百蔵山〜扇山

日程:2022/10/16

概要:百蔵山から扇山までの低山縦走。いずれの山も秀麗富嶽十二景に選ばれているが、あいにく富士山の展望は得られなかった。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:百蔵山 1003m / 扇山 1139m

同行:---

山行寸描

▲百蔵山山頂。心眼を凝らして見れば、霊峰・富士の姿が見えてくるはず。(2022/10/16撮影)
▲扇山山頂。心眼を……(以下略)。(2022/10/16撮影)

この週末はジム仲間と日月で遠出の予定でしたが、月曜日が全国的に雨予報だったためにこのプランはおじゃん。そこで日曜日のワンデイでどこか登ったことがない近郊の山にハイキングに行こうと考えて地図を眺めたところ、中央本線沿線の百蔵山ももくらやまと扇山が目に止まりました。いずれも「秀麗富嶽十二景」の一つとされている展望の良い山である模様。歩行距離も標高差も手頃で、軽いトレーニングには格好です。

2022/10/16

△10:05 猿橋駅 → △11:00-10 百蔵山登山口 → △11:55-12:05 百蔵山 → △12:45 宮谷分岐 → △13:55-14:05 扇山 → △14:45 犬目丸 → △15:45-50 犬嶋神社 → △16:25 大田峠 → △16:55 梁川駅

朝、ゆっくり目に自宅を出て中央本線の猿橋駅で下車。名勝「猿橋」には目もくれずストイック(?)に山を目指します。

桂川を渡るところから前方に百蔵山と扇山が仲良く並んでいるのが見られましたが、その上は案に相違して雲が低く垂れ込めています。それでも車道を歩きながら少しずつ高さを上げていくと、途中の開けたところから背後に岩殿山の特徴的な岩壁を見ることもできて気分は悪くありません。

ストイックに……と書きましたが、道すがらの立派な神社には立ち寄りました。ここは春日神社で、当初大同3年(808年)に百蔵山の山頂に「百蔵山春日大明神」として鎮座したものの14世紀に山火事で社殿が焼けたためこちらに遷座したのだそう。

さらに歩いて百蔵山登山口に着く頃には気温の高さにすっかり暑くなってしまい、長袖Tシャツの上に重ね着していた半袖Tシャツを脱いでリュックサックにしまいました。ここから左に進んで次に出てくる分岐も左に入ると、坂道を少し登ったところにトトロがいてバス停が設けられていました。駅からここまでバスが入ってくれるなら楽ちんですが、残念ながらネコバス以外このバス停には止まらないようです。

さらに登ると和田美術館。ここは百蔵山の南斜面にいくつかのしっかりした造りの建物を点在させていますが、一般公開はしていない様子です。その後に出てきた大山祇神社(手元の地図では「山の神」)の脇にあった碑文の記述からすると、この地に住む和田至弘氏が自身のコレクションである中国主体の美術品を収蔵したもののようで、大山祇神社の石造の祠も同氏が私財をもって老朽化した社殿の建替えを実現したものだそうです。

山の神の手前で車道は終わり、そこから歩きやすい登山道をしばらく歩くとベンチが設られて眺めのよい尾根上に飛び出しました。ここからは南の桂川流域が見下ろせて、確かに一息つきたくなるところですが、ここまで来れば百蔵山の山頂まではさほど遠くありません。

百蔵山の主稜線上に乗って東に進むと松林の中を緩やかに登るようになり、やがて小広く開けた百蔵山の山頂に到着しました。ちょうど昼時とあって何組かのハイカーがのんびり腰を下ろして昼食中ですが、あいにく南の方向は雲に覆われていて富士山の眺めは得られませんでした。

百蔵山の山頂標識の隣に大月市による秀麗富嶽十二景の解説があり、それによればこの山は7番山頂で隣の扇山が6番山頂。ちなみに今まで登ったことがある山の中では岩殿山が8番で滝子山が4番です。また、ネットで検索してみたところこの十二景を一筆書きで歩くことも行われていましたが、距離は100km超えになっていました。これは自分には無理だなと思いつつ、むしろ目を引かれたのは昭和43年に氏子一同が建てたと書かれている「百蔵大明神遺跡」の石碑です。麓の春日神社の縁起に書かれていた「百蔵山春日大明神」の跡ということなのでしょう。確かにこの山頂は社殿があってもおかしくないくらいに真っ平で、社殿があったときにここを訪れた人々は神に祈ると共に富士山にも手を合わせたに違いありません。

百蔵山でのひと休みを終えたら扇山を目指します。少し東に進んだところから分かれ道を左(北東)に進んでの下り道は、部分的に驚くほどの急下降で滑りやすく、腰が引けてしまいそうになりながら慎重に下ります。

