大洞川市ノ沢

日程:2017/06/17-18

概要:和名倉山東面の大洞川市ノ沢を遡行。芝沢出合で1泊した後、仁田小屋尾根に上がって和名倉山の頂きに立ち、二瀬尾根を秩父湖へ下降。

山頂:和名倉山 2036m

同行:ニシさん / ルーリー

山行寸描

▲市ノ沢の滝を楽しむ。難しい滝はなく、のんびり楽しく遡行できた。(2017/06/17-18撮影)
▲市ノ沢の恵みをいただく。ルーリーの釣果のおかげで充実した宴会になった。(2017/06/17-18撮影)

沢友であった故ひろた氏のお通夜の席で知り合ったルーリーは、S山岳会所属。ん?ということはニシさんと同じ会?そんな会話を発端にFacebookのメッセンジャー上で話がまとまり、3人で行くことになったのは奥秩父の和名倉山の東面にある市ノ沢です。和名倉山と言えばもちろん和名倉沢の方がメジャーで、市ノ沢は下降路として使われることの方が多い印象ですが、ニシさんは数カ月前に足を怪我しているし、私も癒し渓の方が好みなので、日帰りもできる易しいこの沢を1泊2日行程として途中の焚火を楽しむこととしました。

悩ましいのは交通手段で、3人とも車を持たないために公共交通機関に頼ることになりますが、朝一番に三峰口からタクシーに乗って大洞林道の奥まで行こうと数日前にタクシー会社に電話を入れたら「もう予約でいっぱいです」とにべもない返事。仕方ない、西武秩父駅8時半発のバスに乗って林道入り口で降ろしてもらい、そこから1時間歩きましょうと申し合わせたのですが、当日そのバスに乗ってみても2人の姿はありません。それもそのはず、ニシさんもルーリーも三峰口駅8時半だと勘違いしていた上に、ルーリーに至ってはどこでどう間違えたか、気が付いたら秩父鉄道で三峰口とは反対方向にはるか彼方の石原にいる始末。S山岳会は朝の定時集合が核心部(?)であるとは聞いていましたが、ここまでとは恐るべし!

…などと偉そうなことを言う資格は実は私にはなくて、私もひろた氏と初めてご一緒したときは寝坊で大遅刻した前科を持っています。ともあれ、三峰口の駅に着いたところで私もバスを降りて、まずはニシさんと合流。ニシさんと山行をご一緒するのは2014年の葛根田川以来になるのかな?ルーリーがここに到着するのは10時27分ということなので計画に対し2時間弱の遅れですが、もともとゆとりのある日程を組んであるので問題はありません。ニシさんの昨冬の武勇伝を聞いたり、鉄道むすめ・桜沢みなのさんに挨拶したり、駅前名物らしい柴崎製菓の草餅をいただいたりしながら時間をつぶしているうちに都合よく1台のタクシーが駅前につけて人待ち顔をしてくれたので、ルーリーが恐縮しきった顔を見せたところで直ちに出発することができました。

2017/06/17

△11:05 サメ沢橋ゲート → △11:15-35 大洞ダム下降点 → △13:50-14:00 岩穴沢出合 → △14:25 船小屋沢出合 → △15:20 芝沢出合

バス道路は秩父湖にかかる二瀬ダムを渡って湖沿いをしばらく進んだあと、ヘアピンカーブを左に曲がって三峯神社へと登っていきますが、そのヘアピンカーブを曲がらずに直進するのが大洞林道です。この道は、一部ダートになり落石もちらほらありますが、タクシーの通行には支障ありません。運転手さんもここを走るのは慣れている様子で、すいすいと奥へ進んでくれてサメ沢橋に設けられたゲートの前まで我々を運んでくれました。

ゲート前には数台分の駐車スペースあり。その手間の路肩にも数台駐まっていましたから、5、6台程度はここに置けるのでしょう。橋を渡ってさらに舗装路を10分ほど歩いたところに出てくる簡易な建物とモノレールが大洞ダムへの下降路の目印で、ここで身繕いをすることにしました。

モノレールがあると言ってももちろん乗れるわけではなく、その脇につけられた急ながら明瞭な踏み跡をジグザクに下っていくことになります。ダムの対岸側にある「標高660m」という標識に従って高度計を調節してから、その先の踏み跡に入りました。

踏み跡は湖面に対し少し高いところをトラバースしていきますが、やがて不明瞭になるあたりで左手の川筋へ降りることにしました。斜面が緩んでいる様子なので慎重にロープを出し、降り着いたところから右手へ少し進むと堰堤が現れました。ここが正しく市ノ沢である証拠です。

出だしからゴーロの間にところどころ小さな滝があって、飽きません。

ちょっと緊張したのはここ。釜の右壁にロープがぶら下がっていて、私はあえてそれに触らずに1段上がったのですが、そこでホッとしたところ、トラバースで足元の土が剥がれてずるずると落ちそうになってしまいました。落ちても釜なので濡れるだけですが、それでも冷や汗をかきました。

