塾長の山行記録
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塾長の山行記録

茅ヶ岳

日程:1998/11/22

概要:大明神茅ヶ岳登山口から茅ヶ岳に登頂。さらに金ヶ岳を踏んで南西のオートキャンプ場へ下山。

山頂:茅ヶ岳 1,704m / 金ヶ岳 1,764m

同行:---

山行寸描

▲女岩。岩の割れ目から水がしみだしている……から?(1998/11/22撮影)
▲深田久弥先生終焉之地。合掌。(1998/11/22撮影)
▲冬枯れの金ヶ岳から茅ヶ岳方面。(1998/11/22撮影)

深田久弥氏終焉の地・茅ヶ岳は、「百一番目の山」として百名山完登後に訪問しようと思っていた山でした。いわば「百名山行」の終着点です。また起点となる韮崎は、奇しくも私がハイキングから登山へ脱皮する記念すべき山行となった鳳凰三山行きのきっかけを作ってくれたクヌギさんのふるさとでもあります。

1998/11/22

△10:10 大明神茅ヶ岳登山口 → △11:00-05 女岩 → △11:30 稜線 → △11:50-12:00 茅ヶ岳 → △12:40 南峰 → △12:50 金ヶ岳 → △13:55 車道 → △14:05 東京大学宇宙線研究所

朝8時新宿発のスーパーあずさに乗り甲府で各駅停車に乗り換えて9時45分に韮崎に到着すると、ホームからは既に雪をかぶった八ヶ岳と、ニセ八ツと呼ばれる茅ヶ岳の姿がくっきりと見えました。駅からタクシーで2,700円の登山口の駐車場には多数の車がひしめいていて、この山が意外に人気が高いことがわかります。落ち葉が敷きつめられた冬枯れの明るい雑木林の中を道が緩やかに登っており、寝不足の身をいたわりながらゆっくり歩いて枯れ沢の突き当たりの岩壁に水が涌き出している意味深な「女岩」前の小広い広場で小休止ののち、右手の斜面を登って高度を上げました。

既に雲が広がり展望が失われている中での少々厳しいアルバイトの後に稜線に到達して、ここから左に折れて少し上がったところに、どんよりと曇った金峰山方面の展望をバックに「深田久弥先生終焉之地」の碑が立っていました。ここは『日本百名山』の著者である深田久弥氏が1971年3月に息を引きとったところで、手を合わせて自分の百名山完登を氏に報告してから振り返ると、おびただしい数の山鳥がひゅうひゅうと音をたてながら稜線を北東から南西へ越えていきました。

天気さえ良ければ抜群の山岳展望台になりそうな山頂に到着すると、20名程の登山者が三々五々休憩しています。甲府盆地から韮崎方面にかけての眺めは雲間からうっすらと日が差し込み不思議な雰囲気ですが、気温が低く天候の悪化も懸念されたのでそそくさとパンを食べてすぐ近くに見える金ヶ岳を目指しました。

いったん大きく下り、石門をくぐって登り返すと眺めの良い南峰。さらにわずかに歩くとこれも展望の良さそうな金ヶ岳に到着しました。振り返れば円錐状の茅ヶ岳の姿がきれいで、ここで記念写真を撮ったらさっさと下山を開始し、痩せた稜線を南西へ下りました。

雲が下りてくるのと競争しながら足早に下りましたが、車道に出たところで雨がぱらつき始めました。研究所の前で雨宿りしながら携帯電話でタクシーを呼び、韮崎へ戻りました。

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