槍ヶ岳北鎌尾根
日程:2012/09/15-17
概要:上高地から東鎌尾根(水俣乗越)を越えて北鎌沢出合へ下り、幕営。北鎌沢右俣を上がって北鎌のコルから北鎌尾根を縦走して槍ヶ岳に登頂し、殺生ヒュッテに幕営。3日目に上高地へ下山。
山頂:槍ヶ岳 3180m
同行:さとし&よっこ夫妻 / セキネくん
山行寸描
ジム仲間さとし&よっこ夫妻が、総帥と一緒に大キレット越えをしたのは昨年の夏のこと。気圧のせいかアンパンマンのようになった総帥のお顔の写真を見せてもらいながら「いいな、自分も総帥と一緒に山登りに行きたかったな」と思ったのですが、その後さとし氏が今年は北鎌尾根……という話をしたので「あっ、それなら私もご一緒しましょうか?総帥が一緒なんだったら」と下心アリアリの申し出をしました。実際のところ、私自身は北鎌尾根に2001年の夏と2005年の春の2回行っているので多少はルートファインディングの役に立つはずです。
さとし&よっこ夫妻と、この話に乗ることになった同じく常連仲間のセキネくん、それに総帥との5人で広沢寺弁天岩で今年の4月に呼吸合わせをした後は各自トレーニングを重ねることにしたのですが、左膝に故障を抱える総帥が6月の富士山トレの後に障害を再発させてしまい無念の戦線離脱。私は目の前が真っ暗になりましたが、それでも北鎌尾根行は予定通り決行することにしました。何しろ、そのためにさとし&よっこ夫妻もセキネくんも毎週のようにトレーニングを重ねてきているのですから。
当初予定していた8月上旬は天気予報が悪く延期になりましたが、予備日程としてキープしていた敬老の日の三連休は好天予想に恵まれ、いよいよ上高地に向かうことになりました。ルートは2005年と同じく上高地起点の周遊コースです。
2012/09/15
△07:05 上高地 → △09:25-45 横尾 → △10:55-11:35 槍沢ロッヂ → △12:20-30 水俣乗越分岐 → △13:15-20 水俣乗越 → △14:50 天上沢幕営地
足湯のある沢渡第二駐車場にツジタ号を置いてタクシーで上高地入り。朝食は私にとってはお馴染み、バスターミナルの建物の2階にあるレストランでとりましたが、和朝食についていた切り身の鮭について、意外にも上高地が初めてだというセキネくんのために解説を試みました。
私「セキネさんはご存知ないでしょうが、この鮭は、そこの梓川で獲れたものなんです」
皆「へ〜」
このときセキネくんとさとし&よっこ夫妻の脳裏には梓川でサケの遡上を待ち構え右腕一閃で岸に打ち上げるヒグマの姿が思い浮かべられたのかもしれませんが……皆さん、ここはツッコミどころですから!
