大洞川和名倉沢
日程:2021/11/12-13
概要:西武秩父駅から三峯神社に向かうバスを雲取林道入口の手前で降りて大洞川を渡り、和名倉沢に入渓。初日は「通らず」の手前で幕営し、2日目に遡行を続けて右俣枝沢から登山道へ抜け、秩父湖へ下山。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:---
同行:ルーリー
山行寸描
◎本稿での地名の同定は主に『新版 東京起点 沢登りルート100』(山と溪谷社 2020年)の記述を参照しています。
法事があった先週末を除いて9月下旬からほぼ毎週沢登りに出掛けていた私も、いよいよ年貢ならぬ草鞋の納めどき。これまでに何度か沢登りをご一緒しているルーリーに付き合ってもらって、奥秩父の和名倉わなぐら沢を登ることにしました。
2021/11/12
△10:20 雲取林道入口 → △11:20 和名倉沢入渓 → △12:35 弁天滝 → △14:55 「通らず」手前
ルーリーの仕事の都合で出発日は金曜日。このため西武秩父駅から三峯神社に向かうバスの始発は土日に比べ1本遅く西武秩父駅を9時10分発となりましたが、このバスに並んだ観光客の多さにはびっくり。バスを2台出しているにもかかわらず、そのどちらにも座れない客がびっしり立っている状態でした。
秩父湖から三峯神社までの間はフリー乗降区間になっており、我々は雲取林道入口の手前で下ろしてもらいました。車道を少し戻ったところから見る和名倉山は実に堂々とした姿でそこにあり、これから向かう和名倉沢が深く切れ込んだ谷を作っています。
秩父湖の湖面が本来の姿である大洞川へと細まるあたりを目掛けて下る尾根が地形図上の目印で、その降り口はカーブミラーとガードレールの切れ目があり一目瞭然。しかもはっきりした踏み跡が尾根上を下っており、川筋に近づいたところから上流側へトラバースしだしたその道は対岸に渡る吊り橋に続いているのですが、この吊り橋は老朽化のために現在は渡ることを禁じられているので、橋の下を渡渉してその上流側の斜面を乗り上がることになります。
吊り橋から続いている道に合流して今度は大洞川の下流側に進むと、釣り師の餌箱らしきものが散乱している小さな小屋跡あり。そこからわずかで道は和名倉沢に達しアルミパイプの橋を渡っていくのですが、この橋もガラガラの岩や流木が乗ってひどく荒れた状態でした。
パイプ橋の上流側から入渓してしばらくは、ごく普通の沢の様相が続きます。いくつかの小滝の後にトポに左壁にフィックスロープあり
と書かれた滝が二つあるはずですが、その手前側と思われるやや大きめの沢筋が左に折れるところにある滝にはロープがなく、慎重にバンドを斜上して落ち口へ。
続くつるつる滝はがっしり太いフィックスロープがあり、左壁の凹凸とこのロープとを使い分けながら部分的に腕力頼みで登ることになります。
右から石津窪を合わせてすぐに現れたのが弁天滝15mで、これはなかなか見応えがあります。しかしルーリーとの間では、今回は季節が季節なので滝の直登はよほど必要に迫られない限りしないという申合せがしてあり、弁天滝もその美形ぶりを堪能したらすぐに巻きにかかりました。
この日最初の高巻きは右(左岸)から。緩やかなガレの斜面を登って落ち口の高さを超えたあたりで左に方向転換し、小尾根の上に立ってからわずかに下流側に方向をとれば、容易に沢筋に戻ることができました。
さらに小滝をいくつかかわして進むと前方に6m直瀑が見えましたが、この辺りは左岸巻きが続きます。それにしてもここだけ妙によく踏まれた巻き道だなと思っていると……。
地形図上で小さな谷が降りてきているあたりに広い平地があり、そこには無数のガラス瓶が散乱していました。この広場に林業関係の小屋があったに違いなく、その主がどこからかここへ通った道の一部が先ほどのよく踏まれた踏み跡だったのかもしれません。
立派な滝が出てきたと思ったら、それは右岸から合わさる氷谷の2段17m滝で、和名倉沢の本流はさらに小滝を連ねます。
2段滝は右の凹部を使って華麗に(?)スルー。
2条滝やらなんやらと滝を同定するのも面倒、というか意味がないくらいに小物の滝が続きますが、実は沢に入ったときから岩がヌメって滑りやすく、ラバーソールのルーリーはもとよりフェルトの私も足運びが慎重になり、スピードが上げられずにいました。
15時を過ぎたら幕営地を探そうと決めていたところ、どうやらワサビ沢らしい沢が右から入ってくるところで既にいい時間。ここから「通らず」と呼ばれる規模の大きなゴルジュの巻きと40m大滝の高巻きを重ねたらその途中で暗くなることは必定なので、場所的にはあまりにも下過ぎる位置ではありますが、ワサビ沢対岸の台地上に平らな場所を探して幕営することにしました。そういう目で辺りを見回してみると炭焼きの窯の跡らしい石組みがいくつもあり、この辺りにもかつては大規模な人の営みがあったらしいことがわかります。
