槍ヶ岳北鎌尾根

日程:2001/08/09-11

概要:合戦尾根から燕山荘へ登り、表銀座を縦走。大天井ヒュッテを越えて貧乏沢を下降し、天上沢に下り着いたところでツェルト泊。翌日、北鎌沢右俣を上がって北鎌のコル。ここから北鎌尾根を縦走して北鎌平直下でふたたびビバーク。翌朝、槍ヶ岳登頂後に槍沢から上高地へ下山。

山頂:槍ヶ岳 3180m

同行:---

山行寸描

▲見上げる大槍と小槍。北鎌平の上から。(2001/08/11撮影)
▲北鎌尾根を見下ろす。中央の顕著なピークが独標。(2001/08/11撮影)
▲槍ヶ岳山頂にて。3日間の行程中こうした展望に恵まれたのは最終日だけだった。(2001/08/11撮影)

槍ヶ岳の北に伸びる「北鎌尾根」の名前は、不世出の単独行者・加藤文太郎や「風雪のビバーク」の松濤明の終焉の地として登山者の間にはよく知られており、私も15年程も前に新田次郎の「孤高の人」で読んで以来認識の中にはありましたが、それは自分が登るルートとしてのものではありませんでした。その認識ががらっと変わったのは北鎌尾根に魅せられて通い続けているsudoさんのウェブサイト『やっぱり山が好き!』の記録に接してからで、その山行記録を読んで以来、北鎌尾根は見果てぬ憧憬からいつか達成すべき目標に変わったのでした。その後クライミング技術を学びはじめて1年半がたち、少なくとも岩の扱いに関してはそれなりの手ごたえを感じるようになった今年、いよいよ計画を実行に移すことにしました。あらかじめ丹沢で沢の登下降の訓練を行い、本番までにもう一度フル装備・単独で沢に入るはずでしたが、仕事の都合で休日出勤が続いたためにその時間を作れず、体力面に不安を残したままの出発となりました。装備は2泊分の食料(1泊分は予備)、3リットルの水、ツェルト、懸垂下降を想定した登攀用具一式等です。

2001/08/09

△05:50 中房温泉 → △08:15-30 合戦小屋 → △09:35-10:10 燕山荘 → △12:40 喜作レリーフ → △13:35-14:00 大天井ヒュッテ → △14:25 貧乏沢下降点 → △17:15 天上沢出合 → △17:30 ビバークサイト

新宿からの急行アルプスは冷房が利き過ぎてなかなか眠れませんでした。寝ぼけまなこで降りた穂高の駅でポン引きのオヤジのごとき整理員の指示されるままに相乗りのタクシーに乗り、5年半ぶりの中房温泉に到着したら登山届を提出してすぐに合戦尾根の登りにかかりました。空はあいにくの天気で降ったりやんだりを繰り返していますが、寝不足の身にはこたえる急登も合戦小屋で一段落。けんちん汁にうどんをぶち込んだみそ煮込うどんはなかなかおいしかったのですが、1/8切れ800円のスイカには手が出せませんでした。

トリカブトの紫の花が目立つようになると燕山荘ですが、稜線ははっきりと雨模様になっており、山荘の軒下で30分ほど仮眠をとってから覚悟を決めて表銀座コースを歩き出しました。槍ヶ岳の展望はもちろん望むべくもなく、途中シシウドの大群落や砂礫地のコマクサに慰められながらなんとか大天井ヒュッテに到達しました。

この頃には雨もやんで一部に青空も見えるようになり、ほっと安堵しました。ヒュッテの玄関を入ったところの壁には北鎌情報が貼り出してあり、7月16日現在とちょっと時点は古いもののヒュッテの従業員が北鎌を歩いたときの様子が書かれています。それによると貧乏沢下部には雪渓がわずかに残り、北鎌沢には雪はなく、稜線上は「あいかわらずわかりにくい」と書かれていました。ここでポカリスエットとハヤシライスを求め、人心地をつけてからいよいよ今日の核心部である貧乏沢に向かいました。

