野呂川赤抜沢左俣

日程:2022/09/04-05

概要:鳳凰三山西面の赤抜沢を1泊2日で遡行して赤抜沢ノ頭へ詰め上がる。下山は鳳凰小屋経由で御座石鉱泉へ。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:赤抜沢ノ頭 2750m

同行:---

山行寸描

▲赤抜沢左俣の連瀑帯入口の多段滝。上の画像をクリックすると、赤抜沢左俣の遡行の概要が見られます。(2022/09/04撮影)
▲白ザレ帯に出て振り返り見る白峰三山。ここから稜線までの登りも容易ではない。(2022/09/05撮影)

この週末は天気予報が直前まで絶望的だったのですが、急展開で土曜から月曜日にかけて晴れマークが表示されたので、ソロで沢登りに出掛けることにしました。行き先候補は日帰り・泊まり取り混ぜていくつか用意してあったのですが、以前遡行したシレイ沢の印象が良かったことからその隣(広河原寄り)の赤抜沢をチョイス。

この沢は途中で右俣・左俣に分かれており、私の手元にある『東京起点 沢登りルート120』(山と溪谷社 2010年)には右俣を遡行して観音岳近くの標高2660mに達するトポが載っていましたが、こちらは右俣に入ってからのゴルジュが悪いらしく単独で入ることは困難です。そこでネット情報を検索してみたところ、まず『120ルート』自体が発刊後しばらくして改訂され左俣を紹介していること(後日改訂版を目にする機会がありましたが、右俣は岩が脆く危険度が増しているという理由でした)、ヤマレコなどの記録もほとんど左俣を遡行しており単独・ワンデイも見られることから、左俣を目指すことにしました。

ただし「赤抜沢」というくらいだから赤抜沢ノ頭に抜けるのだろうと思ったら大間違いで、それらの記録はことごとく高嶺と赤抜沢ノ頭の間の鞍部から高嶺寄り(もしくはダイレクトに高嶺)に詰め上げています。おそらく地形に従って素直に遡行すればそうなるのだろうとは思いましたが、ここは沢の名前に敬意を表して赤抜沢ノ頭を目指すこととし、自宅(都内)を日曜日の朝に出て1泊2日で稜線に出る計画としました。また、せっかく記録の見当たらない赤抜沢ノ頭を目指すので、トポを持つこともせず地形図だけを頼りにほぼ初見の状態で遡行することにしました。

2022/09/04

△11:10 赤抜沢橋 → △15:10 二俣 → △16:00 幕営地

新宿発7時のあずさ1号で甲府駅に降り立ち、9時5分発の広河原行きのバスに接続。平日の朝とあって臨時便なしに全員が座れる程度の乗客数でした。乗り込んだときに運転手さんに「広河原の手前の赤抜沢橋で下ろしてほしい」と頼んでおいたところ、その通りに橋の手前で止まってくれて、車掌さんや他の乗客の「お気をつけて」の声を背に受けながらバスを降りました。

赤抜沢橋の周辺は荒れて工事中という様相ですが、この日は稼働している重機などはなく、のんびり身繕いをしてから遡行を始めました。出だしは左岸の崩壊地ですが、少し進んでから草付きの中の踏み跡を辿ると最初の堰堤を自然に越えられ、次の堰堤も右から。三つ目の堰堤を左から越えたところで、これからしばらく(と言っても24時間未満のはずですが)人工物は見納めだなと思いながら橋を振り返りました。

三つ目の堰堤の上流はサイズの大きい岩が散乱しているゴーロで歩きにくく、幕営装備を背負ってリュックサックが重いのでバランスを崩さないよう注意しながら岩をかわし続けます。やがて直進方向と右との二俣になりますが、本流は右。河原を埋める巨岩の供給源とおぼしき崩壊地も右に入ってすぐの場所でした。ここを通過して沢筋がぐっと左に曲がるところから滝場となります。

