北穂高岳滝谷ドーム中央稜

日程:2017/08/11-13

概要:初日は新穂高温泉から滝谷避難小屋まで。2日目に槍平から南岳に上がり、大キレットを経て北穂高岳へ。3日目にドーム中央稜登攀の後、涸沢岳を越えて白出沢から新穂高温泉へ下る。

山頂:南岳 3033m / 北穂高岳 3106m / 涸沢岳 3110m

同行:ハマちゃん

山行寸描

▲滝谷出合からすぐの雄滝手前のスノーブリッジ。危険を感じて滝谷遡行は中止。(2017/08/11撮影)
▲大キレットの長谷川ピークを北穂高岳への登りの途中から振り返る。(2017/08/12撮影)
▲ドーム中央稜4-5ピッチ目全景。上の画像をクリックすると、ドーム中央稜の登攀の概要が見られます。(2017/08/13撮影)

滝谷のルートはこれまでクラック尾根第二尾根第四尾根と登ってきており、実はドーム中央稜も登ってはいるのですが、これはガイド山行だったので自分の中ではノーカウント。以来既に16年が経過していますが、そろそろ宿題を片付けよう、どうせ片付けるなら滝谷を出合から詰めて第三尾根から上がれば充実するのではないか、と意欲的な計画を立てて「歩けるフリークライマー」ハマちゃんを誘うことにしました。一つ気になっていたのは(自分の脚力の衰えもさることながら)今年の北アルプスの残雪が例年になく多いことで、したがってこの計画の実行タイミングについては相当に悩んだのですが、もし出合から見て雪の状態が判然としない場合は安全第一で目標をドーム中央稜だけに絞ることにしようと決めて山の日を迎えました。

2017/08/11

△09:40 駐車場 → △10:10-15 新穂高登山指導センター → △12:00-20 白出沢出合 → △13:30 滝谷避難小屋

ハマちゃん号で都内を22時に出発し、3時頃に新穂高温泉近くに着いたのですが、目的地手前の道路が落石のために夜間は通行止めとなっており、いったん近くの道の駅に退避してわずかの仮眠をとりました。5時のゲート開けを待って新穂高温泉に入り、かろうじて空いていた鍋平の駐車場に滑り込んでもう一眠り。この日の行程は滝谷出合までなので気は楽ですが、夕方から雨になる予報なのでそうのんびりもしていられません。

それでも駐車場を発ったのは9時40分で、ぬかるんだ登山道を下ってまずは新穂高登山指導センターに顔を出しました。登山届は既にCompassで提出済みですが、入下山カードをもらいさらに最新の天気予報も仕入れてから蒲田川右俣沿いの林道に入りました。私も穂高や槍にはそこそこ登っている方ですが、こちら側からアプローチするのは初めてです。

穂高平小屋、柳谷を見送って、白出沢出合に着いたのは正午のこと。私の手元にある古い地図にはここに避難小屋があるように書いてありましたが、跡形もありませんでした。そして白出沢を渡るところで右手を見上げると、沢の奥には顕著な岩塔がガスの中に屹立しているのが見えました。あれは位置関係からすると天狗尾根の2494峰?

白出沢を渡ると道は普通の登山道になりましたが、相変わらずほぼ水平の歩きやすい道で、そのまま沢沿いのやや高いところをトラバースしていくといよいよ滝谷にぶつかり、その左岸の小高い位置にしっかりしたコンクリートブロック造りの避難小屋が建っていました。ここが我々の今宵の宿となる滝谷避難小屋です。

30人くらいは楽に泊まれそうな小屋の中に荷物をデポすると、まずは滝谷の偵察です。滝谷は出合からすぐの位置にある雄滝の突破が最初の核心部で、ネットの記録を見るとここを3-4ピッチ1時間以上かけて抜けているパーティーが多く、我々にとっても厳しい関門になるだろうと思いながらアプローチしたのですが、左岸をどんどん詰めて雄滝に寄ってみると、遠目にもその手前に巨大なスノーブリッジが崩落寸前の状態で沢筋を塞いでいるのが見えました。しかも轟音と共に豊富な水量を落としている雄滝の落ち口には滝の上から雪が張り出しており、その上はガスに隠されているものの膨らんだ雪面も見えています。うーん、これは厳しい状況なのでは?

