サギダル尾根〜宝剣岳

日程:2023/04/23

概要:駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅の前にある祠の向こうに見えているサギダル尾根を登って稜線に達し、宝剣岳を越えて乗越浄土から千畳敷駅に戻る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:宝剣岳 2931m

同行:トモコさん

山行寸描

▲千畳敷駅の目の前にある駒ヶ岳神社の祠の向こうがサギダル尾根。この尾根の右が千畳敷カール、左が極楽平カールとなる。(2023/04/23撮影)
▲核心部。手順足順をきちんと組み立てる必要があった。(2023/04/23撮影)

この冬はまともにアルパインを登れていなかったので、雪山シーズン最後に駆け込みでどこか易しいルートを登ろうと検討した結果、選んだ先は中央アルプスの駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅から極楽平カールと千畳敷カールを左右に分けて宝剣岳の南に突き上げるサギダル尾根。中央アルプスに行くとなれば声を掛ける相手はこの人だろうと大阪在住のトモコさんに連絡を入れたのが3月中旬で、すぐに快諾を得られたものの決行時期はこのルートとしては遅めの4月下旬になりました。

私は先乗りで前日のうちに駒ヶ根に入りましたが、トモコさんは登攀当日の朝に菅の台に到着予定。後述するようにたった2ピッチのクライミングのための宿泊費と交通費としてはコスパが極端に悪いのですが、どうせ贅沢するなら土地の物を食してみようと駅前の割烹食堂「水車」さんに入って馬刺しとタラの芽の天ぷらに熱燗二合をつけ、〆は当店自慢の井月そばとしました。幕末から明治にかけて伊那谷で放浪生活を送っていたという俳人・井上井月のことはこのときまで知らなかったのですが、井月が猪鍋を好んだことにちなみ、猪肉を使った温かいつけ汁でいただく十割蕎麦を井月そばと名付けたのだそう。いずれもすこぶるおいしくいただきました。

2023/04/23

△08:35 千畳敷駅 → △10:30-45 サギダルの頭 → △11:30-35 宝剣岳 → △12:10-25 乗越浄土 → △13:00 千畳敷駅

駒ヶ岳ロープウェイの起点となるしらび平に向けて駒ヶ根駅前のバス停から始発バスに乗った乗客は私を含めて3人でしたが、途中の菅の台では長蛇の列ができていて1台では乗り切れないほど。しかしトモコさんは首尾よく最初のバスに乗ることができて、しらび平でバスを降りたところで無事に合流できました。彼女と会うのは昨年の東ノ川以来ほぼ半年ぶりで、そのときは私が体調不良で迷惑をかけてしまいましたが、今回は万全のコンディションで恩返しができそうです。

ロープウェイから中御所谷が雪に埋まっている様子を懐かしく見下ろしているうちにあっという間に千畳敷駅に到着し、外に出てアイゼンやギアを身につけたら近くの駒ヶ岳神社の祠に参拝。目指すサギダル尾根はその祠の真後ろに黒々とした姿(正確にはハイマツの緑と岩の灰色ですが)を見せています。

サギダル尾根の下部はハイマツに覆われているので左側から巻き上がりましたが、途中で千畳敷駅を振り返ったときに、この下部の尾根上に尾根の下から上へと伸びるワイヤーを見つけました。このワイヤーはこの後でサギダル尾根に取り付いた後も要所に設置されていたので、どうやら雪が深い時期には尾根通しに登ることができるらしいと気付きました。

ハイマツの尾根筋が植生を変えて灌木と岩が目立ち始めるあたりを起点とすることにし、ここでロープを結ぶことにしました。サギダル尾根は技術的には易しいとされており、フリーソロで登る人も少なくないのですが、やはりパートナーとロープを結んでランナーもとりながら登らないとアルパインの気分が出ません。リードは私、ビレイよろしくお願いします。

しかし、ここで左隣を見ると雪の斜面を登るスキーヤーたちの姿があって彼らが目指す極楽平はほとんど真横に見えており、かたや我々の行く手を見上げれば雪は皆無の木登り状態。これはあっという間に終わってしまいそうだな、とこのときは思ったのですが……。

