瑞牆山紅葉岩稜「ピーターパン・シンドローム」(敗退)

日程:2022/10/21

概要:瑞牆山本峰に隣接する紅葉岩稜のマルチピッチルート「ピーターパン・シンドローム」を登る。全5ピッチの3ピッチ目を迂回し、ルートから外れて瑞牆山に登ってから下山した。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:瑞牆山

同行:セキネくん

山行寸描

▲核心部となる予定だった3ピッチ目のオフウィドゥス(中央)。最初にリードした自分がフレークが顕著な左のフェースに取り付いたために想定外の時間を費やし、ここで時間切れ敗退が決定した。なおロープが左に伸びているのは、敗退決定後にここを左の土のルンゼから迂回しているため。(2022/10/21撮影)
▲瑞牆山山頂から見下ろした紅葉岩稜(日が当たっていない岩稜がそれ)。左のつるっとしたフェースの向こう側に5ピッチ目のラインがあるものと思われる。(2022/10/21撮影)

9月にセキネくんと計画していたアルパインは、諸般の事情から流れ流れてこのタイミングの瑞牆山マルチピッチに衣替え。行き先としてセキネくんが私のクライミングレベルを勘案してセレクトしてくれたのは、核心部でも5.9の紅葉岩稜「ピーターパン・シンドローム」でした。このルートは『瑞牆 クライミングガイド』にも掲載されていますが、ネット上でいくら検索しても記録が出てこないためにまず取付が見つかるだろうかという不安があり、さらに核心部は5.9とは言っても小川山と比べて辛いとされる瑞牆グレードである上にオフウィドゥス。加えて私は、瑞牆山周辺のマルチピッチとしてはこれまで大ヤスリ岩ハイピークルート(2007年)、カンマンボロン鎌形ハングルート(2008年)、大面岩正面壁北稜会ルート(2017年)の3本を登っているもののそのいずれも人工登攀で、この山域でのフリークライミングの経験は(スポートルートのガイド講習を除いては)皆無であるという個人的不安要素も抱えていました。

2022/10/21

△09:45 瑞牆山荘 → △10:20 富士見平小屋 → △11:55-12:40 「ピーターパン・シンドローム」取付 → △15:35-50 3ピッチ目と4ピッチ目の間のコル → △16:10-35 瑞牆山頂上 → △17:40 富士見平小屋 → △18:10 瑞牆山荘

早朝に京王線とJRとを乗り継いで8時40分に韮崎駅でセキネくんと合流し、セキネ号で瑞牆山へ移動。みずがき山自然公園からパノラマルートでアプローチする方法もありますが、簡明に瑞牆山荘から一般登山道を登り富士見平小屋経由で瑞牆山を目指すことになりました。

瑞牆山荘周辺は紅葉がちらほら、そして紅葉の山登りを楽しもうとするハイカーの姿もちらほら。歩きやすい道を30分ほど登ったら近年ランプの小屋として人気だという富士見平小屋に到着しましたが、大ヤスリビールの誘惑を断ち切って直ちに瑞牆山を目指します。

天鳥川渡渉点へと下る途中の展望ポイントからは瑞牆山の本峰と大ヤスリ岩がはっきりと見えており、そして本峰の右にやや控えめに立っているピークが目指す紅葉岩稜の最上部であるようです。

天鳥川を渡るとすぐそこには巨大なボルダーがぱかっと二つに割れて納得のネーミングの桃太郎岩が鎮座しており、そこから高度を上げていく途中にもさまざまに岩が積み重なっていますが、それらの多くは写真の通り登山者たちが差し込んだつっかい棒によって支えられています。

……というのは冗談ですが、それはともかく目指す紅葉岩稜へはこの登山道がパノラマルートと合流する手前で右に入らなければなりません。目印となるのは登山道が右へ迂回する箇所であるという『瑞牆 クライミングガイド』の記述を頼りに登り続けたものの、同書に掲載されている写真と一致する場所を見つけられないままに「たぶんこの辺りだろう」と見当をつけた場所でヘルメットをかぶってから登山道を離れると、本峰下部左岩壁沿いに踏み跡を辿るようになって人気ルート「トムソーヤの冒険」の前を通りました。

さらに踏み跡やケルンを追いながら下り気味にトラバースを続け、大ガレ右岸の尾根の手前にある細い沢筋状の凹部を上がっていくと苔むしたフィックスロープが出てきました。先人の開拓魂に敬意を表しながらやや左上するかたちで登っていくと、そこに紅葉岩稜らしき岩尾根の末端が現れました。