貧乏沢の下降点は大天井ヒュッテから西岳方面へ20分ほど下ったところにあり、木の標識や赤ペンキとテープで迷わず見つけられます。ここから稜線の右へハイマツの中の踏み跡を辿るとすぐにゴーロの下りになり、さらに樹林の中を急下降していくと25分ほどで貧乏沢の本流のガレ場に左から合流するかたちになります。ここから先は丹沢での訓練が生きることになりますが、悩ましかったのは右から滝が合流してくるポイントとさらに下流のスラブ状の滝の2カ所。前者はクライムダウンしようと思えばできるという微妙な難しさのところで、沢の左斜面は崩れて巻けそうには見えません。偵察のために若干下ってみましたがここを下れてもその先の落差を下れる保証がないと判断し、いったん登りかえしてもう一度左斜面を探すと、崩れた斜面にかすかに踏み跡がありその先にはっきりした巻き道が見えました。後者も同様に下れないことはないけれどという滝ですが、左岸の樹林の中の踏み跡が迷走しており時間を使ってしまいました。ともあれ、この沢は少しでも「悪い」と思ったら左岸に巻き道を求めればよいようです。

思いの外に時間を使ってようやく天上沢に到着し、そのまま上流に向かってしばらく歩いて右岸の1段高くなったところにテントを張った跡があり、明るく開けていながら頭上に木の枝が広がっている場所を選んでビバークサイトとしました。

夕食はフリーズドライのリゾットにコンビーフ、みかんの缶詰。寝るときは白砂の地面に銀マットを広げ、シュラフにもぐりこんでツェルトを掛け布団のようにかぶり、頭のところにリュックサックをもってきて広げた傘をくくりつけるとそれでビバーク態勢の出来上がりです。しかし、沢沿いの湿った空気の中でたった一人で寝るのはあまり気持ちの良いものではなく、遠くの石が人面のように見えたり、彼方からいるはずのない人の話し声が聞こえてきたりしてヤバイものを感じました。今回ロウソクのランタンを持ってきていたのですが、身近に火があることがこれほど心強いものとは初めて知りました。

2001/08/10

△06:55 ビバークサイト → △07:15 北鎌沢出合 → △10:15-30 北鎌のコル → △12:30 独標手前のコル → △14:20 独標の先の小ピーク → △17:05 北鎌平直下のビバークサイト

夜中に何度か降られたものの傘とツェルトのおかげであまり気にはならなかったのですが、どんより曇ってなかなか明るくならないために起床が遅くなってしまいました。ラーメンを作って食べ、朝のお勤めを終えてパッキングをしてから出発したら、気のせいか焚火の匂いがするなと思ったところで右手にガレの押し出しが見えました。これが北鎌尾根への登りに使う北鎌沢で、見た目は案外に小さな沢ですが、木の枝に銀マットを巻いたオブジェやケルンがあってすぐにそれとわかります。出合からすぐのところには文富ケルンという加藤文太郎と吉田富久の慰霊碑もあるということでしたが、これは見つけることができませんでした。少し登って本流の左俣に別れを告げ急なガレの右俣に入りふと上を見ると、30分ほど先行しているであろう位置に2人組の登山者がこちらを見下ろしているのが見えました。試みに手を振ってみると向こうも手を振りかえしてきて、昨夜の「幻聴」や焚火の匂いの主は彼らであったかとほっとしました。

沢の登りの途中に2カ所ロープが残置されているところがありますが、最初のロープの岩は左に回りこんでまずリュックサックを上に押し上げてから小さなカンテをつかんでレイバック気味に上がり、2本目のロープは左から巻き上がってかわしました。そうしているうちにも雨は本降りになったり小康状態を得たりといった状況でまことに具合が良くありません。落ち込みがちな気持ちを奮い立たせながらガレを詰め、最後の二俣を右にとって登りきったところが北鎌のコルでした。途中で給水したりデジカメの電池を交換したりで小刻みに時間を使ったこともあってここまでのペースが遅く、この時点で早くも北鎌尾根上でのビバークを覚悟しました。水はポリタンクに3リットルとペットボトルに200ccで計3.2リットル。この天候なら水の消費量も少ないでしょうからこれで十分なはずです。

群がる虫に両腕をさんざんに食われながら北鎌のコルのレリーフの下を左手へ歩いていくと、1段上がったところのテントひと張りなら快適に過ごせそうな平地に先ほど下から見えた2人組が登攀具を身につけて休息していました。彼らは最後の二俣を左へ登ってここに登り着いたようで、聞けば餓鬼岳から縦走してきて貧乏沢を下ったそうですが、彼らも稜線上でビバークする気持ちになっているとのこと。2人組に「先にゆっくり行っていますから」と挨拶して出発しました。