木の根をつかみながらしばらく登るとやっと岩稜状態になってきました。そうそう、こうこなくてはと喜びながら岩の上にアイゼンの爪を引っ掛けつつ、岩の形状に自然に導かれて岩稜の左側から右側に移ると、ワンポイント岩が立っている場所に行き着きました。そこは岩稜の右側が切れ落ちているところで、その右側面から岩の細かい凹凸にアイゼンを利かせて乗り上がる必要がありますが、深く考えずに正対で取り付いたところ思ったほどホールドがよくなく行き詰まってしまいました。これは困ったと半ばセミのようになりながら見回すと近くにハーケンが残置されているのを発見し、やはりここが核心部であったかと心を入れ替えていったんクライムダウン。このルート上で唯一のハーケンにランナーをとってから改めて岩の形状を確認して手順・足順を組み立て、右手横引きで左体側を岩に近付ける姿勢で登ると今度はスムーズにここを抜けられました(下から続いているワイヤーはここで左に離れたところに張られていたので、残置ピンの下から左に出ればもっと易しかったのかもしれませんが、確認できていません)。

核心部を抜けたところは岩稜部分の最も高いところで狭いテラス状になっており、このピッチの長さは60mロープほぼいっぱい。そこにある岩にはワイヤーが設置されていて、これにスリングをフリクションヒッチで巻きつけてからカラビナを掛け確保態勢を作ってトモコさんにビレイ解除をコールしました。後続してきたトモコさんの姿を上から写真に撮ると千畳敷駅まで見通せて高度感があるように見えますが、実際には斜度を感じるのは先ほどの核心部の数メートルだけです。出だしの木登りパートも確保の必要性をほとんど感じないので、ここだけ考えればもっと短いロープにして岩稜になってからビレイするということでもかまわないのですが、今回のロープの長さは後で宝剣岳を下るときに生かすつもりです。

ワイヤーの強度を信用しきれなかったのでロープを極力タイトに張ってビレイしましたが、トモコさんは危なげなく核心部をクリアして上がってきてくれました。しかし、ルート上で肝心要のこのパートで十分に写真を撮れていなかった私がトモコさんに数メートルおきに「そこから写真撮って!」とリクエストを繰り返したので、むしろそちらの方が彼女にとっての登攀の妨げになっただろうと思います(スミマセン)。

トモコさんを迎えて2ピッチ目もなぜか私がリード。もっともサギダル尾根の登攀はここで実質的に終了しており、目の前の岩を乗り越えて小さなギャップをまたぎ越したら再び木登りのような歩きに戻ります。

最後にちょっとした岩を乗り越えたら傾斜が緩んで歩きとなり、主稜上のサギダルの頭に到着してクライミング終了。肩絡みでトモコさんを迎え、握手を交わしてロープをハーネスから外しました。この日、我々は始発ロープウェイで千畳敷に上がりましたし、途中で見下ろしても後続パーティーの姿はありませんでしたから、もしかすると我々はこの日サギダル尾根を登った唯一のパーティーだったかもしれません。

サギダルの頭からの360度の展望は素晴らしく、まずは右手に近く宝剣岳が見えており、そこから右に目を転じていくと南アルプス全山が勢揃いしていることに感銘を受けました。また南北に遠く見える中央アルプス主稜線上の山々の姿も懐かしいものですが、それ以上に目を奪われるのはボリューム豊かな三ノ沢岳です。この山はいつか沢登りかアイスクライミングのどちらか(または両方)で登ってみたいと長らく思いながら未だ果たせずにいますが、今となってはもはや、夏の高山植物の時期に普通に登山道を使って往復してもかまわないとすら思えてきました。そして三ノ沢岳と宝剣岳の間に見えている雪山は、近い方が御嶽山、遠い方が乗鞍岳です。春の日差しを浴びつつのんびり山座同定をしながらそれらのピークを踏んだかつての山行の数々を思い出すこの時間は、至福のひと時でした。

