甲斐駒ヶ岳〔御中道〕
日程:2015/10/18
概要:竹宇駒ヶ岳神社から黒戸尾根を登り、八合目御来迎場からかつて「御中道」とされていた八丈バンド(第一バンド)を渡って摩利支天へ。摩利支天から甲斐駒ヶ岳の山頂に達した後、その日のうちに黒戸尾根を下る。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:甲斐駒ヶ岳 2967m
同行:かっきー
山行寸描
かつての甲斐駒ヶ岳登拝路は、黒戸尾根を登って八合目御来迎場から第一バンドを渡り摩利支天から山頂に達した後に黒戸尾根を下るものだったと七丈小屋の管理人さんからお聞きしたことがあります。また『日本登山体系』の甲斐駒ヶ岳赤石沢奥壁の項にも次の記述があります。
第一バンドはトラバースバンドとも呼ばれ、登山道があって、これは元来が信仰の修行のために拓かれた道であり、古くはお中道と呼ばれていた。
この第一バンドは八丈バンドとも呼ばれて奥壁左ルンゼルートや中央稜へのアプローチに使われており、私も中央稜を登ったとき(2006年夏・2011年冬)にその基部までは歩いていますが、次第にこの道を摩利支天まで歩いてみたいと思うようになりました。このため2012年秋には七丈小屋まで上がったもののこのときは天候が悪く計画を果たすには至らなかったのですが、その後、この話をかっきーにしたところ興味を持ってくれて、今回、秋と冬との端境期であるこの週末に実行に移すことになりました。9月の富士山御中道巡りに続く御中道シリーズ第2弾です。
当初の計画では土日の2日を使ってゆっくり登ることにしていたのですが、週末が近づいてみると土曜日の天気予報は雨。それならばむしろ、軽量化の上で日曜日のワンデイで黒戸尾根を往復する方が山行としてはすっきりしています。そんなわけで土曜日の午後に高尾で待ち合わせ、甲府のおなじみ「美味小家」の厚切りロースかつ定食でエネルギーを充填してから今宵の宿となる「道の駅 はくしゅう」に向かいました。
2015/10/18
△04:10 尾白川渓谷駐車場 → △07:30-50 五合目 → △08:30 七丈小屋 → △09:10-40 八合目御来迎場 → △10:05 右ルンゼ → △10:15 左ルンゼ → △12:00-15 摩利支天 → △12:45-13:20 甲斐駒ヶ岳 → △14:05-15 八合目御来迎場 → △14:45 七丈小屋 → △15:30-35 五合目 → △18:20 尾白川渓谷駐車場
2時半に起床し、コンビニで朝食と行動食を補給してから尾白川渓谷の無料駐車場へ。少し早過ぎたので短時間の仮眠の後、ヘッドランプの明かりを頼りに黒戸尾根を登り始めました。
登るにつれて朝の明るさが尾根道に届くようになり、横手への分岐を分けた先では紅葉の向こうに朝日が差す美しい光景を眺めることもできました。
刃渡りから振り返ると八ヶ岳、そして諏訪から茅野にかけては小規模な雲海が広がっていました。さらに登ると刀利天狗で、この辺りから標高が2000mを超えると共に、信仰の山らしい雰囲気が漂ってきます。
登り始めて3時間余りで五合目に着き小休止。さらに急登をこなしてすぐに七丈小屋に到着しましたが先を急ぐ身なのでここはスルー。
八合目御来迎場からは正面に甲斐駒ヶ岳の立派な姿を見上げることができ、そのバックは真っ青な空で文字通り雲一つなく素晴らしい登山日和です。実は、土曜日の雨が上の方では雪になっている可能性もあると考えてピッケルとチェーンスパイクを持参していたのですが、登山道のところどころや斜面の日陰に雪がかすかに残ってはいるものの、東面で日当たりの良い奥壁側はそうした心配はなさそうです。そこで不要なピッケル等は八合目御来迎場にデポして、快適そうな岩小屋の前からいよいよ八丈バンドに入りました。
八丈バンドは最初の内はしっかり踏まれていて、道に迷う心配はありません。赤蜘蛛同人と共に甲斐駒ヶ岳の岩場の開拓で有名な東京白稜会の若い3人の遭難碑(1962年1月)がある場所は奥壁の全体を見渡せる小台地になっていて、かつて登った中央稜もよく見えていますが、それよりも八丈バンドの摩利支天側が大きな凹角になって高度を上げているのが目に止まりました。