定石通り河童橋で記念撮影をして、私にとっては数えきれないほど何度も歩いている梓川左岸の道を明神、徳沢、横尾……とひたすら歩きます。午後に少々天気が悪くなるという予想だったので私が先頭に立ったときはハイペースで先行を抜かし続けましたが、体力温存のためにちょっとペースを落とそうかなと思ってよっこさんと先頭を交代したところ、よっこさんもそれまでと変わらぬハイペースを維持し続けたためにつらさは変わらず、こちらは涙目に。
そんなわけで早々に到着した槍沢ロッジで昼食休憩とし、あわせてこの日の夜のために缶ビールを調達しました。それにしてもこの日、この道を歩く登山者の数は異常に多い!さすがに横尾を過ぎるとずいぶん減りましたが、それでも相当な人数が槍ヶ岳を目指しています。これは、2日目の夜に予定している槍ヶ岳山荘での宿泊は避けた方が無難かも。
ババ平のテントサイトを過ぎ、大曲手前に残る雪渓を眺めながら少し進んだところで、大勢の登山者が休憩をとっている水俣乗越分岐に到着しました。いよいよここからはマイナールートになってきます。
それでも水俣乗越までの登り道はよく踏まれていて歩きやすかったのですが、かなりの急登にまず顎が上がってきます。途中でずんぐり体型の年配のガイドらしき方が引率する男女混合4人パーティー(以下「お父さんパーティー」)に先を譲っていただき、ひたすら我慢の45分で登り着いた水俣乗越からは赤茶けた露岩の向こう側にはっきりした踏み跡が下っており、その先には天上沢のU字谷の光景が広がっていました。
水俣乗越からの下りはザレたりガレたりの滑りやすい道が続き、山慣れない人には少々厳しい感じ。よっこさんも足をつらせてしまってめっきりスピードが落ちましたが、さとし氏のサポートを受けながらなんとか下ってきます。
最後にザレザレの斜面を下ったところで涸れた沢筋に降り着き、ここでどうやら傾斜はぐっと緩くなりましたが、ゴーロの中の歩きがまだまだ続き、そろそろ勘弁してほしい……と思った頃にやっと水の流れる流域に到着しました。ここは北鎌沢出合から20分ほど上流、標高1900mで無名沢が天上沢に出合う場所ですが、既にいくつかのパーティーがテントを張っており、我々もここにリュックサックを置くことにしました。後から着いたお父さんパーティーは「北鎌沢出合はまだ下流なのに、どうしてここに幕営するのか?」と訝りながらさらに下っていきましたが、翌朝に備えて下流へ偵察に行ってみると北鎌沢出合付近はすっかり伏流になってしまっており、水の補給という点では幕営適地とは言い難い状況。これなら、いま我々がテントを張っている場所の方が何かと都合が良さそうです。
テントに戻ったら焚火と夕食の準備。時折小雨がぱらつく中でも焚火はしっかり燃え上がってくれましたし、セキネくんとの東黒沢遡行時の反省を踏まえてお酒もふんだんに持ってきてあったので、楽しい宴会となりました。そして、どうやらさとし氏には焚火奉行の素養がありそうです。
2012/09/16
△05:30 天上沢幕営地 → △05:45 北鎌沢出合 → △07:55-08:00 北鎌のコル → △08:50-09:00 天狗の腰掛 → △10:15 独標の先 → △11:20-50 P13の手前 → △13:35-50 北鎌平 → △14:50-15:00 槍ヶ岳 → △15:20-30 槍ヶ岳山荘 → △15:55 殺生ヒュッテ
午前3時半起床、空には満天の星。周囲のテントは皆、既に動き出していました。我々も焚火を熾し直してその周囲で朝食をとり、朝のお勤めなども済ませてテントを畳んだのですが、あれやこれやと手間取っているうちにこのテントサイト発の最終ランナーになってしまいました。
テントの位置から槍の穂先を眺め、昼すぎにはそっちに行くから待ってろよ、と心に念じて出発。すぐに伏流になってゴロゴロの天上沢を下って、人だかりができている北鎌沢の出合で一歩下がって沢筋が稜線まで続いていることを確認してから北鎌沢に入りました。
