですが、首尾よくブッシュの上に達して横尾尾根のコルを正面に見上げ登路を検討してみると、どうやらそのときの小尾根を左から回り込むラインは正しいものではなかったらしく(そのとき怖い目に遭わせてしまったチオちゃん・スミヨさん、申し訳ない!)、コルに向かってまっすぐ突き上げるガレ沢を登る方がシンプルで紛れようがないものでした。このようにラインの見通しがつけば、後はその見通しに沿って足を運ぶばかり。若干の草付登りとちょっと長くて悪いガレ登りとを重ねて正午前に横尾尾根のコルに到達し、いきなり間近に現れた槍ヶ岳の尖峰と久しぶりの対面を果たしました。

ここまで少なからぬ不確定要素を抱えた登下降が続いていましたが、ここから先はひたすら登山道の歩き(しかも下り基調)となって一切の緊張から解き放たれます。このコルでハーネスを脱いでリュックサックに戻し、ハイキング姿になって最後の目的地である天狗池を目指しました。

氷河地形である天狗原に入って最初に登山道の左側に涸れかけた池の痕跡が現れたときはその貧相さにがっくりしましたが、本物(?)の天狗池はさらに下ったところにあり、穏やかに水を蓄えて彼方の槍ヶ岳の姿を水面に映していました。幸いなことにあたりには誰もおらず、リュックサックを登山道の脇に置いて水際まで降りると、時折吹き渡る風の音以外には物音ひとつしない静かな天狗池をしばらく眺め続けました。

この日の泊まり場は、天狗池から最も近いババ平にしました。実は、この幕営指定地にテントを張るためにはさらに35分下った槍沢ロッジまで行き、手続をしてから45分かけて戻ってこなければならないと思い込んでいたので、それくらいなら槍沢ロッジからさらに1時間20分歩いて横尾にテントを張ろうと考えていたのですが、なんとババ平には槍沢ロッジの従業員が詰めている事務所兼売店があって、ここで幕営の受付を済ませられるばかりか、ジュースやらビールやら日本酒やらおつまみやらパンやらカップラーメンやらを売っているのでした。これを見た途端に、もはや一歩も先に進む気持ちはなくなってしまい、受付のお姉さん(天使のように見えました)にこの日の幕営を申し入れて手続を済ませると感謝の気持ちをこめてジュースとビールと日本酒とおつまみとパンとカップラーメンとを買い求め、広場の一角にテントを設営してからベンチに座って一人乾杯。この3日間の山旅のあれこれを思い出しながら、暗くなるまでの残りの時間をまったりと過ごしました。

2023/09/02

△05:45 ババ平 → △07:40-08:00 横尾 → △09:55-10:35 明神 → △11:20 上高地

最終日は上高地へ下山するだけですが、それでも昨日・一昨日と同じように4時に起床し、西の崖(その上は横尾尾根)の上縁が朝日を受けるのを見上げてから、6時前にババ平を後にしました。

帰路途上、横尾を過ぎると早くも懐かしさを感じさせる眺めが右手上方に見えてきます。奥又白谷はその奥に前穂高岳奥壁と北尾根を展開して、次にここに来るなら谷の横断ではなく岩登りで、と思わせてくれました。

下又白谷の方は、遡行登攀の課題となって近年でも意欲的なパーティーの挑戦を受け続けている谷の下部が見るからに狭隘で人を寄せ付けない雰囲気を漂わせ、その上に広がる谷の上部もガレ沢の押し出しが目立ってどことなく排他的な風貌。しかし実際には、谷そのものの遡行だけでなくいくつかのルンゼ群や菱形岩壁、さらに上部のフェースやリッジなどに少なからぬクライミングルートを擁しているそうです。

明神に着いたところで空腹感に負けてふらふらと明神館に入り、生ビールと牛丼を注文。上高地まではまだ1時間近い歩きが残っていますが、事実上ここで山行を締めくくりました。

