三頭山

日程:2013/02/09-10

概要:武蔵五日市駅から今熊山、峰見通り、醍醐丸を経て笹尾根を西上し、浅間峠の東屋に1泊。翌日、さらに笹尾根を進んで三頭山に達し、鞘口峠から都民の森へ下山。すなわち、日本山岳耐久レース(ハセツネ)のコースの前半。

山頂:三頭山 1531m

同行:---

山行寸描

▲縦走の模様。雪は思ったほど深くはなかった。(2013/02/09-10撮影)
▲三頭山頂から見た富士山。(2013/02/10撮影)
▲三頭山の上に広がる青空。(2013/02/10撮影)

建国記念の日の三連休、これといった予定も入らなかったので1泊2日でのんびり奥多摩を歩くことにしました。ちょうど数日前に南岸低気圧が通過して雪がついていることが予想されたので、このコンディションでハセツネコースを歩いたらどこまで行けるか試してみようという興味本位の計画です。もちろんあわよくば完走も狙いたいところですが、3日目の夕方に用事が入ってしまっているので無理はせず、時間を見ながら適当なところからエスケープするつもりでした。たまにはこういうラフなプランニングの山行もいいかも……。

2013/02/09

△10:00 武蔵五日市駅 → △11:00 今熊神社 → △15:30 醍醐丸 → △16:50 生藤山 → △18:10 浅間峠

ホリデー快速の武蔵五日市行きの方に乗って到着した武蔵五日市駅を出たのがちょうど10時。しばらく街道筋を歩いてから左に折れればハセツネで何度も歩いている道に入りますが、ハセツネのときは出だしは脇目も振らずに走っているのでコースの周囲の景色は意外に新鮮で、ことに廣徳寺の立派な山門の佇まいや新多摩変電所の偉容などはじっくり見物するに値します。

さらに驚いたのは今熊山の頂上近くからの眺めでした。北に聳える雲取山などの奥多摩の山々の右手に遠くうっすらと白い山が連なっているのが見えていますが、あれは間違いなく日光の山々です。そしてさらに右手の遠くには東京の高層ビル群がよく見えており、スカイツリーも尖った姿を見せていました。

道はところどころに残雪を蓄えながらひたすら続き、戸倉三山の南辺にあたる峰見通りの中間にあるハセツネコース10kmの標識あたりからさらに雪が多くなってきました。すれ違ったトレイルランナー4人組も「この先、雪がたくさんついていますから」と注意喚起してくれましたが、こちらは足回りがNEPAL EVOでちょっとヘヴィデューティー過ぎるくらい。醍醐丸の手前からは左手に山頂を白くした陣馬山を眺め、生藤山に着いたところで夕日を正面に見るようになりました。この日は丹沢ではダイヤモンド富士が眺められるタイミングだったのですが、西の空は雲がちでぼんやりした夕日が沈みかけており、これでは綺麗なダイヤモンド富士が見られたかどうか不明です。

最後の20分ほどヘッドランプの世話になって、この日の宿になる浅間峠に到着しました。ここはハセツネでは第1関門が設置される場所で、前回ハセツネを歩いたときは第1関門到着タイムが6時間38分だったのに対しこの日はここまで8時間20分かかっていますから、かなりのスローペースです。しかしそれもやむを得ないと思えるのは上述の通りシューズの違いがあるのと、そもそも泊まり前提の荷物にしてあってリュックサックの中に冬季用シュラフ、マット、ツェルト、火器、食料、それに水を4.5リットルも積んでいるからです。

峠の東屋は、雪が吹き込むこともなく乾いた床を提供してくれていました。ここが雪に埋もれているときは尾根上に乾いた場所を探して土の上での野宿も視野に入れていた(浅間峠の50分手前にある軍刀利神社元社境内がきれいに乾いていた)ので、これはラッキーです。二隅にあるベンチも東側は雪をかぶっていましたが西側はきれいだったので、そちらに荷物を広げました。久しぶりに出動させた軽量コッヘルでお湯を沸かしながら紙パックの日本酒で一人乾杯し、カップ焼きそばとコンビーフの夕食を済ませると、メールをチェックしてから(Softbankの電波が届いていました)すぐに床にマットを敷き、シュラフをのべ、その上にツェルトをかぶせて就寝しました。屋根があるとは言え壁はないに等しい東屋ですから、夜中に何者かが飛んで来て近くに着地する音やベンチの下に吹き溜まった落ち葉の中をカサコソと虫が動く音がしてあまり気持ちの良い寝床ではありませんでしたが、この季節なら熊がやってくることだけはなさそうだと自分に言い聞かせているうちに、いつの間にか眠りについていました。

