塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

一ノ倉沢2ルンゼ〔1ピッチのみ〕

日程:2017/10/18

概要:1年前に谷川岳一ノ倉沢の2ルンゼで事故敗退した際に残置したロープの回収山行。2ないし3ピッチ登る予定だったが、ロープが予想外に下へ降りてきており、2ルンゼを1ピッチ登っただけで回収を終え、同ルート下降。

山頂:---

同行:セキネくん

山行寸描

▲1年ぶりにテールリッジを登る。この時点では雲が稜線を覆っていたが、やがて青空が広がった。(2017/10/18撮影)
▲残置したロープ(オレンジ色)との再会。1年前に残置した場所よりも2ピッチ分低いところまで降りてきていた。(2017/10/18撮影)

ほぼ1年前の昨年10月16日、思わぬ事故によって2ルンゼを退却した我々は、事故の原因となった落石に押しつぶされて動かせなくなったロープ1本と懸垂下降用のスリングやカラビナをルート上に残置していました。山に人工物を残してきたことに対する罪悪感が「遠からず回収のために2ルンゼを再訪問しなくては」という義務感に変わるのにさほどの時間は要しなかったのですが、事故後しばらくは日程を作ることができませんでした。そして年が明けてから2ルンゼの登攀適期となる秋まで待っていたところ、今度は10月に長雨が続くという思わぬ天候不順。年内のチャンスが潰えたと思われたのですが、数日前になって奇跡的にこのタイミングだけ天気予報が好転し、セキネくんと急遽連絡を取り合って回収山行を決行することになりました。

前夜、私は最終電車で上毛高原駅に降り立ちセキネくんの車の出迎えを受け、土合駅に移動して駅舎内にマットを広げて就寝しました。この晩はさすがに他に登山者の姿はなく、広い駅舎を独り占め(セキネくんは車中泊)となりました。

2017/10/18

△06:10 登山指導センター → △06:50-07:05 一ノ倉沢出合 → △07:50 テールリッジ下 → △08:40-50 中央稜取付 → △09:05 南稜テラス → △09:30-40 2ルンゼ取付 → △09:55-10:10 ロープ回収 → △10:25-40 2ルンゼ取付 → △11:00 南稜テラス → △11:20-30 中央稜取付 → △12:45 テールリッジ下 → △13:15-25 一ノ倉沢出合 → △14:05 登山指導センター

5時すぎに起床し、マットやシュラフを畳んで前夜コンビニで仕入れておいた朝食をとってから外に出てみると、空には新潟方面からの雲が流れており、かなりのスピードで南へと向かっています。

ベースプラザまでセキネ号で移動してから、山行スタイルになってまず立ち寄ったのは谷川岳登山指導センターです。ここであらかじめ提出してあった登山届を提示し、下山したらもう一度立ち寄ることを告げてから、一ノ倉沢出合へと向かう旧道をてくてくと歩きました。

さしたる時間もかからずに一ノ倉沢出合に到着しましたが、予報からの予想とは裏腹にどんよりとした雲が稜線を覆い、冷たい風が吹いています。それでも登攀を中止する理由にはならず、ハーネスやヘルメットを装着すると一ノ倉沢に足を踏み入れました。途中、一ノ沢の先から取り付く右岸のリッジの一部が沢側に崩れて悪くなっていることに緊張しながら高さを上げ、テールリッジ末端へと下る懸垂下降ポイントに達しましたが、そこから見下ろす谷筋が雪渓の崩壊に埋め尽くされていることにびっくり。寡雪の冬に続く昨秋は残雪が完全に消えて本谷通しの遡行ができたのですが、今年は打って変わって雪の残り方が尋常ではありません。

水流をまたぎ越すポイントから上流を見ると、大きな雪のブロックが折り重なるようになって迫るようです。この時期にここまで雪が残っているのを見るのは初めてだと思いますが、この場所に長居をするのは危険です。

赤みの鮮やかさが足りず茶色く縮れてしまった紅葉の中のテールリッジを登っている間にも巨大な残雪の塊が崩落する音が谷筋に響いて我々の肝を冷やしましたが、高度を上げるにつれて天候は良くなっていき、衝立岩に日が当たると共に風も収まってきました。一方、中央稜取付から南稜テラスに向けての横断バンドをトラバースする間にも随所に流水を見ることができて、これでは2ルンゼはびしょ濡れだなと覚悟を決めました。

いつもなら編成も技量も多種多様なパーティーが順番待ちをしている南稜テラスも、この日は我々の他に登山者の姿がありません。テラスの周辺はすっかり笹が生い茂ってしまっているために一瞬迷いましたが、記憶を頼りに笹をかき分けてみればそこに本谷バンド。これを慎重にトラバースして本谷〜4ルンゼ入り口に達したところで行く手を見上げると、あの懐かしくも禍々しい2ルンゼが大きく口を開けていました。

シューズを履き替え、ギアをフル装着して登攀の準備を調えるとまずはセキネくんのリードから登攀開始です。もくろみとしては頭上に見えているチョックストーンの上までを1ピッチとし、そこからさらにもう1ピッチを伸ばしたところで昨年の3ピッチ目の終了点=4ピッチ目の出発点の小さい平坦地に到達する手はずで、目指す残置ロープもその小平坦地で岩の下敷きになっているはずでした。ところが……。

