金北山
日程:2022/10/30
概要:ドンデン高原ロッジから朝一番で尻立山に登り、その後に金北山縦走路を縦走して大佐渡山地最高峰の金北山に達してから白雲台へ下る。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:尻立山 940m / 金北山 1172m
同行:エリー
山行寸描
10月最後の週末は日光方面で紅葉狩りを兼ねた沢登り(わらじ納め)とする予定でしたが、相方の「末娘」エリーが2週間前に膝を傷めてしまい、沢登りは不可能に。そこで代替案をいくつか並べて検討した結果、がらっと趣きを変えて佐渡島2泊3日ツアーになりました。その主眼は佐渡島最高峰の金北山を含む大佐渡山地の中心部の縦走ですが、初日にドンデン山荘でのBBQ、3日目に能楽の歴史を持つ佐渡の能楽堂巡りを加えた2泊3日の大人の遠足(おやつは5,000円までOK!)です。そうと決まってからのエリーのプランニングと各種手配は迅速かつ漏れがなく、私の方はのほほんとエリーの指示に従っていればよいというお気楽・極楽な旅。先日の「長女」トモミさんとの吾妻連峰山行もそうでしたが、彼女たちの実務能力には脱帽です。
10月29日の朝、上越新幹線の車窓から弥彦山の姿を見ながら着いた新潟駅でエリーと合流し、デパ地下で食材・調味料を買い揃えてからバスでフェリー乗り場に移動してジェットフォイルに乗船しました。巡航速度は時速70kmほどですが、どうか鯨にぶつかりませんように(祈)。
外洋に出ると海の色が濃くなり、うねりも出てきましたが、これでも海の状態は穏やかなのだそう。これが冬になると季節風の影響で海が荒れ、ジェットフォイルが欠航することもあるそうです。
エリーにとっては二度目、自分にとっては初めての佐渡島上陸。彼方には大佐渡山地の山並みが見えていますが、この時点ではどのピークが金北山なのか、そもそも金北山が見えているのかすらもわかってはいません。
あらかじめ手配してあったタクシーでの30分あまり(5,520円)のドライブで着いたのはドンデン高原ロッジ(ドンデン山荘)で、もともとの計画では屋外でテント泊とする予定でしたが、山荘側からの提案でプラネタリウム室という摩訶不思議な部屋での宿泊になりました。こんな立派なホールを貸切にしたらいくらかかるのかと不安になるところですが、実際は通常の宿泊料金のままである上に全国旅行支援のおかげで1人4,800円でした。それにしても「ドンデン」とは不思議な名前ですが、これは丸みを帯びた緩やかな山頂=鈍嶺どんれいが転訛したもののよう(諸説あり)です。
荷物を置いたらさっそく屋外に出てBBQの準備。エントランスの前のテラスからはこちら側の大佐渡山地と向こう側の小佐渡丘陵に挟まれて国中平野がくびれを作っている様子がはっきりわかり、今なお隆起を続けているという佐渡島の形成のメカニズムに思いを馳せることができました。
BBQセット(コンロ、炭、食器等)は山荘からのレンタルで、持参した食材を切り揃えた頃に安定してきた火の上で次々に焼いていきます。一時は雨がぱらつきましたが、エントランスの屋根の下でBBQをさせてもらえたので濡れる心配もなく、眼下の両津港と彼方の上越から富山にかけての夜景を愛でながらの豪勢なディナーとなりました。かくして山ほど買い込んだ食材をほぼ食べきって満ち足りた我々は、プラネタリウム室に戻ってからそれぞれ入浴して身体を温めましたが、後から風呂に入った私が部屋に戻ってみると、エリーは布団の中でスマホ片手に寝落ちしていました。
2022/10/30
△05:40 ドンデン高原ロッジ → △05:55-06:15 尻立山 → △06:35-07:40 ドンデン高原ロッジ → △08:10 アオネバ十字路 → △08:50-09:05 マトネ → △10:20-30 真砂の峰 → △11:55 鏡池 → △12:25-40 金北山 → △14:00 白雲台
5時15分に起床し、身繕いをして山荘の外に出てみると、黄金色の曙光が雲の下に見えています。山荘前のテラスで夜明けを迎えてもいいのですが、せっかくなので背後の尻立山に登ることにしました。
山荘のすぐ近くから登山道に入り、934m峰を越えて緩やかな鞍部を進み少し登ると、そこが展望に恵まれた尻立山の山頂でした。「ドンデン山」はこの辺りの緩やかな高原の総称であり、その最高点が尻立山ということになります。
標高940mとは思えないこの広闊な眺めには思わず歓声が上がりました。来た道の反対側に下った先には避難小屋やキャンプ場もあるドンデン池があり、これを含む一帯は放牧された牛が各種植物を食べ尽くすことで純度の高いシバ草原になっています。