北鎌沢の左俣を分ける箇所まで上がると水の音がしており、どうやらここまで上がれば水の補給はできたようですが、我々は既に各自3リットルを背負っているので脇目も振らずに右俣を登りました。ところが前後のパーティーとの間隔を調整しながら急坂をひたすら登り続けるうちに途中で本流を外して右の枝ガレに吸い込まれそうになってしまいましたが、幸い、後ろを登っていたセキネくんが注意喚起してくれたおかげで本線に戻ることができました。
懐かしい北鎌のコルで小休止の後、いよいよ北鎌尾根上の登高となりました。少し登ったところで振り返るとP7以下の北鎌尾根下半部が眺められ、ちょうど下半部の縦走を終えて北鎌のコルに下り立つパーティーの姿が見え隠れしていました。
天狗の腰掛(P9)の上はその名の通り台地状になっており、多くのパーティーがここで休憩をとっていました。すっかり晴れ上がった空の下に北アルプスの名だたる山々がくっきりと姿を見せており、硫黄尾根の向こうには裏銀座コースも全貌をあらわにしています。しかし我々の目的地はすぐ近くに膨大なボリュームでそびえ立つ独標なので、早々に休憩を終えて先を急ぎました。
見る見る大きくなってくる独標の正面右手に斜上する先行パーティーの様子を眺めつつ少々細くなった稜線を進むうちに、岩の上に血が大量に飛び散っている場所に着きました。うわ、何だこれは?と思いながら先に進んでも血痕は点々と続いており、しかもそれはかなり新しいもののようです。気味の悪いものを感じながらさらに独標に近づき、右手の斜面が切れ落ちたポイントに到達しました。かつて2001年に歩いたときにはここはかろうじて歩いて渡ることができたのですが、今は足元が崩れて普通に歩くことは危険な状態で、その代わりフィックスロープがセットされており、ここに自分のハーネスにつけたランヤードをセットしてフィックスロープに確保されながら渡りました。この崩壊具合からすると10年後にはここはどういうことになってしまうのでしょうか?このとき、後ろから来ていた単独の女性が非常に足が速そうだったので先を譲りましたが、この「速いお姉さん」とも後で何度か顔を合わせることになります。
上記のポイントを過ぎて、独標を右に回り込むようにトラバース。踏み跡は安定していますが、岩が突き出して行く手を邪魔するポイントは身体の大きなセキネくんにはちょっと辛そうでした。このトラバース道の先で角を回り込んだところから、今度は独標の向こう側の斜面のトラバースになります。速いお姉さんはここから左上へ斜度のきつい岩壁をすいすいと登っていきましたが、我々はトラバースを継続。少し進んで見覚えのあるフィックスロープの垂れ下がったチムニーに到達したときに、先ほど我々がトラバースしていた地点の上から先行パーティーが派手な落石を起こしました。我々の通過が少し遅ければあの落石の直撃を受けていたかもしれず、まったく紙一重で助かりました。
このチムニーにも血痕は続いていて、ここを登ろうとした私がふと自分の右手を見ると血糊が付いていてドッキリ。勘弁してほしい!ともあれ、このチムニーを登ってバンド状の地点に立ったところで左上気味に登れば独標の頂上に向かうことができそうですが、不安定なガレを長く登ることになりそうなので右上のギャップを目指すことにしました。崩れやすいガレや心細い草付をだましだまし登ることしばし、とりわけこうした悪場に不慣れなよっこさんには神経をすり減らす時間が続きましたが、ついにギャップに着いてみるとそこには独標から明瞭な踏み跡が下りてきています。そこから一旦下って目の前のフィックススリングが下がった岩峰の双耳の間に登り、槍ヶ岳寄りの耳の上を辿って進んだ先にあった小さい広場のような場所で大休止としました。目の前には槍ヶ岳が大きくそびえており、距離はまだまだありそう。さらに気がかりなのは徐々に雲が多くなってきていることです。