最初の滝は右岸から岩壁が迫り、狭い谷筋に水流を落としてなかなかの威圧感ですが、左岸の斜面は開放的で出だしさえなんとかすれば階段状を登れそう。しばらくオブザベーションしてから踏み込んでみると、濡れた右壁の先に格好のホールドがあって右へ乗り上がることができ(III級程度 )、後はもくろみ通り自然に滝の上へ抜けられました。

事前の情報ではぬめりが強いということでしたが、確かに濡れているところはスリッピーではあるものの乾いた岩も存分に使うことができ、ラバーソールが不利という印象は受けませんでした(もっとも今回はソールを貼り替えたばかりのフェルトソールだったのですが)。

出だしの滝の上に出てから少し傾斜が緩んだ後に現れるこの滝がいわゆる「第1の連瀑帯」の入口だろうと思いますが、左岸の階段状の岩を快適に登ることができて楽しいところです。ただ、予想より早くこの頃からぽつぽつと雨が降り出してしまいました。

「第1の連瀑帯」を抜けていったんゴーロになったと思ったらすぐに谷幅がぐっと狭まって「第2の連瀑帯」。入口の滝は木の根を使い強引に右壁に乗り上がって通過しました。

「第2の連瀑帯」の中でもとりわけ美しい釜を持つこの滝は、真夏かつ軽装だったら釜に飛び込んで滝の中を登ることを考えたかもしれませんが、ここはおとなしく右壁から登りました。ここもおおむね容易ですが、部分的にIII級を感じるところもありました。この後には左から岩の隙間を抜ける滝や巨大なチョックストーンを左から巻く滝、木の枝を掴んで腕力頼みで岩の上に乗り上がる滝などが出てきましたが、意外にも巻く場所には明瞭な踏み跡ができていました。ネット上の記録は少なくても、それなりの数の遡行者を迎えているのかな?

左岸から顕著な尾根が張り出してくる手前にテントを張るのに適した砂地の平坦地が現れましたが、時間的にまだ少し早いのと沢床からさほど高い場所ではなかったためにこれはスルー。尾根の張り出しを左に回り込んで行くと再び大きめの滝が出てきますが、これも右岸のはっきりした巻道で通過し、大きなチョックストーン滝を難なくかわすときれいに苔むした滝が出てきました。

いかにも日本人好みのこの滝を、苔を傷めないようにそっと通過するとその上はごく短いミニ連瀑になっていて、その最後の滝を越えたところが二俣でした。

二俣に着いた時点で時刻は15時過ぎ。ここまで来ればもうどこでも張れるところでテントを張ろうと考えながら左俣に入りましたが、すぐに直登できない滝が現れます。これは左からだなと見当をつけて巻き上がり、ふと下を見るとネット上の記録によく出てくる石橋が目に入りました。どうやらいつの間にか巻き上がり過ぎていたようですが、ここは手っ取り早く懸垂下降で沢筋に戻り、石橋の下をくぐることにしました。

『2001年』のモノリスのよう……と言うと誇張になりますが、それなりに存在感のある石板が沢の上に渡されている様子は一見の価値ありです。

巻いてばかりではつまらないだろう?と問い掛けてくるような滝。しばしオブザベーションの後に右壁を直登しましたが、出だしが少々バランシー(III+くらい?)である上にホールドのぬめりも避けられないので、そこそこ神経を使いました。

この大きな滝は右岸の草付きを登り、落ち口と同じ高さをトラバース。スリップに気をつけながら滝の上に出ると、落ち口近くの左岸に平坦地が見えてきました。近づいてみるとテント2張り分くらいの広さがある平地で、比較的新しい焚火の跡も残っています。沢に近過ぎるのが気にはなりますが、雨量はさほど強くならない予報だったのでここ(標高2300m)でテントを張ることに決め、リュックサックを下ろしました。

