宝剣岳中央稜

日程:2024/04/18

概要:駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅を起点に宝剣岳東面の中央稜を登って宝剣岳山頂に達し、乗越浄土から千畳敷駅に戻る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:宝剣岳 2931m

同行:セキネくん

山行寸描

▲宝剣岳中央稜を真横から見た構図。これは帰路に撮ったものだが、肉眼ではオケラクラックのところに人が見えていた。(2024/04/18撮影)
▲オケラクラック。クラックの中の凹凸に足を効かせ、カムを前進手段としてじわじわと登った。(2024/04/18撮影)

昨年4月にサギダル尾根を登った後、乗越浄土から千畳敷カールへ下るときに宝剣岳中央稜を登るクライマーの姿を見ていたく興味をそそられたのですが、一緒に登ってくれるパートナーはいないだろうと思っていたら、先月の角木場の氷柱からの帰りの車の中でセキネくんから「4月に宝剣岳中央稜はいかが?」と問われてびっくり。というのも彼はすでに数年前に宝剣岳中央稜を登っていることを知っていたからですが、聞けばそのときにフォローで登った核心部を今度はリードかつフリーでトライしたいという動機によるものだそうです。もちろんその場でOKしましたが、渡りに船とはまさにこのことです。

サギダル尾根のときと同様に、私は前日のうちに駒ヶ根に前乗りして一人前夜祭。昨年入った「水車」さんがこの日は休業だったので、近くをそぞろ歩いて目についた「桂」さんに入ってみました。カウンターに座ってあれやこれやと注文しつつ伊那の酒と木曽の酒をいただきましたが、このお店は地元の人たちに愛されているらしく、次々にやってくるなじみ客が皆さん寛いだ様子で食事と会話を楽しんでいて明るい雰囲気でした。もちろん一見の客である私にも丁寧に接してくれましたし、料理もいずれもおいしいものでした。

2024/04/18

△08:25 千畳敷駅 → △09:00-10 中央稜取付 → △13:20-30 宝剣岳 → △13:50-14:10 乗越浄土 → △14:45 千畳敷駅

6時半に駒ヶ根駅前でセキネくんと合流して彼の車で菅の台バスセンターへ移動すると、週末なら激混みになる駐車場も今日は平日とあってガラ空きです。ここからバスとロープウェイを乗り継いで千畳敷に上がり、構内でロープ以外の装備をすべて身につけてから雪面に踏み込むと、目指す宝剣岳中央稜が黒々とした姿を見せていました。

この日の天気は曇りで、気温はさほど低くありませんが雪はしっかり締まっており、たいへん歩きやすい状態です。始発のバスとロープウェイで来たのだから我々が一番乗りだろうと思いつつまずは八丁坂を目指すと、驚いたことに既に中央稜の上に赤いヤッケの姿があるのが目に入りました。この時刻にそこにいるということは、昨日は宝剣山荘あたりで幕営したのに違いありません。

我々も遅れじ、とセキネくんの先導で中央稜の末端を目指し、以前セキネくんたちが取り付いたという場所に登り着いて各自残置ピンや灌木でセルフビレイをとってからロープを結びました。

あらかじめの申合せの通り奇数ピッチのリードを担当する私からスタートしましたが、この出だしは一見階段上でも実際には使えるホールドが限られ、しかも岩が脆くて緊張しました。こうした離陸核心をセキネくんは後で「アルパインあるある」だと言っていましたが、プアプロでのここの登りは確かに精神的には全行程中の核心部だったかもしれませんし、もしかするともっと右に回り込んだところから取り付いた方が登路としては安定していたのかもしれません。

ところが右上気味にじわじわと高さを上げていくと、唐突にフィックスロープが現れました。こうしたものの存在を予習段階では把握していなかったのでまたしても驚いたものの、このロープと残置ピンとで進む方向が正しいことがわかり気分は楽になってきます。とはいえ、ここでフィックスロープに頼るようでは沽券に関わるので意地でもロープはつかまずに岩の凹角を抜け、さらに草付きの斜面では持参したペツルの軽量アイスアックス「ガリー」を打ち込みながら登り続けて、フィックスロープが結び付けられているしっかりした灌木でピッチを切りました。ここからは頭上に覆い被さるように大まかな岩の積み重なりが連なっていますが、左上に10mほど雪面が続いていてその先に先行パーティーの姿がありました。

