塾長の山行記録

摺上川滑谷沢右俣

日程:2021/10/30-31

概要:二ツ小屋隧道を抜けて烏川に入り、いったん下降して滑谷沢出合から滑谷沢を遡行。右俣に入り奥ノ二俣で幕営。2日目に栗子山へ詰め上げ、稜線を歩いて大杭甲山を越えナギタキノ沢右俣を下って栗子隧道坑口に降り立った後、萬世大路跡を歩いて起点へ戻る。

分類:東北 / 沢登り

山頂:栗子山1,217m / 大杭甲山1,202m

同行:ヅカ氏 / ブミ氏

ハイライトシーン

▲ブナ林に囲まれて穏やかに流れる滑谷沢。紅葉の盛りは過ぎていた。(2021/10/30撮影)
▲大杭甲山へ登る藪漕ぎの途中から振り返り見た栗子山。穏やかに平らな山頂が特徴。(2021/10/31撮影)

本稿での地名の同定は、主に『ヤマケイ入門&ガイド 沢登り』(山と溪谷社 2014年)の記述と福島登高会のサイトの情報を参照しています。

この週末は暖を求めて南紀方面に遠征する予定でしたが、諸般の事情によりこの計画はスリップし、なぜかこの寒い時期にまたしても東北地方の沢に行くことになりました。行き先は、蔵王連峰と吾妻連峰の間に位置する栗子山の福島県側の摺上川滑谷沢なめやさわ右俣です。おかげで今年は安達太良山の石筵川湯川、会津の霧来沢鞍掛沢前ヶ岳南壁、そしてこの滑谷沢と福島県の沢がずいぶん重なることになりました。

2021/10/30

△07:10 東栗子トンネル東入口 △07:45 二ツ小屋隧道南入口 △08:10 烏川入渓 △10:00-10 滑谷沢出合 △11:55 650m二俣 △14:55 830m奥ノ二俣

前夜、福島県内某所で寒さに震えながらテント泊した我々は、早朝に国道13号の東栗子トンネル東入口に移動しました。いったんは二ツ小屋隧道を目指していわゆるスキー場道路を上がりかけましたが、残念ながらこのワイルドな道は車高の高い4WDでなければ太刀打ちできそうになく、大人しくトンネル入口近くの駐車スペースに戻ってここから歩くことにしました。

駐車スペースはかなりの台数が駐まれそうな広さがありましたが、先客はありません。そして急勾配の舗装路を登るとそこには打ち捨てられたような車が3台。見るとその窓には「福島市万世大路を守る会」による歓迎のビラが貼られていました。我々もこのビラを興味深く眺めたのですが、ここで萬世大路ばんせいたいろ(本稿では「萬」表記を用います)について話しだすと先に進めなくなるので、説明は後ほど行うことにします。

ジグザグに上がるダートの道を部分的にショートカットも交えながら登ると、途中から車が余裕ですれ違えるほど広い道路(旧国道13号)に登りつき、そこからわずかで二ツ小屋隧道に到達しました。このトンネルの向こう側が阿武隈川水系の摺上川すりかみがわの支流である烏川の流域であり、目指す滑谷沢はそのまた支流ということになります。

ヘッドランプ必須のトンネルを抜けて、そのまま車道を下って烏川橋から入渓してもいいのですが、ここではトンネルを出てすぐに右の細い窪に入り烏川目掛けて下降しました。

特に問題になるところもなく烏川に降り立って、ここからしばらくは平瀬の下降が続きます。

ところどころにこうした段差がありはしますが、基本的には真っ平な沢を淡々と歩くだけ。水位も低く、膝より上を濡らすことはまずありません。

やがて到着した滑谷沢出合には、見事なテン場ができていました。釣りが目的ならここにベースを構えて近隣に出撃するのでしょうが、我々は先を急ぐ身。行動食を口にしたらただちに滑谷沢に入ります。

滑谷沢は先ほどまでの平瀬というわけにはいきませんが、それでも高さのある滝は皆無。なるべく濡れないように右岸・左岸を行き来し、ちょっとしたナメ滝なども簡単に巻いて上がります。ただ、フェルトソールの私はそれほど感じなかったのですが、ラバーソールの2人は岩のヌメりが気になるようで、つるんとした斜面では慎重に足を運んでいました。なるほど、滑谷沢というのはナメが多いということではなく、滑りやすい沢という意味だったのか(←たぶん違います)。

滑谷沢の左俣と右俣を分ける650m二俣の近傍にもすてきなテン場あり。釣りができる時期ならここに泊まってイワナ料理を満喫した後、左俣を遡行して旧国道13号の大平橋に出るのがコンビニエントなプランになりますが、禁漁期に入っている今回の計画では右俣を遡行して奥ノ二俣に幕営し、栗子山のピークを踏むことにしています。

それにしても綺麗な森だなぁ、と頭上を見上げていると……。

ヅカ氏は目敏くナメコ畑を発見。これは見事だ!