一応薪を集めて着火にトライしてはみましたが、薪も粗朶もすっかり濡れてしまっており、火を受け付けてくれそうにありません。天気予報でもこの日の午後は雨ということになっていたのだから、まぁ仕方ない。焚火は早々に諦め、普通にガスの火で調理を行いそそくさと食事を終えてから、テントの中でウイスキーをちびちび飲みつつしばらく音楽を聴いて過ごしました。

まったくの余談ですが、4月の東丹沢周回の途上で避難小屋に1人で泊まったときに聴いた音楽は元気溌剌のThe Go-Go'sだったのに対し、今回聴いたのはThe Beach Boysの『Pet Sounds』です。

歴史的名盤とされていながらつい最近まで聴く機会がなかったのをふと思い立ってiPhoneにダウンロードしておいたのですが、残念ながら一聴しただけでは上品過ぎてピンときませんでした。

2022/09/05

△06:00 幕営地 → △06:30 赤抜沢ノ頭へ向かう沢筋の分岐 → △09:00 森林限界 → △09:55-10:10 稜線 → △10:15-20 赤抜沢ノ頭(最高点) → △11:40-50 鳳凰小屋 → △12:45-55 燕頭山 → △14:40 御座石鉱泉

5時頃になってもまだ外は暗いままでしたが、これはこの場所が谷筋の中だからだったようで、ある瞬間から周囲がぐんぐん明るくなってきたために、起床が遅れたことを後悔しました。

ともあれ朝食を手早く終え、テントを畳んでパッキングし、装備を身につけて6時に出発。下流の方角を見通すと青空が見えて、モチベーションがぐっと上がりました。ところが、おそらくここからさほど上がらないうちに高嶺へまっすぐ突き上げる沢筋への分岐があったはずなのですが、迂闊にも気付きませんでした。もともとそちらに行く計画ではないので支障がないと言えばそれまでなのですが、沢登りにおいて二俣の見逃しは致命的な結果をもたらす場合もあるのでよろしくありません。

……などと反省したのは帰宅してからのこと。好天に気を良くしながら登り続けていると、標高2400mで右から落ちてくる顕著な滝に出くわしました。地形図によれば、この滝の上が赤抜沢ノ頭に向かう沢筋のはずです。そこで観察したところ、この出合の滝は右から落ち口までは登れそうですが、落ち口あたりの傾斜がきつくホールドも乏しそうで、確保なしに突っ込める安全マージンを微妙にはみ出している感じ。そこでいったん滝を見送って直進し、落ち口より上の高さから右の草付きに入って尾根を乗り越し滝の上に降り立ちました。

すると、斜度のきつい沢筋はすぐに水涸れとなり、その向こうに湿った涸滝が立ちはだかっていました。中央突破は困難なので右手の細いルンゼ(黄色い矢印)を登り、適当なところから左へ尾根をまたぎ越すことにしましたが、この細いルンゼも決して容易ではなく、足はザレザレ、左右の壁はボロボロで緊張を強いられます。最初は手っ取り早く矢印マークの鏃の部分から左へトラバースすることを考えたものの、濡れて外傾した岩はとても乗り移れるものではなく、そこそこの高さまで追い上げられた上でやっと左に逃げられる道筋を見つけました。ところが、そこにははっきりした踏み跡が残されています。自分と同じようにこの沢を登り、ここをトラバースした者がいるのか?それにしては細いルンゼを埋めた砂の上に人の気配が感じられなかったので、もしかするとこれは獣道だったのかもしれませんが、謎です(同様の謎には後でもう一度遭遇することになります)。

ともあれ、左下へ下り気味にトラバースしていくと元の沢筋を見下ろす位置に飛び出し、おあつらえむきのがっしりと太い木も立っているので懸垂下降。今回持参したロープの長さは20mで、これがジャストフィットの高さでした。