実物の形状とトポに書かれた概念図とを突き合わせてここに間違いないだろうと確信し登攀準備。ここからはリュックサックを一つにまとめ、リードは空身、フォローがリュックサックを担いで登ります。

1ピッチ目(トポによれば5.9):奇数ピッチを担当することになっているセキネくんが取り付きましたが、近年登られている形跡がなく土とも苔ともつかないものが出だしの岩を覆っていて、そこに足を置いたセキネくんはいきなりスリップ!幸い大事には至らず(とはいえ下山後に見たら肘に派手な擦過傷あり)、あらためて慎重にカムをセットしたり立ち木にスリングを巻いたりしてランナーをとりながら登っていったセキネくんから、ややあってコールが掛かりました。

後続してみると、確かに出だしからフリクションに自信の持てないスメアリングを岩にへばりついて今にも抜けそうな小灌木のわしづかみで補うデリケートなランペ左上の先にワンポイント立った凹角が現れて、セキネくんもここは気合い一発だったそうですが、私も左壁に足を張ってレイバック気味に身体を引き上げながら、なかばセキネくんに引き上げられるようにしてしっかりした立ち木にスリングを巻いて作った支点に達しました。

2ピッチ目(トポによれば5.8):まずは私がリード。先ほどの立ち木から簡単に1段上がると安定したテラスになり、その先にきれいなクラックが入ったカンテがあって、ここをクラックのフィンガージャムと左壁のスメアリングで身体を引き上げてカンテの傾斜が緩んだところにあるホールドを利用し向こう側に乗り越すのだろうとは見当がつきました。しかし、1ピッチ目をフォローにもかかわらず奮闘ピッチにしたために岩に対して心が負けている私は、カンテを乗り越すところで甘めのホールドに体重を預ける踏ん切りがつかなくなってしまい、呻吟しているところに見かねたセキネくんから声を掛けられてギブアップ。

リードを交代してくれたセキネくんの姿がカンテの向こう側に消えてからかなり時間がたって、ようやくコールが掛かり後続してみるとカンテの向こう側にはスラブが広がっており、まず浅いバンドを辿って向こう側にあるフレークに達してからその上に乗って、上に広がる緩傾斜のスラブを登って頭上のハング右の樹林の中へ抜けていくラインになっていました(ただし初登ラインは樹林の中に入らず、スラブの上端を右へトラバースしていた可能性があります)。

リュックサックを背負ってのカンテ越えは頭を押さえつける岩が窮屈で苦労したものの、フレークまでのトラバースとフレークからのスラブはさほど難しくなく、これが5.8なのかと思いながらカムを回収しつつ登りましたが、スラブを抜けて樹林に入る箇所で行き詰まりました。ビレイしてくれているセキネくんに聞いてみるとハングになっている丸い岩(上の写真の中央)の下に左腕を差し入れてのジャミングだと言うのですが、私のリーチではまるで無理。結局フォローの特権であるゴボウでここを抜け、2メートルほど上がってから右へ水平移動してセキネくんのビレイ位置に達しました。

3ピッチ目(トポによれば5.9):核心部となるピッチですが、目の前のカンテ状の岩に視界を遮られている我々はこの時点でトポ上のどの位置まで進んでいるのかを測りかねており、まずは私がリードして偵察することになりました。しかしセキネくんの肩も借りてカンテの上に乗った私の目は、見上げたフェースの左端に顕著に続くフレークに釘付けになってそちらにラインを探すことに集中してしまい、フェース中央の丸みを帯びた凹角を登路として認識できませんでした。後から見れば確かにこれがトポに言うところのオフウィドゥスなのですが、それが見えなかったのはここまでの不甲斐ないクライミングでゆとりを失ったことにより視野狭窄に陥っていたとしか考えられません。ともかく薄く脆そうなフレークにこまめにカムを決めながら高さを上げた私は、上部のバンドに乗り上がれば右へトラバースして多少なりとも易しそうな凹角に入れそうだと考えつつバンドの縁に手を掛けたものの、バンドの幅が狭い上にバンドの上にはホールドがなく、ハングドックを交えながら何度かトライした末にバンド上のハイマツの幹に巻いたスリングとカラビナを残してロワーダウンすることになりました。

