玄倉川鉄砲沢左岸尾根下降〜鉄砲沢

日程:2024/04/15

概要:寄から出発し、沖太尾を登って茅ノ木棚山稜に上がり鉄砲沢左岸尾根を下降。鉄砲沢の出合近くに降りて鉄砲沢を遡行した後、鍋割山を経由して大倉へ下る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:鍋割山 1272m

同行:相模太郎氏

山行寸描

▲鉄砲沢の核心部とされる6m滝は左壁から落ち口へ抜けた。トポのグレードはIII+だが、頼みのホールドやスタンスが次々に崩れてしまい冷や汗をかいた。(2024/04/15撮影)

◎本稿での地名の同定は、主に『丹沢の谷200ルート』(山と溪谷社 2017年)の記述を参照しています。

先週木曜日の鉄砲沢両岸尾根に続き、いよいよ茅ノ木棚山稜北面の鉄砲沢流域通いの掉尾を飾る山行として鉄砲沢を遡行。今回は古道の痕跡探しのことは忘れて純粋に沢登りを楽しむつもりで、昨年沖ノ源次郎沢でご一緒したFacebook仲間の相模太郎氏に付き合っていただきました。

2024/04/15

△07:20 寄 → △08:15 登山口 → △10:10-15 沖太尾ノ頭 → △10:25-40 無名沢ノ頭 → △11:50 P921 → △12:35 鉄砲沢入渓 → △14:05 二俣 → △15:15-45 6m滝 → △16:35-55 鍋割山 → △17:40 後沢乗越 → 19:05 大倉

先週と同じく始発に近い電車に乗って、新松田駅前で待っていたバスの中で相模太郎氏と合流。今日は一日よろしくお願いします。

鉄砲沢に入るなら普通は玄倉林道を使ってのアプローチになるでしょうが、あえて寄からアプローチしたのは玄倉林道の一部と玄倉治山運搬路が引き続き通行止めになっているからです。林道の方は一時期荒れていたものが徐々に修復されているようですが、治山運搬路の方はたぶん復旧の見込みはないでしょう。そんなわけで寄から大橋、登山口を経て寄沢のガレの中を歩くと、前方には青空の下にはっきりと鍋割峠と沖太尾ノ頭が見えていました。

先週金曜日はずいぶんひんやりしていたのにこの日は汗ばむほどの暑さで、道々にはツツジの花が今を盛りと咲き開いていました。そういえば登山口手前の後沢を横断するところではまだ若いカモシカを見掛けましたが、あの子もこの陽気に誘われて降りてきたのかも?

釜場平で小休止の後、高度を上げて越場沢を渡り登山道を雨山峠方向に歩き続けて写真の看板が出てきたら、そこから登山道を離れて尾根の中の作業用径路の登りになります。この尾根はツルハシ尾根と呼ばれることもあったようですが、古いガイドブックには沖太尾と記されており、丹沢ハイカー御用達の『東丹沢登山詳細図』でも最新版ではこの尾根が行き着くピークに「沖太尾ノ頭」と記しています。この尾根につけられている径路は先日登った太尾ノ丸への道と同様におおむね問題なく整備されており、ジグザグと高度を上げて短時間でピークに着くことができました。

ちょうど沖太尾ノ頭に登り着いたときに出会った雨山峠方向からの単独行の登山者は我々が思わぬ方向から登ってきたことに驚いていましたが、実際に歩いた印象としては越場沢よりもこちらの方が歩きやすく、特に下り方向にとるのであればはっきり沖太尾の方が安全です。その登山者としばしの立ち話の後に我々は雨山峠方向へ移動して、いつもの無名沢ノ頭でヘルメットやハーネスを身につけました。ここからは先週金曜日とは逆コースで鉄砲沢左岸尾根を下ることになります。

滑りやすい急斜面を下って降り着いた鞍部に残る道の跡はオガラ沢乗越(径路)の遺構。ここから右へ下れば鉄砲沢の二俣に出られますが、今日は鉄砲沢の下流を目指すためにこの道を横切って直進します。

相変わらずのアセビの密集のために最初のキレットへの降り口を探すのにうろうろし、その後も尾根の分岐が出てくるたびに現在地とその先の地形を確認して行方を探します。今でこそGPSのおかげで道迷いの心配はほぼなくなりましたが、かつて地図とコンパスだけで歩いていた岳人はすごいものだなと語り合いながら歩くうちに、P921の手前のキレットに到着しました。

