檜洞丸
日程:2020/10/31-11/01
概要:初日は箒沢公園橋から石棚山稜を経て檜洞丸に登り、青ヶ岳山荘泊。翌日、同角山稜を下り、雨山峠を越えて寄に下山。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:石棚山 1351m / 檜洞丸 1601m / 同角ノ頭 1491m / 大石山 1220m
同行:---
山行寸描
9月上旬の釜川右俣ヤド沢での沢登り以降、登山はおろか出歩くことにも不自由していた私(その顛末は〔こちら〕)。どうにかそろそろと身体を動かせるようになったので、リハビリ登山として丹沢に向かうことにしました。コースは、それこそ登山を始めた頃からずっと気になっていた石棚山稜と同角山稜で、前者を登って檜洞丸の青ヶ岳山荘に宿泊し、後者を下り雨山峠を越えて寄に下山する1泊2日の山行です。
2020/10/31
△10:00 箒沢公園橋 → △12:55-13:05 石棚山 → △13:55 同角山稜分岐 → △14:25 檜洞丸 → △14:30 青ヶ岳山荘
小田急線新松田駅から西丹沢ビジターセンターに向かうバスは満員で若干の立ち客あり。幸い自分は着席でき、前夜の寝不足に対し1時間ほど睡眠時間を追加することができました。
石棚山稜への登り口は西丹沢ビジターセンターの少し手前の箒沢公園橋で、ここでバスを降りたのは私1人でした。身繕いをし、休業中のキャンプ場を抜けて板小屋沢沿いの登山道をゆっくり歩きます。渡渉したり堰堤脇の梯子を登る箇所もあるものの道はおおむね歩きやすく、黄色い道標が随所にあって道迷いの心配もありません。
やがて沢筋を離れて板小屋沢ノ頭に通じる尾根を登り出すと、ところどころに紅葉が見られるようになり、足下には木の実もばらばらと落ちていました。とはいえ今は晩秋と呼ぶにはまだ早く、登るにつれて暑くなってきたので上衣はリュックサックにしまい長袖Tシャツ1枚になりました。
板小屋沢ノ頭は手前を巻いてさらに高度を上げると、背後が開けて富士山方面の大展望が見渡せるポイントに出ました。素晴らしい快晴です。
登り着いた石棚山でリュックサックを下ろして小休止としましたが、東北にある1401mピークから派生する尾根上の(ピークですらない)この地点をどうして石棚山と呼ぶのか最初は謎でした。丹沢では滝のことを「棚」と呼ぶことから容易に想像がつくように石棚山とは石棚沢の奥の山頂という意味ですが、地形図で見ても石棚沢の詰め上がる先はやはり1401mピークです。しかし、この地形図を見ると「石棚山」と呼ばれる場所には三角点のマークがあり、確かにこの場所は展望が開けていて測量には好適そう。そんなことからここが「石棚山」の名称を簒奪することになったのだと思いますが、今一つ納得がいかないネーミングではあります。
それはさておき、その名前から受けるゴツゴツとした印象とは裏腹に石棚山稜の緩やかな稜線漫歩は明るく気持ちの良いもので、途中右手が開けた場所からは明日辿ることになる同角ノ頭や雨山峠を見通すことができました。雨山峠の向こうには秦野盆地、そして相模湾も見えています。
同角山稜分岐を過ぎると今度は左が開けて、彼方に大室山や犬越路を眺めることができました。こうして旧知の友人のような懐かしい山々の展望に恵まれながら葉が落ちて明るい広葉樹林の中をのびのびと歩ける秋の丹沢の尾根歩きは、夏冬のハーネスに身体を締め付けられてのクライミングよりも実は好きかも。
ツツジ新道との合流点を過ぎ、木道を淡々と登って太陽電池パネルと風力発電機がかたまっている一角を横目に見れば、檜洞丸までは一投足。
丹沢主稜線上にありながら静かな佇まいの檜洞丸山頂に到着し、ただちに青ヶ岳山荘に下って宿泊の手続をとりました。この小屋に泊まるのは2014年と2017年に続いてこれが3回目で、前回泊まったときは曜日の関係もあって宿泊客は私1人でしたが、今日はそこそこの賑わい(といっても宿泊客は10名ちょっと)です。それというのもこの時期は夕日が富士山の上に落ちるタイミングにあたっており、本当のダイヤモンド富士になるはずの2日後の天気予報が悪いために好天予報のこの週末を狙った客がいたためである模様。かく言う私もその1人なのですが……。
というわけで私もリュックサックを小屋に置くと、買い求めた缶ビールをサブザックに入れて檜洞丸に登り返し、北西側の開けた斜面に腰を落ち着けました。やがて夕暮れが近づくと山荘から次々に宿泊客がやってきて、登山道の階段の思い思いの位置に場所を占め、日が落ちるのを待ち構える態勢になりました。
予想通り夕日は富士山の山頂のわずかに右側に落ちましたが、西の空を染めるグラデーションが夜の闇に閉ざされるまで2時間近くかかります。日が落ちてから急速に冷え込んできた中、それでもずいぶん粘ったものの太陽の余韻が意外に長持ちすることにめげた私は、後事をGoProに託して山荘に引き揚げました。