降り立った沢筋にはもはや水は流れていないので、ここで沢靴をアプローチシューズに履き替えましたが、行く手にはザレザレになってフリクションが期待できない白い涸滝が連なります。いくつ目かの滝を左から若干の藪漕ぎを交えつつ巻いたところでGPSを確認したところ、目指す方角に対して左側の沢筋に引き込まれかけていることが判明したため、獣道の助けを借りて等高線に沿って右にトラバースして軌道修正しました。

ところが、これが本線と思われる谷筋を見下ろす位置から上流を眺めると、そこにはまたしても突破不能な涸滝が待っています。これを見たときには目の前が一瞬暗くなりましたが、仕方ない、もはや「沢登り」ではなくなるが(もっともとっくに水がなくなっていますが)尾根に逃げよう、と左右を見渡し、樹林の間隔が比較的まばらだと思われる向こう岸の尾根を登ることに決めました。いったん谷筋に降りて少し下ったところから尾根に入ってみると、ここでも獣道が通じていて思った以上に登高がはかどります。そうは言っても急な段差や背の低い灌木が密生した場所はところどころにあって奮闘を余儀なくされましたが、行く手に真っ白な稜線が見えていることが励みになりました。

標高2600mで森林限界を抜け、白ザレの斜面に飛び出しました。やれやれ、これで藪漕ぎとはおさらばだと一安心。少し登ったところから振り返ると、背後には白峰三山の巨体が見守ってくれていました。

花もキレイ。青紫はホウオウシャジン?ピンクはタカネビランジ?高山植物の花の中で自信を持って言い当てられるのはコマクサとチングルマくらいなので、もう少し勉強しなければなりません。それはともかく、白ザレ帯に出れば後はぐいぐい登るだけだと思われがちですが、この白ザレの厄介さはシレイ沢で経験済みです。花崗岩が紫外線の影響を受けて脆くなったこの斜面は、斜度があるくせにフリクションがきかず、ホールドもぼろぼろと崩れてアテになりません。

どれくらい脆いかと言うとこんな感じ。触っただけで岩が崩れて砂へと変化してしまいます。それでも騙し騙し登り続けて赤抜沢ノ頭まであと少しとなったとき、唐突に踏み跡が現れました。形からすると鹿ではなく人の足跡のように思われ、やはり他にもここを登っている人がいるのか?と驚きながらその後を辿ると、踏み跡は赤抜沢ノ頭に向かう尾根筋を左から右へ回り込んで観音岳に向かう登山道の方へトラバースしているように見えます。回り込んだ先から左上を見上げるとそこには赤抜沢ノ頭(最高点)がありますが、その手前は斜面にピナクル状の岩が密集していて手強そうなので引き続き踏み跡を追い掛けました。

ところが、その踏み跡は次の角を回り込むところで忽然と消えてしまいました。そこから登山道まですんなり渡れる道筋は見当たりませんが、左上を振り返ると岩をつないで稜線に抜けられるラインが見出せて、どうにか無事に登山道(標高2715m)に合流することができました。やれやれ、我ながらよく頑張った。

この時点では観音岳・薬師岳を越えて夜叉神峠に下る予定だったので、リュックサックをその場にデポして赤抜沢ノ頭(最高点)に登りました。せっかく「赤抜沢」を遡行したのだからこのピークを踏んでおかなければ、と言うわけです。向こう側には地蔵岳のオベリスクも見えていい気分、それでは赤抜沢の方はどうなっているかな?と見下ろしたとき、そこに自分の足跡を見つけてショックを覚えました。足跡は眼下の斜面を右から左へと回り込んでいますが、その出だしのところからいま自分が立っているこの最高点に向かって白ザレの斜面がつながっており、ダイレクトにここまで登ってくることができたようなのです。

これはピークから少し観音岳寄りに下がったところから見下ろした構図ですが、上述の通り、最高点の手前は斜面に岩が密集していて手強そうだと思ってトラバース(赤線を右から左へ)を選択したものの、見上げた位置から死角になっているところに最短ルート(ピンク)があったというわけです。この事実にはしばし撫然とするしかありませんでしたが、終わったことは仕方ない。気持ちを切り替えて下山にかかることにしました。

