明神岳東稜
日程:2006/04/29-05/01
概要:初日、明神から宮川のコル経由ひょうたん池泊。2日目に明神岳東稜を登って明神岳主峰直下で幕営。3日目、明神岳主稜を縦走して、四・五のコルから前明神沢を下降。
山頂:明神岳 2931m
同行:Niizawa氏
山行寸描
大型連休恒例のおやぢれんじゃあ隊合宿は、各人の仕事の都合などから一昨年と同様に前半と後半に分かれ、先攻のNiizawa氏と私が明神岳東稜、後攻の現場監督氏とひろた氏が前穂高岳北尾根、膝を傷めているSakurai師は居残りとなりました。
2006/04/29
△06:20 上高地 → △07:25-40 明神 → △09:10-40 宮川のコル → △11:00 ひょうたん池
金曜日の深夜に調布駅でNiizawa氏にピックアップしてもらい、沢渡からのバスに乗り継いで上高地に降り立ち、梓川沿いの道をまずは河童橋方面へ。正面に見上げる岳沢はもの凄い量の雪……というよりもデブリの渦に覆われていて、これでは岳沢ヒュッテはひとたまりもないだろうと思わせます。実は今回、Niizawa・塾長組は奥穂南稜を越えて涸沢に下り、前穂高岳北尾根を登り返して岳沢へ戻るプランを立てていたのですが、岳沢ヒュッテが雪にやられて開業できないとの情報に接したため、急遽明神岳東稜に切り替えたのでした。一方、岳沢の右手にボリュームのある姿を見せているのは前穂高岳、そしてさらに右寄りの大きな三角錐が目指す明神岳です。その姿は梓川左岸の道を上高地から明神へと歩く間も常に左手にあって進むにつれて形を変え、やがて今日の泊まり場となるひょうたん池を擁する長七ノ頭もはっきり見えてきました。そこから左上するスカイラインが、明日辿る東稜ということになります。
明神の橋を渡って道を上流に進むことしばし、樹林の中にある青い屋根の建物が目印の養魚場で、建物の前にはほとんど空のコンクリの生け簀が並んでいます。奥の壊れそうな丸木橋を渡って裏手に進み、見失いようもない程ひんぱんに出てくる赤布に導かれて雪の上を進むうちに沢筋に出ました。すっかり雪に覆われた下宮川谷を30分ほども登ると赤布のマークがある二俣状の地形になって、そこから右俣を進むと、徐々に周囲が開けてきてひょっこりと宮川のコルに到着しました。
なぜかエスパースの大型テントが残置されている宮川のコルで一息ついて、目の前に広がる雪面をさらに登ります。今日はもの凄い晴天で、上からも下からも山側からも紫外線を浴びまくっている状態。しかもここからひょうたん池にかけての2本の平坦な谷筋は上部からの雪崩の危険があるため、スピーディーに抜けなければなりません。幸い、明神で我々を抜かした2人組が適切なラインにトレースをつけてくれていて、我々もその後を追うように前方上部に見えているコルを目指してひたすら足を進めました。
真っ青な空と純白の雪面、そして何かのオブジェのように複雑な樹形を見せるまばらな樺に囲まれた雪の窪地。それがひょうたん池でした。先行の2人組はそのまま上へ向かっており、天気の良い今日のうちにバットレスの基部まで行くつもりなのかもしれませんが、我々はのんびり2泊3日行程なので今日の行動はここまで。さっそく池の底を整地してテントを張り、軽く酒盛りをして昼寝としました。
午後になって2人、単独、4人の3組が登ってきて、それぞれ近所にテントを張りました。明日も今日のような好天に恵まれればよいのですが。
2006/04/30
△05:30 ひょうたん池 → △07:30-13:50 バットレス基部 → △14:00-45 バットレス核心部 → △15:10-15 明神岳主峰 → △15:30 明神岳主峰直下のコル
目覚めてみると、期待に反してあたりはガス。煮え切らない気持ちのままなんとなくぐずぐずしていましたが、いつまでも待機しているわけにもいかないので5時半に出発しました。この時点で我々の前には、4人組だけが出発していたようです。
周囲の展望に恵まれないまま、昨日の記憶とトレースを頼りに雪尾根をひたすら登ると、第一階段と呼ばれる急な壁に突き当たりました。ここは雪が少ない年のこの時期には草付が露出していることもあるようですが、今年はすっかり雪に覆われていて、そのままロープを出すこともなく登りました。取付から直上し突き当たった露岩を右に逃げるとダケカンバの木を手掛かりにしてすっかり凍ったルンゼに入り、ここをダブルアックスとフロントポイントを突き刺しながら20mほど登って左に回り込んでから、今度はきつい傾斜の雪稜が続きます。ガスの中の厳しい登りがそろそろ嫌になってきた頃に傾斜が緩んでいったん下りだし、ここらがラクダのコルだろうなと思っていると、先行の4人パーティーはそこに膝をかかえて休憩中でした。言葉を交わすと天気の回復待ちとのことで、そのわずか数m先には昨日の2人組のものと思えるテント跡がありました。
