第12回日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」(敗退)

日程:2004/10/10-11

概要:奥多摩の山々をめぐる71.5kmのコースを24時間以内に走破する長谷川恒男CUP。残念ながら大ダワで途中棄権。

山頂:三頭山 1527m / 御前山 1405m

同行:---

昨年に引き続き、日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」(東京都山岳連盟主催)に参加しました。これは武蔵五日市を起点とし、戸倉三山の市道山から醍醐丸に渡って笹尾根を北上、三頭山〜月夜見山〜御前山〜大岳山と縦走して、御岳山から日ノ出山経由武蔵五日市へ戻ってくる71.5kmのコースを24時間以内で走破するレースです。昨年なんとか完走し、今年はもういいやと思っていたのですが、職場の仲間てっしーや元同僚のかっしいが参戦を決める中、行きがかり上(?)私も参加することになってしまいました。しかし、参加する以上は全員完走を目指したい。てっしーは私よりはるかに走れるので、今回の私はかっしいのサポートに回ることに決めました。レース前2カ月程の間は、この3人の間で盛んに情報交換メールが飛び交い、ともすれば「私なんかが参加していいんでしょうか」と意気消沈するかっしいをてっしーとともに叱咤激励して、ついに当日を迎えました。

2004/10/10-11

前日の土曜日、関東地方は「東日本では観測史上最大級」という台風22号の直撃を受け大荒れでした。大会スタッフの方々は、この嵐の中コースに散って支障がないことを確認しておられたそうで、その結果問題なしとのゴーサイン。しかし、大会当日の日曜日は台風一過の晴天となるかと思いきや、雨が残るあいにくの天気となりました。てっしー・かっしいとは武蔵五日市の駅前に11時集合。昨年と同じく五日市会館で受付をして(今年はちゃんと必要装備を目視確認されました)、ゼッケンとRCチップを受け取り、腹ごしらえをしながら開会式を待ちました。

市長さんの挨拶やエアロビ体操などがあって、13時ちょっと過ぎに市長さんの「GO!」の合図でスタート。てっしーは先行集団に消えていき、かっしいと私は一緒になって走りました。

最初の車道こそ駆け足になりましたが、登山道に入って後はゆっくり山道歩きでペースを測りながら進みました。雨は降ったりやんだりを繰り返し、道も滑りやすく全体にスピードが上がらない様子です。それでも第1関門の浅間峠までコンスタントに足を進められたので、完走を狙えるそれなりのペースではないかと思っていたのですが、実際にはこの時点で早くも昨年に比べ1時間近く遅れていたようです。そのうち昨年同様に眠くなってきて、西原峠でツェルトを取り出しかっしいと共にしばし仮眠。外気はずいぶん寒く雨に濡れた身体はじっとしていると震えがくるほどですが、布切れ1枚でも人が2人入るとやはり暖かいもの。しかも大会スタッフの方が外からツェルトを掛け直してくれたりして、その優しい配慮に感謝です。

しばしの休憩の後に歩行を再開し、昨年膝を傷めた三頭山から鞘口峠への急下降は慎重に下りましたが、連日の雨のためにこの辺りから先の道が泥沼化しており、登りも下りも力が入らずスピードがまったく上がらなくなってしまいました。特に月夜見山あたりは、車道はすぐそばなのにアップダウンのある悪い山道を歩かされるので「イジメ?」と妄想してしまいました。

ひたすら雨の中を到着した第2関門では飲料(水またはポカリスエット)を補給することができますが、休んでいても寒さが身にしみてきます。月夜見第二駐車場から小河内峠への下り道も漆黒の闇の中に恐ろしく滑りやすい泥斜面が続き、ほとほと困りました。かっしいのモントレイルの新品のシューズもすっかり泥でコーティングされ、見る影もありません。

御前山の長い登り道の途中で徐々に明るくなってきて、どうやらはっきりと時間がなくなってきていることを実感しました。しかもここまでの泥田のような道にパワーを吸いとられ、この辺りになるともはや足に力が入りません。ここまでの仮眠は3回、合計しても1時間に満たず、さすがにかっしいも疲労の色が濃くなって、登高ペースがめっきり落ちてきました。それでも御前山の山頂でスタッフの方から「まだ間に合います、がんばって!」と励まされて元気を取り戻し大ダワへの下降にかかったのですが、大ダワを目の前にしたところでコースタイムを確認すると、今のペースではどうやら第3関門を制限時間内に通過するのは難しそうです。ここを越えるとリタイアしても会場へ戻るのが大変になるため、残念ながら大ダワでリタイアすることを決めました。

全てのポイントにおいてそうであったように、この大ダワの事務局テントでもスタッフの方々は実に優しく参加者をいたわってくれました。この大会が好きになる最大の理由は、こうしたスタッフの方々の献身的な運営ぶりにあります。

スタッフの方に車で搬送していただいて会場に戻ってみると、てっしーは20時間01分で見事に完走していました。次々にゴールインする完走者の姿とこれを称える拍手を聞くと、次第に悔しさが込み上げてきます。いくらコンディションが悪かったといっても、レースなのだから参加者全員同じ条件で走っているわけですし、長谷川恒男CUPは「耐久レース」なので雨が降ろうが槍が降ろうが(?)決行されるのは最初からわかっていること。そういう意味では、やはり昨年の成功でどこかに慢心があったのかもしれません。来年改めての捲土重来を誓いながら、会場を後にしました。

▼タイム
開催年 第1関門 第2関門 第3関門 ゴール
2003年 05:53 12:44 19:26 22:46
2004年 06:39 14:36 棄権  

我々のリザルトは歩行時間18時間55分、距離49.55km。かっしいは自分のペースが上がらなかったことを詫びていましたが、実際にはそんなことはなく、あらかじめ予想できるはずのルート状況を考慮に入れなかったためにペース配分を誤った私のミスが原因です。かっしいをゴールへ連れて行くのが私のミッションだったのに、それが果たせず本当に申し訳ありません。