やがて出てくる短いゴルジュは出だしの滝が簡単ながら面白く、ほとんど濡れることもありません。

岩穴沢が右(左岸)から合流するところで、反対側の壁に生えているミズ採り休憩。今回の沢登りのテーマは「漁撈採集遡行」ですから、朝が遅れたからといって先を急ぐことはしません。ミズはいいとして、もし魚が釣れなかったらどうするのか?そのときは大遅刻したルーリーに下界の魚屋までひとっ走り買いに行ってもらう約束です。

ひとしきり仕事をした後で、遡行再開。ちょっとした釜でボルダートラバースの技を競ったり、階段状の小滝を楽しく直登したり。もっとも、もともとはナメも美しい沢であったそうですが、滝と滝の間はゴーロばかりで、ナメはほとんど埋もれてしまっているようです。

船小屋沢を左に見てトイ状の滝や小さいゲート状の滝を越えた先で、再びゴルジュが現れました。トポではここも水線通しに突破できるとされていますが、手前の釜でかなり濡れそうな上に、その先もホールドが乏しく自信が持てません。よって右から巻き。

ルーリーとニシさんは短く巻いて沢筋に降り、私はそのまま高巻きを続けましたが、後で話を聞くとここは早めにゴルジュ内に復帰した方が面白かったようです。ともあれ、ゴルジュを抜けたすぐ先で芝沢が右から入ってくる芝沢出合(標高1100m)が今日の泊まり場です。芝沢の対岸(右岸)の高台にはきれいに整地された広場があり、テントが3、4張りは張れそうですが、今日は我々の貸切でした。

私はテント、ルーリーとニシさんはツェルトを設営すると、ルーリーはさっそく釣竿を持って上流に向かいました。ニシさんと私は周囲に山ほど散らばっている薪をかき集め、ルーリーの帰還を待たずに点火!やっぱり沢登りの楽しみは焚火です。

やがて帰ってきたルーリーは、4尾のイワナを入れたビニール袋を掲げて得意満面です。素晴らしい!ある程度下ごしらえができたら、さっそく乾杯しました。

イワナは刺身、焼き、骨酒でいただき、ニシさんが持参したチーズやウインナーも焼いていただきます。私もマシュマロを供出しましたが、マシュマロを焚火で炙っていただくというのはお二人は初めてだったようで、いたく感動されました。そんな具合に飲んで食べて焚火にあたって、20時になったところで就寝としました。

2017/06/18

△06:25 芝沢出合 → △08:10-15 二俣 → △09:25-30 仁田小屋尾根 → △10:25-11:05 和名倉山 → △11:25 二瀬分岐 → △13:15 造林小屋跡 → △15:25 二瀬尾根登山口 → △15:40 秩父湖バス停

4時半起床。曇りがちなのかまだ少々暗い中、昨夜の焚火の灰に小枝のかたまりを押し付けて息を吹き込むと、自然に炎が上がってくれました。

朝食は、昨日収穫したミズと残りのウインナーを入れたラーメン。キジ紙はすべて燃やし、燃え残った金属類は回収した上で、灰の上に岩をかぶせてから出発しました。

少し進んだところに多段滝。最上段の細い滝は水流の中をダイレクトに登れます。

4mスダレ状美瀑は左端から。滝もさることながら苔が美しく、楽しくなってきます。事前の情報では幕場は芝沢出合しかないとのことでしたが、スダレ状美瀑のさらに上流にも、多少の傾斜や凸凹を我慢すれば泊まれそうな段丘があちこちにありました。しかし、そのところどころに大型動物の黒々とした糞が残されており、そうしたものを目にした都度、笛を鳴らしました。

標高1250mで右から入ってくる枝沢は見逃さなかったのですが、気圧が下がってきているためか手元の高度計が示す標高が相当ずれているために徐々に読図が難しくなり、左から合わさる枝沢を二つ見送った次の二俣で迷ってしまいました。ここはどこ?正面の沢よりも左俣の方が沢床が低いために本流らしく見えますが、水量比は1:1。ここでGPSを使って現在地を確認し、さらにトポをきちんと読み返せば、本流を詰め上げた先は和名倉山から東に伸びるナシ尾根であって左の仁田小屋尾根ではないので正面の斜度のある沢に進むべきだと気付くはずなのですが、我々の選択は「左」。

しばらく進んだところで「やっぱりおかしい」とジオグラフィカを起動したところ、この沢筋は急傾斜で仁田小屋尾根の1800mあたりを目指しており、既に自分たちの標高は1500mを超えていました。いったいいつの間に!と3人とも狐につままれたような表情になってしまいましたが、こうなったら上を目指すしかありません。

水はすぐに涸れてしまい、ぐずぐずの沢筋に見切りをつけて尾根に乗り上がるとふた頑張りほどで平らな仁田小屋尾根に到達しました。ここでヘルメットは御役御免です。やれやれ、お疲れ様でした。

仁田小屋尾根はそこそこ歩かれているらしく、踏み跡こそ判然としないものの赤テープが要所にあって迷うことはありません。霧の中の道は幻想的な雰囲気で、いかにも奥秩父という感じ。やがてナシ尾根との合流点に達すると、そこには和名倉山頂を示す道標もありました。

