北穂高岳滝谷ドーム中央稜

日程:2001/07/20-21

概要:上高地から横尾・涸沢経由北穂高岳に登り小屋泊。翌早朝、第三尾根から下降して取付へ。5ピッチを登ってドーム中央稜の登攀を終了し、そのまま上高地へ下山。

山頂:北穂高岳 3106m

同行:黒澤敏弘ガイド

山行寸描

▲滝谷ドームの偉容。右のスカイラインが中央稜。(2001/07/20撮影)
▲上部の岩壁。中央から左上する顕著な凹角を登るラインが4ピッチ目。(2001/07/21撮影)
▲最終ピッチで。高度感が素晴らしい。(2001/07/21撮影)

昨年の北岳バットレス第四尾根に続く今年の夏の本チャンは、滝谷ドーム中央稜です。「鳥もかよわぬ……」と言われるほど北穂高岳の西へまっ逆さまに切れ落ちた滝谷の岩場に偉容を誇るドームの、北穂山頂からも見えるすっきりしたスカイラインを登るルートがそれですが、ワンポイントのV級を除けばおおむねIII級程度の緩やかなピッチが続く北岳バットレス第四尾根に対して、こちらは急峻な滝谷を下降して取付に達してからIV〜V級にA0を交えた変化に富む露出度の高いクライミングとなり、質的にまったく違う世界です。

2001/07/20

△06:45 上高地 → △10:05-15 横尾 → △13:50-14:30 涸沢ヒュッテ → △17:55 北穂高岳

新宿から「さわやか信州号」で上高地へ。出発間際にバスのバッテリーがあがってしまい、他のバスに引っ張ってもらってエンジンをかけるというアクシデントもあって到着はかなり遅れました。それでも無事にバスターミナルで黒澤ガイドと落ち合いロープ1本とアブミを受け取って出発しましたが、黒澤ガイドは25kgの重荷なのでゆっくり行程を進めます。横尾から左に折れて涸沢方向へ向かうと左手には威圧的な屏風岩、正面には大キレットから北穂高岳が見えますが、稜線近くには雪が残っているようです。

わずかな雪渓を詰めて辿り着いた涸沢ヒュッテで大休止とし、おでんを食しました。荷の重い黒澤ガイドは既に横尾あたりで「滝谷もいいけど屏風もいいな」と独り言を言っていましたが、ここ涸沢でも「ここにテン張っても稜線まで2時間のアプローチだけどな……」と呟いています。横尾では聞こえないフリをした私でしたが、ここではきっぱり「ダメです。上まで登るんです」と冷たく対応しました。

北穂南稜のテントサイトに着く頃にはガスが稜線を覆っていましたが、上空は青く晴れているようなのでドームの姿も拝めるかもしれないと思いながら、山頂直下の北穂高小屋で受付を済ませました。黒澤ガイドはテント、私は小屋泊まり。夕食前の一瞬、ガスが晴れて滝谷に聳え立つドームの姿を見ることができましたが、あらかじめ写真で見てはあったものの本物はやはりすっきりと美しく、翌日の好天を祈りながら小屋に戻って食事を済ませたら、早々に2人に布団1枚の寝床にもぐり込みました。

2001/07/21

△05:00 北穂高小屋 → △05:30 ニセ下降点 → △05:50 下降点 → △06:30 懸垂支点 → △06:50-07:00 ドーム中央稜取付 → △09:30-40 終了点 → △10:00-15 ドーム下の一般縦走路 → △10:30-40 南峰下の分岐点 → △10:50-11:00 北穂高小屋 → △11:10-50 北穂南稜のテントサイト → △13:45-14:50 涸沢 → △16:10-20 横尾 → △18:15 上高地

午前4時前に起床。階下に降りて前夜のうちに受け取っていた弁当を食べてから黒澤ガイドと携帯電話で打ち合わせました。その結果、外はあいにくのガスで何も見えない状態なのでしばらく様子を見ることになりましたが、夜が明けてくるにつれて天頂部は青みを増してきました。やがて黒澤ガイドが小屋にやってきて、滝谷登攀者が記帳する「滝谷ノート」に届け出を書いたらいよいよ行動開始です。まずリュックサックの中の不要品を黒澤ガイドのテントにデポしてから、北穂南峰を越えて縦走路をわずかに進み、ガスで視界がきかない中でたぶんここだろうというところで右にガラガラのルンゼを下りました。ところが尾根を回り込むあたりで黒澤ガイドが逡巡している様子なのでやや上方で待機していた私があたりを見渡すと、左側のガスの中にぼんやりと黒く巨大なタワー状のシルエットが見えました。

