一ノ倉沢衝立岩ダイレクトカンテ

日程:2023/05/17

概要:ベースプラザを起点に一ノ倉沢に向かい、久しぶりのテールリッジを上がって衝立岩ダイレクトカンテを登る。終了点からは北稜を下り、衝立前沢を経て一ノ倉沢に降り立った。

山頂:---

同行:セキネくん

山行寸描

▲衝立岩全景。ダイレクトカンテルートは中央の大ディエードルを登って右上の北稜に抜ける。(2023/05/17撮影)
▲2ピッチ目終了点(ピナクルテラス)から3ピッチ目を見上げる。前回は見ることができなかった光景だ。(2023/05/17撮影)
▲登攀を終えて一ノ倉沢から振り返り見た衝立岩。無事に戻ってこられてよかった。(2023/05/17撮影)

テールリッジを初めて登る者は誰でも、右前方に聳える衝立岩に目を惹きつけられるに違いありません。そのど真ん中の凹角を登るダイレクトカンテルートは有名な雲稜ルートと比べればピッチ数も少なくやや小粒な存在ですが、それでも人工登攀の登竜門として多くのクライマーに登られています。かく言う私自身も2008年に一度トライしているのですが、そのときは2ピッチ目で痛い目に遭い敗退していました。それ以来、いつか機会が得られれば宿題を片付けに行きたいと思っていたのですが、今回その機会を得るまでにいつの間にか15年の年月がたっていました。

5月1日に谷川岳登山指導センターに登山届2通を提出したところ、帰ってきた受理済登山届には5月5日付けのセンターの受理印と共に今のところ他パーティーの届出はありません。落石等注意して下さいとのコメントあり(ありがとうございます)。これをスキャンしてiPhoneに取り込み、あとは当日の好天を期待しながら必要装備の検討を重ねました。

登攀日の前日、おなじみ土合駅の462段の階段(標高差70m)を登り地上駅舎のがらんとした待合室に達してコンビニ弁当の夕食をとったら、相方のセキネくんを待つべく仮眠態勢に入りました。

2023/05/17

△03:10 ベースプラザ → △04:20-25 一ノ倉沢出合 → △05:30-40 テールリッジ上部 → △06:45 ダイレクトカンテ取付 → △12:35 ダイレクトカンテ終了点 → △16:45-17:15 一ノ倉沢出合 → △18:00 ベースプラザ

午前3時に山梨県から車を飛ばしてきたセキネくんと合流し、ベースプラザに車を駐めたらただちに一ノ倉沢を目指して暗い道を歩き出しました。時折生暖かい風が吹いて、この日は気温が高くなりそうな予感。用意周到なセキネくんと異なり自分はハイドレーションシステムを持参しなかったことを悔やみました。

夜明け前に一ノ倉沢出合に着き、ヘッドランプが必要ないとはいえまだ薄暗い朝の光の中で、とりわけコップスラブの雪の残り具合を仔細に観察しました。そこにあまりに多く雪が残っているとダイレクトカンテ終了後の北稜下降も危険になると危惧していたからですが、見たところ雪はそれほど残っておらず、どうやら下降に支障はなさそうです。

私はこれまで何度かこの時期に一ノ倉沢に入っており、いずれの年も出合からテールリッジまで沢筋通しに雪渓の上を歩けたのですが、今年の出合あたりは雪が消えていて少し驚きました。それでも少し進んだところに盛り上がっているデブリを乗り越え、右岸の夏道を進んで再び沢筋に戻るとそこから上流はしっかりした雪渓になっていて、ここからは軽量アイゼンを装着して沢の真ん中を楽に歩くことができました。

いつか行きたいと思いながら果たせていない右岸の一ノ沢や下降で使うことになる左岸の衝立前沢を見送ってテールリッジまで問題なく雪の上を歩き、最後は衝立沢側に小さく回り込んでシュルントに気を使いながら岩の上に乗り移ります。

テールリッジを登るにつれて大きくなる衝立岩。毎度おなじみの構図ですが、今日は登攀対象であるだけにますます目が離せません。そういえばここを登るのも2017年の残置ロープ回収山行以来。いつの間にかずいぶん間が開いてしまったものですが、一ノ倉沢に入るたびに感じる独特の緊張感は今回も変わらず胸を締め付けてきます。

ダイレクトカンテを見上げる位置に着いたところで改めてルートファインディング。15年前の(途中までの)記憶と頭の中に入れてあるトポと目の前の光景との三者がぴたりと一致していることを確認してから、テールリッジの途中でシューズを履き替え、全装備を身につけて登攀態勢に入りました。

まずはロープ1本を結んでトラバース開始。目印はアンザイレンテラスに通じるフィックスロープです。本当はテールリッジをあと少し登ってからトラバースした方が安定したバンドを使えたようでしたが、傾斜が緩くフリクションもいいので問題なく50mロープいっぱいでブッシュの手前まで届かせることができました。