……結局、槍ヶ岳までの行程で人と話ができたのはこれが最後になりました。

ここからは雨で視界が極端に悪い中を、明瞭な踏み跡に従ってひたすら登ります。ハイマツの枝や根につかまってぐいぐい身体を引き上げるようにしていくつかのピークを越えましたが、何しろピークの前後関係がさっぱりわからないので自分が今どこにいるのかすら判然としません。ただ、あるピークを越えたところにテントを張るのに都合の良さそうな小平地があり、これが以前sudoさんの記録の写真で見たP9だと気が付いてやっと現在地点を認識できました。

北鎌のコルから2時間で独標手前のコル。出っ張った岩を抱えながら回り込むポイントがあって手前にリングボルトが打ってありますが、わずかに残された足場があと何年もってくれるかは不明です(写真は回り込んだ後で振り返って撮ったもの)。

その先にはいろいろなところで写真で見た独標のトラバース道が続いています。ザレてはいるものの特に不安のないトラバースを続けて振り返ると千丈沢側に張り出した尾根の上に孤高の猿が超然と空を見上げて身じろぎもしないでいるのが見え、その姿に妙な感動を覚えつつトラバースを続けると黄色い残置ロープの垂れたチムニーが出てきました。荷物を背負ったままロープに全体重を預けるのが嫌だったのでここは左のフェースから登りましたが、雨に濡れた岩をビブラムソールで登るのはあまり気持ちの良いものではありませんでした。

5m上がったところでチムニーの右側にテラスがあり明瞭な巻き道が続いているのですが、本来はここで右に行かずに戻りぎみに斜上するのが正解だったようです。しかしあらかじめ予習していたにもかかわらず深く考えずにこの誤った巻き道に入り、いったん小さく下ってからさらに先へ進んでしまいました。ルートはそこからずっと下の方へ下っていき、その先を見るとはっきりした踏み跡が岩峰を巻いているのですが、これでは完全に独標を巻いてしまいます。そこで左手の急斜面の間にかすかに見える踏み跡を登るとがらがらのルンゼに出て、これを詰めたところがどうやら独標とその一つ先の小ピークの間のコルだったようです。

崩れやすい踏み跡を小ピークの方に上がって、ふと上を見るとスリングが垂れています。あそこに登るのだなと思って急斜面を登りましたがどうも様子が変で、スリングが垂れている岩峰の右手には踏み跡がなく、左手の赤茶けた小さな肩に登り着いてみると向こう側はすっぱり切れ落ちて先に進めません。このスリングは自分と同様に誤ってここまで登った登山者が懸垂下降の支点として作ったのでしょうか?それにしてはハーケン1枚にスリング1本かけただけで中間確保支点にしか見えませんが、いずれにせよこのルートは誤りで、どこか下の方から小ピークを回りこまなければならないようです。危なっかしい斜面を慎重にクライムダウンして元のコルに戻ったものの、どうしてもここから先の道は先ほどの踏み跡以外に見つかりません。覚悟を決めて下の巻き道に向けてルンゼの右端を下りかけたとき左手の小ピークの右肩あたりに辿り着けそうなラインが見えて、ルンゼを横断して岩屑の斜面をゆっくり登るとそこにある踏み跡に合流することができました。してみるとやはり先ほどのコルからここまで続くルートがあったのに違いありませんが、どういうわけか自分にはそれが見つけられなかったのです(2012年に再び縦走したとき、シンプルに小ピークの上を通れば良かったのだということがわかりました)。さらに、そこから少し進んだピークから前方を見るとどこかで見たような地形がガスの中に浮かんできました(下の写真)。これは今年の7月にこのコースを歩いた現場監督氏の『K.U.Outdoor Site』の「北鎌の歩き方・夏編」に出てくる写真と同じだと判断し、どうやら正規のルートに出たことがわかってようやく安心しました。

ここから先は、雨と霧の中をひたすら稜線通しに歩きます。直登できるところはためらわず直登すると必ずその上には踏み跡が続いていますし、行き詰まったら少し戻れば左右どちらか(基本的には右)へ下るルートを見出すことができます。この辺りは細かいクライミング技術が問われる場面はなく、むしろ沢登り(&沢下り)をやっていて崩れやすい岩場での登下降に対する抵抗感がなくなっているとスピーディーです。それでも左手の際どいバンドをトラバースしたり、ピークによっこらしょと乗り上がる瞬間にフットホールドにした岩が崩れたりと冷や汗をかく場面もありました。とにかく道標はおろか鎖もペンキ印もない、同行者も先行者もいない完全に自己責任の世界で、信じられるのは自分のルートファインディング能力と目の前の岩だけです。