キレットの左下へと脆い斜面を慎重に下り、そこからはトラロープのお世話になってルンゼを登りましたが、この斜面もまたザレて滑りやすく、トラロープがなかったら難儀なことになりそう。がんばってここを乗り越えたら鉄砲沢出合まではあとわずかですが、我々はこの左岸尾根を末端まで下るのではなく、途中の支尾根を下ってダイレクトに鉄砲沢に降りる計画です。その意図は、治山運搬路を一切使わないことと鉄砲沢下部の堰堤二つをやり過ごすことにあります。

目論見通りにこの支尾根は傾斜が緩く、薄い踏み跡らしきものもあって問題なく先端近くまで下ることができました。見下ろすとそこには予想していたとおりに2番目の堰堤があり、懸垂下降でそのわずかに上流へ下ることができそうです。

どんぴしゃで狙ったポイントに降りることができて鼻高々。相模太郎氏は自宅から沢靴を履いてきていましたが、私はここでアプローチシューズから沢靴に履き替えました。

いきなりのこの滝は左壁にロープが張られていますが、途中のハーケンが抜けていて役に立ちません。しかし、壁の凹凸をうまくつないでへつればロープに触ることなく釜の向こうへ抜けられます。

すぐに出てくるナメ滝やナメの様相はなかなかすてきで、沢登りの楽しさを思い出させてくれました。

3番目(最後)の堰堤は左の構造物の裏を通って難なく越えられますが、ここで面白いものを見つけました。

先週鉄砲沢右岸尾根を下ってきたときに上流方向から導水管が走ってきているのを目撃していたのですが、どうやらこの堰堤がその取水場所になっていたらしく、ここから下流方向の右岸の山腹にほぼ水平に導水管が続いています。ここで取った水を何に使ったのかというそもそもの疑問は残りましたが、こうした遺構を見ると丹沢に投じられた先人の労苦が偲ばれます。

……という感傷はさっと水に流して、遡行を続けます。ここも小滝と釜が連続して楽しいところですが、やはり倒木が景観を損なっているのが残念。

白い岩と緑の苔と青い水とのコントラストは丹沢ならではですなぁ。

うわ、これはひどい。事前に予習したいくつかの記録ではここにもつっぱりで越えられる面白い釜があったようですが、大きな木が倒れてそれに巻き込まれたたくさんの灌木がまるごと釜を埋めてしまっていました。

幸い沢筋が埋もれている区間はごくわずかで、再び癒しの渓相が戻ってきます。

ヒョングっている小滝の下には大きなポットホール。それにしてもこの水の美しさ、透明度の高さはどうだろう。

ナメが続いた先に珍しく植林帯が左岸を降りてきている場所がありましたが、そこはちょうどP921の下でした。先ほど下ってきた鉄砲沢左岸尾根の上には林業用径路である鍋割歩道が走っていましたから、ここで山仕事をする人たちはその径路を使って麓との間を行き来していたに違いありません。

やがてちょっとした高さと斜度のある2段5m滝が出てきましたが、私は右壁、相模太郎氏は左壁をそれぞれフリーで問題なく乗り越えました。

その後もきれいな釜と小滝が続き、そろそろかな?と思っていたら……。

そこが鉄砲沢の二俣です。ここを右に進めば鉄砲沢左岸尾根上に残されていて我々が横断した径路跡に出られますし、わずかに直進して左の小さい谷の先には中ツ峠があります。私も昨年1月に中ツ峠からここへ降りて鉄砲沢右俣を登り返したり、今年の1月には逆に右俣を下って右岸尾根に登り返したりとこのあたりをうろうろしていますが、これから向かう左俣は初めてです。

左右の斜面が迫って威圧感を覚える沢筋をどんどん直進していきますが、この先には連続する2段8m滝と6m滝とがあって、そこが鉄砲沢のいわばハイライトとなっているはず。

ところが、ここで方向を間違えてしまいました。このあたりになるとGPSで見ても地形があいまいであるために沢の形を見て勘を働かせなければならないのですが、正しい沢筋は左へ曲がっているのに対し、正面方向には直線的に沢筋が続いている上に行く手の空が広いので、正面が本流だろうと思ってしまったようです。

このときはGPS(ジオグラフィカ)とトポとを見比べてみても現在地が把握できず、その結果として上記のように直進を選択したのですが、後から冷静になって振り返って見ると左の方が水量が多いし、GPSが標高975m(誤差あり)を示しているのに対しトポは960mの二俣を左に進めと言っているのですから、やはりここで立ち止まって左の滝の可能性を探るべきだったのでしょう。

