比企三山
日程:2024/12/12
概要:東武東上線小川町駅からバスで山懐に入り、大霧山・堂平山・笠山の比企三山を周回。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:大霧山 767m / 剣ヶ峰 876m / 堂平山 876m / 笠山 837m
同行:エリー
山行寸描
沢友エリーとの久しぶりのオフシーズン山行は、彼女の住まいから遠くない比企・東秩父の山々を歩く旅。ここ数回続いていた「ネパール土産配布山行」もいよいよ大詰めですが、今回歩く山々を含む外秩父七峰は自分としても前から気になっていたコースであり、いずれ七峰をワンデイで歩き通してみたいと思っているところです。
2024/12/12
△07:15 橋場バス停 → 08:10-15 粥新田峠 → 08:40-50 大霧山 → 09:10 旧定峰峠 → 09:45-10:05 定峰峠 → 10:50 白石峠 → 11:25 剣ヶ峰 → 11:45-12:20 堂平山 → 13:00-05 笠山 → 13:55 白石車庫バス停
昨日の棒ノ折山はゆったりした行程だったのに、今日は一転して自宅を4時に出て始発電車で東武東上線小川町を目指す厳しいアプローチ。なぜそうなったかは最後に述べるとして、ぎんぎんに冷えた空気に包まれた小川町駅で川越からやってきたエリーと合流し、駅前のローソンで朝食と昼食を調達してから白石車庫行きのバスに乗り込みました。
地蔵堂がある橋場バス停で降りて、衣類を調節した後に粥新田かいにだ峠まで上がります。途中には庚申塔や馬頭観音像などがあって、この道が古くからの物流ルートであったことを窺わせました。
粥新田峠からは山道に入りますが、その前に峠越えの道の反対側にある粥新田地蔵尊の解説を読んでみるとやはり、ここは秩父と江戸とを結ぶ交通路になっていて、秩父から江戸へ秩父銘仙(絹織物)が運ばれたり、札所参詣の巡礼が通ったりした場所なのだそう。
植林の中を抜け、冬枯れの明るい道を辿り、徐々に高さを上げていった先がひときわ開けて、そこが比企三山の1番目=大霧山の山頂でした。
西から北にかけて開けた山頂からは正面遠くに大きな雪山が見えていて、エリーは思わず「富士山が見えます!」と興奮したのですが、それは富士山ではなく浅間山。近くには秩父盆地の向こうに両神山がはっきり見えていて、その向こうにちらっと白いのは八ヶ岳です。谷川岳や日光方面の山も見えるはずですが、この日は強い冬型の気圧配置のためか北の方には雲がかかっており、それらの山を同定することはできませんでした。ともあれ、こうした展望を楽しみながら道中の無人販売所で買い求めたみかんを取り出して、まずは最初のご褒美タイムとしました。
大霧山から最初は少し滑りやすい急坂を下り、その後は平坦な植林の中の道をジョグ程度の速さで気持ちよく走って切り通しになっている旧定峰さだみね峠、さらに緩やかな下り登りのある道を進むと「獅子岩」と名付けられた(確かにそう言われればライオンのように見えなくもない)岩などもあって、意外にこの区間は飽きさせません。
おまけに途中の東に開けた場所からはこれから向かう堂平山と笠山も見えて、この日の空と同じように晴れやかな気持ちでのウォーク〜ジョグが続きます。ただ、西高東低のせいで冷たく強い風が吹いており、いくら走っても身体の方は温まりません。
定峰峠には峠の茶屋があり、手打ちうどんが有名である模様。ここで冷え切った身体を温められるのではないかという一縷の望みを胸に歩いてきましたが、時間が早すぎたのか平日は営業していないのか、茶屋のシャッターは固く閉ざされたまま。仕方なく持参した行動食とみかんとを口にしてから、次のセクションに入りました。