2013/02/10

△06:40 浅間峠 → △07:50 土俵岳 → △10:25-45 西原峠 → △12:05-15 三頭山避難小屋 → △12:30-13:00 三頭山 → △13:55 鞘口峠 → △14:10 都民の森

高性能のマットとシュラフのおかげで眠っている間はぽかぽか。そのせいで寝坊をしてしまい、目が覚めたときはぼんやりあたりが明るくなっていました。

コッヘルの中に残っていた水は凍っていましたが、東屋備付けの寒暖計を見ると気温はマイナス5度で案外低くありません。すぐに湯を沸かして朝食をとり、荷物をまとめて出発しました。

峠から少し上がって振り返ると、東の方に明るく太陽が上がろうとしているところ。そして進路の左側には木の間越しに純白の富士山が見えていました。周囲の山の樹林はピンク色から徐々にオレンジ色に変わり、天頂部の空の色はどんどん青みを増してきます。しかし、この笹尾根の道はハセツネのときもその単調さと微妙なアップダウンとで体力的にも精神的にもつらいところなのですが、この雪の季節でもそれは同様で、富士山の眺めが目を慰めてくれるとは言うもののついへこたれそうになってしまいます。

ようやく西原峠に着いたところで時刻は10時半すぎ。今回は三頭山までで打ち切ろうと決めると少し気が楽になりましたが、道の方はここから斜度を上げてますます厳しくなってきました。それでも何とか三頭山避難小屋に到着して、ここでトイレ休憩をとってから最後の階段状の登山道を登りきり、凸凹した尾根筋をしばらく進むとそこが三頭山の山頂広場でした。無風快晴の穏やかな山頂では何人もの登山者が三々五々ベンチに腰掛けて休憩中で、振り返ると富士山が全貌を現しており皆が大喜びでその写真を撮っていましたが、それよりも頭上に広がる抜けるような青空に感動しました。この青空と山頂を覆う雪の白さとのコントラストを見るためなら、ここまでわざわざ1泊2日をかけて来ても損はありません。都民の森からなら2時間弱の距離ではあるのですが……。

下りは鞘口峠方面にとりました。ハセツネコースは全長71.5kmで、せめてその半分の距離を歩くためには鞘口峠まで行っておく必要があったからですが、急坂でところどころに際どいトラバースを持つこの雪道の下降は予想通り少々緊張を伴うものでした。それでも最後まで軽アイゼンに出番を与えることなく鞘口峠まで下り着き、そこから都民の森までは雪もほとんどなくなって歩きやすい道になりました。

都民の森の土産物屋兼レストランでピザとビールで打上げをしながら考えてみましたが、もしハセツネ全コースを今回のように雪のある時期に泊付きで縦走しようとすると、初日に三頭山避難小屋まで達するのは至難の業なので泊まりはやはり浅間峠。ついで2泊目は御前山避難小屋あたりに求めることになりそうですが、それでも3日目はさほど遅くない時刻に武蔵五日市に戻ることができそうです。ただしシューズはNEPAL EVOでは大げさで、もう少し軽量なものが良さそう。いずれにしても、やってできないことではないという確信はつかめました。来年?または再来年?いつになるかはわかりませんが、いずれ積雪期のハセツネコースを単独無補給で歩き通してみようと思います。

上の地形図上の太線は今回歩いたルートで、ハセツネコースはその先に細線で示したほぼ同じ距離の行程が続きます。なお過去の自分の記録を見てみたら、今回のルートのほぼ逆コースを1986年5月にワンデイで歩いていました(ただし陣馬高原下へ下山しています)。