私がピッチを切ったときは先行パーティーのリードがスタートしたところでしたが、後続のセキネくんが私の横に立ったときには折良くフォローが動き始めました。その彼が大奮闘の末に姿を消してからセキネくんを先に立てて彼らがいたところまで短く移動し、頭上の凹角を見上げると、そここそがセキネくんが今回の登攀のこだわりポイントとしていた核心ピッチでした。

このピッチの途中で右に逃げたところにある小さいテラスでいったんピッチを切っていた先行パーティーに我々も登り始めてよいかと確認をしてからセキネくんが取り付きましたが、なるほど先行パーティーが時間をかけていたのも納得で、さすがのセキネくんも四苦八苦しています。8年前にここをフォローで登った(そのときリードはフォールした)ときは「フリーでも行けるのではないか」という感触をつかんでいたということでしたが、いざ取り付いてみると容易ではなかったらしく、彼にしては珍しくああでもないこうでもないとアイゼンの前爪の置き場を探す苦闘20分間の末に、結局フリーで登ることを断念し「A0にします!」と宣言して残置ピンに掛けたPASにぶら下がりました。

目の前の10mほどを突破してからはスムーズに登っていったセキネくんからコールがかかって私も後続してみると、残置ピンは豊富にある上に必要とあればカムも使え、それらに掛けたクイックドローをつかんで身体を引き上げる(イージーデイジーが腕力温存に有効!)分にはアイゼンをあてがうためのフットホールドも得られてさほど苦労しないのですが、フリーで登るための安定したスタンスとなるとやはり見当たりませんでした。ちなみに廣川健太郎氏の『アルパインクライミング ルートガイド』ではこのピッチについてドライツーリングで登ると記してありますが、それはそれでそのための修練が必要です。

このピッチを登り切ったところには高さ3mほどの立った壁があり、そこで先行パーティーは我々に先を譲ってくださることになりました。私がそこに着くまでの間にセキネくんが聞いたところによるとお二人は親子だそうで、お父さんの方が全ピッチリードして若い(ハタチくらい?)息子さんを引っ張っているのですが、その息子さんの方はグロッキーな状態なのだそうで確かに元気がありません。お言葉に甘えてありがたく先に進ませていただくことにして、今度は私のリードの番です。セキネくんの言によれば目の前の壁を右から回り込むラインもあるそうですが、お守り代わりにアブミを腰にぶら下げていた私はせっかくだからとこれを伸ばして正面突破することにしました。

いかにもアブミを掛けて下さいと言わんばかりに残置されているスリングを活用し、久しぶりに持ち出した金属プレートの自作アブミに乗って身体を引き上げると右上にガバが得られ、これに支えられてアブミの最上段に立ってから右上の岩にまたがるように乗り込む(アブミは後続のために残置)と、目の前に傾斜の緩いスラブが広がり、その中に顕著なクラックが走っているのも見えました。あれがこのルートの名物であるオケラクラックです。

ところがここで大失敗!この構図を見上げたらすぐに左の岩の間へ入り込んでいけばさしたる苦労もなくクラックに取り付くことができたのですが、スラブの右端に続く草付きを使ってクラックが始まる高さまで上がってしまったため、そこからクラックの位置へ軌道修正するのに細いバンドを使ったノーハンド・トラバースをしなければならなくなってしまいました(下の写真はクラックの途中から振り返った構図)。このため草付きをバンドの位置よりもさらに高いところまで登って丈の低いハイマツの幹にスリングを巻いてランナーを作り、いわば振り子トラバースの要領で確保された状態を作ってからじわじわとバランシーなトラバースをこなしてクラックに辿り着いたのですが、この一連の動作で無駄に時間を使ってしまいました。

クラックは最初のうち足を決めにくく苦労したものの、その後はところにより幅が変化しつつも足がそのまま入り、その中の凹凸を生かして立ちこむと共にカムを移動させながら高さを稼いでいくと10mほどで安定して立てるようになって一安心。クラックはさらに折れ曲がりながら続いていますが、やがてクラック外のホールドも使えるようになります。氷が詰まった厳冬期もクライミングシューズで登れる無雪期もそれぞれ感じが違うだろうと思いますが、この春山の時期にアイゼンを装着した登山靴で登る分にはこのクラックは登るほどに易しくなる印象で、その幅にフィットしたカムはセキネくんから借りたフレンズ#3、同#4と自前のリンクカム#2でした。

