横尾本谷左俣〜北穂池〜北穂高岳東稜

日程:2023/10/02-03

概要:横尾本谷左俣から北穂池の滝の脇を直登して北穂池に達し、北穂高岳東稜に乗り上がって東稜登攀の後に北穂高小屋に投宿。翌日、涸沢からパノラマコースを使って徳沢経由上高地へ戻る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:北穂高岳 3106m

同行:---

山行寸描

▲横尾本谷から北穂池と北穂高岳東稜を経て北穂高岳へ。前回の訪問からわずか1カ月で再び北穂池に来ることになるとは思っていなかった。(2023/10/02撮影)

9月に入ってからつらい腰痛に悩まされるようになり、計画していた山行のいくつかを中止していましたが、徐々に良くなってきたので足慣らしに小屋泊まりでの荷物が軽い登山をしようと選んだのが北穂高岳。そこには一月前の「穂高の池巡り」の途中で懸垂下降のために残置したスリングを回収するという大義名分も含まれています。

辿ったルートは、上高地から横尾を経て本谷橋までは登山道。そこから横尾本谷を河原歩きで遡行して二俣から左俣に入り、北穂池の滝を見上げます。ここから北穂池に上がるには、普通は大キレットの下のカールの高さまで上がり難儀な藪漕ぎトラバースの後に北穂池に下るという大回りになるのですが、今回はこの滝の脇を登ってのショートカットを試みるところがポイントです。

穂高の池巡りで下ったルートの様子がガイドブックの記述と整合しないものの残念ながらそれを確認しに行く機会はもうなさそうですと書いた、その舌の根も乾かぬうちに北穂池を訪問することになって気恥ずかしく思わなくもないのですが、北穂池から北穂高岳東稜へ上がる際に正しいルートに入れず藪漕ぎで苦労している記録が散見されるので、ここで確定版のルートを提示しておくのも意味があることだろう……と自分に言い聞かせました。

2023/10/02

△05:30 上高地 → △07:40-08:00 横尾 → △08:50-09:10 本谷橋 → △09:50 涸沢出合 → △10:35 横尾本谷二俣 → △11:30-45 北穂池の滝の下 → △12:50-13:20 北穂池 → △14:45 北穂高岳東稜の上 → △15:50 北穂高小屋

例によって夜行の「さわやか信州号」で上高地入り。一月前は3列シートだったのに対し今回は4列でしたが、かつての詰め込み感は解消されて4列でもゆったり足を伸ばすことができ、それなりに睡眠時間を確保できた状態で薄明るい上高地バスターミナルに降り立ちました。

前日まで雨だった上高地の空にはどんより雲が広がっており、寒々しい雰囲気です。何はともあれ横尾まで通い慣れた道をひたすら歩いて、横尾で小休止の後に涸沢方向へと橋を渡りました。

幸い、屏風岩を見上げる頃から青空が優勢になってきました。あの屏風岩には何度か登っていますが、最後に登ったのは3年前。甲斐駒ヶ岳の赤蜘蛛ルートを登る前のトレーニングとして、本チャンのアブミルートの入門編とされる東稜を登ったのでした。そんなことを思い出しながら足を運び続けているうちにいつの間にか本谷橋に到着し、ここで小休止がてらヘルメットとハーネスを装着しました。

事前の情報では長引く渇水のために横尾谷は涸れかけているということでしたが、このところの慈雨(?)のおかげで水量は豊富。それでもおおむね右岸を歩き、ときに左岸に渡る感じで進むと靴底より上を濡らすことはありませんでした。

涸沢を左に分けて右手に伸びる横尾本谷を、今度は左岸の河原に草付きのトラバースも交えて歩き、さしたる困難もなしに二俣に到着しました。右俣の方は10年前に歩いていますが、左俣は未体験ゾーン。ここまで背後から見守ってくれた屏風岩に別れを告げて、ガラガラの岩が目立つ左俣に入ります。

まだかまだかと思いながら左俣のガレを詰めていくと、二俣から1時間ほどでようやく北穂池の滝の下に到着しました。

この滝はネット上では単に「大滝」と呼ばれたり「北穂の滝」と呼ばれたりしていて呼称に揺らぎが見られますが、ここでは南岳小屋のスタッフブログの記事[1]にならって「北穂池の滝」と記します。

