黒部川下ノ廊下
日程:2023/10/06-08
概要:初日は黒部ダムからロッジくろよんまで。2日目にロッジくろよんから下ノ廊下沿いの旧日電歩道を歩いて仙人谷ダム経由阿曽原温泉小屋まで。3日目に阿曽原温泉小屋から水平歩道を歩いて欅平へ下る。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:---
同行:トモミさん
山行寸描
2023/10/06
△13:55 黒部ダム → △14:30 ロッジくろよん
特急あずさに乗って信濃大町駅に降り着いたのは11時過ぎ。時間にゆとりがあるから駅前で昼食をとって行こうという話になったのでトモミさんを案内したのは、私の定番の「昭和軒」です。ここの「元祖ソースがけかつ丼」はトモミさんにはヘビーかな?と思ったのですが、健啖モードのトモミさんにペロリと平らげられてしまいました。
食事を終えたら路線バスで扇沢に移動し、そこから電気バスで黒部ダム。あいにくの寒々しい天気で時折パラパラと雨も降っていましたが、ダムは元気に観光放水中でした。
下流の日が差し込んでいるところには虹が掛かってとても綺麗。明日はあの川沿いの道を下流へと歩くことになりますが、その時点ではまだ夜明け前のはずなので、虹の下をくぐるというわけにはいかないでしょう。
黒部湖を囲む山々の稜線に雪が乗っている様子を見ながら湖岸の道を歩き、小さな幕営地を通り抜けるとすぐそこがこの日の宿となるロッジくろよんでした。
昨年予約の電話を入れたときは少々無愛想な年配の声で応対されたものですが、今年は予約の電話も現地での対応も若々しいおかみさん(小さい子供あり)が明るくフレンドリーに対応してくれてほっと一息。折しも降り出した雨を窓から見上げながら部屋でしばらく寛ぎ、交代で風呂に入って身体を温めてから、おいしい夕食に舌鼓を打ちました。
2023/10/07
△04:30 ロッジくろよん → △04:55 黒部ダム → △06:25-40 内蔵助谷出合 → △08:55-09:05 別山谷出合 → △10:35 十字峡 → △12:45 仙人谷ダム → △13:45 阿曽原温泉小屋
午前4時に起床し、昨夜のうちに受け取っていた弁当を食堂で食べて、ポットのお湯を自前のテルモスに詰めたら出発です。空には冬の星座であるオリオン座が見えており、季節が確実に冬へと向かっていることを思わせました。
黒部ダムから旧日電歩道への行き方は前日のうちにロッジくろよんで予習済みですが、実際に歩いてみてもわかりにくいところはなく、スムーズに建物の外へ出ることができました。そこからはヘッドランプの光を頼りにひたすら道を下って黒部川を目の前にすることになります。
木橋を渡って黒部川の対岸に渡るときには観光放水は実施されていませんでしたが、我々が左岸の道を歩いている間は二度ほどサイレンの音と共に「放水で水位が上がるからただちに安全な場所に移るように」という放送が聞こえました。
いよいよ始まるこの眺め。まだこれは序の口ですが、基本的にはこの先ずっと左岸の中腹を削った道が水平に続いています。
内蔵助出合では、懐かしい黒部丸山東壁を見上げることができました。あの岩壁の看板ルートである緑ルートを登ったのは2008年のことで、そのときは「緑の次は赤でしょう!」と息巻いたものですが、実際に赤=甲斐駒ヶ岳の赤蜘蛛ルートに登れたのは2020年になってからでした。しかしそうした感慨に浸っている暇はなく、ここでトモミさんと共に身繕いを行いました。ヘルメットは黒部ダムを出たときからずっとかぶってきましたが、これに加えてスリング2本とカラビナ2枚とで即席のチェストハーネスを作成して胸周りに装着し、すれ違い時や写真撮影時にはこれでルート上に設置されているワイヤーにセルフビレイをとることにしています。さらに注意事項としては、リュックサックに外付けするマットなどは壁とは反対側(上流から下流に向かう場合は右側)に付けること、リュックサックの高さはなるべく抑えること、そして少なくとも水平区間ではストックはリュックサックの中にしまうこと。そうした状態になっていることを確認したら、私にとっても未踏の区間に踏み込みました。