さっそく焚火を熾して夕餉のひと時。近年流行りのガスバーナーの力に頼ることなく焚火を作ることができて自分としては満足でしたが、このときは二人とも翌日のシビアな行程を想像できてはいませんでした。
2021/11/13
△06:30 「通らず」手前 → △07:20 大滝 → △08:35-50 船小屋窪出合 → △12:20 1370m二俣 → △15:25 1680m二俣 → △15:40 1730m二俣 → △16:40-55 登山道 → △21:40 吊り橋 → △22:10 秩父湖バス停
初日の遅れを取り戻すべくまだ真っ暗な4時に起床して焚火を復活させ、朝食・勤行と通常のルーチンをこなしましたが、予定時刻になっても行動を開始できる程には明るくならず、出発は6時半になってしまいました。
テントを張った位置から目と鼻の先がやはり「通らず」の入口で、夏ならトライしてもいいかなと思わせる様相ではありましたが、ここは黙って左から巻き。
上から見ると「通らず」の中の滝はそれほどシビアには見えませんが、それよりも巻き道の方が問題です。
踏み跡はおおむね明瞭で、わかりにくいところにはピンクテープの目印もあるのですが、フィックスロープに体重を預けて渡るギャップや道筋が崩れて不安をかき立てる斜面など、不安要素はてんこ盛り。これが夏で木々の葉が茂っていれば怖さも半減するだろうと思いますが、今は晩秋だけに葉を落とした樹木の間から見える沢までの距離は万一落ちたらただではすまないだろうと思わせるものがあり、途中から慎重を期してロープを使うことにしました。
どうにか無事に巻き終えて降り立ったのは40m大滝の真下です。この滝は本当に素晴らしい!豪快に水を落とすこの大滝は、和名倉沢を名渓としている所以だろうと思わせるものがあります。
……と言ってももちろん登れないので、その右にえぐれている脆く急なルンゼから高巻きにかかります。緊張を強いられるこのルンゼを登りながらも滝の方向(左)にルートが見当たらないものかと視線を送っていたのですが、ルンゼをさほど上がらないところで反対の右側にトラロープが水平に張られているのが目に入りました。もしや、左の斜面ではなく右の小尾根に移るのか?と思いつつさらに高さを上げると、ルンゼの突き当たりを右に避けるラインへと自然に導かれてその小尾根に登り着きましたが、そこにはやはり踏み跡が上へと続いていました。
小尾根に乗ってからもしばらくは斜度が急でしたが、やがて踏み跡は水平になって沢筋に向かうようになり、降り着いたところに出てきたのはまたしても大滝!もしやリングワンデリング?……というのは杞憂で、その滝は船小屋窪出合の30m滝でした。そしてその少し上流には、当初「できれば初日のうちにここまで届いておきたい」と思っていた大規模な幕営適地が広がっていました。
幕営適地を過ぎてすぐに出てくる立派な滝は2段15m滝で、この滝は故ひろた氏と現場監督氏のリポDコンビが右壁から突破しており、その際に残置のハーケンも見ているということでしたが、我々は考えるまでもなく左から巻き。ところが巻き道を途中で見失って追い上げられてしまい、やむなく懸垂下降1ピッチ(ロープは30m1本)で本来のラインに復帰することができました。
幸いこの沢の両岸はしっかりした樹木に恵まれており、懸垂下降にはさほどの危険を感じないのが良いところ。とはいえ時間はしっかり食うわけで、この辺りから一つ一つの滝の突破のもたつきがボディブローのように効いてくることになります。
これは7m滝。つるつるの側壁を登る必要はなく、少し戻って右岸の草付斜面から小さく巻けば落ち口の左側の階段状にアプローチできます。ただしそのわずかな階段状が見るからにスリッピーで、先ほどからラバーソールのフリクションを信じられなくなっているルーリーはロープを要求。いや、その気持ちはよくわかります。
さらに右にフィックスロープがある3m滝もトラップになりました。確かに落ち口の右側からフィックスロープが垂れてはいるのですが、その末端は中途半端なところで終わっており、そこまでは腰まで水に浸かって釜に踏み込んでから磨かれて丸みを帯びた斜面を登らなければなりません。ここはラバーソールの出番だろうとまずルーリー、ついでギブアップした彼女に代わって私がトライしましたが、水中に足掛かりがなく身体を引き上げられず試行錯誤を繰り返しているうちにどんどん体温が奪われてしまいこの方法は断念せざるを得ませんでした。我々が下手なだけなのか、フィックスロープが引き上げられてしまっていたのか(または途中で切れているのか)はわかりませんが、いずれにしてもこれが水温の高い時期だったら何かやりようがあったかもしれません。