大から小まで各種取り揃えて1本の倒木に生えているナメコたちにヅカ氏もブミ氏も大喜び。今夜と明朝の食卓を豊かにするのに十分な量だけを収穫して2人ともご満悦です。そうか、滑谷沢というのはナメが多いとか滑りやすいとかではなく、ナメコがとれる沢という意味だったのか(←これもたぶん違います)。

唯一岩登りっぽくなるのがこの滝。トポでは2段5m滝とされている箇所だろうと思いますが、やや立った右壁を、ブミ氏の練習を兼ねてロープを出して登りました(III級程度)。ブミさん、ナイスリードです。

その後もトポには「8m幅広」だの「逆くの字4m」だのといった滝が書かれていますが、いずれも容易に越えることが可能で、どれがどれと認識するのも難しいくらいです。

ナメコ採りに精を出したせいもあって、右俣に入ってから3時間でようやく830m奥ノ二俣に到着しました。ここには二段になった平地があり、上段はテントが数張り設営できそう。この日は我々の独り占めなので、上段に大テントを張り、下段で焚火を熾すことにしました。

ヅカ氏は収穫したきのこ(ムキタケ・ナメコ)を広げてニンマリ。まだ15時過ぎですが、この時期はすぐに暗くなるので直ちに薪に点火しました。もう周囲に薪が残っていないのではないかというヅカ氏のあらかじめの心配も、どうやら杞憂に終わったようです。

一応、明るいうちに手近の木の幹を使って今日唯一ロープを引いたブミ氏を対象にリードによる支点構築時の注意事項のおさらいをしてから、21時までひたすら食べ・飲み・燃やし続けて延々6時間。気持ちよく酔ったヅカ氏はこうした沢登りならではの楽しみを味わえて「幸せだ〜」を繰り返していましたが、私も同感です。

2021/1031

△07:35 奥ノ二俣 △10:10-30 栗子山 △11:55-12:00 杭甲山 △13:15-25 栗子隧道東入口 △15:05-15 二ツ小屋隧道南入口 △15:45 東栗子トンネル東入口

しっかり着込んで一つのテントに3人で泊まったおかげで意外に寒さを感じることなく熟睡でき、5時半になったところで起床しました。

たっぷり残っているきのこを使って各自朝食(私は棒ラーメン)をすませた後、名残惜しい気持ちを抱えつつ遡行の準備を終えて焚火の始末。この日は栗子山を越えて下山の予定です。

奥ノ二俣から右へ進む滑谷奥沢を分けて左のジシカ平沢へ。ナメっぽい沢床がしばらく続き、両岸が狭まってくると横から大谷地沢が滝を落として合わさります。

両岸が砂っぽく見えるこの小滝はうまい具合に足元に踏み台になる岩があり、これを使えば簡単に直登できました。続く小滝をブミ氏は右側から際どく登りましたが、ヅカ氏と私は水浴び覚悟で正面突破。左右に足を突っ張りながら登ればこれも容易です。

落ち葉のダムが作る小さなプールなどを愛でつつぐいぐいと高度を上げ、1,000m二俣は左へ進み、1,070m二俣で右に見えている高さと傾斜のあるナメ滝を越えたら斜度が落ち、水流も徐々に細くなってきます。

水が涸れ、やがて沢形のどん詰まりからやや密な藪漕ぎが始まりました。踏み跡らしいものはなく、GPSの力を借りながら平な山頂の中の一等三角点を目指して薮を漕ぎ続けると、唐突にドラム缶が出てきます。なんだこれは?と思いつつ少し進んだところにピンクテープが見え、そこが三角点でした。

栗子山1,217m。展望はないものの三角点の周辺は綺麗に刈り払われており、ここでザックを置いて大休止としました。行動食を口にしながら観察したところ、この山頂から南の方、つまりこれから我々が向かおうとする方向に刈払いの道が続いているようで、おかげで藪漕ぎの労力はかなり軽減できそうです。「ただし問題は」とヅカ氏との会話。「この刈払いをした人たちはどこから上がってきたかだ」。

短い滞在を終えて栗子山を後にし、藪の中につけられた道をピンクテープの力も借りて南へ進むと、やがて灌木が減って笹原になったところから前方に形のよい尖ったピークを持つ1,202m峰=大杭甲山おおくいこうやまが見えてきました。米沢側から見るとひときわ目立つその山容から、地元ではこちらの方が「栗子山」として認識されてきたと言われる山です。そして右下には、米沢側の萬世大路が九十九折りを描いて上がってきている様子が見えました。

大杭甲山まで刈払いが続いていたら嬉しいのだが……とかすかに期待していたのですが、世の中それほど甘くはなく、栗子山と大杭甲山の間の最低鞍部手前の平坦な笹原で刈払いは直角に右=米沢方向に折れていました。半ば覚悟していた通り、この刈払いは先ほど上から見えた米沢側萬世大路から栗子山に登る道として付けられたものだったようです。ただし、後で調べたところではこれは登山のために維持されているわけではなく、国土地理院による調査時に限って付けられるもので、三角点の近くの木に付けられていたピンクテープに「2021.5.7 0920」と書かれていたところからすると今年の5月にその調査が行われたもののよう。そういう意味では一部の区間にせよ刈払いの恩恵を受けられたのは幸運だったと思うべきなのかも知れません。