これから縦走する金北山縦走路をしっかり目に焼き付けてから山荘に戻ると、ちょうど日が雲の高さに上がって天使の梯子ができており、その一部が海の上をスポットライトのように照らしていました。こうした光景を見るのも初めての経験ですが、これも海と山とが近い佐渡ならではの現象です。
山荘で買い求めてあったカップ麺の朝食をすませたら、いよいよ出発です。まずは車道を20分ほど辿ると「金北山縦走路入口」と彫られた木柱が現れ、ここから山道に入ることになります。
しばしの下りで着いた最低鞍部は左の谷からアオネバ登山道が合流するアオネバ十字路(「十字路」とはいうもののアオネバ登山道の反対側は廃道)。このアオネバ(青粘)は海底火山の火山灰が熱水や風化作用によって粘土質に変成したことで生まれた緑色凝灰岩(グリーンタフ)のことで、このグリーンタフは昨年遡行した御神楽岳近くの沢でも顕著に見られました。
歩いているうちに暑くなってきたのでヤッケを脱ぎ、さらに少々の急登で明るく開けたマトネ(笠峰)に到着しました。ここは金北山までの縦走路が行く手にまっすぐ続く様子を見通すことができてすこぶる気分のよい場所で、かつては周辺のもっと広い範囲が牛の放牧によるシラバ(芝場)だったそうです。
金北山縦走路は緩やかなアップダウンが続くものの道は明瞭で歩きやすく、しかも草原・ススキ原・樹林・砂礫帯と次々に表情を変えるので歩いていて飽きるということがありません。また、エリーは残雪期にもここを歩いているのですが、そのときはところによりカタクリやシラネアオイの花盛りを楽しむことができたそうです。
風が吹き抜けるこうした砂礫帯は、「ドンデン」の由来である鈍嶺の成因=岩石の隙間に入った水の凍結と融解の繰返しが岩石を細かく砕いて起伏を失わせること、を想起させます。
やがて登山道の分岐が出てきました。右は残雪期コースで尾根を直登するもの、左は山腹をトラバースするものですが、その左コースには「役の行者へ」と書かれています。不思議に思いながら左コースを進んでみると、なるほど確かに役行者の石像が置かれている開けた一角に出ました。平坦地の広さからしてかつてはここにお堂があったのではないかと推測でき、そしてそこに役行者がいるということはこの山は修験道に関わりがあるはずです。下山してから調べてみたところ、金北山の頂上にある祠には金北山大権現(本地:勝軍地蔵菩薩 / 垂迹神:軻遇突智命)が祀られており、その開基が役行者であるという伝説があるそう。また、中世から近世にかけては金北山から金剛山、壇特山へと歩く三山駆けがなされていたそうです。
役行者の像の先には鏡池・あやめ池という二つの池が近接しています。手元の地形図には鏡池の方しか掲載されておらず、確かにこちらの方が大きいようにも見えますが、あやめ池もなかなかの存在感で、その名のとおりあやめが咲くのであれば季節を選んで訪れたい佇まいでした。
いよいよ金北山に到着。上述の通り金北山大権現を祀る金北山神社の祠がありますが、運用停止している自衛隊の施設に周囲を囲われて肩身が狭そうなのが気の毒です。
山頂から見下ろすと、右(西)の海と左(東)の海に挟まれた国中平野の大半の面積が田になっていることがわかります。Googleマップで調べると両津港から反対側の河原田本町まで距離にして16kmですから、この日の我々の縦走距離プラスアルファ程度。つまり半日で歩き通せる距離です。
金北山の頂上でひと休みしたら、ここから先は整備された道を歩いて下ることになります。石鳥居の横木がなくなってしまっているのが残念ですが、自衛隊にはぜひ山頂の祠周辺の廃墟をきれいに撤去し、ついでに金北山神社の境内を整備していただきたいものです。
金北山から西に連なる二の岳や妙見山には、自衛隊の現役の施設が林立しています。それらの左(南)斜面は盛りを過ぎた穏やかな色合いながらいい具合に紅葉しているのですが、ちょうど我々が下っているときは陽光が雲に遮られてしまっており、錦繍の色合いを堪能することができなかったのが残念でした。
それでも妙見山の頂上に立つ通称ガメラレーダー(ネーミングの由来は建物の横に丸く張り出しているカバーがガメラの甲羅を思わせるからだろうと思います)の中腹を回り込むあたりではオレンジや黄色の木々の下を歩くようになり、そこからすぐ先がゴールとなる白雲台でした。
白雲台から振り返ると、雲がとれて陽の光をいっぱいに浴びている金北山の姿がそこにありました。こうして振り返ってみると、ドンデン山からここまでの明るい縦走路も全部ひっくるめて、つくづくいい山だったなぁ。自分だけではこの山に登ろうという発想はどこからも生まれなかったはずなので、エリーに心から感謝です。文字通り怪我の功名(?)だね。
これで旅のメインイベントである金北山登山は終わり、白雲台からタクシーを呼んで加茂湖近くの宿へと向かいました。
◎10月31日の能楽堂巡りの様子は〔こちら〕。