冒頭に記した通り、最後に反省点の整理を行っておきます。

下又白谷の横断〔地形の意地悪
私自身の実際の歩き方としては、下を目指しているつもりでもつい水平方向に移動してしまい、崖(落ち込み)にぶつかって行き詰まったところから懸垂下降も交えながら最大斜度を下ったものの最後はガレ沢に吸い込まれ、岩ナダレ寸前の状態の岩が積み上がっている場所を不安定な岩を崩しながら滑り降りることになってしまいました。このガレ沢(特に下部)のえぐれ方や荒れ具合は侮れるものではなく、これを避けようと思えば本文中に書いたようになるべく樹木がつながっている尾根筋を末端目指して下るか、あるいは発想を変えて残雪を活かせる時期を選ぶということになるのではないかと思います(このあたりは、ひょんなことからご縁ができた山岳巡礼倶楽部が下又白谷を縦横無尽に歩いていると思うので、いつか「下又白谷の歩き方」をお聞きしてみたいものです。ピンクテープの主が誰なのかという点も含めて)。
奥又白谷の横断〔思わぬ道迷い
奥又白池から五・六のコルに向かう水平道は、地図にこそ載っていないものの登山者(クライマー)にとってはごく普通に歩ける道ですが、恥ずかしながら私はここで何度か道迷いをしてしまいました。最初は奥又白池から新村橋方向へ下る道の途中から水平道が分岐するところを見逃して下りかけてしまい、次に1本目のガレ沢と2本目のガレ沢の間で道が下り方向に転じた後にいつの間にか道を外し薮を漕ぎました。いずれも夏の終わりの背丈の高い草が斜面を覆っていたために道筋を見逃したことが原因ですが、もとより難易度の高い道ではないだけに、何らかの理由で注意力が散漫になっていたのかもしれません。
北穂池(一ノ池)への下降〔試行錯誤
問題の小ルンゼを最初に降りかけたときは、2010年にロープを使うことなく北穂池へ達した経験に照らすと「正しい」下降路とは思えなかったためにいったん引き返し、さらに小尾根を下降してみました。しかし、いくら下ってもそれらしい下降ポイントは見つからないばかりか歩いている斜面自体が藪漕ぎの様相を呈するようになり、ついにリュックサックに付けてある御守りが薮に引っかかって足が止まったときに「これは神様が『これ以上行くな』と言っているのに違いない」と気づいて先ほどのポイントまで登り返しました(本当は薮に引っかかるようなところに御守りをつけていてはいけないのですが)。要するに「正しい」かどうかではなく「使える」かどうかでルートを選べばいいのだと割り切って再び小ルンゼに入り、その後、懸垂下降で下の涸れ沢に降りたことは本文中に記した通りです。ではこの小ルンゼは2010年に使った下降路とは異なるルートだったのかということですが、山行を終えて過去の写真と今回撮った動画とを見比べてみたところ、やはり同じ場所でした。ただし2010年のときの様子と現在とを比べると、マーキングは見えづらくなり、岩は脆くなっていたように思いますし、そもそも2010年の自分がこの下降路を灌木の葉が生い茂っている8月に見つけられたのは赤テープなどの目印の助けを得ていたのではないかという気もします。なお、涸沢ヒュッテの公式サイトを見ると涸沢から北穂高岳東稜越えの北穂池往復を含むツアー(「涸沢登山学校」の1コース)があり、今年これが催行されていれば私が下った翌々日に同じコースを通っているはず。私が残置したスリングを回収してくれていれば幸いです。
一ノ池から三ノ池への移動〔すったもんだ
北穂池は氷河湖だと考えられており[3]、そういう目で北穂池を上から眺めると一ノ池はモレーン状の台地の脇の一段低いところにあって、他の三つの池はこの台地の上に北穂高岳側に対して開けた姿で点在しています。こうした地形的な特徴を理解していれば、一ノ池から三ノ池へ移動するためには一ノ池の北穂高岳側にある草付の鞍部を越えなければならないことはすぐにわかるのですが、魔が差したというか何というか、ショートカットのつもりで台地の(北穂高岳から見て)裏側から三ノ池にアプローチしようとして、分厚く密生した灌木に手痛く跳ね返され時間を空費してしまいました。しかもショッキングなことに、帰宅してからあらためて過去の記録をチェックしてみると、2010年にこの北穂池に初めて来たときにも同じ失敗をしていたのでした。経験からはしっかり学びを得ておかないと……。
南岳東南稜上のコルに通じるルンゼ〔不用意なミス
遠目に見たこのルンゼは緑に覆われており、もしや藪漕ぎ?と思わせる風貌をしていますが、実際には草や小灌木が覆ってはいるものの歩行には支障のないものでした。ところが私はこのルンゼに入口から入らず、その手前にある小さなガレ斜面を使って高さを稼いでから草の中をトラバースしてルンゼに入ろうとしたところ、ルンゼが思ったよりも浅かったためにこれを通過してしまい、気づかないままにルンゼの右側の斜面を登ることになりました。最初はこちらも草付で登りやすかったのですが、やがて頭上に段差が現れ、そこを越えるために段差の上から垂れ下がっているハイマツの枝を強引につかんでの木登りピッチになり、これをなんとかこなして傾斜が緩んだところでふと見ると自分の左側に登りやすそうなルンゼがあって愕然としたという次第です。地形的に必ずしも判然としないところを歩く場合は、ショートカットなどは考えず愚直にわかりやすい道筋を選ぶ(今回の場合はルンゼの下まで進んでラインを見通してからまっすぐルンゼに入る)べきだというのが本件からの教訓です。