先ほど独標のピークを目指すラインを登っていた速いお姉さんが後からやってきて我々の目の前を通過して行くのを見送ってから、我々も腰を上げました。ところが稜線通しを進んでいるとき、前方に見えている白いピーク(P13)の上に人が固まっており、そこから明らかに救助要請の交信をしている声が聞こえてきました。このときは先ほどの血痕の主が出血多量で救助要請をしたのだと思ったのですが、ヘリでの救助となるとしばらく足止めになるのは必定。これはまずいとさとし氏たちにハッパをかけて先を急いだのですが、その後も聞こえてくるコールを聞いてみると、救助要請の対象者は右手(千丈沢側)に滑落しているようです。首をひねりつつP12からP13に向かって右に下るところで、前方の交信者から「その下に怪我人がいるから、千丈沢側ではなく天上沢側に下るように」と指示があり、その指示に従って目の前の小ピークを左から巻き下ろうとするところで今度は「ヘリの救助が終わるまで安全な位置で待機するように」と言われました。うーん、間に合わなかったか。しかしこればかりは相身互い、仕方ありません。
遠くから徐々に響いてくるローターの音、そして東からぐんぐん近づいてくるヘリコプターの姿。P13の上で通報者と意思疎通を図った後、ヘリはいったん岩陰に消えましたが、音は大きくなるばかりで、次の瞬間、岩陰から予想外の近さにホバリングしている姿を現し、レスキュー隊員をワイヤーで下ろすといったんその場を離れました。待つことしばし、周囲を旋回して再び飛来したヘリは、またしても岩陰からその姿を見せつけると、レスキュー隊員と負傷者を一度に吊り上げてそのまま槍ヶ岳の向こう側へ消えていきました。これほど間近にヘリのホバリングを見たのは初めてですが、その安定した技術には驚くばかり。プロの仕事の凄さを見せてもらいました。
待機していた場所から少々際どいトラバースで稜線上に戻り、白くザレたP13へ登ってそこにいた通報者に話を聞いたところ、事故者はP12から千丈沢側に下ったところで体重を預けた岩が剥がれ、岩ごと転落して手足に負傷出血し、手の指も骨折してしまっていたとのこと。生命に別状なさそうな怪我の程度であったことは後日慈恵医大槍ヶ岳診療所のブログ『雲の上の診療所』でも確認できてほっとしましたが、救出に支障のない好天であったことは本当に幸運でした。
それはさておき、我々は30分ほどの足止めを挽回すべく先を急ぎましたが、P13の先で直登と右の巻き道との分岐に着いたときに、私自身「なるべく稜線通しで」と事前に言っていたはずなのにトラバース道の明瞭さに心がぐらついてつい巻き道を選択してしまいました。しかし、この巻き道は一見明瞭でしたが近づいてみると不安定に外傾していて悪く、肝を冷やすようなクライムダウンもあったりして失敗でした。そんな道がどこまでも続いて一向に稜線に合流しそうにないため、業を煮やして崩れやすい斜面を強引に登り、どうにか稜線のはっきりした道に回帰することができましたが、まったくガイド役失格です。
やっと戻った稜線の踏み跡の上で休憩しているところに後ろからやってきたのは、昨日水俣乗越前後でご一緒したお父さんパーティーでした。先頭を行くガイド役のお父さんは何度も北鎌尾根を歩いているらしく「巻き道を行くと稜線に戻るのが大変になるから、とにかく稜線通しに行くのがいいんだよ」と教えてくれましたが、わかっていても巻いてしまうのが人間のサガというやつ……。
2001年の縦走のときにビバークしたのは、北鎌平直下のリッジの左斜面です。その光景を懐かしく眺めていたら、お父さんは「ここも直登」と教えてくれました。取り付いてみれば確かに何の苦もなく高さを上げられて迷うことなく北鎌平に到着することができ、すっかり遠くなった独標を見下ろしながら最後の大休止をとりました。
ここから先は、大きな岩が乱雑に積み重なった斜面を適当にルートを見出しながら進みます。あいにくこの辺りから大槍はガスに姿を隠すようになってしまいましたが、ここまで来ればもう迷いようがありません。ついに大槍の稜角に到達し、左手のBerg Heil / 穂先は近い / 気を抜かず頑張れ
と書かれたプレートを確認してから稜角通しのラインに入りました。