リードを交代したセキネくんは、カンテ上に上がると直ちにフェース中央の凹角がトポに書かれた3ピッチ目のオフウィドゥスであることを把握しましたが、かと言って私がバンド上のハイマツに巻いたスリング等を残置するわけにもいきません。まずはセキネくんも私が登った左のフレークのラインを登り、そこから右の凹角へのトラバースを模索したものの、彼をもってしてもバンド上に乗り上がることは難しく、また仮にバンド上に立てても凹角へのトラバースはリスキー過ぎるとジャッジして、このラインを諦めることになりました。

この時点で既に15時になっていたため、セキネくんはここで時間切れ敗退を決断し、まずはフレークにカムを決め体重を預けてスリングを回収し、その後複数のカムを使用しつつクライムダウンしてからフェース左の土のルンゼに入っていきました。本当はこのピッチをリードするはずだったセキネくんにしてみれば、あのオフウィドゥスに手を触れずに巻いてしまうことはいかにも残念だっただろうと思いますが、登攀開始時刻が遅すぎたという反省点はあるにせよ、根本的にはパートナーを勤めた私にこのルートと対峙するための技量や事前研究が不足していたことがパーティーとしての敗退の原因であることは明らかです。セキネくん、誠に申し訳ない。

土のルンゼの登りはワンポイント段差があるもののそれ以外は容易な登りで、これを登りきった先で岩稜の左側に少し降りてみると、そこから短い歩きで3ピッチ目と4ピッチ目の間のコルに抜け出ることができました。このコルは、本来は3ピッチ目を登りきった後に10mの懸垂下降で降り立つ場所です。

コルに抜ける手前から左上を見上げると、そこには4ピッチ目のチムニーとオフウィドゥスが見えていました。このピッチは5.7とグレーディングされていますが、ここまでさんざんな目にあっている自分には、とてもそんな易しいピッチには見えません。それはこのフェースの足元にある湿ったチムニーも同様で、トポには「4th」(=ロープが必要な簡単なクライミング)と書かれているものの、残置ピン皆無のこのチムニーを登るには相応の技術と勇気が求められそうに思えます。

登攀はここで終了。残念ながら敗退ですが、せめて瑞牆山の山頂を踏んでおこうとコルの反対側(岩稜の上に向かって右側)の緩やかな斜面を下ると、すぐに稜線に通じる踏み跡に合流できました。ここは「ピーターパン・シンドローム」における安全なエスケープルートだったというわけです。

稜線の上に達すると明瞭な踏み跡がその北側をトラバースするように付けられており、やがて高度を上げて山頂直下で一般登山道に合流しました。

ルート敗退後でも山頂からの景色は美しい……そうは言ってもやはり意気は上がりません。

遠い富士山の三角錐に慰められ、眼下の大ヤスリ岩には励まされてから、我々以外に誰もいない山頂を後にしました。

夕日に照らされて朱色に染まる山肌の美しさには見とれましたが、不本意に終わった今回の登攀を振り返りながら下山を続けるうちに太陽は地平線の彼方に消えていき、瑞牆山荘に下りついたときにはすっかり夜の帳が降りていました。

「ピーターパン・シンドローム」の初出となる『クライミングジャーナル』15号(1985年1月)に、このルートの発表者である小林敏氏が次のように書いています。

紅葉岩稜 ピーターパン・シンドローム(5.9+)

10月7日、本峰東面のクレオパトラ・フェースの一つ右にある紅葉岩稜(仮称)を登る。二つの岩峰からなり、フェース、スラブ、オフウィズス、チムニー、コーナーなど変化に富んだラインで、5Pの楽しいクライミングである。

我々は3ピッチ目までで終了し、しかもその3ピッチ目も迂回するかたちにはなったのですが、それでもこの記述にある通りの多様性を感じることはできました。これまでのところネット上では情報が見当たらないこのルートが、今回の記事によって多少なりとも人々の関心を集めることになれば幸いです。恥を忍んでこの記録を公開しているのも、それが目的です。

▲『クライミングジャーナル 1985年1月号』の表紙と記事(抜粋)。ルート図の画像をクリックすると、各ピッチの詳細と我々の軌跡を見ることができる。なお、少なくとも我々が登り、あるいは目の当たりにした3ピッチ目までは、このルート図は実際の岩の形状を忠実に図示できていると感じた。