富士山〔主杖流し〕

日程:2023/07/24-25

概要:富士宮口の宝永山荘を起点に御中道を1時間進んだところから主杖流しに入り、富士山頂の剣ヶ峰まで登った後、白山岳に立ち寄ってから富士スバルライン五合目へ下る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:剣ヶ峰 3776m / 白山岳 3756m

同行:---

山行寸描

▲主杖流しの入口。ここから剣ヶ峰まで一直線に登っていく。(2023/07/25撮影)
▲主杖流しの上部から見下ろした構図。この溶岩の流れの行き着く先には山宮浅間神社があるはず。(2023/07/25撮影)

この週は西日本への沢登り遠征の予定でしたが、あいにく計画していた山域がピンポイントで雨模様。せっかく遠出するのなら天気のよいときがいいよね、というわけでこの企画は延期となり、ぽっかり空いた時間を使って一人で富士山に向かいました。先月のシャモニー旅行の前に高度順化トレーニングでお世話になったことのいわば御礼参りという名目ですが、単に登山道から登ったのでは面白くないので、前々から気になっていた主杖流しをこの機会に試してみることにしました。主杖流しとは富士宮口の六合目から時計回りに御中道を1時間ほど歩いて箱荒沢を越えた先の溶岩流の跡で、富士山のバリエーションルートの中ではおそらく最もポピュラーなものです。

2023/07/24

△15:55 富士宮口新五合目 → △16:15-25 宝永山荘 → △16:35 宝永第一火口縁 → △16:45 宝永山荘

公共交通機関を利用して主杖流しを登る場合、頑張ればワンデイでもできなくはないのですが、せっかく日程にゆとりがありその間の好天も約束されているので1泊2日行程とし、初日はのんびり富士宮口新六合目の山小屋泊まりとしました。

三島駅までは小田急線と東海道線を乗り継ぎ、さらにそこからはバスの旅。平日とはいえ外国人観光客に人気の富士山のことですからバスは混むのではないかと覚悟していたのですが、予想に反してバスの乗客は10人ほどでした。2時間もバスに揺られて少々乗り物酔いを感じだした頃にようやく富士宮口新五合目に到着し、ここからこの日の宿まではわずかの歩きです。

富士山特有の礫で歩きにくい道をのんびり歩いて20分で今回お世話になる宝永山荘に到着し、受付をすませ荷物を部屋に置きましたが、まだ夕食の時間までゆとりがあるので近くの宝永火口を見物することにしました。

宝永山荘の東側へほぼ水平な道をわずかに歩くと宝永第一火口縁で、ここから宝永第一火口の全貌を見下ろすことができました。宝永火口はこの下に第二・第三と連なっており、いずれも宝永4年(1707年)の噴火に伴って形成されたもので、今のところこの宝永大噴火が富士山の噴火としては最も新しいものとされています。足を伸ばせば向こう側に見えている宝永山に登ったり、あるいは第二・第三火口を間近に覗きに行くこともできるのですが、久しぶりに見たこの眺めに満足して山荘に引き返すことにしました。

徐々に涼しくなってきた外気の中で生ビールを一杯、しかる後にお待ちかねの夕食ですが、出されたものはカレー(おかわりなし)と若干の副菜でした。うーん……夕食がカレーのみというのは富士山の定番なので不平を言うつもりはありませんし、宝永山荘のもてなしは家族的で温かいものだったのでその点ではいい山小屋だなと思ったのですが、客観的に見てカレー1杯で翌日の富士登山に必要なカロリーを提供できているとは思えません。宝永山荘は立寄り客に対して各種定食を含むさまざまな食事メニューを用意しているので、このカレーは宿泊客に向けて一度にたくさん配膳するための便宜上の選択なのだろうと思います。

ちなみにこちらは1カ月前に泊まったイタリアのマルゲリータ小屋(標高4554m)の夕食です。宿泊費が€100ととても高いので単純比較はできませんが、これだけ食べればその日の消耗を補い、翌日の活力を蓄えるに十分であることは一目瞭然です。ここまでのものを提供することを富士山の山小屋に期待しようとは思わないものの、せめて食事のメニューを事前に開示し、登山者が自衛(副菜を持参するなど)できるようにしてほしいなと思いながら、自分は追加で「赤いきつね」を買い求めました。

2023/07/25

△04:50 宝永山荘 → △06:10-20 主杖流し → △09:35-40 剣ヶ峰 → △10:15-30 白山岳 → △10:40-50 吉田口頂上 → △12:30 富士スバルライン五合目

夜中から夜明け前にかけて何人もの宿泊客が出発していきましたが、自分は午前4時起床とゆったりペース。昨日のうちにもらっていたお弁当はこの手のものにしては盛りだくさんな内容で、昨夕のカレーよりもむしろ立派でした。このお弁当に元気をもらい、ヘルメットをかぶって山荘を出発したときにはヘッドランプは不要になっていました。

この時期の太陽は真東よりも北から昇るので、富士山のほぼ真南に位置する富士宮口登山道から御来光を仰ぐことはできません。それでもゆっくり高度を上げていくと、宝永山の向こう側がオレンジ色に染まってとてもきれい。

六合目から御中道に入りますが、行く手には富士山の影が空にまでかかっているのが見えて面白い。このダイナミックさは富士山ならではだと思います。ルートの方は2015年に御中道巡りをしたときと同様に踏み跡は明瞭、ペンキマークも少なからず、おおむね道に迷う心配はありません。