緩やかなアップダウンを続けていくと顕著な倒木帯に行く手を阻まれて左から回り込むことを余儀なくされましたが、それもわずかで人の声が聞こえ始め、そして和名倉山の山頂広場に到着しました。先客は、和名倉沢を遡行してきたという大部隊と二瀬尾根を登ってきた単独行。賑やかではあるものの展望皆無の山頂に立って、それでも満足感に浸りました。この和名倉山を初めて見たのは1986年の晩秋に雲取山に登ったときで、以来30年と半年を経てようやくその頂上に立つことができたわけです。感無量也。リュックサックを置いて行動食をとり、沢靴をトレランシューズに替えているうちに大部隊も単独行もいなくなってしまいました。後は4時間の下りが待っているだけです。

山頂からコメツガの間の道を進むと、少し開けた場所に出ました。ここはおそらく千代蔵の休ン場と呼ばれていた場所で、かつてはカヤトの原になっていたそうですが、今は二次林のカバの木が目立ちます。ここで直進してしまうと南の支尾根に引きずり込まれるのですが、テープや踏み跡が見当たらなくなったと思ったら早めの軌道修正が必要。先頭を行くニシさんも道に迷いかけましたが、ルーリーの注意喚起で本線に回帰することができました。

二瀬分岐までの間に2人、二瀬分岐でも東仙波方面から来る単独行を見掛けましたから、和名倉山は意外に少なくない登山者を迎えているようです。この分岐から北へ下る道はコメツガの林になっていて静かな佇まいでしたが、すぐに北のタルに達して、そこからは尾根の右斜面をトラバースしながら下ることになります。

展望のきかない道をひたすら下り続けて、やがて水場の下に現れた広場は造林小屋跡。ここからしばらくは幅2mほどの道が等高線に沿って水平に続いており、明らかにこれは軌道跡です。

途中には崩壊地もあって登山道維持の大変さを実感しましたが、水平な道が反射板跡地で終わったら再びひたすら下りの道となります。「この長い道をピストンするなんて考えられない!」と悪態をつきながら退屈な山下りを続けましたが、尾根の右は植林された針葉樹、左は広葉樹という対照的な姿も、人の手がとことん入ったこの山らしいと言えます。

最後は秩父湖にかかる吊り橋に到達して山道下りは終了です。埼大山寮のところで車道に出て、この辺りはフリー乗降区間なのでここでバスを待ってもよかったのですが、それでは山行として完結しない気がしたのでさらに15分歩いて二瀬ダムを渡り、秩父湖バス停に着いたところでようやくリュックサックを下ろしました。

沢登りの後はやはり入浴したいもの。西武秩父駅に併設された「祭の湯」は、今年の4月にオープンしたばかりです。

お風呂のテーマパーク的な作りは高尾山口の「極楽湯」を連想させますが、のんびり湯につかり、さらにマッサージチェアで身体をほぐすことができて、ここもまた極楽気分にさせてくれます。

最後はフードコート「祭の宴」で〆。いやしかし、ルーリーがこれほど爆飲する人とは知りませんでした。ジョッキのビールを立て続けに四杯飲んで、さらに日本酒の利き酒セットにも手を出す健肝家。私はそこまで飲めませんが、この「酒匠屋台」でイチローズ・モルトを売っているのは発見でした。次にここに来ることがあったら必ず買い求めるつもりです。

皆伐の跡

和名倉山から二瀬尾根の下りは長くてうんざりしましたが、ところどころには美しい苔などもあって癒されました。例によって接写してみるとこんな感じ。北八ヶ岳を連想させて綺麗です。

……とは言うものの、この山には随所に「仕事場」の気配が残っています。もともとコメツガやシラビソの原生林に覆われた美しい山だった和名倉山には炭焼きが入るくらいだったのが、1950年代後期から1970年近くまで地元の大滝村による大規模な伐採が行われたそうで、我々が辿った沢筋にも下山に使った尾根の上にも材木搬出に使われたケーブルが朽ちた姿で落ちていましたし、ドラム缶だの一斗缶だの一升瓶の残骸だのもあちこちに放置されていました。

造林小屋跡から反射板跡まで水平に軌道が伸びていたらしいことも上述の通りで、帰宅してから調べてみたら数年前まではレールや潰れた造林小屋の屋根が残っていたようです。ここで切り出された材木はケーブルで麓に降ろされたあと、森林軌道で秩父湖付近に集積されてから荒川を用いて下流へ運び出され、あとには裸になった山肌が残るばかり。さらには山火事にも見舞われていっときはハゲ山となってしまった和名倉山も、私が初めてその姿を眺めた1986年には二次林が育ち始めていたようです。

仁田小屋尾根に上がってから見掛けたダケカンバは天然の二次林、下山途中で見掛けたカラマツは伐採のあとに植林されたもの。

これはコメツガ?だとしたら原生林?しかし道端の苔むした切り株をみると、これも二次林である模様。皆伐を免れた原生林は、山頂付近にしか残されていないようです。