こうして見る限り、左ルンゼ取付の向こう側は凹角の中の草付〜樹林となっていて危険はなさそう。残された不安要素は摩利支天の手前の直接稜を乗り越したところから摩利支天のコルまでがどうなっているかですが、こればかりは行ってみないことにはわかりません。しかし、摩利支天側から黒戸尾根の八合目岩小屋へ抜けている2011年の記録を事前にかっきーが見つけてくれているので、たぶん大丈夫なのでしょう。
それよりも、この小台地から右ルンゼへ下るザレた急斜面が悪くて緊張しました。最初に白ザレの沢筋のようなところに出て、これを足元を滑らせながら少し下って右手の草付斜面の踏み跡に入り、さらに下ったところから最後の急傾斜が足元ボロボロ。こうした白ザレは風化というよりも陽光にさらされていることが原因だそうですが、腰を落として慎重に数mを降りるとそこが古い石碑が立ち金属の角柱の残骸が倒れている右ルンゼで、かすかながら水も汲める状態でした。
さらにバンドを進んで、懐かしい中央稜の取付を見上げたところから先は未体験ゾーンとなります。しかし中央稜取付から先も明瞭な踏み跡が続いていて、そのまま左ルンゼまであっさりと到達することができました。
これが左ルンゼを見上げた図。見上げたときにはどこをどう登るのかわかりませんでしたが、帰宅してから調べたところでは、中央稜寄りから取り付き写真中央のハングの右側を抜けていくようです。と言っても岩の風化が進んでいて相当に悪そうで、むしろ冬季にアイスクライミングを交えることで登攀に成功している記録の方が散見されました。
左ルンゼを渡りきってしまうと、そこから先は草付の凹角の登りとなります。出だしこそ崩れやすい足元に苦労しましたが、そこを越えれば普通の山登りと同じ。登山道並みとまでは言えませんが、それでもやはりこちら側にも踏み跡が残され、部分的に邪魔な枝の刈り払いの形跡も見られました。少し上がって安定したところで背後の奥壁のあまりの眺めの良さとぽかぽか陽気に誘われ、かっきー持参のとらやの羊羹をおやつとして大休止をとりながら奥壁を振り返って見ると、八丈バンドの上に水平に走る第二バンドが明瞭です。
行動再開。引き続き凹角の中を高度を上げて登りきったところで直接稜を乗り越し回り込むと、そこには針金が設置されていました。そして向こうには摩利支天のコルらしき鞍部が見えていますが、そこに達するためにはコルから手前に降りてきている白ザレのルンゼの底へ際どく降りなければなりません。かっきーは「ここから右上の稜上に上がるのではないか」と見立てましたが、ちょうどそのときコルに姿を現した登山者に「すみませーん!そこは摩利支天ですか?」と尋ねたところやはりそのコルが摩利支天のコルなので、そちらを目指すことは間違いなさそうです。では、どうやってルンゼの底に降りたらよいのか?見たところでは三つの選択肢があり、一番下のバンドを目指せばルンゼの底へ自然に近づけそうですが、そこまでの足元が不安です。中段のバンドと上段のバンドとはどちらも行けそうですが、とりあえず最も安全に回り込む上段のバンドをほぼ水平にトラバースしてみました。
回り込んでみたところ、やはり下寄りのバンドを行くのが正解だったようですが、上段からも草付の中に踏み跡が下っています。しかし、ここは安全を期して私が持参した8mm30mのロープとかっきー持参の5mm30mスリングを連結し懸垂下降でルンゼの底を目指しました。
遠目には急斜面に見えていた摩利支天へのルンゼは実は緩傾斜で苦労することもなくコルに達することができ、途端に目の前が開けて仙丈ヶ岳の優美な姿が現れました。バリエーション区間が終了となるここで、かっきーとがっちり握手を交わしました。