檜洞丸の山頂を経由して青ヶ岳山荘へと下ると、蛭ヶ岳の右肩には満月が浮かんでいました。そういえば前回ここに来たときはスーパームーンだったことを思い出しましたが、別にスーパーでなくても真ん丸な月とその左手の関東平野の夜景とは十分きれい。ちなみに青ヶ岳山荘の正面方向には小田原の夜景が広がり、月明かりに照らされて真鶴半島のシルエットもぼんやり見えていました。
夕食はカレーライスで、その後希望者には挽きたてコーヒーのサービスあり。この日飲ませていただいたのはグジ・ダンセ・モルモラという豆だそうで、三代目管理人である理生さんはコーヒーに造詣が深いらしく、宿泊客と一緒に炬燵に当たりながら、NPOによるエチオピア支援活動の一環として輸入されたというエチオピアコーヒーの魅力を熱く語っていました。そういえば小屋の中には、天皇陛下がまだ皇太子時代にここに立ち寄ってコーヒーを飲んでおられる写真も飾られています。
もう一つ話題になったのは、ここはなぜ「青ヶ岳山荘」と言うのかということでした。これも理生さんの説明によれば、檜洞丸は南の山北町側にある檜洞(沢)の詰め上がった先の山という意味ですが、反対の津久井町側ではこの山を青ヶ岳と呼んでおり、山荘の創業者が津久井町出身だったため青ヶ岳の名を冠したとのこと。そしてそもそも青ヶ岳とは「カモシカ(=アオ)が多い山」という意味合いだったようです。
2020/11/01
△06:40 青ヶ岳山荘 → △06:45-50 檜洞丸 → △07:15 同角山稜分岐 → △08:20-25 同角ノ頭 → △09:45-10:00 大石山 → △11:55-12:00 ユーシンロッジ → △11:20 雨山橋 → △12:10-15 雨山峠 → △15:05 寄
午前4時半起床。昨夜のうちに回収してあったGoProを、今度は夜明けの撮影のためにセットします。月の出の位置が蛭ヶ岳の右肩だったから太陽もそこから昇るのだろうと単純に考えてGoProを据え付けたのですが、自然界の法則はそんなに単純なものではなく、この日の太陽は月が昇った位置よりもずいぶん右(南)から上がりました。
朝方は少し雲の動きがありましたが、その方がかえって風情があっていい感じ。日の出前に早出した登山客も数名いましたが、残りの登山客は青ヶ岳山荘の前から御来光を拝みました。今日も天気に恵まれますように。
ご飯とおでんの朝食をとってのんびりと出発。見上げる檜洞丸の上には青空が広がっています。
しかし階段の上には霜が降り、山頂にも霜柱が立っていました。昨日は長袖Tシャツ1枚で行動しましたが、この日しばらくはヤッケを着込んで歩くことになります。
まずは昨日辿った石棚山稜に向かう道をゆるゆると下ります。行く手には富士山が大きく裾野を広げ、その右には南アルプスが北は甲斐駒ヶ岳から南は聖岳まで見えていました。もしかしたら夏に登った茶臼岳も見えていたかもしれませんが同定はできません。また、聖岳の左に見える顕著なピークは笊ヶ岳だったかもしれませんがこれも判然としません。そして高度を下げるにつれ、道志の御正体山がこれら南アルプスの山々を隠していきました。
同角山稜分岐を左に折れて、ここからは新しい道です。同角山稜は2006年に同角沢を遡行したとき下半分を下っていますが、同角ノ頭はもちろん踏んでいません。よって今回は同角山稜の初完全トレースということになります。ここはどちらかといえばマイナーなルートですが、今でもそれなりに登山者を迎えているようで踏み跡はしっかりしていました。ただし落ち葉で覆われて道筋がわかりにくいところもないではなく、日が短いこの時期のタイムロスは致命的となりかねないことを考えれば、道迷いを防ぐためにGPSは必携と思われます。
同角ノ頭へと緩やかに登る尾根道にはところにより階段が設けられており、往時の賑わいを偲ばせます。そして振り返ると背後には、昨日はその全貌を見ることができなかった檜洞丸の姿。
同角ノ頭のてっぺんは小広く開け、そこに古びたベンチや山頂標識、道標が設置されています。木の間越しに檜洞丸、蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳といった丹沢主稜の山々が眺められ、なんとも言えない風情があってひと息つきたくなるところですが、ちょっと寂しくもあるのでここは先を急ぐことにしました。
同角ノ頭からの下りは、崩壊により迂回する場所があったりところどころザレて滑りやすかったりして多少気を使いますが、おおむねわかりやすい道でした。鎖なども比較的新しいものが設置されていることからすると、きちんと整備の手が入っているようです。以前同角沢を遡行したときは石小屋ノ頭の上あたりに出たのだと思いますが、それがどこだったかを認識することができないままに高度を下げ続けました。
フリクション良好な大きなスラブに垂れた鎖をつかんで登ると大石山の山頂で、その山頂標識の手前で後ろを見るとこの日最後の富士山の眺めに恵まれました。