相変わらずの悪天で位置の確認が困難ですが、顕著な岩峰を右に巻くしっかりした道に入ったのでここがP15の巻き道だと当たりを付けました。やがて稜線上のテントサイトのように平らな場所に出て、これは北鎌平の直下だとわかります。前方は灰色に煙って何も見えませんが、ここからなら山頂まで2時間あれば十分でしょう。とはいえ時刻は既に17時で、ビバークするならもう設営にかかりたい時刻。道は正面の岩峰の右手に巻き下がっていますが、ふと左手を見ると岩の下に風雨を避けられるかっこうの場所がありました。このまま進んで山頂に19時ではこの天候だとさすがに暗くなるし、登山者もいないだろうから拍手で迎えてもらえないではないか。それより何より、このまま抜けてしまったのでは自分にとっての北鎌はただの雨の岩稜に終わってしまう。よし、ここでビバークだ!

……と覚悟を決めました。

残置ピンと岩角を使ってロープを張り、ツェルトを吊り下げて中にもぐり込むと、静かで快適な空間が作れました。近くの岩壁からは雨水がしたたって水の確保に困らず、雨天時のビバーク場所としては案外悪くありません。さすがに銀マットを背中に敷いて寝ている間に滑り台のように目の前の斜面に落ちるのは恐いので、リュックサックの中身を全部出して寝床代わりにし、銀マットは足の下に敷きました。北鎌のコルで食べたスニッカーズ以来固形物はとっていなかったのですが、疲労のせいかあまり食欲はないので、粉末のレモンティーをお湯に溶きカロリーメイトを2本食べ、さらにここまで後生大事に持ってきた白桃の缶詰を取り出したところ、疲れた身体に白桃の柔らかくしっかりしたボリュームと甘味が素晴らしくおいしく感じられ、持ってきてよかったと心底思いました。食事を終えたらシュラフにもぐり込み、ヘルメットをかぶったまま横たわるといつの間にか眠りに落ちていましたが、次に目が覚めたときはまだ23時で、ここから朝まではうつらうつらしながら時折右を向いたり左を向いたりエビのように丸まったり。夜明けまで寒さに耐える時間が続きましたが、下腹部に使い捨てカイロを入れてあるのでどんなに寒くてもまず死ぬことはありません。

2001/08/11

△05:20 ビバークサイト → △06:25 大槍取付 → △06:55-07:10 槍ヶ岳 → △07:35-08:05 槍岳山荘 → △10:50-11:20 槍沢ロッヂ → △12:30-50 横尾 → △15:15 上高地

4時20分起床。ツェルトを持ち上げて外を見ると薄明るい空の下、前方に表銀座の稜線が見えました。高曇りではありますが、どうやら天候は回復したようです。湯を沸かしてフリーズドライの雑煮を食べ、パッキングを済ませると水を500ml残して後は捨てました。この時点で1リットル以上余っていましたから、食事を含めても北鎌のコルから今朝まで1.5リットルしか消費しなかった計算です。ツェルトを畳む頃には東の空にオレンジ色の光が広がっており、そして、ビバークサイトからわずかに戻って稜線上から前方を見上げたとき、目の前の光景に驚愕して思わず後ずさりしてしまいました。そこには、まったく思いもかけないほど近くに巨大な槍ヶ岳の大槍と小槍がそびえ立っていました。槍の岩塔はこちら側にのしかかるように傾いているので、その迫力は槍岳山荘側から見たものとは比較にならないくらい圧倒的です。

言い知れぬ感動を覚えながらリュックサックを背負って右手の巻き道に入りましたが、朝一番で身体が固く思うように進めません。それでもなんとか斜めに這い上がったところはおそらく北鎌平のさらに上の方で、そのまま踏み跡に加えてかすかなペンキ印やケルンに導かれて大槍の取付に到着しました。ここは四角錐の稜角にあたるところで、左手のバンドに入るとすぐのところにBerg Heil / 穂先は近い / 気を抜かず頑張れ / 1972.10.29 FAC・Aと書かれたレリーフがあります(下の写真)。ここから左に進んだところから登ってもよいようですが、稜角を直登した方がわかりやすいと判断して少し戻り、稜角に正面から取り付きました。