とりあえず我々も天気待ちということにしてNiizawa氏のツェルトをかぶりましたが、そう簡単には天候が回復しそうにないので本格的にテントを張って中にもぐり込みました。ゆったり身体を伸ばしてうとうとしたり行動食を口にしたりしながら過ごすこと数時間、「もう今日はここで行動中止かな、それでも明日早立ちすれば明日中には上高地に下れるな」と思い出した矢先に、ガスが切れて正面の岩場がはっきりと見えるようになってきました。登攀再開です。
核心部は私がリードすることになっているので、テントはNiizawa氏に担いでもらって再出発。雪稜を進んで、下部岩壁は左から回り込み雪壁を登りました。2000年11月に起こった滑落死亡事故はこの下部岩壁を巻くところで起きたそうですが、その原因となったフィックスロープはまったく見えませんでした。ここをぐいぐい登るとすぐに核心部の10mスラブ(といっても下部は雪に埋もれている模様)が出てきて、その取付でNiizawa氏とロープを結びました。取付のすぐ右の凹状部がラインになっていて、こちらはフィックスロープがしっかり張られており、左壁の上部とスラブの上部にも残置スリングが下がっています。Niizawa氏に確保態勢に入ってもらって、右のスラブへ足を伸ばしました。
しかし、ここの登攀はアイゼントレーニング不足の私にはちょっとシビアでした。スタンスは外傾した狭いバンド状で、ホールドは落ち着いて探せばスラブ上や左壁に見つけられますが、出だしから心休まる姿勢を作ることができず、ついフィックスロープをつかんでしまいました。あ〜あ……。そこから微妙に上がって手を伸ばした左壁のホールドを引き付けるようにして身体を引き上げ、最初のハーケンにクイックドローをかけると、これもつかんでスラブの上段に到達。そこからは狭いバンドを右にトラバースして残置スリング頼みに上へ抜けたという記録を読んだことがありますが、左壁の上へマントルで上がる方がむしろ易しそうです。左壁の上のしっかりしたホールドをつかみ、右足は前爪をべたっと壁に押し当てて左足も左壁の上へ乗せたら、そのまま身体を引き上げてなんとか上に抜けました。フィックスはさらに上へ続いていますが、目の前に支点があったのでここで後続のNiizawa氏を確保すると、Niizawa氏はフィックスロープをつかむことなく上に抜けてきました。
Niizawa氏にそのままフィックスロープ沿いに上がってもらうと、フィックスロープの上端を固定してある場所にハーケンが固め打ちしてあるとのこと。私もそこまで上がってロープを外してから、頭上に続く急な雪壁をぐんぐん登りました。振り返ると凄い高度感でくらくらしてくるほどで、さらに1カ所草付が露出したいやらしい場所がありましたが、後は問題なく高度を上げて岩が頭上にかぶさるところで左に回り込むと、そこが明神岳主峰の頂上でした。
明神岳主峰の頂上は吹きさらしで、時折突風に身体が飛ばされそうになりました。前方には前穂高岳が見えていますが、吊り尾根の先の奥穂高岳やジャンダルムはガスの中で判然としません。反対方向にはごく間近に二峰が聳えており、その手前にあるコルへと急なガラ場を慎重に下りました。
このコルも風の通り道になっていて岳沢側の谷から厳しい風がひっきりなしに吹き上げてきており、あまり気分の良いテントサイトとは言えなかったのですが、時刻も時刻なのでここにテントを張ることにしてコルの主峰側の雪の斜面に半雪洞を掘りました。斜面に対し横向きにテントを張って中に潜り込み、ちょっと早い夕食をとってから身体を伸ばして1時間ほど休んだ頃、足がテントの入口に触れたときに何かの物体があたる感覚がありました。「?」と思って入口を開けてみるとそれは雪で、改めて周囲をチェックすると風上側(背後)・斜面側(入口に向かって左)・風下側(入口)の三方で既に数10cmも雪が吹きだまり、テントが圧迫されています。このままではテントが潰されてしまう!とあわてて外に出て雪かきをしましたが、強風はいつの間にか雪混じりになっていて、露出した顔面に当たる雪が痛い程です。ひとしきり雪をどけてテント内にシューズ&スパッツを履いたまま転がり込み、Niizawa氏と1時間ごとに交替で雪かきを続けることを申し合わせました。
ここからの一晩が長かった……。雪がテントにぶち当たるホワイトノイズのような音が続く中、強風がテントの右側面を圧迫して右側に座っている私の首を押さえつけ、左側のNiizawa氏もこれまた雪の重みで圧迫され窮屈そうにしています。時折風の音がやんだかなと耳を澄ますと、遠くから風の唸り声が響いてきて数秒後には再びテントに打ち付けてきて、これではテントの外には5分たりともとどまれそうにありません。この薄いゴアテックスの布地1枚が我々の生命を守ってくれていることに心から感謝しましたが、幸いだったのは気温が低くなかったことで、私はシュラフカバーに入ってまどろむことができました(←Niizawa氏曰く「熟睡していた」)し、Niizawa氏も膝を抱えたままでも凍えることはありませんでした。