結局、直進はしたもののいつまでたってもハイライトの滝が現れず、徐々に源頭部の様相を示してきたことから、これはやはり本来の沢筋の1本右の沢に入ってしまったに違いないと気づきました。

そのままハイライトの滝を登らずに抜けてしまったのでは鉄砲沢を遡行したことになりません。仕方ない、軌道修正だ!と適当なところから左の尾根に乗り上がり反対側を見下ろすと、案の定本流らしいスケールを持った沢筋が並行していました。良さげな灌木を支点に懸垂下降でこの沢筋に降り、そこからわざわざ下流方向へ進んでみると……。

やはりそこに6m滝がありました。上から覗き込んでみると手がかりのなさそうな壁がそこそこの傾斜で立っており、これは本当に登れるのか?という感じですが、トポに記されているグレードは「III+」です。それで登れないはずはないので、何はともあれ懸垂下降しながらオブザベーションをしてみると、確かにいいところにそれなりのホールドやスタンスが見つかり、これなら登れるだろうという感触をつかむことができました。

この滝は右壁を登っている記録も多いのですが、滝を見上げてみるとそちらはいかにも脆そうで、やはり登るなら左だろうというのが私の見立て。ちなみにこの滝のすぐ下には2段8m滝もありますが、どの記録を見てもロープを出さずに容易に登れているので、そちらは割愛することにしてここでロープを結び、相模太郎氏にビレイしてもらって取り付きました。ところがそこはさすがの丹沢、これなら登れるだろうという私の甘い見通しをあざ笑うように、手でつかんだガバホールドがかぱっと取れてしまいます。気を取り直して今度は慎重にホールドやスタンスを選び高さを上げたものの、やはりスタンスは踏めば崩れ、手にしたホールドはぼろぼろと取れてしまって、信用できるホールドはそう多くありません。その限られたホールドやスタンスを使って登るためには成り行き任せの正対登りではダメで、まずは途中にハーケンを1本打って心を落ち着かせてから手順を組み立てました。滝の真ん中のここだけしっかりした斜めスタンスに右足をハイステップで飛ばしてから、左手で後ろの壁をプッシュして体を引き上げ、左足スメアリングで体を支えたうえで腕を伸ばして上にある黒くて丸いホールドに指先をかぶせて……とじわじわと高さを稼いで、最後は沢靴のフリクションを信じて乗り上がって無事にこの滝を登りきることができました。

後続の相模太郎氏は最初は滝の中央のラインを探っていましたが、ホールドの乏しさにこれを断念して私と同じラインを登ってきましたから、やはり上述の登り方は間違いではなかったようです。しかし、こんなややこしいことを強いられるようではトポの「III+」は辛すぎるのでは?ちなみにトポに書かれている筆者の解説は水流左から取り付き右手を水流に置いてフリクションで登るですが、そこにはふだんクライミングをしている人なら容易だが、そうでない人は苦労すると思うと付記してありました。

思わぬアドレナリン登攀になってしまったハイライトの滝の先にはこれといった段差もなく、やがて鍋割峠〜旧鍋割峠の直下で沢筋が分岐する場所に到着しました。

ここからは一番右の沢筋の方へ進んだ上でその右岸(左)の尾根に取り付けば鍋割峠へ出る踏み跡に乗ることができるのですが、下から見上げる構図では地形が今ひとつ読めなかったために、我々は真ん中の尾根に乗ってこれをダイレクトに詰めていきました。このため鍋割峠の高さよりずいぶん上の方で登山道に合流することになりましたが、最後のこのアルバイトに我々は残されていた体力のかなりの部分を吸い取られてしまいました。

それでも展望に恵まれた鍋割山の山頂で握手を交わし、目的を無事に達成できた充実感を味わいつつ沢登り装備をすべてリュックサックにしまったら、あとは大倉まで下るだけです。しかし、毎度のことながらここから大倉までの下り道は地味に長くてつらく、バス停に辿り着いたときにはすっかり日が落ちていました。

かくして鉄砲沢流域の探索は一段落となりました。そこでこの周辺を歩いた軌跡をひとまとめにして見てみると、次のようになりました。

丹沢専業のバリラー諸氏から見ればまだまだ空白域が多すぎるとお叱りを受けるところでしょうが、自分としては、一つの山域の中のごく限られた領域にこれだけのエネルギーを投じたことで一応のやりきった感があります。次の晩秋に再び丹沢に戻る際にはいかなる新テーマを携えるか、これから半年かけてゆっくり考えたいと思います。