ついでブッシュの中に突っ込み、少し進んだところからアンザイレンテラスに乗り上がりましたが、この登りは普通に難しく、ためらうことなくフィックスロープをぐいぐいと握って登ることになりました。アンザイレンテラスの手前は草付きが岩からごっそり剥がれかけており、これをよいしょと越えてテラス上に達するとしっかりした懸垂支点が設置されています。

ダイレクトカンテの取付へはここから15mの斜め懸垂とされていますが、アンザイレンテラスからほぼまっすぐ下った後に易しい斜上バンドを使って前方へ登り返すとハンガーボルトで整備された取付が待っています。

ここでもう1本のロープも結んでダブルロープとし、いよいよ登攀開始。今回は私の希望で奇数ピッチを私、偶数ピッチをセキネくんが担当することになっています。

1ピッチ目(35m / IV-):確保支点から右上のブッシュを狙って数m登り、岩壁に際どく張り付いた草付のバンドを辿って、途中から湿っぽい草付の中を右上し乾いた凹角にぶつかれば正解です。近年あまり歩かれていない上に途中の残置ピンが乏しいので、うまく勘を働かせながら登らないとこのピッチで思わぬ時間を使うことになりかねません。

凹角を直上してはっきりした岩のバンドに出たら左へ直角に折れて水平に元来た方向へ戻り、大ディエードルを真上に見上げる位置まで歩いて1ピッチ目終了です〔リード20分〕。

2ピッチ目(40m / IV,A2):最初はフリーで右上し、かぶってくるあたりから人工登攀に移行。頭上のハングと岩壁とのコンタクトラインに打たれた残置ピンに導かれてハング下を左上し、大ディエードルに出たら直上です。

途中の残置ピンは長年の風雪の中で傷んだものが多く、15年前の私もその一つにぶら下がってハーケン破断のためにフォールしたのですが、セキネくんは恵まれたリーチを活かしながら慎重に残置ピンを選んで登っていき、やがて2ピッチ目の終了点であるピナクルテラスに到達しました〔リード45分〕。

ピナクルテラスに立つセキネくんの目線で見下ろすと、はるか下にある衝立スラブの遠さ、その手前にある1ピッチ目終了点で確保している私の小ささ、そしてピナクルテラスの狭さが一度に感じられます。

コールを受けて後続した私ももちろん同じラインを登ります。前進手段として使える残置ピンの数は少なくありませんが、その多くは首のあたりが腐りかけていて墜落荷重を支えてくれるとは思えないものばかり。そのためもあってセキネくんはところどころにカムやボールナッツを決めており、これらはフォローの身にとっても心強いものでした。

ところが、大ディエードルの直上ラインに入ってから右壁の残置ピンに残されているスリングにアブミを掛けて荷重をかけたとたんバツッ!という音と共にスリングが破断し、フォールしてしまいました。幸いセキネくんがロープを張り気味にしてくれていたおかげで墜落距離はほとんどなく、まったくの無傷ですんだのですが、やはりこのピッチは自分にとっては鬼門なのか……と憮然。それでも気を取り直して振り子の要領で右壁に戻り、待ってくれていたアブミの片割れに乗り直して登攀を継続して、最後に数手のフリーを入れてピナクルテラスに乗り上がることができました。

3ピッチ目(20m / A2):頭上に覆い被さる大ハングに向かって垂壁を登るボルトラダーですが、2ピッチ目の後半から見られるようになったハンガーボルトがこのピッチでは随所に現れて、精神的には救われます。とは言うものの相変わらず古いリングボルトやハーケンが主体であることには変わりなく、そうしたものにぶら下がるときに残置ピンに引抜き負荷を掛けるダイナミックな最上段巻込みなどとてもできないので、チョンボ棒を積極的に活用しました。また、ボルトの埋込み部しか残っていないところに細いスリングが巻かれた箇所が2カ所あり、先ほどの破断の教訓を思い出してそこには持参したマイクロナッツを使用しました。

大ハングの下に達したら右へ向きを変えてカンテを越えていきますが、そちらへのトラバースは残置ピンの間隔が狭く比較的容易です。しかし最後の残置ピンからカンテを回り込んだ先の終了点までの間には2mほどの難しいフリーのパートがあって、アブミにぶら下がりながらどうしたものかと見上げたところ、少し上にカムを決められるクラックが見つかりました。おかげでアブミをもう1手伸ばすことができ、終了点から伸びている長い残置スリングをつかんでカンテ右側のフェースに回り込めました。やっとの思いで到着した残置支点はリングボルトが固め打ちされたところに複雑怪奇にスリングが張り巡らされた年代物でしたが、比較的状態の良さそうなリングボルト3点を使って支点を構築し、お待ちかねのセキネくんにコールを送りました〔リード60分〕。