のっけからダイナミックな景観が周囲に広がります。対岸に見えているのは新越ノ滝で、その垂直の豪瀑の迫力には驚くばかりですが、これがさして特別な存在というわけでもなさそうなところが黒部の黒部たる所以なのかもしれません。
しばらく道は水面からさほど高くないところを横断していきますが、それでも場所によっては落ちれば白く泡だった急流に飲み込まれて決して助からないでしょう。「黒部に怪我なし」(黒部で事故れば怪我程度ではすまない)とはよく言ったものです。
例外的に道が崩れているところもありましたが、ここは迂回路がしっかり作られていて問題なく通過することができました。そしてここ以外に迂回を求められる場所はなく、全体を通してよく整備された道だという印象を持ちました。
黒部別山谷はジャンプ!そこに張ってあるロープの意味は、はっきり言って謎です。
それにしても黒部川の水の力は凄い。その勢いには畏怖の念を覚えますが、一方でこの水を数千年・数万年も受け止め続けて(見ようによっては)わずかこれだけの侵食にとどめている大地の揺るぎなさにも敬服するしかありません。
白竜峡を過ぎると川の流れは穏やかになり、左岸の傾斜も緩やかになってきます。この先の途中に雪崩れたような斜面がありましたが、そこには真新しい桟道が組まれており、まっすぐ歩き続けることができました。
有名な十字峡がこれ。吊り橋の下を流れているのは劔大滝を落ちてきた劔沢、対岸に対向して合流するのは爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳からの水を集める棒小屋沢で、黒部川がこれらを受け止めてクロスを作っている様子は登山道から少し離れたところから見下ろすことができるそうなのですが、そこへ向かう道が目につかなかったのと、阿曽原温泉小屋の幕営指定地が埋まることを恐れてスルーしてしまいました。後から思えばテン場には十分早いタイミングで着けていたのでここで10分くらい寄り道しても支障はなかったのですから、惜しいことをしました。
十字峡を過ぎてしばらく進むと道は高さを増してきました。足元の眺めはなかなかの高度感ですが、道が登っているわけではなく、水平の道に対して川の方がどんどん高度を下げていったために相対的にこちらの高度が上がっているわけです。
半月峡に続いてS字峡に達すると、仙人谷ダムまでは2kmあまり、そしてさらに一山越えれば阿曽原温泉小屋。この日のゴールが見えてきた感じがします。
しかし、時折こうした意地悪を仕掛けてくるからこの道は侮れません。そして、決して難しくはないものの万一にも足を滑らせればあの世に直行というシチュエーションに変わりはありません。
あのおむすび頭は地球防衛軍の秘密基地?いや、関西電力黒部川第四発電所の送電線出口です。起点となる黒部ダムで取水された水は、ここまで地下を運ばれて落差545.5mの位置エネルギーによって水車を回すわけです。そして黒部ダムから直線距離で9kmほどの東谷吊橋を渡ると、そこは久々の右岸です。
東谷吊橋を渡った先から車の轍も明瞭な車道を暫く歩いて、緑の湖面が美しい仙人谷ダムに到着しました。一般的に「下ノ廊下」とは黒部ダムからこの仙人谷ダムまでの区間を指すのでこれで「下ノ廊下」歩きは終了なのですが、ここから下界へと手っ取り早くエスケープできる道はないので、引き続き阿曽原を経て欅平までの長い道のりを歩かなければなりません。なお、このダム湖の対岸には仙人池ヒュッテ方面から降りてくる道が見えていますが、仙人池ヒュッテにはまだ行ったことがないので、いずれ紅葉の時期に泊まってみたいものです。
仙人谷ダムの威容。ここまで黒部川の力強さばかりが目に付いていましたが、こうしてみると人間の力も捨てたものではありません。この仙人谷ダムで取水された水は、欅平に設けられた黒部川第三発電所へ送られて発電の用に供されます。この仙人谷ダム建設に伴うトンネル掘削工事(1936-40年)にまつわる話こそ、登山者にとっては馴染みの深い『高熱隧道』(吉村昭)や志合谷での泡ホウ雪崩の逸話です。