仕方ない……とため息をついて左から巻き、またしても懸垂下降。今度は垂直に近い急斜面の途中でロープを掛け替えての2ピッチでの懸垂下降となりました。たかが3mの滝の高巻きにこれはさすがに割に合わないのでもっと経済的なルート取りがあったようにも思いますが、仕方ありません。
続く釜を持つ4m滝はちょっとしたお遊びポイントになりました。見ての通り落ち口の左側が階段状になっていて容易ですが、そこまで近づくためには下のちょっとした岩壁をトラバースしなければなりません。
まずは私がロープを引き、1段上がって数歩進んでから微妙なバランスでクライムダウン。さらによっこらしょと足を飛ばして濡れることなく渡り切ることができたのですが、このクライムダウンを見ていたルーリーは潔く「泳ぎます!」。水に飛び込んだところをこちらも全力でロープをたぐって引き寄せたのですが、それでも全身を冷たい水に浸したルーリーは一気に体温を奪われてしまいました。
しばらくは身体を動かし続けた方が良かろうと遡行を継続したところ、沢が左に曲がるところにあるトイ状滝の近くに謎の残置物。スキー板のようにも見えた長方形の物体には「抜無双 ブラックエース」と書かれており、後で調べたら釣り用具であるようです。それにしてもこの残置物の量は、持ち主が尋常ではない状況に置かれたことを物語っているよう。
いくつかの小滝を越えた後に出てきたここは、トポでは「3段8m」と書かれているところ。3段という風には見えませんが、手前の滝に取り付くには泳がなければならないし、奥に見えている滝も水量豊富でどっかぶりになりそうなので、トポに指定されるまでもなく左(右岸)からの巻きを選択しました。
この高巻きも簡単ではなく、そこそこ高いところまで登らされてからフィックスロープを使っての急下降で沢筋に戻ることになります。このフィックスロープ、誰が整備してくれているんでしょうか?もし切れたときの責任問題は?
……などと考えているところに放射状の多段滝。これも滝の左側のガレ斜面を登って巻くことになります。
このガレ斜面もそこそこの難物で、フィックスロープに触らずに登るのは困難(トポには「下降点」にロープありと書かれていますが誤り)。こうなったらロープを信じるも八卦、信じないのも八卦で、どちらにしても落ちれば自分の責任です。それはともかく、途中から右にトラバースして落ち口を目指すラインもありそうでしたが、フィックスロープの終点まで上がったところにも滝の上へ通じる踏み跡があり、そちらから難なく沢筋に戻ることができました。
標高1370mの二俣には幕営適地があるとトポに書かれているのでそこで休憩しようと考えていたのですが、その辺りは荒れた感じであまり止まりたくない雰囲気です。仕方なくさらに小滝を二つ三つ越えたところでようやくリュックサックを下ろし、ガスコンロで手早く湯を沸かしましたが、行動食をとっている間も小刻みに震えているルーリーを見てもっと早く休憩をとり熱量を補給すべきだったと深く反省しました。さらに言えば、この時期の沢登りではテルモスの携行は必須で、私も小サイズのものを持ってきてはいたのですが、この日の出掛けに湯を詰めておくのを怠っていたのでした。
遡行再開。この美しい苔の滝を越えた後に標高1470m二俣を通過しましたが、その左岸の高台には幕営適地らしい地形が見上げられ、沢沿いには焚火の跡もありました。
二連滝(奥に次の滝が見えている)の手前の滝は、トポの指定は右からですが、我々は左から。
続く滝は水流の右のホールド豊かな苔の壁を登ることができそうでしたが、これ以上身体を冷やすわけにはいかないので右から巻き。
先ほどから寒い寒いと思っていたら、氷やら霜やら霰やらが姿を現すようになってきました。
この見栄えのする滝は2段滝の内の10mの方。もちろん右から巻きです。すると上の6m滝の方には恐ろしいことに発達したつらら。道理で寒いはずだ……。
この滝の上にテント1張り分のきれいに整地されたスペースがあり、そこには石組みの焚火跡と薪もありました。そこは標高1570m二俣の少し上流側で、この二俣から右にエスケープすることも考えた(ここから右の尾根に上がっている記録もある)のですが、残された滝も少なかろうという予想と共に、どうせもう最終バスには間に合わないという諦めもあって、このまま最後の滝まで本流を行くことに決しました。