2006/05/01
△08:20 明神岳主峰直下のコル → △09:15 二峰 → △11:55 四・五のコル → △13:35-50 遊歩道 → △14:15 上高地
スコップを握る指先がじんじん痛くなるつらい雪かきを交代で夜通し続けましたが、午前4時のNiizawa氏の雪かきの頃から降雪がおさまり、外も明るくなってきました。ようやく穏やかな気持ちになって休息しましたが、それとともにキジ心がわいてきました。しかし相変わらず外は地吹雪状態。どうしようかと逡巡の後、意を決してテントの外に出ました。ハイキング時代も含めると20数年山に登っていますが、間違いなく今回のこれが自分史上最もデンジャラスなキジ撃ちだったでしょう。
数分後にテントに戻ったときの会話。
N「このまま戻ってこなかったらどうしようかと思ってましたよ」
J「下半身露出した凍死体で発見されたら、ご先祖様に顔向けできないよね」
やがて二峰にかかっていたガスも消えてきたので出発を決意し、風の中、手早くテントを畳みました。コルから見上げると二峰の右上にもロープが垂れていますが、そちらは懸垂下降したときの残置の模様。ルートは左の凹角で、そこにもフィックスロープが垂れ下がっていました。まずはコルから数m上がり、フィックスロープの末端が露出している岩にハーケンを2本打って支点を作って、Niizawa氏がリードで登り始めます。フィックスロープ沿いに5m上がってから左へデリケートな雪の急斜面をトラバースし、凹角の入口でランナーをとって一息ついてからそのまま凹角を淀みなく登っていきましたが、どこまで登ってもランナーをとる気配がないのでせめてフィックスロープにプルージックでもランナーをとってくれと指示。やがて上からコールが掛かって後続しましたが、確かにトラバースのところの方が難しく、逆に凹角に入ってしまえば階段状のIII級程度で悩むところはありませんでした。とは言うもののこの凹角も、途中にハーケンが見つけられなかったのでリードはフォールが許されません。
左肩の終了点から右上わずかで二峰のてっぺんで、すぐ隣の明神岳主峰と少し離れた前穂高岳に別れを告げてから行く手の主稜を見下ろすと、鋭いギザギザの尾根の左下方には梓川、右手には上高地方面の景色が広がり素晴らしい高度感です。
そのまま三峰に向かって下り、コルからNiizawa氏は痩せたリッジを登っていきましたが、岳沢側からの強風にあおられて危険を感じ戻ってきました。ここまででも耐風姿勢を要する場面があったくらいなので三峰は慎重を期して右の雪面から巻くことにし、雪の状態がわからないのでNiizawa氏に確保してもらって雪面に乗り出していきましたが、雪は安定していて傾斜もさほどなく、これならロープなしでも大丈夫。三峰のピークから下っているリッジの下を回り込んで向こう側にロープを伸ばし、雪面が切れたところでNiizawa氏を迎えました。三峰から四峰への下りは部分的にクライムダウンを交え、穏やかな稜線漫歩の四峰を過ぎると眼前にマッターホルン状の五峰がすっくと立っていました。本来の計画は五峰を越えて西南稜を下るというものでしたが、昨夜の奮闘でバテバテのNiizawa氏は四・五のコルから前明神沢の雪渓を下りたいとのことなので、しばし沈思黙考。
何トカ五峰迄ト思フモ
新澤ヲ捨テルニシノビズ、下降ヲ決ス
……というのは嘘です、すみません。私自身も早いところ上高地に戻りたい気持ちになっていたので、渡りに舟とばかりにNiizawa氏の提案に乗りコルから右へ下降を開始して、稜線直下からの雪の谷筋をシリセードも交えてぐんぐん高度を下げていきました。途中ではミニ雪崩がざわざわと音をたてながら横を下っていくのに遭遇したりもしながら1時間ほどで岳沢に合流しましたが、もの凄いボリュームのデブリに夏道もわからず、樹林の中をかすかな踏み跡や地形を頼りに下り続け、最後に飛び石での徒渉も交えてやっと遊歩道に出ました。ここでギアを片付け、山行終了です。
ぐっと重くなった荷を背負って上高地まで歩くと、河童橋の近くからは先ほどまでそこにいた明神岳の稜線がよく見えましたが、入山日の明るい青空ではなくどんよりした鉛色の空の下で、山の表情は不機嫌そうでした。
帰路、松本近くのスーパー銭湯で意外に盛りだくさんだった3日間の汗を流してからこの日初めてのまともな食事をし、中央自動車道では渋滞に巻き込まれることもなく、19時すぎに調布駅でNiizawa氏と別れました。Niizawaさん、お疲れさまでした。またご一緒しましょう。