そうした厳しい歴史とは縁遠い現代の登山者に対しては懇切丁寧な仙人谷ダムの通り方が掲示されており、ちょっと迷いはしたものの無事に通過することができました。しかし、その途中で線路が出てきたのにはびっくり。地図を見るとこれは先ほどダムの上から下流側に見えていた橋を通っている関西電力黒部専用鉄道で、上述の黒部川第三発電所から発し、ここを通って先ほど見たおむすび頭の地下にある黒部川第四発電所まで延伸されているようです。
仙人谷ダムを抜けたら登山道に復帰し、いったん高度を上げてから水平の道に入って阿曽原温泉小屋を目指します。この仙人谷ダムから下流側の道は1920年に富山の民間企業が発電施設設置の調査のために開通させた「水平歩道」で、仙人谷ダムから上流側は同社の電力事業を引き継いだ日本電力が設置した「日電歩道」ということになります。そしてこれらの道は、中部山岳国立公園内に1963年に黒部ダムが設置されたことの見返りとして関西電力に登山道としての整備が義務付けられているのだそうです。
そうした蘊蓄はさておいて、水平歩道が高度を下げ始めあと少しで阿曽原温泉小屋だというところでキノコ好きなトモミさんが登山道の脇に見事なナメコを見つけました。これは大きい!そして多い!しかし勝手に取ってはいけないのだろうと判断し、断腸の思いでそのまま下り続けたのですが、後で阿曽原温泉小屋のブログを見たところ後続の登山者が収穫して小屋に持ち込んだのだそうです。それなら我々も同じようにして、わずかでいいのでお裾分けをもらえばよかったと後悔しました。
ともあれ阿曽原温泉小屋に無事到着。心配していたテン場もまだまだ十分に空きがある状態です。テント代と入浴料を合わせて一人2,000円を支払ってテン場に下り、適当な場所を見つけてそれぞれのソロテントを張りました。
露天風呂はテン場からさらに5分ほど下ったところにあり、1時間おきに男女交代制です。先にトモミさんが入浴し、ついで私も露天風呂に向かいましたが、ちょうど登山者たちの阿曽原温泉小屋到着のピークの時間帯でテン場も激しく混んできた頃だったために、次々に入浴客がやってきて芋の子を洗う状態。目算で数えたらいちどきに25人が詰め合って湯船につかっている状態でした。こちらはそこまでぎゅうぎゅうになる前に湯船を抜け出し、話の種にと風呂の奥にあるサウナスペースにも入りました。ちなみにこのサウナスペースは阿曽原・仙人谷間の高熱隧道の温度を下げる導水管に通じるトンネルの入口部分を活用しており、阿曽原温泉小屋自体もこのトンネルを掘削するための作業員宿舎の基礎部分の上に建てられています。
今日一日の頑張りを讃え合って乾杯の後、夕食のメインは定番の棒ラーメン(餅入り)。前菜としてブナシメジとズッキーニのスライスを炒めたものも作ったのですが、油代わりに使ったマヨネーズがトモミさんの苦手だったらしく(申し訳なし)一人だけ豊かな夕食としてしまいました。
2023/10/08
△04:35 阿曽原温泉小屋 → △06:30 折尾谷 → △07:05 大太鼓 → △07:50 志合谷 → △10:00 欅平
欅平からの列車に確実に乗るために早立ちするようにと前日の受付時に小屋番氏から促されていたので、この日は3時に起床して朝食・手洗・テント撤収。
4時半に出発したときには、まだ多くのテントが出発準備中でした。道はテン場の奥からしばらく平らな山道を歩き、やがて高度を130m上げて標高980mに達したら水平に移ります。
夜明けの光の中を歩く水平歩道は癒し系。しかし朝焼けのオレンジ色とは裏腹に、紅葉の「コ」の字も見当たらないところが残念ではあります。
折尾ノ大滝の前を通り過ぎて……。
折尾谷は砂防堰堤の中のトンネルを通り抜けます。このときは面白いものだなと思ったのですが、後でもっとすごいものに出くわすことになります。
その「すごいもの」に行き着く前に、この日最高の展望ポイントである大太鼓に到着しました。ここでは垂直の岩盤をコの字にくり抜いて高度感満点の道を通してあり、そこから正面やや下流側の対岸には奥鐘山西壁が広がります。
奥鐘山西壁のスケールの素晴らしさは見ての通りですが、これまでついぞこの岩壁に手を触れる機会がなかったことを残念にも思いました。しかしここを通る人のほとんどは、何段にもハングを連ねたあの岩壁が日本有数のクライミングエリアであることなど知る由もないでしょう。