いろいろな方向から車道が集まる白石峠を過ぎ、目の前に剣ヶ峰山頂の電波塔を見上げたところでエリーは、自分のデイパックが妙に軽いことに気づきました。あわてて確認してみると、チャックを閉め忘れていたために食料を入れたポーチがなくなっており、これはいかんと白石峠まで戻ったもののそこまでの道には落ちていません。食料を失ったことは取り返しがつくにしても、土に還らないものを山の中でなくすというのは罪悪感を感じさせるもの。エリーもすっかり落ち込んでしまいましたが、この日も何人かの登山者が我々と同じ方向や逆方向に歩いていたので、その中の誰かが拾得してくれることを祈ります。
そんなことがあって再び坂道を登って剣ヶ峰に到着したのですが、考えてみると剣ヶ峰は堂平山とほぼ同じ高さで「外秩父七峰」の一つにもカウントされているのに、なぜか「比企三山」(大霧山・堂平山・笠山)というくくりになると無視されてしまうのは理不尽のような気がします。おそらくそれは山頂の敷地が電波塔でほぼ占有されてしまっており、登山者がそこで寛げる雰囲気になっていないからではないかと思うのですが、なんとも気の毒なことです。
……などと義憤(?)に駆られているうちに比企三山の2番目=堂平山に到着しました。こちらも大霧山に負けず劣らずの展望の山ですが、それ以上にこの山を特徴づけるドームを持つ天文観測所は今では「ときがわ町星と緑の創造センター」として新たな役割を担っており、エリーも以前この近くで冬テント体験をしたことがあるそうです。
山頂での展望を存分に楽しんでから、一段下がったところにある管理棟でカップ麺を買い求め、お湯も注いでもらってキャンプサイトでランチタイム。寒い山の上で食べる熱々のカップ麺は最高です。
堂平山から笠山までは、いったん大きく下って笠山峠に達し、しばらく水平に移動してから登り返す短い行程。「笠山」という山頂標識が立っている西峰からわずかに離れたところに笠山神社の社殿(簡素ながら拝殿と本殿を持つ本格的なもの)を乗せた東峰があって、ここに着いたところで比企三山のコンプリートです。
笠山神社の鳥居は社殿の東側、すなわち小川町側にあって、神社の下社もそちら側に存在します。谷を隔てた定峰峠あたりからでもこの山はきれいな笠のかたちに見えていましたが、おそらく小川町から見ると一層顕著に笠のかたちをしているのでしょう。かたや三山(七峰)縦走路からここに登ると社殿の後ろから近づくことになってしまうので、我々はそうした非礼を詫びつつお賽銭を納めてから西峰に戻り、そこで残っていた1個のみかんを分け合いました。
笠山西峰から真西へ下る道は、最短時間で下界へ降りられる代わりに出だしの傾斜が強く、ザレた滑りやすい道を落ち葉が覆い尽くしていて少々難儀します。それでも最後は気持ちの良い森の中の道を下って里に出て、東屋やトイレも備わった白石車庫バス停に着いたところでGPSのログ記録を止めました。
白石車庫からバスに乗って、小川町駅前に着いたのは15時すぎ。山行終了後には温泉に入ってから着替えてディナーをいただこうというのがこの日のアフタープランで、前にも行ったことがある小川町の「花和楽の湯」と「atelico」を想定して山行計画を立てていたのですが、直前になって「花和楽の湯」が設備入替のために休業中であることが判明し大慌て。代替案として小川町駅から5kmほど離れたところにある「玉川温泉」に行くことにはしたものの、そのための移動の時間を見込まなければならなくなったことが私がこの日の始発電車に乗る羽目になった理由でした。
この日は早起きを強いられ、おまけにタクシー代もかさんでしまいましたが、しかし「玉川温泉」は昭和レトロな内装と強アルカリ性の湯のお肌つるつる感がすばらしく、確かに足を運んだ甲斐がありました。さらに故・常吉さんが絶賛[1]していた「atelico」では、行く前のエリーは「メインは魚にしようか肉にしようか」と悩んでいたくせにメニューを目の前にしたら(私に煽られたせいもあって)フルコースを選び、そしてすべての品に歓喜していました。もちろん私も文句なしの大満足ですが、おかげでついワインを飲みすぎてしまいました。
脚注
- ^常吉さん「今年のクリスマスイブはatelicoで」『常吉の酔いどれ日記』(2024/12/14閲覧)