大石山の名前の由来となった花崗岩のボルダー群を見上げ、少々厄介な倒木をかわしたら、後は急坂の道をぐんぐん下るだけ。途中でこの日初めて反対方向からの登山者とすれ違いましたが、その方は寄から大石山までの往復だと言っていました。
その登山者が音を上げていた急坂をスリップに気をつけながら下ると徐々に沢音が大きくなってきて、やがて眼下に真っ白な河原が見えてきます。
ユーシンロッジ到着。久しぶりに来ましたが、こんなに立派な施設だったかと驚くほどの大きさで、2階には布団が積み上げられているのも見えましたし、建物もさして傷んでいる様子はないので、手を入れれば営業は再開できそうに思えます。以前ここに降り着いたときは自動販売機でジュースを買ってひと息ついてから玄倉林道入口のゲートまで1時間以上歩いた記憶があったので、帰宅してから調べてみたところ、ユーシンロッジが休業になったのは2007年4月からとのこと。以来13年間休業したままですが、緊急時用の部屋のみは現在も開放しているという張り紙がありました。
しかし、ユーシンロッジから雨山橋までの林道を歩いてみると、ユーシンロッジの営業再開は簡単なことではないことがすぐにわかります。もともとユーシンロッジが閉鎖されたのは玄倉林道にあるトンネルに落盤の危険性が見つかったためですが、林道自体もひどくえぐられており、これを復旧するには相当な資金と時間がかかりそうです。玄倉第二発電所(その貯水がいわゆるユーシンブルー)までのアクセスを維持するための林道工事は行われていますが、さらに上流にあるユーシンロッジまでの道も修繕するという話には、普通に考えてなりそうにありません。
上記の林道工事のために通行止めになっている場所が雨山峠への登り口になっており、ここから雨山沢沿いの道を登っていくことになります。途中には何箇所か朽ちた桟道が落ちているために河原を歩かなければならないところがあり、雨の日は危険そう。それでも標高差はさしてないので、足置きを丁寧にして慎重に歩き続ければさしたる時間がかからずに雨山峠に達しました。昭和20年代に玄倉林道が開通するまで、樹林と渓谷の美しさを賞賛された玄倉川上流のユーシン(友信 / 湧津)に入る人々はこの雨山峠か、伊勢沢ノ頭の北西にある山神峠を越えていたそうです。
この雨山峠も2017年に来たところですが、そのときはいわゆる峠越えではなく鍋割山から秦野峠へ向かう縦走の途上での通過だったので、いつかはかつての岳人のように雨山峠越えを行ってみたいものだと考えていたことが、今回の山行の動機のひとつでした。しかし、雨山峠から南へと下る寄沢沿いの道は雨山沢側の道以上にワイルドで、いきなり桟道が崩壊し狭い沢筋の中を下ることを強いられます。沢登りの経験があればなんと言うこともない道(?)ですが、そうした下地がないと面食らうことになるかもしれません。
それでもしばらく下っていくうちに沢の幅が広がり、そして主に左岸の斜面をトラバースする登山道も現れて安心感が増してきます。ところどころ飛び石伝いに沢を渡って対岸の道を探す場所も出てきますが、そうしたところには新しい道標が設置されているので道迷いの心配はありません。そんな渡渉を何度か繰り返した後、左岸が大規模に崩落している場所に出ました。いや、これはひどいものだなと思いながら対岸の火事ならぬ対岸の崖崩れの跡を眺めていたのですが……。
こんなところで青ヶ岳山荘つながりのカモシカを見ることになるとは思ってもいませんでした。ラッキーではありましたが、それにしてもどうしてわざわざあんな場所で食事をとろうと考えたのか?森の哲学者・カモシカの考えることは、私のような凡人には理解不能です。
崩壊地のすぐ先で左岸に渡った後は歩きやすい道がずっと続きましたが、登山口と寄大橋との間には工事区間がありました。実は雨山峠の道標にもこの工事のために通行止めになっているという注意書きがぶら下げてあったのですが、大石山の下で行き交った単独登山者が通行できるということを教えてくれていたのでここまで下ったわけです。しかしここまで本格的な工事だと、平日の作業を行っている時間帯は本当に通ることができない可能性が高そうです。
この道の端をそろそろと通過すれば困難なところはもはやなく、寄大橋から寄のバス停までは立派な車道を緩やかに下っていくだけでした。
このようにリハビリ山行第1弾ということで檜洞丸に登りましたが、プランニングを少し欲張り過ぎたかもしれません。やはり2カ月近くまったく運動ができなかったことの影響は大きく、山行中も体調万全とはいかなかったし、下山後も身体のあちこちにダメージを受けている感じ。この程度の山行で筋肉痛になってはいかんなぁ……。ともあれ、この山行を皮切りにジムでのトレーニングや軽い山行、易しめのクライミングを重ねて、冬シーズンに向けて徐々に身体を作っていくつもりです。