それよりも登山者の目を引くのは、大太鼓の岩壁に横一文字に刻み込まれた水平歩道そのものです。この道を通すのに一体どれだけの労力を要したのか……。しかもこうしてくり抜く前は、岩壁に打ち込んだ支点から丸太を吊り下げて桟道代わりにしていたのだそう。実に恐ろしいことです。
奥鐘山の岩壁に目を奪われながら歩いているうちに、水平歩道の(上流側から見ると)最後のポイントとなる志合谷が見えてきました。左右の壁の真ん中くらいの高さに水平に道が刻まれているのが遠目にもわかりますが、谷の中心のところには道が見えません。
どうなっているのだろうと思って近づいてみると、ここも折尾谷と同じようにトンネルになっています。実はこれが上述した「すごいもの」で、このトンネルのスケールは折尾谷のそれとはレベルが違ていました。
トンネルの全長は150m、谷の形状に沿って半円形に回り込んでおり、真っ暗な中をヘッドランプ頼りに歩けども歩けども終わりが見えてこないので、このまま黄泉の国に誘い込まれてしまうのではないかと不安になってきます。おまけに床には水が溜まっていて、飛び石で歩いてもところどころ靴が水に浸かってしまうのでますます気が滅入ってきます。それでも機敏に足を運びながら進めば革靴やゴアテックスブーティーのシューズなら足を濡らさずにすみますが、下ばかり見ていると今度は天井が低いところで頭を岩にぶつけることになるので要注意。
トンネルを抜けたところで振り返ってみるとこんな感じ。あらためてトンネル区間の長さが実感されます。
ゴールは間近というところで右手を見ると、すぐそこのもっこりした奥鐘山の左右遠くに雪をいただいた山が見えています。あれは何だ?とトモミさんと山座同定を競ったところ、トモミさんの見立ては右が鹿島槍ヶ岳、左が白馬鑓ヶ岳で、言われてみれば確かに右の山は双耳峰ですし、左の山の右下にギザギザを描く稜線は不帰ノ嶮に違いありません。それに行く手の眼下に既に見え始めている欅平から真東に谷筋を進むと祖母谷温泉で、そこから白馬岳と唐松岳とに登山道が通じているのですから、位置関係としてはドンピシャです。恥ずかしながらここに来るまで自分のいる場所が北アルプスの地図のどこに位置付けられるのか今ひとつ実感できていなかったのですが、これでようやく納得がいきました。
ずっと等高線に沿って歩いてきた水平歩道を終えて緩やかに尾根道を下り、最後に右に切り返して急ではあるものの階段などが設置されて歩きやすい道を降りたら、そこが欅平です。トモミさんが最後まで好ペースを維持してくれたおかげで、目指していた便よりもさらに早い便に間に合うことができました。お疲れさまでした。
下ノ廊下は基本的に水平移動なのでルート自体の面白みはさほどあるわけではありませんが、とにかく黒部川の膨大な水量が穿つ峡谷の迫力に圧倒され、その側壁に延々と水平歩道を刻んだ先人の営為に想いを馳せながらの山旅でした。また、今回の山旅はトモミさんにとってはこれまでにない長距離・難路・重装備の三拍子が揃ったまさにチャレンジ山行だったはずですが、最後まで危なげなく歩けたことで確実にワンステップアップできただろうと思います。トモミさんがこれを弾みにさらに挑戦的な山行に乗り出してくれれば、私としても引率した甲斐があるというものです。がんばってね。
山行終了後、眺めはいいもののすこぶる寒い黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に1時間20分も乗ってすっかり冷え切った状態で宇奈月に到着しました。宇奈月と言えば法学部出身者にとっては『民法判例百選』の初っ端に出てくる「宇奈月温泉事件」(権利濫用)でおなじみですが、知っているからと言って実際に宇奈月温泉に足を運ぶ者はそう多くはないはずです。私がこの判例を学習したのは教養学科から法学部に進んだ20歳の頃のことだと思いますから、それから43年もの時を経てようやく実地に宇奈月温泉を訪れ、しかも実際に黒薙(源泉)から引かれてきた湯につかって身体の芯から温まることができて感無量。そして信濃大町の「元祖ソースがけかつ丼」で始まったこの山旅を、宇奈月の「名水ポークのソースカツ丼」で締めくくったのでした。