1ピッチ目を登ったセキネくんが途中からルンゼを離れて右壁の直上にかかり始めたところで、不意に驚きの声を上げました。なんと、昨年の3ピッチ目終了点にあると思っていた残置ロープが、はるか手前のテラスに引っ掛かっていたのでした。なんで?あの頭上に見えているチョックストーンの、さらに1ピッチ分上に残置してきたはずなのに。半信半疑ながら後続した私がテラスに着いてみると、残置支点にセルフビレイをとっているセキネくんの目の前でオレンジ色のロープが岩に絡みついていました。

事故当時2人がかりでも動かせなかった岩の下敷きになっていたロープをわざわざ蹴落とす人もいないでしょうから、昨年冬から今年の春にかけて降り積もった雪が気温の上昇と共になだれ落ちる際にこのロープを引きずり落としたのだろうと思います。しかし頭では理解できても、あの高さからここまで落ちてくるとは俄には信じられません。ともあれ、草屑にまみれてだらしなく伸びきった姿を晒しながら、それでも本来の位置からはるか下まで滑り落ちてきたこのロープの姿を見て、セキネくんは思わず合掌。孤独に耐えながらじっと我々が迎えに来るのを待っていたかのようなオレンジロープの健気な姿に、私も胸が熱くなりました。

それにしても(申し訳ないけれど)汚い!そして、やはりところどころ芯がむき出しの状態になってしまっており、ロープ本来の姿で再生することは難しそうです。それでもセキネくんは根気よく草屑を取り除くとロープを肩に回し、丹念に畳んでいきました。

もしかすると、さらに登ればカラビナやスリングを回収することもできたかもしれませんが、それらは他のパーティーが活用してくれても構わないもの。ルート上に残しておいてもゴミになるしかないロープを回収できたことで満足し、セキネくんと私はただちに下降にかかりました。朝方には冷たい風が吹き抜けていた一ノ倉沢周辺も、我々がテールリッジの下降にかかる頃にはすっきり晴れた青空の下にあり、むしろ暑いくらいになっていました。

テールリッジを慎重に下って、一ノ倉沢出合着は13時すぎ。早い時刻に安全圏に降り立つことができてラッキーでした。駐車場には日に何往復かの電気自動車バスも入っていて驚くほど大勢の観光ハイカーがたむろしていましたが、彼らは一ノ倉沢の紅葉目当てであったことでしょう。そんなのどかな雰囲気の中、2ルンゼのじめじめした環境の中ですっかり苔臭くなってしまったロープをリュックサックに振分けでくくりつけたセキネくんと私は、アウェイ感満載の状態で土合を目指しました。

土合に帰り着いたところで我々は、再び谷川岳登山指導センターに顔を出しました。実は今回の回収山行の登山届を10日ほど前に提出したところ、その返信には次のように書かれたレターが添付されていたのでした。

10月10日に谷川岳警備隊員が2ルンゼを登攀しビナ3枚とスリング1本を回収しています。

登山指導センターに保管してありますので、こちらに立ち寄った際に残置したギアの特徴(色、形)をお知らせ下さい。

(登山指導センターは午前5時から午後8時まで)

ご本人の道具と確認できた物をお返しいたします。

直接送る事は出来ませんので取りに来られない場合は11月30日の指導センター閉所まではこちらで保管しますがその後は交番に届けますので遺失物として取り扱いになります。

他にも傷んだロープやビナがあったとの話でしたが登攀ついでに回収しただけなので指導センターにあるのは上記だけです。

係の方に無事にロープを回収してきたことを報告し、預かっていただいていたギアを確認したところ、確かに我々が残置したギアの一部でした。それらはよく見れば錆ついたり傷んだりしていて、もはや安心して使える状態にはありませんでしたが、それでも御礼を申し上げてありがたく受領しました。

帰路に就くまえに、セキネくんの勧めで指導センターのすぐ近くにある谷川岳山岳資料館に立ち寄りました。ここには谷川岳に限らず時代を感じさせる登山用具の数々が展示されていて山屋なら見飽きることがありませんが、セキネくんはもしや回収してきたロープをこっそりここに寄贈(?)するつもりなのかと一瞬疑惑の目を向けました。しかしもちろんそういうわけではなく、後で聞いたところではそのロープにはキャンプ場などでの張り綱として第二の人生を歩ませるつもりとのことでした。

今回の回収山行にはいろいろと感じるところがありました。前後半月ほども雨が降り続いている中、ピンポイントでこの山行の前日と当日だけ天候が良くなったこと(セキネくんの仕事の都合に合わせて10月18日を決行日とすることに決めたのは9月下旬のことでした)にも、3ピッチ目にあったはずのロープがわずか1ピッチ上がったところまで自ら降りてきていたことにも、我々を待ち続けていたこのロープの意思のようなものを感じます。そうしたロープの「念」を解放することができたという意味でもこの山行を決行できたことはよかったのですが、実は2ルンゼ内の懸垂下降を終えてロープを畳もうとしたときに、セキネくんのロープがなんでもない岩の隙間にはさまって一瞬動かなくなるということが起きていました。これはもしかすると、ルート上にまだ残されているギアたちが「自分たちも回収してほしい」と引き止めたのかもしれない、と2人とも背筋に冷たいものが走るのを感じたのですが、率直に言って、あの2ルンゼに再び足を運ぶ気持ちには当分なれそうにありません。