確かにこれは立派ですなあ。GPSログをもとに確認してみても標高2460mあたりから高距100mほど一気に落ちてきている感じです。

ただし「一気に」と言ってもよく見るとそれほどシンプルではなく、出だしのハング〜急傾斜、中段の緩傾斜、落ち口近くの垂壁の三つのパートからなっている模様。その登り方としては、左俣を少し進んで上流側から取り付くことでハング部を回避してから急傾斜部を草付き〜木登りでこなし、緩傾斜部は滝の右側(あわよくば滝身の中)、そして最後は左岸の木登りで北穂池のある平坦部に抜ける作戦です。実はこのルートには先行する記録[2]があるので、ある程度成算があってのトライではありますが、どこをどのように登るかは自分のルートファインディング能力次第です。

出だしは滝の右側の草付きが降りてきているところだろうというのは一目瞭然でしたが、見てみると思っていたよりも傾斜が急。もしかするともっと上流側(つまりもっと高い位置)からトラバースした方がいいのかもしれません。それでも意を決して取り付いたのですが、想像以上に悪くて肝を冷やしました。岩はごそごそ動くし草はつかむとプチプチ切れてしまって、いずれもホールドになりません。登り始めて3m上がったところで早くも後悔し始めましたが、クライムダウンも困難なので覚悟を決め、身体を斜面に這わせるようにしてだましだまし高度を上げて10mほども登ったところで最初の灌木の枝をつかんだときは、ほっとしました。

最初の灌木からは急傾斜ながら灌木が絶えることなく続いているので木登りの要領で左上していくと、滝が目の前に現れました。灌木の間から水量を再度確かめ、さらに下を覗き込んで現在地の高さを確認して、これでは滝のど真ん中を行くという選択肢はないなと方針をワングレードダウンさせることにしました。

幸い滝の右端にはしっかりした岩が豊富なホールドを提供してくれていて、これを頼りにそこそこ高度を稼ぐことができましたが、途中から黒く滑りやすい苔が滝全体を覆うようになってしまったためにそこで右斜面にエスケープ。できれば落ち口近くまで滝の中を進みたかったのですが、この状態ではフリーソロで行けるのはここまででしょう。

樹林の中から落ち口近くの垂直部を眺めたら潔く滝に背を向け、滝から遠ざかる方向へと進路をとって木登りを続けます。

最後はハイマツとナナカマドがミックスした薮を漕いでこの何の変哲もない草原に飛び出しました。実は、この特徴のない場所が北穂池の滝の落ち口の上です。どこからあの水量が供給されるのかと最初は不思議でしたが、この草原を歩くと水が流れる音がしており、耳を使ってその音の出所を探してみると、点在している岩のすき間の中に豊富な流水が見られました。どうやらこの場所の北穂高岳側に広がるカールに山側から流下してきた水が、この場所から横尾本谷左俣めがけて落ちているようです。

この時点で13時頃。北穂高小屋には16時までにチェックインすることを求められていますが、多少は時間にゆとりがあるので北穂池の四つの池を回ってみました。するとびっくり、一月前には三ノ池にしか水がなかったのに、この日は滝の落ち口から見て一番手前の四ノ池から最も遠い一ノ池まですべての池に水がたたえられています。最初は単純に雨水がたまって池を復活させたのかと思ったのですが、二ノ池と一ノ池とを分ける尾根の最上部(つまりどの池よりも高い場所)に水が流れていることを発見して考えを改めました。ここは北穂高岳の東稜から草付きを伴って降りてきている尾根が二ノ池〜四ノ池を乗せているモレーンに接続している場所ですから、きっとこの尾根の中に山側から降りてくる水脈があり、それが四つの池に(もしかすると北穂池の滝にも)水を供給しているのに違いありません。

さて、北穂池から北穂高岳東稜へ登るルートを解説モードで記述すると、まず二ノ池と一ノ池の間の尾根の中に通路のように続くガレを登り、開けたガレ斜面に出たらその左端、つまり上の写真の左寄りの草付き尾根との境目を登ります。左の尾根は最初は灌木に覆われており、やがて背丈の低い草原状となりますが、その左隣にあるガレの場所を確認したいので灌木が尽きたら適当なところでガレから草付きに踏み込みます。

左隣のガレの上端を回り込むように向こう側へトラバースするのがポイントで、そこには踏み跡も見られます。北穂池から北穂高岳東稜に上がろうとして藪漕ぎにつかまり時間と体力を消耗するパーティーがときどき見られますが、それはここを左に渡らずそのまま草付きの尾根を直上して岩稜に踏み込んでいるのでしょうか?