クラックのパートが終わったら岩の右側のハイマツを手掛かりにさらに少し登り、最後に小さい岩壁を乗り越えるとそこにギャップがあって、岩に240cmスリングを回して確保支点を作りセキネくんを迎えました。ここから山頂まではワンピッチで、ギャップの山側の低い岩壁を簡単に登ったら後はほぼ雪とハイマツの上の歩きとなります。

フィナーレはぴったり宝剣岳の山頂で、そのピナクルに掛けたスリングで確保してくれていたセキネくんのところに登り着いて登攀終了の握手を交わしました。ありがとう、お疲れさま。奮闘的な場面もあったけれど面白いクライミングができました。

このとき頭上は雲に蓋をされていましたが水平方向は見通しが利き、趣のある素晴らしい眺めが広がっていました。なんと言っても登攀を終えるとそこが山頂というのは気分が良いものです。しかもこの日は無風だった一方で曇天のおかげで日に炙られることがなく、クライミングのためにはベストコンディションでした。

宝剣岳山頂からは一般登山道を下るだけですが、この時期の雪に覆われた斜面は鼻歌混じりで下れるほど簡単なものではないことは昨年経験済みです。我々も硬い雪面に慎重にアイゼンを効かせながらトラバースしたりクライムダウンしたりを繰り返し、乗越浄土近くでようやく大休止すると共に装備のほとんどをリュックサックにしまいました。

乗越浄土から千畳敷カールへと下るところで宝剣岳を眺めると、なんとオケラクラックの下にまだ赤いヤッケが見えています。赤は親子パーティーの息子さんの方でしたから、お父さんの方はクラックを抜けて確保態勢に入っているのでしょうが、それにしても時間がかかりすぎでは?と思いながら見ている目の前で赤ヤッケはずるずるとフォールしてしまいました。もちろんしっかり確保されているので事故にはならないのですが、どうやらこのピッチでも息子さんは苦戦しているようです。

どうにかオケラクラックに入った後も息子さんの苦闘は続き、ガリガリ!うわー!テンション!といった音と声とがこだまして思わず「ガンバ!」と遠くから声援を送りましたが、やがてその姿はガスの中に消えていってしまいました。

二人の無事を願いつつ、私の方は千畳敷駅の前にある駒ヶ岳神社の祠に詣でて無事下山できたことを感謝し、最後にぐっと雲が低くなってきた千畳敷カールを見渡してから、GPSログの記録を止めて千畳敷駅の駅舎に入りました。

ロープウェイで下界に降りて、バスに乗る前にセキネくんは家族へのお土産、私は県内で作られているというマルスウイスキー「TWINALPS」をお買い上げ。山に登らせてもらったなら、その土地にお金を落としていかなくてはね。よって菅の台バスセンターからセキネくんの車で帰路につく前に、この時刻でも開いている「四季味処 明治亭」さんにも立ち寄ってソースかつ丼と蕎麦に私は馬刺しをつけて豪勢な打上げとしました。

この打上げの中で我々の話題になったのは、あの親子パーティーは17時発の最終ロープウェイに間に合わないのではないかということでした[1]。ちなみに息子さんの方がグロッキーだったのは、前夜マルスウイスキーを飲み(飲まされ?)すぎて二日酔いだったためだそうです。お父さんの方とオケラクラックの手前で言葉を交わしたときはとても口調が柔らかい優しそうな方だなと思ったのですが、その状態で息子を中央稜を登らせるとは実はスパルタ?ともあれどうぞご無事で。これもセキネくんが聞いたところでは、私の見立て通り前夜は宝剣山荘前で幕営していたそうですからテントは残されていますし、宝剣山荘には従業員も週末営業の準備のために上がってきているようなので、たとえ下山できなくなっても心配はないでしょうけれど。

脚注

  1. ^我々も「とある山」で最終ロープウェイぎりぎりになり、登攀終了後にロープを結んだままで走ったことがある(笑)。しかし彼らの場合はトップアウトした後に宝剣岳から宝剣山荘まで慎重に下り、デポしているであろうテントなどを回収した上で千畳敷駅まで下るという長大な行程をこなさなければならない。息子さんがオケラクラックの下から登り始めるのを私が見たのは14時15分。同じピッチをセキネくんが後続し始めてから山頂に二人が揃うまでに要した時間は50分だったから、親子パーティーも同じペースで登れていれば15時すぎには山頂に着いてそこから2時間で千畳敷駅に着けばいい計算だが、八丁坂を下る私の耳に繰り返し聞こえてきた息子さんの雄叫びを考えると、それは限りなく不可能に近いと思えてくる……。