ややあって傾斜がなくなり、宮谷分岐を通過したら扇山への少し長い登り返し。少しばかりうんざりする登りではありますが、樹林の中の道は明るく足が捗ります。

そうやって登り着いた扇山の山頂はガスの中。ここも平らになっていて、恐ろしく滑りやすい土の広場の周囲にいくつもの木のベンチが設けられていましたが、眺めはまったくありません。そこにいたのは女性3人組とカップルとの2パーティーだけで、カップルの男性の方が温かいカップ麺を食べているのを羨ましく思いながら行動食のおにぎりを口にしたら、さっさと下山を開始しました。

扇山から最短で下山しようと思えば道を少し戻って手前の大久保山との鞍部から南に下り鳥沢駅を目指すのがよさそうですが、地図上で東に続く道の先に「金比羅社」とあるのが少し気になったのでそちらに向かうことにしました。

途中にある犬目丸というピークは地図に「好展望」と注記されている通り南側が開けていて、天気がよければここからも富士山が見られそう。左下には大野貯水池の水面が見えていて、これを起点に四方津駅や梁川駅の位置を推定することもできました。

犬目丸からさらに東に進んで少し下ったところで道を左へ外れた場所にちょっとした広場があり、その奥には朱色の小さな祠が置かれていました。地図に載るほどの立派さはないのだが……と思いながら近づいてみると、祠の奥には廃材や瓦が積み上げられており、広場の周囲には石垣の跡が見られます。どうやら以前はしっかりした社殿がここにあったものの、老朽化のために解体されて今ある姿になったもののようです。この小祠にしても近くに本来の台座らしき石組があるのにそこから下ろされており、さらにふと気付けばその広場に向かう道の脇には双体道祖神らしき石像が倒れていました。時の流れは戻せないものですが、少しずつこうして荒廃へ向かっている様子を見ると寂しさを覚えます。

金比羅社からしばらくは草ぼうぼうの道でしたがすぐに植林地となって歩きやすくなり、麓に出たところには金刀比羅神社の社殿が建っていました。こちらの社殿は小さいながらも風格があり、覆堂で保護されて真新しい紙垂が下がっていたのできちんと管理されているようでしたが、ぽつんとこれだけ建っていて鳥居もないのが不思議です。

ともあれこれで「山歩き」としては終了ですが、せっかくなので地図に載っている犬嶋神社に足を運んでみることにしました。先ほどの金比羅神社から少し下ったところから等高線に沿っておおむね水平に西へ向かうと下から立派な車道が合流してきて、お屋敷と呼んでもおかしくない大きな家屋の連なりの先には不思議に風情のある集落が一本道の左右に展開しています。商店街というわけでもないのにこの佇まいは一体?と思いながら歩いていると案内板が出てきて疑問は氷解。ここは旧甲州街道の犬目宿だったというわけでした。

肝心の犬嶋神社はこの街道筋から北側に離れてずいぶん上がったところにあり、樹林に囲まれてひっそりとした雰囲気でした。縁起によれば創建は元禄の頃だそうなのでさほど古いものではありませんが、樹齢300年以上という杉の木の足元にある拝殿の後ろには本殿が連なり、これを囲むトタン板の隙間から覗き込んでみると立派な彫刻が目に入りました。神輿も置かれていて、祭礼の日のこの境内の賑わいを想像することができました。

これでイベントは終わりですが、ゴールとなる梁川駅までの間には大田峠なる山越えが待っています。それでも里山のことだし『山と高原地図』にも道がしっかり書いてあるのだから大したことはあるまいとたかをくくっていたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。まずは犬目バス停から南へ下って中央自動車道の下をくぐり、太田バス停から右に曲がると車道とは思えない悪路。そしてしばらく進んだところから左後ろへ切り返すように付けられている山道を登って峠越えにかかりましたが、途中で道を外してしまったらしく踏み跡が不鮮明になってしまいます。これには少々焦りを覚えつつ、自分の持つルートファインディング能力のすべてを傾注して(つまりGPSアプリをフル活用して)軌道修正を試みた結果、どうにか大田峠に辿り着くことができました。この峠を北から南に通過する踏み跡に対して自分は東から合流する形になったので、どうやらどこかで右に曲がるべきところを南に向かって直進してしまっていたらしいことがわかりましたが、それらしい分岐の心当たりがありません。里山と言えども侮れないものだと改めて思い知りました。

最後の最後に思わぬアクシデントがありましたが明るいうちに梁川駅に到着して、富士山は眺められなかったものの十分に充実した山歩きを自動販売機のオロナミンCでの一人祝杯で締めくくりました。