生川大持沢

日程:2021/06/27

概要:秩父の生川大持沢をウォーターウォーキング。標高930mの二俣で遡行を終了しそこから仕事道を下降したが、遡行そのものよりも下降の方が悪かった。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:---

同行:エリー

山行寸描

▲標高930mの二俣の手前のCS滝。胎内くぐりで抜けられるはずだったが、穴が埋まっていたためこの日唯一ロープを出すことになった。(2021/06/27撮影)

◎本稿での地名の同定は『ウォーターウォーキング1 改訂版』(白山書房 2018年・以下『WW1』)の記述を参照するはずでしたが、小さい滝ばかりであるために同書のトポに書かれている滝の配置を実態に当てはめることは困難でした。

COVID-19に伴う緊急事態宣言(東京都)が6月20日に一応終了。今年の夏はエリーと大きめの沢を2本計画しているので、宣言明けの山行はエリーとまずは足慣らし程度の沢登りに行くことにしていました。ただ彼女の方も宿痾となっている足の捻挫がしばらく前に再発して目下リハビリ中の身なので、いっそ「沢登り」ではなく「ウォーターウォーキング」にしようと行き先を検討した結果、秩父の武甲山近くにある荒川水系の生川うぶかわ大持沢がアンテナに引っ掛かりました。よし、これだ。

2021/06/27

△08:20 一の鳥居 → △08:45 入渓点 → △09:45 標高720m二俣 → △11:20-50 標高930m二俣 → △13:50-55 入渓点 → △14:10 一の鳥居 → △15:35 横瀬駅

梅雨の最中とあって直前までこの日は雨予報でしたが、それでもどうやら午前中は降られずにすみそうだと目星をつけて決行宣言を出したのは前日の昼。その代わり集合時刻を当初の計画から1時間早めて午前7時20分に西武秩父駅でエリーと待ち合わせ、タクシーに乗って武甲山表参道の登山口である一の鳥居まで運んでもらいました(2,920円)。

一の鳥居はその名の通り鳥居が立ち、これをくぐったところが駐車スペースになっています。ここでタクシーを降りた我々は最初から沢装備を身につけて歩き出したのですが、考えなしに奥に進んだのは失敗で、本当はいったん鳥居の外に戻って車道を登らなければなりませんでした。そのため多少遠回りになってしまいましたが、どうにか軌道修正して大持沢に辿り着き、無事に入渓できました。

入渓してしばらく進んだあたりは左岸からの崩壊でかなり荒れており、なんだか綺麗ではないなぁとこのときはネガティヴな印象。

この短いながらもつるっとした小滝は少々難しい。しかし、せっかく易しい沢に来ているのでエリーも私も安易に巻くことはしません。ここは右端のコーナーに足を突っ込めばどうにか処理可能です。

荒れた地帯を抜けると緩やかな斜面に広葉樹の林が広がっていい雰囲気。一頭のまだ若そうな鹿がさかんに警戒の声を上げていてエリーは「かわいい♫」と喜んでいましたが、私は「鹿がいるならヒルもいるのか?」と疑心暗鬼に……(いませんでした)。

天気は悪いはずだったのに遡行しているうちに日が差し込む場面もあり、そうしたときにはナメの上を流れる水がキラキラと輝きました。しかし、この沢はナメはあまり発達しておらず、むしろ意外なほどに釜が豊富です。

いくつかの小滝の前にはそこそこの深さを持つ釜があってエリーの身長では腰までつかることになりますが、幸い気温も水温も低くはありません。そうこうするうちに沢が右へ直角に近い角度で向きを変える二俣状の場所(標高720m)に行き当たり、そこに立つ木には「右へ」と書かれたピンクテープが付けられていました。

『WW1』のトポには遡行2時間で「二俣」(入渓から水平距離1100m・標高差150m)に達し、その先は巻きも悪いところが数箇所あり勧められないのでそこから仕事道を下るようにと書かれているのですが、この時点で入渓してからたったの1時間。このためまさかここがその二俣だとは思いもよらず、そのまま遡行を続けました。

そして大持沢は、ここからが面白いところでした。

ちょっとした連瀑帯の2段目。高さがあるのでここで初心者のためにロープを出している写真もよく見掛けますが、エリーは難なく登っていきました。

続いて苔が綺麗なセクション。日本庭園風で癒されます。

左岸に峨々たる岩壁が連なるセクション。写真では十分に伝わりませんが、なかなかの威圧感です。ただし岩自体は脆そうなので、クライミングの対象にはなりにくそう。

最後に両岸が狭まったところに三連瀑があって、その1段目と2段目は左壁を容易に登ることができますが、3段目は一見するとどうするんだ?という感じがします。しかし、事前の学習によれば右に見えている大きなチョックストーンの下をくぐって胎内くぐりよろしく上流側に抜けられるはず。そこで先にエリーに右側の3mほどの高さにあるテラスまで登ってもらい、私も後続したのですが……。