唯一迷いかけたのは表大沢を渡る場面で、ペンキマーク通りに進んだら沢筋の上流方向に引っ張られてしまったのですが、ふと対岸の下流方向を見ると懐かしい「お中道」の岩が鎮座していたので軌道修正できました。それにしてもこの高さでニホンジカが姿を見せたのには驚きましたが、調べてみると御多分に漏れず富士山でもシカの食害が問題となっているそうです。

西へと回り込むにつれて影富士の形がはっきりしてきて、その先に顕著な溶岩流跡が現れました。これは箱荒沢で、黄色いペンキで「ハコアラサワ2」と書かれており、そこに上方向を示す矢印が書かれているように箱荒沢自体も山頂への登路として登山者を迎えているようです。しかし今日の目的地はここではなく、箱荒沢第二・第一を渡って樹林帯を短く横断した先に出てくるやや細い溶岩流跡にやはり黄色いペンキで「主枤」(正しくは「枤」ではなく「杖」ですが)と書かれた沢筋が今回登る主杖流しです。

富士山の沢の名前については富士砂防事務所のサイトに有益な情報があり、それによれば主杖流しは鬼ヶ沢の右俣に当たります。この名前のうち「流し」というのは富士山ではよくある沢のネーミング(他に「仏石流し」「小御岳流し」等々)ですが、「主杖」が何を指すかについては十分信頼するに足る文献を見つけられませんでした。それでもあれこれ検索してみたところ次のような記述が見られたので、その信憑性は横に置きつつ備忘として書き留めておくことにします。

  • 主杖流しとは執杖流しであり、これは執達状(御教書のこと)に由来するネーミングであろう。
  • 現在「主杖」と書かれた沢筋ではなく箱荒沢が執杖流しであるという意見もあるが、いずれにしても鬼ヶ沢と箱荒沢は下流で合流して一つの沢筋になる。
  • 霊峰富士からの執達状が下される先は、溶岩流の先端部に位置しそこから富士山を遥拝して噴火鎮静を祈った山宮浅間神社であろう(主杖流しの流れ下る先に山宮浅間神社があることはGoogleマップの航空写真モードで確認しました)。

さて、主杖流しの登りは溶岩流が冷えて固まった岩の上をどこまでも辿っていくもので、フリクションは抜群である上に傾斜がさほどなく、ぐんぐん高度を上げていくことができます。これは一般登山道よりも歩きやすいかも。

ただ、標高3100mを越えたあたりからしばらくは岩が切れて赤いザレ(高温酸化したスコリア)の斜面を歩くようになり、足を踏み込んでもずるずると下がってしまって登高がはかどらなくなってしまいます。そうした中でもところどころに白い岩が点在しているので、なるべくそれらを繋ぎながら登るようにするのですが、ところにより脆かったりもするので細心の注意が必要。当然のことですがヘルメットは必携です。

幸い200mほども登ると再びしっかりした岩が繋がって歩きやすくなりました。とはいえ、ひたすら同じ斜度での登りが続く上に空気が薄くなってくるので、徐々に苦しくなってきます。

ふと見上げると剣ヶ峰の上に建つ旧富士山測候所の建物が目に入りました。そこに向かって伸びている轍のようなものは、溶岩がまだ柔らかいときにその上を岩が滑り落ちた跡でしょうか。ぱっと見には今でも柔らかそうですが、実際に踏んでみればもちろんガチガチに固まっています。

旧富士山測候所の直下では再びザレて歩きにくくなった斜面にガラス片が目立ち、ようやく登り着いてもどこから登山道に乗り上げればいいのかと試行錯誤。結局この建物の右側を回り込んで馬の背の最上部に合流することができました。これで主杖流しは終了です。

いつもなら剣ヶ峰の撮影ポイントに向けて行列ができているはずですが、この日はずいぶん空いています。しかし今さら石碑の前でポーズをとる気にはならないので、三角点の近くからお鉢の広がりを見渡したらすぐに下山にかかりました。

これまでお鉢巡りは反時計回りに回ることが多かったのですが、今回は白山岳にも立ち寄ってみたかったので時計回りに回ることにしました。もともと反時計回りを採用することが多かったのは、富士山には剣ヶ峰直下に雪が残っている時期に登ることが多く、これを登り方向で渡りたいためでしたが、今の時期であればそうした気遣いは必要ありませんし、神聖なものの回りを回るときは右手を内側にして時計回りに回るのが常道でもあります。

白山岳に到着。この日二つ目の三角点(剣ヶ峰もこちらも二等三角点)です。

白山岳の上で行動食をとりながら大休止とし、その後に久須志神社で御守りを買い求めたら、この日のイベントはすべて終了です。あとは脇目も振らず、スバルライン五合目に向けて砂礫の道を下り続けました。

主杖流しはこれと言って危険な箇所もなく、登山道よりも歩きやすいくらいの楽しい登路でした。ネット上の記録を見ても多くの登山者を迎えていることが窺えますが、それも納得です。ただし、ひたすら一本調子で登り続ける上に山小屋などのエスケープ手段がないことから、取付から山頂まで確実に登り切れる体力と経験、それに天候急変時の備えは必要です。かつて御中道は登頂経験が3回以上なければ巡ることが許されなかったということですが、主杖流しも同様に考えた方がいいかもしれません。