背丈を越える灌木の密生の中に笹が繁茂した斜面を頑張り、笹に覆われてはいるものの眺めが良い大杭甲山に到着。前方には吾妻連峰が見え、時計回りに視線を移すと遠くに白くなった飯豊連峰、尖った大朝日岳が目立つ朝日連峰、先ほどまでそこにいた栗子山、その右向こうに蔵王連峰。さらに奥羽山脈上のピークだけあって右には米沢盆地、左には福島盆地を見下ろすこともできました。

大杭甲山頂からの展望を満喫したら、さらに南へ下ります。稜線伝いに鞍部まで降りれば峠越えのための目印もあるそうですが、若干のショートカットを行って斜面を急降下。それでもさしたる時間をかけずにナギタキノ沢右俣に降りることができ、そこから先はピンクテープを辿る沢下降となりました。頻繁に出てくるピンクテープや滑りやすい箇所でのフィックスロープは、この沢が「道」として使われていることを示しています。

小ぶりだが綺麗なナメ沢だなと思いながら下ってゆくと、沢は唐突にコンクリートの水路になりました。そしてそこが、今回の山行の最後の目的地である栗子隧道の上でした。滑谷沢右俣を遡行して栗子山に登ったパーティーの多くは、栗子山の南西を流れ下る三本松沢に入って滑谷沢左俣に達し、これを遡行して旧国道13号に乗り上がるのですが、我々があえて大杭甲山を越えたのはこのトンネルを見たかったからです。

冒頭の二ツ小屋隧道のところでも言及した萬世大路とは、米沢と福島を結ぶ物流の幹線として明治14年に開通した道路のことで、その開通式に巡幸した明治天皇が後に「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」との意味で萬世大路と名付けたとされています。この萬世大路の最も高いところに設けられたのが栗子峠の下を貫通する栗子山隧道で、全長800m以上と当時としては考えられない長さを誇ったとのこと。昭和初期には自動車を通せる道にするために改修が行われ、栗子隧道と名前が変わって現在に至っており、そのためこのトンネルの坑口の上には「昭和十年三月」の文字が見えました。その後、我々が車を置いた東栗子トンネルを通る道ができて国道13号はそちらに移され、1972年には落盤によりこの隧道は塞がってしまったのですが、2009年に経済産業省によって近代化産業遺産に認定され、現在でも産業遺産や廃道の愛好家がこの隧道を見ようと足を運ぶことが少なくないようです。

栗子隧道に別れを告げて、後は萬世大路を辿るだけ。途中には驚くほど高い位置に付けられた杭甲橋や、かつて周辺に最奥の集落があったという大平橋といった橋が今でも十分現役の姿を残しています。

道路は健在とまではいかないものの概ね整備された状態で残されており、そこには冒頭で紹介した「守る会」の整備のおかげもあるのだと思いますが、それでも道路の両側の樹木は隙あらばこの道を自然に還そうと虎視眈々と狙っている感じです。

烏川橋を渡って坂道を緩やかに登ったら、懐かしい思いがする二ツ小屋隧道です。

あらためて目を凝らしてみると、天井に大穴が空いていたり側壁が崩れていたりと、この隧道も相当くたびれている感じ。いつの日か、栗子隧道と同じように落盤によって通れなくなる日が来るのかも知れません。

帰りがけの駄賃にと、二ツ小屋隧道の出口脇にある階段を登ってみました。そこには2段のスペースがあり、上段は山神碑、下段は「鳳駕駐蹕之蹟」とありますから明治天皇巡幸を記念する碑です。後日調べたところ、明治14年10月3日に行われた巡幸では早朝に米沢市内を発った明治天皇は馬車と肩輿を乗り繋いで栗子山隧道の米沢側坑口に達し、そこで萬世大路の立案者でもある山形県令三島通庸の迎えを受けて隧道開通式を行った後、徒歩で栗子山隧道を通り抜けてから再び肩輿に乗ってこの新道を進んで二ツ小屋隧道に達し、その福島口で休憩をとってから福島市内へと移動を続けたということです。当時はまだ青年と言ってもよい年齢(満29歳)だったとは言え、天皇が米沢から福島まで丸一日がかりで移動することは大変だったことでしょう。

駄賃ついでにこちらの隧道の上にも立ってみました。しっかりした構造には安心感がありますが、それでもその縁に立つと足がすくみそうになるほどの高度感を感じます。

こうして今回の山行は終了しました。行く前は焚火宴会くらいが楽しみかなと思っていたのですが、明るいブナ林あり、ナメコの収穫あり、稜線上からの大展望あり、そして産業遺産との触合いありで、実り多い山行となりました。記録のタイトルは「摺上川滑谷沢右俣」と沢登りの体裁をとっていますが、実際のところは「滑谷沢右俣から登る栗子山と萬世大路を辿る旅 with ナメコ祭り」といったところ。企画して下さったヅカ氏と同行のブミ氏のお二人に感謝です。