この確保支点はハンギングビレイになりビレイヤーにとっては少々つらいところですが、先人の工夫は素晴らしく、上述のリングボルト群から下に長く2本のテープスリングが垂らしてあって、それは3ピッチ目最後のゴボウに使えるだけでなく、ビレイヤーがビレイ中に足を置くことができる仕組みになっています。

4ピッチ目(40m / IV,A1):セキネくんは確保支点のすぐ右に降りてきているリッペ(肋稜)を越えて壁の向こうに消えていきましたが、それまでと異なりロープの動きが極めて遅く、セキネくんが苦戦している様子が伝わってきました。あいにくこの頃から風が強く吹くようになってきており、ビレイポイントにじっと張り付いていると寒く、しかも風の音でコールが届かなくなるのではないかと気が気ではありません。

手持ち無沙汰になりながら徐々に痛くなってくる足先の位置を変えたり、時折鳴り響く雪渓崩壊の音に肝を冷やしたり、振り返って中央稜を登っているパーティーに無言のエールを送ったりしているうちに少しずつロープは出ていき、やがてコールは聞こえないもののロープの動きでセキネくんがビレイ点に達し、確保態勢を整えたらしいことがわかりました〔リード60分〕。折よく風が収まったタイミングでこちらからコールを掛けると「登って下さい!」と返事があり、体重を確保支点の中で使っていないリングボルトに掛けたアブミに移してカラビナやスリングを回収してからラストピッチに乗り出しました。

このピッチは基本的にはA1で右→上→右→上……と進みますが、中間部と最後にフリーが入り一筋縄では行かないということをあらかじめ予習していました。偶数ピッチを私よりはるかにフリー能力が高いセキネくんに担当してもらったのもこのピッチがあるからですが、そのセキネくんをもってしてもこのピッチには苦労したようです。ただし苦労したポイントは、テクニカルな困難さというよりはルートファインディングで、引き返すことができないためにルートミスが許されないという心理的な葛藤を抱えながらのクライミングだったそう。

セキネくんは出口の大きな立木にスリングを巻いてピッチを終えていましたが、ビレイポイントにするには足場が良くなく残置物もないそこで正しいのかどうかについても確信が持てなかったと後で語っていました。確かにネット上の記録を見ると立木の向こうの笹の中を進んで「怪しげなリングボルト」で確保したという記述も見られ、そこの方が確保条件は良かったのだろうと思いますが、立木の位置にとどまったことでビレイヤーがクライマーの動きを視認できるというメリットもあり、ジャッジは難しいところです。一方、フォローの私の方はルートファインディングの苦労はありませんし、セキネくんが設置してくれたクイックドローと自分のチョンボ棒をフル活用すればA1の区間は楽をさせてもらえます。とは言うものの途中には岩が脆いところもあって気を使い、さらに最後の数メートルのフリーはランナーのない真横移動なので落ちればダメージ必至。これらを慎重にこなして立木の上に出たときには、このピッチをセキネくんに委ねて良かったと心底思いました(笑)。

斜めに生えている立木をまたぎ越して笹薮の中に突っ込んだ私は、少し進んだ先で左(北稜の上側)に出てきた岩壁の右端から一段上がってさらに薮を漕ぎ、立木から20mほどで北稜の下降ラインの踏み跡に出ました。そこにはドンピシャで懸垂支点が設置されており、ここにセキネくんを迎えたところで7時間ぶりにロープをほどくことができました。

「登攀を終えればすぐそこに登山道」という北岳バットレスや滝谷などと異なり、登攀終了後にも長く厳しいデプローチが残っているのが一ノ倉沢のクライミングの特徴です。そしてここからは北稜の下降となりますが、正しい下降路がわかるだろうかという不安もないではありませんでした。20年前に一度だけここを下ったことがあるにはあるのですが、そのときはたまたま一緒になった東京白稜会の方に引率していただいての下りでしたから、概念的なものはわかっていても実際の下降ラインを自力で見つけられるかどうかがわからなかったからです。しかし、案ずるより産むが易し。この下降路は意外に多くのクライマーを迎えているらしく、刈り払われたように明瞭な下降路を懸垂下降してまず25mで次の懸垂支点、そこから40mでさらに次の支点があり、ここから下に見える緩い階段状スラブの先端に懸垂支点が設置されていることを視認してからさらに急傾斜を30m懸垂下降しました。