トラバースを終えて小さな岩尾根の上に乗り上がり上を目指すと自然に涸れ沢に入ることができるので、これを登ります。ガレてはいても積み重なった岩は比較的安定しており、歩行にとってさしたる支障はありません。

するとわずか数分の登りで左(右岸)に開けた小ルンゼが降りてきており、入口の岩の上にはかすれた白ペンキで矢印が描かれているのでここが登り口だということがわかります(涸れ沢を詰めきらない点に留意)。ルンゼそのものはボロボロなので矢印が描かれているしっかりした岩を豊富な手掛かりと良好なフリクションを頼りに登ることになります。

この小ルンゼの途中で、一月前に自分が懸垂下降するために灌木に結びつけたスリングを首尾よく見つけることができ、無事に回収しました。さらに土付きの斜面の中を慎重に登ってこの小ルンゼへの降り口に到達するとそこには苔むした岩が点在しており、その一つには確かに下方向を示す白ペンキの矢印の痕跡が残っていました。ここから後はひたすら上を目指すだけで、最初は草付き斜面の中の踏み跡を辿り、やがてガレの斜面に変わってこれも適当に高度を上げていくと、やがてケルンのある場所に出てぱっと目の前が開け、行く手すぐの場所に東稜が姿を現します。

東稜に乗ると涸沢側の眺めが広がり、前穂高岳北尾根が挨拶をしてくれます。この時点で15時近くになっており、涸沢のカールの中は影に覆われ始めています。残りの行程を急がなくては。

……と先を急ぐ前にここでおさらいをしておくと、今回辿った北穂高岳東稜までのルートは上の写真のピンク線のようになります。ネット上で見る限り、多くのパーティーが横尾本谷左俣から北穂池に出る際に黄色線のルートを使ってその日は北穂池の畔に幕営していますが、それに比べれば滝の横を登るルートはそれなりに時間短縮になったはず。ただ、短縮できる時間とそのために負うことになるリスクとを天秤にかけると優劣はつけがたい気もします。つまり、沢登りの経験が豊富で悪い草付きや木登りに慣れている者にとってはそのリスクは許容範囲内なので滝の横を登る価値がありますが、バリエーション入門コースのつもりで横尾本谷左俣に入る人にはお勧めできないというのが私の評価です。

東稜を稜線通しに進んで、やがて懐かしのゴジラの背。ここを無雪期に登ったのはなんと今から21年前のことです。そのときも問題なく通過できているので今回ももちろん問題なく通過したのですが、途中で一箇所「妙にホールドが細かいな?」と思ったパートがあり、そこはどうやら手前の顕著なピナクルを右から回り込めば易しいのに左壁を際どく通過していたようでした。それでもIV級はない程度だっただろうと思いますが、それよりもこの岩稜歩きの感覚は今年の6月にシャモニーで経験したエギュイ・ダントレーヴエギュイ・マルブレを思い出させました。

東稜の最後は早めに右側に逃げてコルに降り、ゴジラの背を振り返り見てから北穂高岳を目指して緩い斜面を淡々と登ります。北穂高小屋はすぐそこに見えているのですが、思ったようには近づいてくれず、この日最後の少々足にこたえる登りとなりました。

ここまできた意地でも16時までに小屋に着いてやる!と思いながら登るものの時折足が止まってしまい、そこで右下を見ると北穂池は北穂高岳が作る三角形の影の中。暗くてはっきりとはわかりませんが、今日は北穂池の畔に泊まる登山者はいないようです。

15時50分に北穂高小屋に到着。手続をすませてあてがわれたスペースにザックを置いたら、何はなくともビールを買って周囲の景色を眺めながら一人乾杯です。大キレット越しの槍ヶ岳はこの展望テラスからの定番の眺めですが、西の方、笠ヶ岳を包み込む雲海の向こうに沈む夕日も見事でした。