手掛かり足掛かりに困らない岩登りを続けるとかなり広いバンドに出て、その右寄りから上がるとsudoさんが「下のチムニー」と呼んだ顕著なチムニーが現れました。左のフェースの上にはスリングが垂れていて、ここはその左のフェースを途中まで登り、チムニーの真ん中に突き出ているチョックストーンに乗り移って右上へ抜けました。

そのまま登ると今度は「上のチムニー」ですが、右手の壁にしっかりしたホールドがあり、難なく乗り越すことができました。そして「上のチムニー」を越えたところで左上を見上げると白い木の杭が立っており、そこまで上がってみるとすぐ上に山頂の登山者数名の顔が驚くほど近く見えて、こちらも驚きましたが向こうも驚いたようで怪訝な顔つきでした。一方、ここから振り返る北鎌尾根は絶景で、とりわけ独標の存在感の大きさは何とも言えません。最後のワンピッチはここから小さく岩を乗り越して短いバンドを緩やかに斜上し、右上のスリングを目印に1段上がってそのまま祠の真横に出ます。ちょうど祠の前で記念撮影をしていた2人が「●▲■?」と話し掛けてきましたが、相手の言うことが聞き取れず、あいまいに「こんにちは」と普通の挨拶をして広いところにリュックサックを置きました。

よく北鎌尾根のフィナーレは「拍手に迎えられて」と他人の記録に書かれていたりしますが、私の場合は「こいつ、何者?」とうさんくさげな目で見られた感じです。辺りを見回すと槍ヶ岳は初めてという感じのファミリー登山者ばかりで、北鎌尾根の存在自体が知られていなかったのでしょう。少々がっかりはしましたが、それでもとにかく完登した喜びに一人で浸りながら近くの人に頼んで記念撮影。さらに山頂から自分のウェブサイトに一報を送ろうと携帯電話を取り出したものの、通話はできてもi-modeは使えませんでした。

ギアを片付けるには山頂は狭いので、もろに「クライマーでございます」という格好のまま肩に向かって下り始めると、梯子の下ですれ違った中年男性が「おっ、北鎌ですか」と言ってくれたのがうれしく思いました。そのままさしたる渋滞もなく肩に下りつき、ギアを外してようやく緊張から解き放たれました。

槍岳山荘でホットミルクとクロワッサンの朝食をとり、しばらくぼけっと大槍を眺めてから、槍沢の下降路に入りました。実を言うと、昨日のうちに槍岳山荘に入れていれば日程にゆとりもあることだしそのまま大キレット方面へ縦走を続けようと思っていたのですが、この時点では肉体的にも心理的にもそんな余裕はなく、とにかくさっさと下山したかったのでした。

ギア類が収まって再び重くなったリュックサックを背にゆっくり下山を続け、グリーンバンドあたりから見上げると、先ほどまでそこにいた大槍がもうずいぶん遠くなっていました。ここから後は一般登山道のひたすらな下降で、槍沢ロッヂではカレーを食べ、横尾ではポカリスエットを2本飲み、といった具合にゆっくり休憩をとりながら歩き通し、上高地に到着したのは午後の3時を回っていました。

こうして憧れの北鎌尾根を完登できたわけですが、自宅のiMacに向かってひりひりする指先で記録を整理してみると、自分の中ではもう一つ不完全燃焼の部分もないではありません。まず、貧乏沢の下りで2カ所の逡巡のために時間を空費したこと、2日目の出発が遅れ時間切れで再ビバークとなったこと(もっともそのおかげで最終日の展望を得られたのだから功罪相半ばではあります)、独標の山頂を踏み損ねたこと、そして独標の隣の小ピークでルートを見失ったことです。

最初の3点は挽回できますが、最後の1点はたとえてみれば「ムーブがつながっていない」状態です。今はもうたくさんという感じですが、将来北鎌への再チャレンジを決意することがあるとしたら、この点の解消が最初の目標となるでしょう。そのときは、ヘルメット以外のクライミング用具は持っていかないでしょうし、それでゆとりができれば代わりに白桃の缶詰を余分にリュックサックに忍ばせるに違いありません。