コルから摩利支天の上まではほんの少しの登りでした。甲斐駒ヶ岳の山頂はこれまでに6回踏んでいますが、摩利支天に登るのはこれが初めてです。摩利支天の頂上にはいかにも信仰のピークらしい石仏や碑が立ち並んでおり、そして想像していた以上に広く平らな山頂は周囲の展望を楽しみながらいつまでもそこにとどまりたくなる穏やかな雰囲気を漂わせていました。
こちらからは、御中道渡りの起点となった八合目御来迎場がはっきりと見えています。普通に黒戸尾根を登っているとここにバンドがあるということはわかりませんが、甲斐駒ヶ岳を麓から見上げると(特に冬に)はっきりとバンドの存在を認識することができますから、講中の人々はそこに可能性を見つけたのかもしれません。
黒戸尾根の登りで出会う登山者はごくわずかでしたが、北沢峠から上がってくる登山者は引きも切らないようで、山頂からは大展望を喜ぶ人々の歓声が聞こえてきていました。最後の登りをこなして山頂に立つと、そこには大勢の登山者と、そして富士山や北岳、仙丈ヶ岳、鋸岳などの眺めが待っていました。
圧倒的な脚力を誇るかっきーは、八丈バンドを渡り終えるところまでは私を先に立ててくれていたのですが、甲斐駒ヶ岳山頂への最後の登りはほとんど駆け上がるようなスピードでした。なんで?と思っていたら、どうやら早く山頂に着いて持参したアルコール飲料を聞こし召したかった様子です。ただし独り占めするわけではなく、私にも一口、そして数年前の冬に尾白川での単独アイスクライミング中に遭難した親友moto.p氏にも気持ちのこもったお裾分け。これで目的は果たしましたが、ここから標高差2200mの下りが待っています。
山頂から八合目へ下る途中には、八丈バンドの途中からも見えていた、てっぺんに2本の剣を刺した大岩が立っています。これは八合目と山頂との間を行き来する者への目印だったのか、それとも八丈バンドから見られることを意識したものだったのか……。
八合目御来迎場に着きデポしていた装備を回収したところで、かっきーには自分のペースで下るよう頼みました。慢性的に膝を痛めている私とチャリ屋かっきーとではスピードに違いがあり過ぎるからですが、しかし、まさか下山時刻に2時間の差がつくとまではこのときは思いもよりませんでした。
痛む膝をだましながら七合目、五合目と高度を下げていき、横手への分岐を右に分けた先から夜間行動になりました。
最後はまたしてもヘッドランプ頼みの下降となり、登山口の竹宇駒ヶ岳神社に降り着いたのは山頂を発ってから5時間後でした。やれやれ遅過ぎです。かっきーが勧めるようにグルコサミンを摂取しようかな……。
甲斐駒ヶ岳の御中道=八丈バンド渡りは、クライミングの要素はありませんが、バリエーションルートとして面白い存在だと思いました。今回は登山口からワンデイでの慌ただしい往復でしたが、1日目を七丈小屋までとし、2日目に八合目御来迎場で御来光を仰いでから御中道に入れば、さらに楽しみが増すことでしょう。
今回の歩き方は冒頭の七丈小屋管理人さんの話に基づいて八合目→摩利支天→頂上としましたが、その反対に、かつての講中は頂上まで登拝してから奥の院である摩利支天にお参りし、八丈バンドを渡って八合目に戻っていたという話もあるそう《七丈小屋の公式ブログ》で、どちらかといえばその方が安全であるようにも感じました。ただ、いずれにしても上記のように部分的に悪いところもあるのでヘルメットと補助ロープは必携。悪場歩きにも多少慣れている必要はあります。
ところで、この甲斐駒ヶ岳の山頂は縄文土器が出土した最も高い場所でもあるそうです。宗教的動機は考えにくい縄文人が何を思ってこの山頂に達したのかは知る由もありませんが、少なくとも我々がこうして目にしている山岳展望をその縄文人も目にし、なにがしかの感銘を覚えたに違いありません。
その後、神奈川県の大山の山頂でも縄文土器片が出土していたことを知りました。しかし、この土器片は縄文人が登頂して残したものではなく、江戸時代の山伏が山頂に塚を設けた際に納めたものだというのが定説となっているようです。甲斐駒ヶ岳の山頂の縄文土器がいかなるものでどのように出土したのか詳細を把握していませんが、もしかすると同様の歴史的背景に基づくものだったのかもしれません。