ところで、この日は若い外国人カップルも北穂高小屋に泊まっていて、その女性の方が「So beautiful!」と感激している様子を見た登山者の一人が「日本では夕焼けに染まる山の様子をアーベントロート、朝焼けの方をモルゲンロートと言うのだ」と英語で解説してあげていましたが、嬉しそうにこれを聞いていた彼女とパートナー氏との会話はドイツ語でした(笑)。

2023/10/03

△05:20-45 北穂高岳 → △07:45-08:00 涸沢ヒュッテ → △09:00-05 屏風のコル → △11:15 徳沢 → △12:00-45 明神 → △13:30 上高地

昨夜は日没後に夕食を終えたらただちに爆睡し、途中何度か目を覚ましはしたものの、本格的に起きたのは朝食の時刻である4時50分。朝食を終えたらあらかじめパッキングしてあったザックを背負って、北穂高小屋から徒歩1分の北穂高岳山頂に登りました。

美しい朝焼けMorgenrotの中に前景の常念山脈がシルエットとなり、遠くには浅間山、八ヶ岳、富士山、南アルプスの山々が連なっています。やがて雲の中からオレンジ色の円盤がせり上がってきて、右手の奥穂高岳も前穂高岳も、もちろん左手の槍ヶ岳も背後の笠ヶ岳も朝の色に染まりました。

極寒の中で御来光を迎え終えたら、とっとと涸沢目指して下ります。日が昇るにつれて気温がぐんぐん上がり、重ね着していた上衣を1枚ずつ脱ぎながら高度を下げていくと涸沢カールの中の紅葉が遠目にはいい感じ。

しかし近づいて見てみると、この夏の猛暑や渇水が影響しているのか葉先はチリチリで茶色がかっており、ちょっと残念な様相でした。

涸沢ヒュッテで小休止をとってから、パノラマコースに進みました。涸沢から前穂高岳北尾根の最低鞍部をまたいで徳沢へ下るこの道は、屏風のコルから先は2005年に歩いており、そのときに屏風ノ頭からの涸沢の眺めも満喫しているのですが、涸沢から屏風のコルまでの間はこれが初めてです。

パノラマルートはところどころにアップダウンがあり、多少悪いところもないではないものの、総じて歩きやすく、しかも左後ろを振り返ると涸沢がどんどん遠ざかっていくのがわかるのが嬉しい道でした。

そして屏風のコル近くでは木々がきれいに色づいており、その鮮やかさは涸沢以上。山行の最後にご褒美をもらえた気分です。

屏風のコルのわずかに手前の小高いところからは、穂高の山々に加えて槍ヶ岳の展望にも恵まれました。これらの山々も、天気予報によればごく近いうちに降雪を見るはずです。

穂高岳に背を向けて、後は上高地を目指してひたすら下るばかり……なのですが、ここから徳沢までの道のりは潤いがないくせに妙に長く感じられ、しかも雪が近いはずなのにこの日に限っては気温が高くてすっかり消耗してしまいました。

そんなわけで帰路途上にまたしてもふらふらと明神館に吸い込まれ、特大生ビールと岩魚定食で一足早い打上げとしたのでした。

この山行に際してヤマレコやYAMAPで東稜関連のレポートをいくつか見たのですが、どちらでも高い確率で「東稜」が「東陵」になっていることに驚きました(左の画像はヤマレコで「東陵」を検索した結果の一部)。字義からしても「稜」はかど、「陵」は丘や墓を意味するので後者が誤りであることは明らかなのですが、どうやらPC等で「とうりょう」と打つと変換候補の中に「東陵」が出てくるために気づかず使ってしまっているようです(中央の画像は私のMacの場合)。

とりあえず「東陵」については理由がわかったのですが、不思議なのは「雲稜ルート」を「雲陵ルート」と書いているケース。こちらは変換候補の中に出てくるからということではなく、あえて「陵」の字を選んであてているとしか思えません。しかし、言うまでもなく雲稜ルートは東京雲稜会が開拓したルートに付けられた名前なので、「雲陵ルート」では不正確であるだけでなく開拓者に対して礼を失することになると思うのですが。

脚注

  1. ^南岳小屋「横尾本谷」『南岳小屋のスタッフブログ』2023年10月05日閲覧。
  2. ^tomoさん「25年北穂池の紅葉」『Snow Drop』2023年10月05日閲覧。