リュックサックを回収して観音岳に向かう途中にある大きな天然盆栽も心を慰めてくれましたが、この時点では稜線をガスが覆い尽くしており、このまま縦走を続けても展望に恵まれることはなさそうです。観音岳はこれまで2回登頂しているので固執する理由はなく、ここから最短で下れるルートを検討した結果、鳳凰小屋を経て御座石鉱泉へ下ることにしました。時刻表を確認すると、バスの便もちょうどいい感じです。

稜線の分岐から30分ほどで懐かしの鳳凰小屋に下り立ちました。ここには1986年に泊まったことがあり、それが自分にとって初めての山小屋泊まりであると共に、それまでのハイキングから登山へと変わる分水嶺のようになった山行でもありました。そんな思い入れがあったので、小屋番をしていた朗らかなお姉さんにコーラを注文してひと休みしてから昔話を持ちかけてみたところ、お姉さんは我が意を得たりという表情で次のように話してくれました。

  • 食事は今でもカレー一本で通しています!
  • オーナーは81歳ですが、今でも時々登ってきますよ。

これにはびっくり。オーナー(細田倖市氏)のお姿は1986年の山行の際に撮った写真の中にたまたま映っていて、下の写真の右手前で丹前を着ている方がそうらしいのですが、やはり継続は力なりと言うことなのでしょうか。

もう少し寛いでいたいところでしたが、御座石鉱泉15時15分発のバスに間に合わせるためには長居はできません。お姉さんにお礼を言って、ここからは脇目も振らず下りました。

……と言いたいところですが、この下山の道も何かと魅力的です。しっとりと霧に覆われた苔むす登山道や、燕頭山のサルオガセ。さらに旭岳の石碑(「猿田彦大神」「旭嶽頂上」)はかつて講中登山が盛んだった頃の名残で、そのための宿(おそらくは御師の住まいも)が麓の旧甲州街道沿いにあることを以前この目で見ていますが、それにしてもピークでもなんでもないこの位置を「旭岳」として信仰登山の対象とした理由がわかりません。麓からワンデイで往復できる距離にしたということなのかな?しかしせめてもう少し頑張って燕頭山まで足を伸ばしてもいいようにも思いますが、そこが麓から見えるかどうかという点もポイントだったのでしょうか。謎です。

御座石鉱泉に降り着いたのはバスの発車時刻まで十分ゆとりがある14時40分。風呂には入れませんが、にぎやかで親切なおばちゃんが外の水場を使って顔や体を拭くよう勧めてくれて、おかげで冷たいタオルで汗をきれいさっぱり拭いTシャツを着替えたらリフレッシュできました。おばちゃん、ありがとう。

このようにして「赤抜沢を遡行して赤抜沢ノ頭に登る」というこの山行の目標は一応は達成したのですが、最後に最高点への直登ラインを外してしまったのが残念です。画竜点睛を欠くとはこのことですが、ともあれ、トポや他者の記録に頼らずに自分の目と勘とを信じて出した結果ですから、これはこれで受け入れるしかありません。

……いや、最後に踏み跡につられてしまっている部分は大幅減点の対象だな。最高点への直登の可能性をもっと気合いを入れて探るべきでした。それにしてもあの踏み跡はいったい誰が、いつつけたものなのか?そもそも本当に人の足跡だったのでしょうか?

実は、シャモニーから帰国したときには広背筋が炎症を起こしていてクライミングどころではなく、症状が治まった後も燃え尽き症候群のようになって長らく心身の疲労が抜けなかったのですが、ジム通いをしながら徐々に体調を戻して、ようやくこの山行に乗り出すことができました。そのことにまずはほっとすると共に、ここからいよいよ再始動です。