富士山

日程:2022/06/18-19

概要:久しぶりのトレーニング山行として富士山へ。初日は富士スバルライン五合目から東洋館まで往復、2日目は富士スバルライン五合目から吉田口頂上に登頂後にお鉢巡りをして馬返しに下山。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:剣ヶ峰 3776m

同行:---

山行寸描

▲剣ヶ峰とそこからの眺め。何度見ても感動する。(2022/06/19撮影)

当初この週末は会越地方に沢登りに行く予定でしたが、直前になってメンバーの1人の家族に発熱症状が出たため中止となってしまいました。それならば、と翌週に計画していた富士山トレーニングを繰り上げてこの土日で実行することにしたのですが、 通例では佐藤小屋に泊まって土日で山頂まで2往復するところ、佐藤小屋の予約は3日前までに行わなければならず、テント泊は可能か?と問い合わせてみても小屋番が下山しているのでトイレが使えないとの話。仕方なく土曜日の夜は下界に泊まり、日曜日は早朝にタクシーを飛ばして富士スバルライン五合目に上がることにしました。

2022/06/18

△10:45 富士スバルライン五合目 → △13:00-25 東洋館 → △14:45 富士スバルライン五合目

初日はJRの特急あずさに連結されている富士回遊3号に乗って富士山駅に9時15分に到着し、9時半発の富士急バスで富士スバルライン五合目に上がりました。これまでシーズン中は新宿発の直行バスに乗ることが多かったのですが、これは渋滞のために富士スバルライン五合目への到着が遅れることが少なくなかったので、今後富士スバルライン五合目に向かうならこちらの方法がいいかもしれません。

この日の天気予報はあまりかんばしくなく、五合目から見上げる山頂も雲に隠されています。もっともこの日は14時まで登ったらそこで引き返すことにしているので気にはならなかったのですが、泉ヶ滝のスロープ入口の厳重な構えには驚いてしまいました。

スロープを少し上がったところに黄色い板によるバリケードががっちりと道を塞いでいて、これは通過が難しそう。それならと佐藤小屋まで道を進んでそちらから登ることにしました。案の定、星観荘のすぐ先にもバリケードが設置されていましたが、これを迂回する踏み跡がばっちり付けられていて通過には支障ありません。

上述の通り今日は登頂を目指していないので、この機会にと経ヶ岳の姥ヶ懐を訪ねてみました。立派な石碑を目印に脇道に入って少し下るとすぐに覆屋が現れ、格子戸から中を覗いてみるとそこは暗い洞窟になっていて、中には日蓮上人の石像が結跏趺坐し白い観音像もその左手前に立っています。ここは日蓮が百日間修行したところと伝わり、この辺りを経ヶ岳と呼ぶのも日蓮が富士登山の際にここに法華経を埋納したためなのだそうです。

それはさておき、歩き慣れたこの山道はザレたジグザグ道から岩尾根になって七合目の山小屋群の間を抜けるようになり、部分的に雪が登山道を覆っている箇所もあったものの全体としては何ら問題なく登ることができます。ただ、先ほどから雲が降りてあたりを隠すようになってきており、天気の崩れが早まっていることがわかりました。

東洋館に登り着いたのは13時ですが、ここから太子館までしばらく山小屋がなくなる上にガスが登山道上を覆っているので、今日の行程はここまでにすることにして行動食を口にしました。ちょうど山頂方向から降りてきた登山者に雪の様子を聞いてみると「九合目から上が悪い」とのこと。「悪い」というのは踏抜き多発で安定しないということのようですが、そんな会話を交わしているうちに本格的に雨が降ってきてしまい、あわてて雨具上下を着込むとただちに下山を開始しました。

下りは試みに泉ヶ滝の方へ降りてみたのですが、バリケードの山腹側はすり抜けることができず、やむなく右手の急斜面の踏み跡を辿りました。自然保護の観点からは決して好ましいことではなく、こうなるくらいならバリケードの脇を通れるようにしてくれた方がいいのではないかと思いました。

富士スバルライン五合目に戻り、バスの発車時刻までの隙間時間を利用して「みはらしKitchen」の噴火カレーをいただきました。ちょっとピリ辛でおいしいこのカレーには満足ですが、5人前のメガ噴火カレーというのもあってこれを制限時間内に1人で食べ切ると認定証と記念品が与えられるそう。カレーはわりと好きな方なので、一度トライしてみようかな?

2022/06/19

△05:35 富士スバルライン五合目 → △12:15-25 吉田口頂上 → △13:10-25 剣ヶ峰 → △14:10 吉田口頂上 → △17:05 佐藤小屋 → △18:30 馬返し

前夜泊まったのは富士山駅の隣にある月江寺駅近くのホステル(1泊3,000円)で、このタイプの宿を使ったのは初めての経験でしたが、山小屋泊まりに慣れている身にとってはすこぶる快適に一夜を過ごすことができました。これはいい体験ができたな。

午前5時に起床して徒歩15分ほどの富士山駅までの道を歩くと、途中の大きな金鳥居が額縁のようになってその向こうに富士山が聳え立っています。この辺りは意外に大きな街並みになっていますが、本を正せばここは富士登山の御師の宿坊町として発展したところなのだそうです。

