燧ヶ岳

日程:2022/05/07-08

概要:大清水から三平峠を経て長蔵小屋泊。翌日、燧ヶ岳を往復して往路を下山。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:燧ヶ岳 2356m

同行:トモミさん

山行寸描

▲尾瀬沼の畔(三平下)から見た燧ヶ岳。(2022/05/07撮影)
▲俎嵓から見た柴安嵓。左奥には至仏山と尾瀬ヶ原も見えている。(2022/05/08撮影)

トモミさんのチャレンジサポート山行・第◯回(何回目か忘れた)は、尾瀬の燧ヶ岳です。尾瀬がチャレンジ?と言うなかれ、大清水から入山した場合、最高点のある柴安嵓へ達するためには東側の俎嵓からいったん鞍部に下り雪の急斜面を登らなければならず、しかも往路を戻るときには慎重なクライムダウンが必要になるので確実なアイゼン・ピッケル技術が求められます。

ちなみに私自身は1989年のゴールデンウィークに鳩待峠から至仏山に登り、尾瀬ヶ原に下ってこれを横断し、さらに燧ヶ岳に登って尾瀬沼の畔に降りて大清水へ出るという山行を行っていますが、当時はそれまで数えるほどの回数しかピッケルを使ったことがなかったため、かなり怖い思いをして柴安嵓の雪壁を下った記憶があります。

2022/05/07

△12:35 大清水 → △14:45 三平峠 → △15:25 長蔵小屋

上越新幹線の上毛高原駅でトモミさんと合流し、沼田経由大清水行きのバスに乗りましたが、途中の戸倉でカメラマンらしい男性が降りた他は登山者の姿はなく、大清水に降り立ったのは我々だけ。駐車場もがら空きで、ずいぶん寂しい雰囲気でした。

身繕いをしてから大清水を出発し、途中でまだらに雪に覆われながら続く林道を一ノ瀬休憩所まで歩きましたが、登りはおろかすれ違う下山者の数も数えるほどです。

十二曲りをがんばって登った先の三平峠あたりはさすがにしっかり雪に覆われていましたが、それにしても気温は高く、私は長袖Tシャツ1枚になっていたほど。そして北に向かって下りかけた先の開けたところから目の前に尾瀬沼や燧ヶ岳の姿が見通せるようになると我々のテンションはアップ!尾瀬沼の畔(三平下)では水面に映る逆さ燧ヶ岳の写真を撮りまくりました。

尾瀬沼の周りを反時計回りに進んで今日の宿である長蔵小屋に投宿しましたが、見れば玄関に並べられているスリッパは5足だけ。しかし受付の方は「昨日は1人でしたよ。今日はその5倍です」と胸を張っていました。1989年に泊まったときはもっと賑やかだったと思うのですが、これもコロナの影響なのかもしれません。

部屋は8畳の個室を割り当てられ、風呂にゆっくりつかったらおいしい夕食をいただけて、実に満ち足りた山小屋ライフ。贅沢すぎる……。

夕食後、あわよくば夕景色を見られないかと尾瀬沼の岸辺まで散歩に出てみましたが、天気予報通りに夕方から雲行きが悪くなってきており、燧ヶ岳の姿は荒っぽい雲の渦の中に隠れていました。仕方なく部屋に戻り、軽くお酒を飲んで明日の登頂成功を祈願して20時には就寝(布団は備付けですが、トモミさんはインナーシーツ、私はシュラフカバーを持参してその中に入りました)したのですが、その寝入りばなに小屋の屋根を強く叩く雨の音が窓の外から聞こえてきました。

2022/05/08

△04:55 長蔵小屋 → △07:30-40 ミノブチ岳 → △08:15-30 俎嵓 → △08:55-09:20 燧ヶ岳(柴安嵓) → △09:40-10:00 俎嵓 → △10:20 ミノブチ岳 → △11:55-12:00 長蔵小屋 → △12:40 三平峠 → △14:10 大清水

4時に起床したときには窓の外はまだ暗かったものの、朝食代わりにあらかじめもらってあったお弁当(おにぎり2個)を部屋の中で食べているうちに明るくなってきました。

不要な荷物を小屋の玄関にデポさせていただいて、5時前に出発。昨夕からの雲はまだ残っているものの上空には青空が広がり始めており、どうやら登山日和に恵まれそうです。

大江湿原の入口に立つ3本の木に挨拶をして、樹林の中の残雪の道を踏み跡頼りに進みます。

長英新道に入ってからもしばらくの間は斜度が緩やかでほとんど平地を歩いているような感覚が続きますが、ピンクテープが高い頻度で付けられており、道に迷う心配はありません。やがて空が開け、雪が締まって傾斜が急になる頃合いでアイゼンを装着しましたが、両手はストックのままでさらに登り続けます。