今回の山行に臨むに際しては、事前にいろいろ調べて自分なりにルートのイメージを作ったつもりでしたが、実際に歩いてみると上記のようなミスの数々。そういう意味で、目的は果たせたものの山行のデキとしては恥ずかしいものになってしまいました。想定したコースタイムに対してどの日も相当に時間を超過しており、そこにはそもそもの脚力不十分から来る遅延に加えてこれらの「回り道」が影響していますが、各パートを歩き終えた後に振り返って「正しいラインはどうだったんだろう?」と未練がましく考え込む時間も含まれていたことを白状しなければなりません。しかし、それでも体力・気力を切らさずに下山に漕ぎつけたことをもって、今回の山行は一応成功ということにしておきたいと思います。

なお、もし上記の反省点を全部解消して無駄のないラインどりを実現し、なおかつテントをツェルトにするなどの軽量化をさらに推し進めれば、この行程は2泊3日で歩き通すことが十分可能だと思いました。その場合は初日に奥又白池を通過して涸沢まで足を伸ばし、2日目は脚力に応じて適当な幕営指定地までというのがおそらく妥当な線です。ただ、それが山行として楽しいかどうかは別問題で、私の場合は奥又白池と北穂池の畔でゆっくり過ごしたいと思っていたのでぜいたくに日数を使う計画になりました。実際にはルートミス等により宿泊予定地への到着が遅くなったために目論見通り「ゆっくり」過ごしたと言えるかどうかは心許ないのですが、少なくともそれぞれの池で夜明けの素晴らしい景色を眺めることができたのはこの山行での大きな収穫でした。

北穂池

私が北穂池の存在を意識したのは、20世紀から21世紀へと移り変わろうとしていた時期に買い求めた『山小屋の主人がガイドする穂高連峰を歩く』を読んでのことだったと記憶しています。このガイドブックはジャンダルム越えや北穂高岳東稜、さらには前穂高岳北尾根までも解説しており、ちょうど縦走登山からバリエーションへと嗜好が変わりつつあった自分にとって貴重な情報源になってくれたものです。

この中で北穂池は「穂高の池めぐり」という項目の一部として奥又白池・ひょうたん池と共に紹介されており、今回歩いた四つの池の中で唯一登山道が通っていないこの池を訪ねる推奨コースは涸沢→北穂高岳東稜北穂池分岐→北穂池→A沢のコル→北穂高岳→涸沢というもの。私が2010年に初めて北穂池を訪れたときにも、この推奨コース通りに歩いたのでした。

この本は数年前に断捨離の一環として処分してしまっていたのですが、今回北穂池を含む穂高の池巡りをする中で気になった点が二つあったので、あらためて古書で買い直しました。まず気になった点の第一は、北穂高岳東稜から北穂池へ下るルートをガイドブックがどう記述しているかという点ですが、読み返してみると次の通りでした。

コルから東稜をわずかに登り、右手に広がる草付の斜面に出る。斜面の縁に立つと北穂池が俯瞰できる。右手の屏風岩寄りのハイマツと大岩の間から、ハイマツの尾根の左側の踏跡に入り、ガラガラの岩くずの斜面を、池を目標にまっすぐ下る。ハイマツのもっこりした小ピークの手前で左に折れ、灌木帯から小さな草付に出て、大きなルンゼに下る。60メートルほどでルンゼを離れて左手の沢に下り、向かいの尾根を乗越して広いモレーンへ。

この記述の中でポイントになるのはハイマツのもっこりした小ピークの手前で左に折れ、灌木帯から小さな草付に出てという部分だと思いますが、今回の北穂池への下降の中ではこうした地形を認識することができませんでした。認識できなかっただけで実際にそうした地形になっていたのか、このガイドブックが私が下ったのとは違うルートを説明しているのかのどちらかですが、残念ながらそれを確認しに行く機会はもうなさそうです。とりあえず、GPSログと撮影した動画や写真をもとに自分が辿ったルートを地形図上でシンプルに再現すると次のようになりました。