私 「黒澤さん!ドームはあっちじゃないですか?」
黒 「!」

ドームの先から下らなければならないのにどうやら手前から下ってしまったようで、気を取り直しそのままトラバースして縦走路に戻り、ドームを巻いて鎖場を下ったところから改めて下降を開始しました。滝谷の岩場は取付までが難しいことで知られており、アプローチ中の事故も少なくありません。黒澤ガイドも後続のパーティーと情報交換しながら懸垂支点を探しつつ下り、予想以上に高度を下げたところでやっと支点を見つけて取付のテラスへのバンドに降り立ちました。この頃にはガスが取れて遠くが見渡せるようになってきていましたが、何よりうれしいのは岩が乾きつつあることでした。

取付でクライミングシューズに履き替え、アブミを腰にぶら下げていよいよ登攀開始。全ピッチ黒澤ガイドがリード、私がセカンドです。

最初のピッチは、見上げる凹角の上の方で黒澤ガイドにしてはいつになく時間がかかっているなと思いながら下でビレイしていましたが、しばらくして上から「ビレイ解除!」のコールが掛かり後続したところ、凹角の真ん中のカンテ状の岩の下部III級程度を登っていって下から3分の2あたりの傾斜がきつくなるところで行き詰まってしまいました。正面はつるつる、右のチムニーは狭くてリュックサックがひっかかりそう、左の立ったフェースは濡れていて足を止められる自信がありません。いきなり1ピッチ目からこんなに難しいのか?と内心動揺しながらカンテの途中でためらっていましたが、2m上にランニングのクイックドローがあり、そこからさらに1m上に残置スリングが垂れていて、そこまで上がれれば足場を決められそうです。後続パーティーのトップの方の「後で回収してあげますから」の言葉に甘えることにして手を上げた位置にある残置ピンにクイックドローをかけてこれにつかまり、両足を突っ張りながら身体を引き上げ、そのまま一つ上のクイックドローを頼りにもう1段ずり上がってスリングをつかんだところで足が滑ってフォール。下のパーティーから「おぉ!」というどよめきが聞こえましたが、黒澤ガイドがしっかり確保してくれているのでスリングを離さずにすみ、もう一度ずり上がってようやく安定した足場を得られました(ただし登攀が終わってから黒澤ガイドに「ギアは決して残してきてはいけない」と注意を受けました)。ここからチムニーの中に足掛かりを求めながら数m登って1ピッチ目が終了しましたが、早くも喉がからから。下からは後続パーティーの「かなり悪い!」「そのおたすけヌンチャクを使って!」といった声が聞こえてきました。

チムニー上に抜けた位置から堅く快適なカンテ(といってもホールドにした岩がたまに動く)を10mほど登ったところでいったんピッチを切ってから、今度はスラブに移ります。

登ってみると案外ホールドが細かく、やがて右から迫ってくる岩に頭を押さえられましたが、ここでフェースの左側に乗り移るとしっかりしたホールドと、立ってはいるもののフリクションの良いフットホールドを得られてすんなり上へ抜けられました。しかし、このピッチを黒澤ガイドが登っている最中に近くでカランという音がしたと思ったら、それがカラカラ……ガラガラガラ……ドングヮラグヮラガッシャーンと滝谷全体を揺るがす大音響になりました。この恐ろしいほどの岩ナダレの迫力に、滝谷が着実に崩壊しつつあることを実感しました(もちろん我々が落としたわけではありません)。

スラブの上の易しいガレ場歩きをこなすと残り2Pの岩壁が日陰に暗く立ちはだかっていますが、その上には雲がちながら青空が広がっています。目の前の凹角を登る黒澤ガイドをビレイしていると、右手の尾根の向こうからクライマーが姿を現し、遠くから呼び掛けてきました。

ク「おはようございます。それは中央稜ですか?」
私「そうです」
ク「そこは何ピッチ目ですか?」
私「(トポで言うところの)3から4(へ移るところ)です」

彼も取付へのルートファインディングに苦しんでいるらしく、そこから懸垂下降したところで我々の後続のパーティーに「おはようございます」を繰り返して位置を確認してからパートナーに話し掛けている声が聞こえてきました。