振り返ると背後に尾瀬沼が白く広がり、その向こうには顕著なピークを見せる奥白根山(日光白根山)。その左には男体山から女峰山までの間に2人の真名子と太郎を挟む日光家族の山々も見えています。

なぜかそこだけ茶色く土が露出したミノブチ岳で休憩し、そこから指呼の間にある俎嵓へ向かうと、途中から柴安嵓も見えるようになりました。

柴安嵓の俎嵓に面した雪壁が問題の急斜面で、トモミさんは若干不安そうな様子ですが、こちらから観察した限りではそれほど困難そうには見えません。あんなの楽勝ですよ、とトモミさんにとってはありがたみの薄い励ましを与えて、最後のひと登りにかかりました。

ハイマツと岩のミックスした山道にアイゼンの爪を軋ませながら登って、まずは俎嵓をゲット。燧ヶ岳の三角点はこちらにありますが、最高点は柴安嵓の方なので、燧ヶ岳に登頂したと言うためにはやはり柴安嵓のてっぺんに立たなければなりません。

それでもしばらくの間は俎嵓の頂上からの大展望に酔いしれていましたが、やがてトモミさんには覚悟を決めてもらって柴安嵓に向かいました。こちらから見ると、左上のリッジに向かって短く登ってからリッジ沿いに右上する踏み跡と中央を登りハイマツ帯の上縁を右にトラバースしてやや左上気味に登る踏み跡の二つのラインが辿られており、簡便そうな前者を登りに使うことに決めてからリュックサックとストックをデポしてピッケル片手に鞍部へと下りました。

雪の状態は堅過ぎず柔らか過ぎず、蹴り込んだステップがしっかり体重を支えてくれています。傾斜は部分的におよそ40度といったところかと思いますが、急な区間は短くてすぐにリッジ沿いの右上ラインに移るので、丹念に足を決めていけば不安はありません。トモミさんはこの右上ラインで高い位置にピッケルを打ち込もうと左腕を上げ続けていたためにパンプしてしまったようですが、途中から助言を元にピッケルの使い方を修正したあとはスムーズに登ってきてくれました。

最後は緩やかなスノーリッジを歩いて無事に柴安嵓の頂上に到達し、山頂碑と共に記念撮影。我々が登頂するのと同時に反対の見晴側からの登山者もここに登り着いて、この日の登頂第一号を分け合うことになりました。さらに尾瀬ヶ原を見下ろせる西の突端まで歩いて行くとその仲間らしい登山者があと2名上がってきて、柴安嵓の山頂は5人占めになりました。

燧ヶ岳山頂からの眺めは俎嵓からと柴安嵓からを合わせて360度ですが、俎嵓からはすぐ近くに会津駒ヶ岳、尾瀬沼方向には遠く日光の山々と奥白根山、柴安嵓からは正面に至仏山と尾瀬ヶ原ですが、その左には武尊山、右には平ヶ岳が見え、越後三山もどれがどれと特定できませんでしたが見えています。そして西の遥か彼方には北アルプスの姿も霞んで見えていました。

柴安嵓から鞍部への下降は、先ほどのリッジを下るのは先が見えておらず少々怖いので、まずはまっすぐハイマツに向かって下降してから左へトラバースするコースをとることにしました。先に下る私がトモミさんの歩幅に合わせて足を蹴り込んでステップを作り、その後にトモミさんが続くという方法での下降は順調に進み、危険な場面もなく無事に鞍部に降り立つことができました。

俎嵓山頂で待ってくれていたリュックサックの元に戻り、トモミさんのチャレンジ成功のご褒美カヌレを食し(私も一口分けてもらいました)たら、大清水側から登ってきた男女の登山者と入れ替わりに尾瀬沼を目掛けて下山を開始しました。

登りは3時間かかった道も下りは2時間ですみましたが、大清水からのバスの時刻を考えるとこれでもあまりゆとりはありません。一気に降り着いた長蔵小屋で預かっていただいていた荷物を回収してリュックサックに詰め込んだら、小屋の前の小さな鯉のぼりに別れを告げてただちに出発しました。

三平下から振り返る燧ヶ岳は遠く・大きく見えて、ほんの少し前までその頂に立っていたことが信じられないほど。登り着いた山頂からの展望もさることながら、降りてきた山を振り返って味わうこの時空を飛び越えたような感覚もまた登山の醍醐味かもしれません。この景色を最後の眺めとして、三平峠を越えて大清水に下り、バスと電車を乗り継いでその日の夕刻に帰京しました。