予約してあったタクシーに乗って富士スバルラインを登っていく途中、気のいい運転手さんのおすすめで道路脇の展望台に上がってみると、目の前には南アルプス全山が横一列に並んでいました。これはまさに壮観!富士スバルライン五合目まで行ってしまうと方角が北寄りになるのでこの展望は得られません。

さすがにこの時刻では富士スバルライン五合目も閑散としたもので、そこで身繕いをしていると近隣の施設の関係者や交通整理の人から「どこまで登るのか」「最終バスの時刻は知っているか」「安易に救助を要請されたら困るよ」などと暗に「登頂なんて考えるなよ」といった注意を受けましたが、こちらは白髪の単独行なので危なっかしく見えたのかもしれません。適当に受け流して水平道に入り、昨日と同じく佐藤小屋のわずか手前から経ヶ岳経由で登り始めました。

昨日の到達高度である東洋館を過ぎ、さらに上部の山小屋群の中を抜けて行くと蓬莱館には人が入っていて開館の準備を進めている様子。そして蓬莱館の上からところどころ雪が出るようになりましたが、右手の雪渓ではスキーヤーが歓声を上げながら滑る姿も見られました。

雪が本格的に道を覆うようになったのは九合目からで、危険を感じるような凍り方はしていませんが、油断をしていると踏み抜いたりつるっと滑ったりで登高が捗りません。

雪との奮闘の末に、やっと懐かしい頂上の鳥居と狛犬の前に登り着きました。最後にここを登ったのは2019年ですから3年ぶり、そして最後に3000m峰に登ったのもそのときでした。ここまで来るとさすがに空気の薄さを感じますが、体調は問題なく、引き続き行動可能です。

吉田口頂上で行動食を口にしたら、反時計回りにお鉢巡りにかかりました。本来であれば時計回りに巡るのが仏教的マナーにはかなうのですが、反時計回りにすると剣ヶ峰直下の雪の斜面のトラバースを登り方向にできるので安心です。その斜面の雪はキックステップが利くほどの柔らかさで、アイゼンの必要性は感じませんでした。

剣ヶ峰に到着。巨大な噴火口を見下ろして一息つき、担ぎ上げてきた御神酒(ビール)を捧げたら直ちにお鉢巡りを継続しました。実は吉田口頂上から直ちに下山を始めていれば富士スバルライン五合目から下る最終バス(15時40分発)に間に合ったのですが、せっかく富士山に登って剣ヶ峰に立たないという選択肢はなかろうとこのバスを諦めて馬返しまで歩いて下ることにしていたので、明るいうちに下山するために先を急ぐ必要があったからでした。

頂上浅間大社は閉まっていましたが、構わず二礼二拍手一礼。無事に下山できますように。

吉田口頂上からの下山道(ブル道)はまだ開通していないために閉鎖されていましたが、登っている途中でそちらから降りてくる登山者の姿を見ていたので気にせず下降路に入りました。道の上は雪に覆われていますが、幸いその末端(谷側)は雪が切れているので危険を感じることなく下降可能です。

ただし、1箇所だけ完全に雪に覆われている場所が出てきました。先ほどからカーブのところで雪の上を渡る場面があったのですが、そのときの感触ではところにより雪が凍り付いており、スリップの危険がありそう。こういう場合リスクをどこまでとるかは人それぞれですが、自分は回避できる危険はすべて回避する主義なのでアイゼンを装着し、ピッケルを突いてここを下りました。幸いそうした区間はほんのわずかで、やがて除雪された区間に達し、八合目から下では雪に悩まされることはなくなりました。

経ヶ峰まで降りてきて振り返ると、先ほどまでそこにいた山頂と下降路を一望することができました。こうしてみるとなんとも潤いのない景色なのですが、それでもここから見上げる吉田口登山道の佇まいは富士信仰の歴史の重みを感じさせて味わい深いものがあります。

佐藤小屋の近くから馬返しへ下る道は過去にも何度か歩いていますが、最後に下ったのは2012年のことで、そのときは1時間で下っています。日没まではまだ間があるのでそこまで飛ばさなくてもいいだろうと多少ゆっくり目のペースで下り、その代わり途中にある講中時代の遺構を説明する解説は全部見ていくことにしました。

佐藤小屋から少し下ったところがかつての五合目で、この辺りは中宮と呼ばれ18世紀前半までは18軒もの山小屋が立ち並ぶ一方、ここから上に小屋を建てることは許されなかったそうですが、その後4軒がここに残り他の山小屋は五合目より上に移転したのだそう。

そうした過去の賑わいを示す石垣や平坦地を横目に見て往時を偲びながら下降を続けていくと、四合五勺の井上小屋の建物が朽ち果てずに残っていて驚かされました。

しかし一方では、二合目の富士浅間神社周辺の荒れ具合に諸行無常を感じる場面も。富士山中で最初に建てられた神社であるということですが、そうした歴史に対してもう少し敬意を示してもいいのではないでしょうか?

ともあれ無事に馬返しに到着し、三合目から電話で予約していたタクシーに乗って富士山駅まで送ってもらって22時過ぎに帰宅しました。

なお、今回は佐藤小屋を予約できなかったために富士スバルライン五合目への登りのタクシー代で14,000円、馬返しからの下りで3,620円とタクシー代がかさみましたが、聞けばコロナ禍に伴う外国人観光客の激減で運転手さんたちは相当厳しい状況に置かれ続けている(月の手取りが一桁万円ということもある)そうなので、カンパだと思うことにしています。