ク「間違えたみたいだ……」

さて私の方は調子が出てきて凹角をすいすい上がりましたが、突き当たりのかぶり気味の箇所でまたも行き詰まりました。ヘンなたとえですが、凹角を紅海に見立てるとちょうどシナイ半島のような岩が頭上にあって、その右も左もすんなりとは行けそうにありません。「ここに手を掛けてこちらに突っ張ると、……いや逆か?」と悩みましたが正解は真ん中。シナイ半島を両手でつかんでステミングで上がればよいのでした。

この頃になるとすっかり景色が良くなって、左手の方には槍ヶ岳方面の展望がきれいに見えています。気分良く最終ピッチを迎えてまず黒澤ガイドが登っていき、凹角出口のハングを一気にまたぎ越すようにして上に抜けると、黒澤ガイドのヘルメットやギアが日を浴びてきらきら輝いています。この日初めての直射日光、いよいよ終了点です。

後続の私も凹角の中は問題なく登って、最後のハングは左のクラックにジャミングを決めようとしましたが重みのために身体が引き剥がされそうになります。クラックの奥にカチホールドがあるので観音開きではどうかな?とトライしたもののこれもダメ。黒澤ガイドからの指示でクラック左のカンテにある小さな突起状のフットホールドに乗り込み、そのまま左の垂壁に回りこんであと1歩上げられないかと右足の上げ場所を探すと、目の前にいかにもスメアリングが利きそうな70度くらいの傾斜のフットホールドが見つかりました。

終了点で黒澤ガイドと固い握手。結局1ピッチ目が最も難しかったと意見が一致しました。ここを含め行き詰まる場面が何カ所かあり、本チャンではフリーで越えられないと思ったらためらわずにA0にしてとにかくスピーディーに登攀を続けることを優先するよう指導されましたが、それでも2時間半での登攀終了は「大したもんだ」と言ってもらいました。

ロープを畳み、ドームの頭を越えて一般縦走路の四畳敷はある岩の上でギアを外します。アブミも使わずにすみ、通りがかりの登山者が「北穂の上から双眼鏡で見ていましたよ」などと声を掛けてくれるのもうれしいのですが、クイックドローを回収すると言ってくださった後続パーティーはまだまだ時間がかかりそうでした。

北穂高小屋へ登攀終了の届出をするために縦走路を戻り、涸沢への下降路の分岐へ下り着いたところで、前を行く黒澤ガイドが知り合いらしい男女2人のクライマーと遭遇して言葉を交わしてから後続のこちらを見上げています。誰かと思えば、北穂高岳東稜を片付けてきたばかりの『にょんまい山日記』のお二人でした。お二人は以前『猫の森』の講習に参加したことがあって黒澤ガイドとは顔なじみだったのですが、私はオフでお会いするのは初めて。しかも『にょんまい山日記』の写真ではいつもお面をかぶっているので、こんなところで素顔のにょんまい夫妻にお目にかかれるとはまったくの奇遇です。しばし言葉を交わし、予想外の出会いを喜びつつ互いの健闘を称えあって別れました。

北穂高岳山頂で青空の下のドームをバックに記念撮影をしてから、小屋の滝谷ノートに登攀終了時刻を書き入れ、そこにサインさせていただきました。黒澤ガイドのおごりで缶ビールで乾杯し、テントサイトに移動して黒澤ガイドが撤収している間、正面に見える美しいピラミッドのような常念岳をぼんやりと眺めつつ達成感に浸りました。

2時間弱の下りで涸沢に到着し、ヒュッテのおでんで昼食にしようとテントサイトを歩いていたら先ほどお会いしたまいまいさんから「黒澤せんせ〜!」と呼ぶ声がします。当然にょんにょんさんも加わっての4人での即席オフ会になり、お二人からは生ビールを御馳走になり、黒澤ガイドは例の「王侯の晩餐」を作り、かたや私は材料の水と最後にスープを飲むためのマグカップを提供しただけで申し訳なかったのですが、飾り気がなく楽しいお二人との会話は尽きることがありませんでした。しかし、今日中に下山しなければならない私は後ろ髪をひかれつつ1時間ほどでその場を辞し、後は横尾まで一気に駈け下りました。そこから平坦な道をひたすら歩いて、上高地に着いたときには土砂降りの雨になっていました。