急傾斜を下った先は笹薮の中が少し(おそらく人為的に)開けたところで、そこには灌木の枝に巻きつけたスリングにカラビナを残した懸垂下降の跡もありましたが、上から見えていた懸垂支点は下り方向に対して左の方に笹薮を漕ぎ抜けた先です。念のためロープを結んで確保された状態でわずかに登り気味に笹をかき分け、階段状スラブに出てその上のバンドを歩いて岬の突端のようなところにある懸垂支点に辿り着くと、そこからすぐ下に北稜下降時のランドマークとなるコップスラブのピナクルが見えていました。

コップスラブに降り立ち、ピナクルの上側に立ったところで北稜下降のための懸垂下降は終了です。ここでロープの1本をしまい、もう1本をセキネくんと結び合ってコンティニュアスで下降継続。この先はもう道に迷うことはなさそうですが、沢筋に雪が残っているこの時期の衝立前沢の下降がどうなるかは未知数です。

まずはコップスラブ左岸の尾根に付けられた滑りやすい踏み跡を下り、灌木に巻かれた黄色いテープを目印に尾根の左側に降りて、雪に覆われた沢筋の対岸にそこだけ草付が茶色く禿げているように見える略奪点を見てから雪面のトラバースを行いました。私の方は軽量バイルと軽量アイゼンを持参しているのでまだしもですが、ミゾーのハンマーとチェーンスパイクというプアーな組合せのセキネくんはこの残雪の傾斜に少々怖い思いをしたようです。

略奪点に着いたところで振り返ってみれば、結局うまい具合に懸垂下降を重ねて北稜を下ることができたようですが、我々が下ったラインはトポに書かれている下降ルートとは若干異なっていたようです。手元のトポによれば、ダイレクトカンテ終了後の最初の懸垂支点から20m懸垂下降した後に(おそらく下り方向に対して左に)踏み跡を歩いてから「40mの空中懸垂」を行って階段状スラブに降りることになっており、実際に20年前にここを下ったときも空中懸垂をしているのですが、今回使った下降ラインは途中で踏み跡を辿ることなく懸垂支点をつないで階段状スラブの下端の高さまで下り続けていて、空中懸垂もありません。確かに2回目の懸垂下降の途中で左側にスリングらしきものが設置されているのを目にしていたのですが、直線的に懸垂下降を繰り返す今回のラインの方が紛れがなく素直なものであったようにも思います。

ともあれ残された課題は衝立前沢の下降ですが、幸いなことに安定した雪が緩やかな斜度で沢筋を埋めており、その右端を灌木につかまりながら容易に下ることができました。

衝立前沢は途中から雪が消えて普通の沢下りとなり、段差の大きいところでは右岸の尾根に逃げながら下り続けて、終盤でトラロープが出たところからロープ2本をつないで懸垂下降。最後に出てくる大きな滝も懸垂下降したら、そこが一ノ倉沢との出合でした。

一ノ倉沢の雪渓の中央に立ち、ここでロープを畳めばほぼ安全地帯です。朝に登り始めたテールリッジやその奥の衝立岩を眺めながら、安堵のため息と共にそれまで張り詰めていたものがゆっくり溶けていくのを感じました。

下流の夏道の途中から振り返り見る一ノ倉沢の岩壁群には、改めて畏怖の念を覚えます。また衝立岩の三角形も特徴的ですが、滝沢がその名の通り滝の沢となっている姿には訳もなく感動しました。

一ノ倉沢出合に帰り着き、セキネくんと互いの奮闘をねぎらい合ったら、誰もいない駐車スペースで行動食を口にしながら荷物を広げてガチャ分け。すべての登攀装備をリュックサックに納めてから、ブナを中心とする広葉樹が覆う明るい道をのんびりとベースプラザに向かいました。

今回の山行に向けては、4月に三ツ峠でリュックサックを背負ってのA2トレーニングを行い、人工登攀の感覚を取り戻すことに努めました。また、本番で用意したギアは基本的に通常の人工登攀装備一式ですが、各自クイックドロー10本以上を携行したほか、セキネくんはボールナッツ1セット、私はリンクカム1セットとマイクロナッツ2本を共同装備として持参し、それらのいずれもルート上で使用しました。さらに、本文中にあるように(私は)チョンボ棒にも活躍してもらいました。

なお毎度のことですが、一ノ倉沢ならではの暗く脆い岩にぐるりと囲まれた空間に足を踏み入れると閉所恐怖にも似た独特の圧迫感に包まれ、その緊張は登攀を終えた後でも後遺症のように残ります。このため、15年越しの宿題を果たしてこうして記録を書いている今もまだ一ノ倉沢の中にいるようなピリピリした感覚から抜け出せておらず、登れたことを喜ぶ高揚感よりも事故なく帰還できたことに感謝する気持ちの方がまさっています。一ノ倉沢にはもう一つ宿題が残っているのですが、どうやらこれに取り組むためには少しインターバルを空けて後遺症が癒えるのを待つ必要がありそうです。