急傾斜の岩の登路をぐんぐん登り、やがて出てきたのは下のチムニー。ここでは先行パーティーがロープを出しており、前を行っていたお父さんパーティーは右から巻き上っていきましたが、せっかくなので我々はロープを出していたパーティーの間隙を縫ってチムニーを抜けました。すぐそこには上のチムニーが待っており、ここもお父さんパーティーは右からの巻き、我々は出だしだけチムニー内のガバを使いすぐに右壁に乗り上ってここを越えました。取り付く前に一瞬、セキネくんにOSを狙ってもらうことも考えたのですが、何となくイヤな予感がして私がトップで取り付いてみると案の定、右壁の上の方のいかにも格好のガバホールドが思い切り浮き石で、ここは悪場経験豊富(←悪場が「好き」というわけではない)な私が先行しておいてよかったと思いました。
上のチムニーを抜け、左上に見える白い杭のところまで上がれば山頂は目の前です。ここで順番を入れ替え、セキネくん、よっこさん、さとし氏、私の順になって最後の数mを登りました。着いたところは祠の左後ろで、記念撮影の列の横をすり抜けて小広くなった場所に移動しましたが、山頂はそれこそ満員電車並みの混雑振りで落ち着いてギアを片付けるゆとりがありません。とりあえず2人1組になって三角点標石の前で記念撮影をしてから、下りのハシゴ待ちの列に並びました。
ここで一つの謎が解けたのですが、例の血痕の主がそこにいて、彼の口から聞いたところでは落石を受けて左手小指に裂傷を負ってしまったとのこと。実際、真っ赤に腫れ上がった小指は痛々しい様相でしたが、本人はいたって元気で、北鎌尾根の完登に「山をやっていてよかった!」と感激の面持ちでした。
登りの大渋滞を横目で見ながら、こちらも遅々として進まない下りの列に加わって穂先から降り、どうにか槍ヶ岳山荘のヘリポートに着いたところで初めて、北鎌尾根完登を祝って握手を交わしました。おめでとう!お疲れさまでした!ここまで、セキネくんの無限の体力はもちろん予定通りでしたが、よっこさんの想定以上の頑張りは特筆もの。そして、そのよっこさんを精神的にも体力的にもサポートしたさとし氏の強さもさすがでした。私自身にとっても、これが3度目とは言っても前2回とは違った条件での北鎌尾根になりとても楽しい山旅とすることができました。同行していただいた3人には心から感謝です。
槍ヶ岳山荘の前で装備を解いていると、後から大槍を下りてきたお父さんパーティーが通りがかり、ここでも互いの健闘を讃え合いました。そして振り返ってみると、槍の穂先に続く長蛇の列は推定約3時間待ち状態。この人たちにしてみれば、「北鎌尾根」を知らない限り我々は横から回り込んで登頂したズル登山者という風に見えてしまうのかもしれません。ともあれ、この混み具合ではとても槍ヶ岳山荘には泊まれないだろうと眼下の草紅葉の向こうに見えている殺生ヒュッテまで下ることにしました。
殺生ヒュッテに近づいたところで歩きながら小屋泊にするかテント泊にするかを協議していると、折よく通りがかったヒュッテの御主人が「テント?明朝6時までに撤収してくれるならヘリポートにテントを張ってもいいよ」と言ってくれて、おかげできれいに整地された地面の上にテントを並べて立てることができました。さっそくヒュッテで仕入れてきた缶ビールで、改めて北鎌尾根完登を祝って乾杯!しばらくまったりした後、ヒュッテの土間に場所を移して「真澄」などをいただき、牛丼の夕食で〆めました。
2012/09/17
△05:10 殺生ヒュッテ → △07:05-30 槍沢ロッヂ → △08:25-35 横尾 → △11:00 上高地
最終日も午前3時半起床。ヒュッテの建物の前にしつらえられているテーブルで朝食をとり、テントを畳んでガスの中を下り始めました。夜明け前に槍ヶ岳に登るヘッドランプの列が見えていましたが、このガスでは御来光を拝むことはできなかったことでしょう。
よく整備されて歩きやすい道をぐんぐん下り、やがてガスの下に出て辿り着いたのは水俣乗越への分岐点です。これでやっと、ぐるっと周遊した山旅が初日の行程に回帰したことになります。
後は梓川沿いの道を淡々と歩き続けるだけ。時折前後する速いお姉さんやお父さんパーティーと笑顔で言葉を交わしながら歩き、徳沢ではソフトクリームをおいしくいただき、明神で信州リンゴが水槽に浮かんでいないことに少々落胆して、最後は青空の下にすっきり高い明神岳に見守られつつ上高地を目指しました。