二つ目の二連滝のうち手前の3mはなんということもなく通過したものの、この4m滝には手こずりました。もう濡れずに巻けるところは巻こうと決めていたのに、つい色気を出して直登を狙い水流の右寄りから取り付いたのですが……。
それなりに豊富なホールドに助けられて落ち口の上まで手が届いたものの、最後に乗り上がるための一歩を支えてくれるホールドがヌメって上がれません。しからば水流横断か?と左足を出してみても外傾したスタンスには立てそうになく、そうこうするうちに手首から水が入ってきて私も身体を冷やしてしまいます。結局諦めてクライムダウンして右から草付を巻き、ここでも無駄に時間を費やしてしまいました。
最後の癒し系の穏やかな滝を登って標高1680m二俣に到着。ここは右に入ります。
そして標高1730mで出合う枝沢にエスケープ。これで和名倉山の登頂はできなくなりますが、かつて市ノ沢を遡行したときにピークを踏んでいますし、そもそもピークハントにこだわっている時間的なゆとりもないので惜しくはありません。この枝沢はガレた急斜面ではあるものの、遡行する分にはさしたる支障がなく、かえってどんどん高度を上げられるのでモチベーションも高まります。
振り返ると綺麗な夕景色……などと見とれている場合ではありません。とにかく明るいうちに登山道に出なくては。
最後は沢の形が消えて疎林の斜面を登るようになり、獣道が行く手を横切るたびにルーリーは「これが道かしら?」と期待を持つものの、ことごとく私に否定されてしまいます。それでも頑張ること1時間、とうとう明瞭な登山道に出ることができました。
登山道で身繕いし行動食を口にしてから下山を開始する頃には、とっぷりと暮れて暗くなってしまいました。しかも悪いことに、ルーリーのヘッドランプは昨夜の幕場で電池交換の拍子に壊れてしまっています。最初のうちは私のヘッドランプの明かりで道を照らしルーリーには後ろにぴったり付いてきてもらうことにしていたのですが、ふと思い付いてテント内で使用していたソーラーランタンを取り出したところこれが予想以上に具合が良く、以後はそこそこのスピードで下ることができるようになりました。とは言うものの暗闇の中の下降ではときどき道を見失うことがあり、足の下の感触が急にふかふかに変わったなと思ったら立ち止まって、周囲を照らし道を探ることの繰り返し。しかしそうした場面ではルーリーの勘の良さが物を言い、ところどころにあるピンクテープにも助けられて、さほど大きく外すことなく下降路を辿ることができました。
実は、バスはなくなってもタクシーを呼べばこの日のうちに帰宅できるだろうと考えていたのですが、下山の途中でふと嫌な予感がしてタクシー会社に電話を入れてみたところ、秩父のタクシー会社3社の内2社は既に営業時間外で電話が通じず、かろうじて通じた1社も配車は20時半までとのことで万事休す。タクシーを24時間いつでも呼べるのは大都会だけの話だということを、我々はこのとき学んだのでした。それでも私は翌日(日曜日)も休日なので問題ありませんが、ルーリーの方は仕事に穴をあけることになってしまいました。
これで下山を急ぐ理由はなくなったものの引き続き足早に歩き続けて、下山開始から4時間45分で待望の吊り橋に到着。対岸を走る車道までひと登りしたら、アスファルトの安定した歩きやすさをしみじみ味わいながら、2泊目のビバーク地とすべく秩父湖のバス停の向かいにある駐車場(トイレあり)を目指しました。
こんな具合に自分の計画の甘さを露呈する山行となってしまいましたが、何はともあれ、スケールの大きな滝を連ねる和名倉沢は名渓と呼ばれるにふさわしく、充実した草鞋納めとすることができました。ルーリーにとっては体力的に極めて厳しいものとなったようでしたが、最後まで頑張ってくれたことに感謝です。お疲れさまでした。
なお、この記録ではできるだけ『新版 東京起点 沢登りルート100』と対照できるように滝の特徴を記述していますが、実際にはこの記録では言及していない滝も少なくありませんし、トポが誤っている(よって本稿の記述が実態と合わない)と思える場所もあります。とにかく、大小取り混ぜて数え切れないほどの滝が出てくる沢であることは間違いなく、その中でこれはという滝は巻きになってしまうものの、それでも「通らず」をはじめ登攀を楽しめる要素は少なくないと思われます。
シューズについては、私はフェルト、ルーリーはラバーを使用しましたが、どちらにしてもこの沢の岩は滑るので、高巻きの多さを考えると全体を通してみればラバーの方が有利だったかもしれません。そしてそのいずれにせよ、水に浸かることを厭わずにすむ季節に遡行することをお勧めします。