テラスに上がると、先に登っていたエリーから「抜けられません」と衝撃的(!)な報告。えっ、そんなはずはと思いつつ自分も大岩の奥を覗いてみましたが、ところどころ光が入ってくる穴が見えはするものの、とても人が通れる大きさではありません。しょうがないなと水流側(左)を見やるとホールドがつながっており、トラバースしてから落ち口へ抜けられそう。そこでこの日初めてロープ(20m)をリュックサックから出し、私とエリーのハーネスに結んで私が先行することにしました。ただし、このテラスではビレイヤーの確保条件が悪く、下手にビレイしてもらうと私が落ちたときにエリーを引きずり落とすことになるため、私はフリーソロ。ロープはあくまで上からエリーを確保するためのものです。

実際にトラバースにかかってみると、出だしの1、2歩が若干バランシーではあるものの、がっちりしたホールドが安心感を与えてくれて体感III+程度。また、そのホールドの近くには残置ピンがありましたから、テラスに上がってからではなく下からビレイしていればここでランナーをとることもできたはずです。

ロープを10m強伸ばしたところの灌木にスリングを巻いて確保支点を構築したところ、その立ち位置は人に踏まれたように平らになっていたので、ここを私と同じように登っているパーティーは少なからずある模様。ともあれロープを引き上げてホイッスルで合図を送り後続を迎えましたが、エリーも特に苦労する様子なく上がってきてくれました。なお、上から見ると右岸に踏み跡がありましたから、この滝はそちらから巻き上がることもできるようです。

下山してからこの沢を遡行した記録を検索しなおしてみると、かつては上の写真の黄色い丸でマークしたあたりに抜け口があったのに、いつの頃からか(昨夏以降今年の5月以前に)埋まってしまっていたようです。

先ほどのCS滝を越えると目の前に二俣(標高930m)が広がり、左右の沢筋の間の斜面には仕事道の存在を示すピンクテープが見えています。予習したところによればこれで滝場は終了で、ここから稜線までの詰めは長く苦しいらしいし、天気予報通りに空が暗くなってきたこともあって、遡行をこの二俣で打ち切り仕事道を下ることにしました。念のためヘルメットとハーネスはそのまま、しかし沢靴は登山用のシューズに履き替え、行動食をとってエネルギーを補給したら下降開始です。

右岸の仕事道を見つけるのに少し手間取りましたが、ピンクテープのおかげで道に乗ることができました。ところが、この道は沢筋から見てかなり高いところの急斜面を際どくトラバースしていく上に、ところどころ崩れかけていてちょっと怖い。しかも右岸の尾根を乗り越したところからは沢に向かって急降下していて、とても『WW1』が想定する読者=初心者が歩けるような代物ではありません。下りが苦手な私は片手を斜面に突きながら慎重に、そしてエリーも持参のチェーンスパイクの力を借りてゆっくり下っていきました。

どうにか沢筋に戻ると林業関係者が使っていたと思われるトタン屋根の作業小屋の残骸があり、さらに沢沿いを右→左→右と渡って右岸の尾根に乗り上げてから再び沢に降りたところがこのレポートの途中に動画で示した滝がある場所でした。つまりここは『WW1』に書かれている「二俣」よりも少し上流なのですが、この時点では我々が遡行を終了した二俣が『WW1』の二俣だと思い込んでいたので「『WW1』はこんなに危ない道を初心者に歩かせようとしているのか」と2人でブツブツ(←まったくの濡れ衣で申し訳ありません)。

そこからは道の傾斜が緩やかになりはしましたが、斜面の崩壊で歩きにくいところやルートファインディングがしにくいところ(エリーの目の良さにたびたび助けられました)があって一筋縄ではありませんでした。それでもさすがに、沢靴を履いて沢の中を下降するよりは早かっただろうと思います。

下り始めてからちょうど2時間で入渓点へ降り立ち、ヘルメットとハーネスも外して身軽になると、後は横瀬駅までの長い車道歩きが残っているだけです。道すがら見上げたセメント工場と武甲山の痛々しい姿は、2010年にトレイルランニングでここを走ったときに見たものと同じ眺めでした。

山行終了後、横瀬駅から西武線で一駅乗って西武秩父駅に戻り、駅舎併設の「祭の湯」でさっぱりしてから秩父の地酒とわらじカツで打上げとしました。極楽也。

なお、この日エリーから「1週間遅れの父の日プレゼント」としてもらったのは虫除けに霊験あらたかという「おにやんま君」です。今年の夏に一緒に行く予定の東北の沢はブヨが出ることが多いので、このプレゼントはとてもうれしい。2カ月前の滝子山につきあってくれた「長女」といい今回の「末娘」といい、親孝行な娘たちをもって私は幸せです(笑)。