近年、横尾本谷左俣から北穂池を経て北穂高岳東稜へ登る山行が盛んに行われており、その際に北穂池から東稜までの間で厳しい藪漕ぎを強いられているケースが散見されますが、このルートでは藪漕ぎはほとんどありません。

次に気になった点の第二は、北穂池を構成する四つの池のナンバリングです。各池には一ノ池から四ノ池まで番号が振られていますが、ネット上の記録を見ると私が「三ノ池」とした池を「二ノ池」と記述しているものが複数見られました。そこで、この点についてもガイドブックの記述を引用してみます。

北穂池は全部で四つ。つまり、小山を過ぎて右手に下るといちばん大きな一ノ池、そのまま進むと二ノ池から最も小さな四ノ池、その右手に三ノ池がある。

ここで言う小山はモレーンの北穂高岳側の膨らみのことだと思わますし、掲載されている三ノ池の写真もまさしく私がその畔にテントを張った池なので、四つの池の同定はやはり次の通りで間違いなさそうです。よしよし。

最後に、北穂池とは関係ないけれどネット上の記録で揺らぎが見られるものとして奥又白池のフリガナ問題にも言及します。奥又「白」池はオクマタ「シロ」「シラ」「ジロ」「ジラ」池?しかし、これはガイドブックの中に根拠を探すまでもなくオクマタ「シロ」池が本来の名前です。なぜなら、この名前はかつて前穂高岳が又四郎岳(マタシロウ岳)と呼ばれていたことにちなむネーミングですから。もっとも地名の表記や読みは時代と共に変遷するのがむしろ通例なので、他の読み方をあえて排除しようとは思いません。ただし、その名前のよって来たる由縁に対しては敬意を払いたいものです。

水作り

冬山テント泊での大事な仕事は雪を溶かしての水作りですが、夏山テント泊で水作りに精を出したのは、北海道での山行を除けば経験がありません。ともあれ、池に着いたその晩と翌朝の朝食のためには湯を沸かしたらそのまま調理に使えばいいのですが、就寝中と翌日の行動中の飲用水はこれとは別に煮沸後の水をパックに詰めておく必要があります。そこで、奥又白池と北穂池ではまず2リットルパックに水を汲み、テントに戻ってこれを煮沸し、飲用水運搬用の1リットルパックに詰め替えるという作業を行ったのですが、その際に役立ったのが次の小物です。

煮沸したばかりでは熱湯の状態なので、まずは牛乳パックを開いたものを台にしてその上にコッヘルを置いてある程度まで冷まし、次にゼリー飲料のパウチの底を切り取った手製ジョウゴでウォーターパックに詰めます。後者は登山家・竹内洋岳氏のブログに載っていた小技ですが、ジョウゴの注ぎ口のプラスティックがウォーターパックの口に絶妙にはまり手を離すことができて好都合でした。なお、ゼリー飲料の絵柄はお洒落に(?)「ブルーベリー&クランベリー」にしてみましたが、山行中もいたるところで木イチゴの甘酸っぱい実が喉の乾きを癒してくれました。

この動画に映っているものでは実はまだ小さく、酸味が強い。もっと大きく育ったものは甘味が勝ってさらにおいしくいただけます。ただし、山の生き物たちのために食べ尽くさないようにしましょう。

槍ヶ岳山荘グループのDNA

下山してみると、何やら身近のSNS界隈が騒がしい。私の入山直前に天狗沢〜ジャンダルム周辺で頻発した事故にまつわる槍ヶ岳山荘グループの公式サイト上での情報発信が物議を醸していたようです。私も読んでみましたが、率直に言って残念な内容でした。

この件に関する私の感想は〔こちら〕に記した通りです。

脚注

  1. ^らくなん山の会「穂高 池巡りと登攀(その1)」『らくなん山の会』(2023年09月05日閲覧)
  2. ^カモシカスポーツ「槍ヶ岳・天狗の池~北穂・北穂の池 大トラバース ルート」『カモシカ レコメンド』(2023年09月05日閲覧)
  3. ^北穂池と天狗池が氷河湖であるという点に関しては異説はないが、ひょうたん池と奥又白池の成因については、梓川の作用による山体の崩壊に伴い生じたものとする説と槍・穂高カルデラ火山のカルデラ壁東縁の痕跡であるとする説とがある。詳細は〔こちら〕を参照。

◎北穂池への下降の途中で懸垂下降のために残置したスリングを後日回収した山行の記録は〔こちら〕。