サギダルの頭から宝剣岳までは、距離自体は大したことがありませんが、雪が消えて岩が露出している登山道をアイゼンを履いたまま歩いているのでなかなかはかどりません。また、先ほどサギダルの頭で山座同定や写真撮影にうつつを抜かしていた私は行動食をとることを忘れていたために、だんだんお腹が空いて足が出なくなってきてしまいました。

それでもあと少しの辛抱だと自分を鼓舞し、トモコさんにも引っ張られるようにして山頂を目指していると、三角形の岩のトンネルを抜けた先にお約束の撮影スポットが現れました。

それがこの日本版「トロルの舌」です。本家ノルウェーの「トロルの舌Trolltunga」は優に10mを越える張り出しを誇っており、それと比べればこちらはたいそう小ぶりですが、岩の上は完全にフラットではないのでアイゼンを履いたままで乗って先端に進むのは勇気を要しました。万一スリップして落ちればただではすみそうにありませんが、実はこの岩の付け根には手すりロープを通すためと思われる鉄の杭が打たれているので、ここにクイックドローを掛けて自前のロープで確保するか長めのスリングを結んでセルフビレイをとることをお勧めします。

サギダルの頭から45分を要してやっと宝剣岳の山頂に到着しました。そこにいたのは、我々と同じく南から登っていた年配の男女ペアと、北の乗越浄土側から登り着いていた単独の登山者が2人の合計4人。したがって寛ぐことができるスペースは十分にありましたが、大休止をとるなら完全に安全なところまで降りてからにしようとただちに下降を開始しました。

山頂から北側へ下る道筋の鎖は露出しており、山頂で挨拶を交わした男女ペアはそちらを辿ってから雪の急斜面を際どくトラバースしていましたが、我々はロープの長さを生かしてさっさと懸垂下降することにしました。幸い支点とするのにうってつけの形と大きさの岩があり、これに回したロープを垂らしたところ十分に傾斜が緩むところまで届いてくれて、安心して懸垂下降することができました。

後は左へ、下への繰り返しの後に雪のマウンドを一つ乗り越したら乗越浄土に続くフラットな場所に出て、これで危険地帯は終了です。

北の方向を眺めると、木曽駒ヶ岳にも伊那前岳にも少なからぬ登山者の姿がありました。

千畳敷カールを見下ろすと彼方にはやはり南アルプスの山々が一列に並んでおり、その山岳展望に向かって登山者が続々降り始めています。行動食をとり終えた我々もすぐにその後に続いて、カールの底へと向かいました。

乗越浄土から千畳敷カールへの下りの道は既に午後の陽光の下でぐさぐさに雪が腐っており、慣れている者ならまっすぐ前向きに下降することも可能ではあるものの、ほとんどの登山者は身体を横にして一歩一歩下っています。ロープウェイでアプローチできることもあってここは雪山の経験が少ない登山者が登ってくることも多いようですが、そこそこの斜度があるのでもし凍りついていたら相当に緊張することになりそう。実際に、今月8日には前夜の雨が気温の低下によって斜面を凍らせたために4人が滑落していずれも足を骨折する重傷を負っています。

そんなわけで我々も足元に気を遣いながら下っていたのですが、ふと見上げると宝剣岳の東面のリッジに鮮やかなオレンジ色のウェアを着たクライマーの姿が目に入りました。そのクライマーが立っている位置の少し上には顕著なクラックが走っているスラブ面があり、ちょうど私の横を下っていく男性2人が「この時刻でオケラクラック手前なら十分明るいうちに降りて来られるはず」といった趣旨の会話を交わしているのを耳にして、そこが以前検討したことがある宝剣岳中央稜であることを悟りました。しかし、こうして見るとオケラクラック自体はさほど立っていないけれどそこまでのルートが読めないなぁ、それにどこを登るにしても傾斜がきつそうだなぁ……。

