大平山(常吉さん追悼山行)

日程:2024/11/13

概要:武蔵嵐山駅から嵐山史跡の博物館、嵐山渓谷を経て大平山に登り、武蔵嵐山駅へ下る、山友・常吉さん三回忌追悼山行。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:大平山 179m

同行:マツオさん / いず姫

山行寸描

▲大平山山頂近くの東屋で、常吉さんと酌み交わす。(2024/11/13撮影)

この日は一昨年の11月に亡くなった山友・常吉さんの三回忌。昨年も比企の里山を縦走して大平山で献杯しましたが、今年は私自身のネパール旅行後のリハビリ山行も兼ねているので、のんびりプランで大平山だけに登ることにしました。同行してくれたのは、常吉さんが亡くなる5ヶ月前の最後の沢登りに同行したマツオさんといず姫です。

2024/11/13

△13:10 武蔵嵐山駅 → △13:30-14:15 嵐山史跡の博物館 → △15:30-16:05 嵐山渓谷 → △16:25-50 大平山 → △17:25 武蔵嵐山駅

今日の「のんびりプラン」のあらましは、武蔵嵐山駅から徒歩15分ほどの埼玉県立嵐山史跡の博物館で地域の歴史を学習し、しかる後に嵐山渓谷を散策してから大平山に登って武蔵嵐山駅に戻って去年も入った「駅前嵐山食堂」で〆るというもの。よって昼過ぎに武蔵嵐山駅で待ち合わせるというゆっくりしたスタートになりました。

ちなみに武蔵嵐山は「むさしあらしやま」ではなく「むさしらんざん」なのだということを、今回初めて認識しました。おまけに今日の目的地である大平山も「おおひらやま」ではなく「おおびらやま」です。こんな地名の読みは紛らわしすぎるぞ!……と一人で勝手に憤っているうちに嵐山史跡の博物館に到着しました。

この博物館は、主として中世(平安時代末期〜戦国時代)のこの地域の歴史を学べるように各種出土物やジオラマを展示しており、特にこの地に居館・菅谷館を構えた坂東平氏・畠山重忠の事蹟の紹介に力を入れていました。

一通り展示を見て回った後に裏手に広がる菅谷館跡地を歩くと、小さな高台の上に畠山重忠(1164-1205)の像がありました。重忠は源頼朝の旗揚げに対し当初は平家方として敵対したものの、後に頼朝に帰順して西は一ノ谷・屋島から北は奥州合戦まで文字通り日本中を駆け巡った鎌倉幕府創業の功臣でしたが、北条時政の陰謀により謀反の疑いをかけられて討たれてしまいました。重忠はその清廉潔白な人柄から「坂東武士の鑑」と称されたと言われており、先ほどの博物館の展示やこの像を見ると、重忠が現代に至るまでこの地域の人々の崇敬の対象であることが窺えます。

菅谷館の遺構は広い範囲にわたって縄張りがよく残されていて感心しましたが、実はこれは戦国時代の後北条氏の頃のもので、残念ながら畠山氏時代の遺構は確認されていないのだそうです。

菅谷館跡の中を一通り歩いたら、武蔵嵐山の穏やかな里の景色の中を歩いて嵐山渓谷に向かいました。ここは堂平山から流れ下る槻川が大平山に西からぶつかり南に伸びた尾根を大きく迂回してから東進する位置にあって、岩畳の渓谷と紅葉や赤松林の美しさとから京都の嵐山になぞらえて昭和初期に「武蔵国の嵐山」と呼ばれるようになったところです。実は東武東上線の武蔵嵐山駅も、この景勝地が評判をとったことにより昭和10年に菅谷駅から武蔵嵐山駅に改名されたのだそう。

ここには昭和14年に与謝野晶子も訪れていて、上述の大平山から半島状に細長く伸びた尾根の先端に近いところに「比企の渓」の歌碑槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち竝びたる 山の しののめがありました。ただ、あいにく紅葉の盛りには相当早すぎたようで、最盛期には見事だろうと思えるモミジの木々の葉はほとんどが緑のまま。常吉さんがせめてあと半月がんばってくれていたら……と身勝手な願望を思わずにはいられませんでした。

さて、いよいよこの日のメインイベントを執り行う大平山山頂の東屋を目指して登山道を登ります。とは言っても標高差はわずか120m、ゆっくり登って20分の山登りです。

東屋にはすぐに達しましたが、一応これも登山なのでその先にある山頂まで片道1分の道のりを往復してから、東屋のテーブルの上に各自持参した酒盃を置き、ミニ樽の秩父錦を注いで常吉さんに献杯。マツオさんが持ってきたムキタケとナメコの佃煮(絶品!)をアテに盃を重ねながら故人の思い出をしみじみと語り合い、我々自身の来年の山行計画についても夢の風呂敷を広げました。もっとも、この日の日の入りは16時40分頃と早いので長居はできません。ミニ樽が空になったらそそくさと片付けをし、ヘッドランプを取り出して下山にかかりました。

すっかり暗くなった車道をてくてくと歩いて戻り着いた武蔵嵐山駅前の「駅前嵐山食堂」が、この日のゴールです。昨年も追悼山行の最後に訪れて常吉さん同様に私も気に入ったこの店で、まずは生ビールで乾杯してから、ネパール旅行の土産であるバフを二人に渡し、その使い方を実演(右の写真)してみせてから地図と写真とをもとに旅の様子を説明すると、ネパールでのトレッキングを経験済みの二人とも懐かしそうな表情を浮かべて聞き入ってくれました。

気がつけば酒は生ビールから日本酒に切り替わっており、これを3人で6合も飲んでいる間に次々に料理が運ばれてきていましたが、どれもおいしく居心地も良くてなかなか腰を上げられないほど。そんなわけでここにはまた足を運びたいと思うのですが、いかんせん武蔵嵐山は私の住まいからはかなり遠い。次に来られるとしたら常吉さんの七回忌のとき=4年後、その次は十三回忌のとき=10年後になってしまうかもしれません。