宝剣岳中央稜なんて私には関係ありません……と言わんばかりにさっさと下っていくトモコさんの背中を追って千畳敷駅に帰り着いたところで山行終了。幸い下りのロープウェイには待ち時間なく乗ることができ、トモコさんは菅の台からマイカーで帰阪、私は駒ヶ根バスセンターから高速バスで帰京。山行終了時刻が早かったおかげで2人ともさほど遅くない時刻に帰宅することができました。

サギダル

サギダル尾根の名前の由来は何か?「サギダル」とはしらび平の少し上で中御所谷から分かれる支流の名前なので、このサギダルが詰め上げる先のピークがサギダルの頭であり、今回登った尾根はこれにつながる尾根だからサギダル尾根と呼ばれていると考えるのが素直ですが、地形図を見るとサギダルが詰め上げる先はサギダルの頭ではなくその南にある島田娘(2858m)なので困惑してしまいます。

▲沢の名前としての「サギダル」。(「山と溪谷オンライン」より引用)

ちなみに『日本登山体系』ではこの沢の名前は「サギ谷」で、その出合にある2段80m滝をサギダルとしていますが、手元にある古い地図で中央アルプスの沢の名前を見ると「ハシゴダル」「アマダル」など(沢全体を滝と見たてられるほど急峻な)沢の固有名詞として「ダル」を使っている例がいくつか見られるので、サギダルも同様に沢の名前だと考えられそうです。

▲「ダル」の用例。(『保存版日本登山地図集総集編』(日地出版 1986年))

また、宝剣岳周辺には残雪期になるといくつかの雪形が現れて農事の参考にされていたことはよく知られていますが、有名な「島田娘」が雪が溶けたあとの黒い部分の形に基づく(ネガ型)のに対し、サギダル尾根の左斜面=極楽平カールに残った雪の形(ポジ型)が「白鷺」に見えるとしてこれを写真で示しているサイトもあります。これが正しければ(沢のことはいったん横に置いて)サギの雪形の上にあるピークだからサギダルの頭だと言えなくもなさそうですが、駒ヶ根市が市制50周年を記念して2005年に刊行した『駒ヶ根市史自然編 I 「中央アルプスの自然」』(p.334)を読むと次のように記されていました。

島田娘のすぐ上に、丸い山頂(正式にはサギダルの頭)からほぼ直線状に谷が落ちている。この谷をサギダルという。サギとは言うまでもなく鷺であり、ダルとは滝である。

翼を広げて白い鷺が舞い下りるかのような雪形が現れるが、その白鷺が滝のように谷底に流れ落ちる雪渓の形を、サギあるいはサギダルと形容したのであろうし、またそれが地名とされてきたと考えられる。

▲『駒ヶ根市史自然編 I 「中央アルプスの自然」』(駒ヶ根市教育委員会・駒ヶ根市立博物館 2005年)より引用。

この『駒ヶ根市史』に掲載された写真を見ると「サギダルのサギ」は島田娘(雪型)と稗蒔小僧(「種蒔爺」と呼ばれることが多いが違うらしい)の間に位置することになり、そこは極楽平カールから南へ尾根をひとつ跨いだ場所になるのでやはり現在のサギダルの頭とは結びつきません。おおらかな昔の人は島田娘(ピーク)とサギダルの頭を区別していなかったのだろうか?しかし下の写真でわかるように、駒ヶ根から見るとサギダルの頭は意外にはっきりと独立したピークの姿を持っています。『駒ヶ根市史』の本文の中に丸い山頂(正式にはサギダルの頭)と書かれていることも踏まえると、もともとサギダル(沢)が詰め上げる丸い山頂が「サギダルの頭」と呼ばれていたのが、いつの頃からかその下に現れる島田娘(雪形)の名前がピークの名前にも用いられるようになり、それまでの「サギダルの頭」という呼称がサギダル(沢)から切り離されて北隣のピークに移ってしまったということも考えられなくはありませんが、真相は藪の中(春山だけに……)です。

▲登攀前日の夕方に駒ヶ根市内から撮影した宝剣岳とその周辺。島田娘はよく見えているのに対し、サギの方はまだ形をなしていないようだった。(2023/04/22撮影)