明日の天気もあまりよい見通しではないことも加味し、ここは潔く滝谷遡行は諦めることにしました。その意思決定ができたら、後は寛ぐだけ。持参したお酒で乾杯し、小さい焚火を熾して燃やせるゴミを燃やしながらのんびり時間を使いましたが、予報に反していつまでたっても雨が降る気配がありません。

それならと再度、もっと雄滝の近くまで偵察してみることにしました。悪い河原歩きと飛び石での渡渉を重ね、「安らかにあれ」と刻まれたレリーフを横目に、右岸に残る残雪のブロックの下をこわごわ通過しながら雄滝にぐっと近づいてみたところ、スノーブリッジの下はかろうじて人がくぐれるだけの高さが残されており、そこを走って雌滝側に抜けてから雄滝・雌滝間の尾根に取り付いて右へトラバースしていけば雄滝の落ち口に迫ることができそうです。ただ、先ほども見たようにその落ち口は雪が張り出している上に、その上の残雪も崩壊リスクを抱えたスノーブリッジになっていることは必定です。

ここまで見極めて自分の心に納得をつけさせたところで、避難小屋に戻ることにしました。当初計画していた第一プランは明日一気に第三尾根経由で北穂高岳に達するというもの(ビバーク装備はもちろん持参)でしたが、変更後の第二プランでは明日は槍平から南岳新道を登り、大キレットを渡って北穂高岳まで。そして3日目の早朝にドーム中央稜を登ってその日のうちに下山です。

2017/08/12

△04:15 滝谷避難小屋 → △05:00-30 槍平小屋 → △09:45-55 南岳小屋 → △13:10 北穂高小屋

登攀事故で亡くなったクライマーの遺体安置所として使用されるという滝谷避難小屋は「出る」ともっぱらの噂ですが、軽量化のためにマットも持参しなかった私は板の間の硬さと予想外の寒さにそれどころではなく、何度も寝返りを打ちながら朝を待つことになりました(お盆なので霊の皆さんも里帰りしているという説あり)。

午前3時起床。コーヒーで暖をとり軽めの朝食を口にしてから、まだ暗い中を出発しました。滝谷を渡ってすぐの岩壁には、あの曰くつきの滝谷初登争いを演じた藤木九三氏のレリーフあり。一応先にA沢を詰めて大キレットに出た藤木氏のRCCパーティーが滝谷初登ということになっていますが、待合せの約束を反故にされた(?)早稲田大パーティーも同日にD沢から涸沢のコルに達しており、両パーティーの同時初登という評価もなされています。

やがて槍平小屋に到着。谷の中のそこだけ開けた場所に落ち着いた風情で建つこの小屋は、一度泊まってみたいと思わせる雰囲気を漂わせていましたが、我々はトイレを拝借し水を汲んだところですぐに南岳新道に入りました。南沢を渡るところでは雪が沢を覆っていますが、これまた薄いスノーブリッジ状になっており、ペンキマークを無視してやや下流から岩の上を歩いた方が安全です。かつての南岳新道はここから南沢の左岸を上がっていたそうですが、1998年の群発地震の影響で道が付け替えられ、今は尾根伝いの急登の道となっています。

滝谷用に持参して今や無用の長物と化したピッケル、アイスハンマー、ハーケン、カム各種……つまりは重金属類の重みに虚しいものを感じながら黙々と急登をこなしていきましたが、ところどころの赤いベリーや背後の虹が慰めとなってくれました。ことに久しぶりに七色の虹を眺めたときは、脳内にジュディ・ガーランドのWe must be over the rainbow!というセリフ、続いてRitchie Blackmoreのギターが鳴り響きました。

登高の途中では雨に降られて雨具を身につけることになりましたが、それは短時間で済み、やがて滝谷の岩場を遠望できるようになりました。明日こそはあそこを登ろう!

4時間強の登りで南岳小屋に到着。ヘルメットやハーネスに身を固めた人々の間に入って一休みし、我々もヘルメットをかぶると北穂高岳への縦走路に向かいます。

ハマちゃんは大キレットを渡るのは初めてで、一方の私はこれが2回目。前回は1999年のことですから今から18年前ですが、そのときはずっとガスに巻かれながらの歩きだったので、こうして展望に恵まれながらの大キレット越えは私にとってもうれしいものがあります。

南岳から長い下降を終えてキレットの底部に入ってしまえば、長谷川ピークまでは普通の縦走路とさして違いませんが、長谷川ピークからのちょっとした下りは岩場の登下降に慣れていないと少し緊張するかもしれません。

そして藤木九三氏が初登の歓喜に包まれたであろうA沢のコルからは飛騨泣きの登りとなり、ここから北穂高岳までの間は2010年にも歩いていますが、こちらも要所に鉄杭や鎖があってよく整備されています。

ふと見るとクラック尾根に取り付いているクライマーたち。あそこは私がキャメロット#0.4を残置せざるを得なかったところだ……と複雑な気持ちでその様子をしばらく眺め、同じく興味深げにクラック尾根を見つめていたハマちゃんにB沢の下降点を教えました。

北穂高岳小屋到着は13時10分。当初は「正午までに着いたらこの日のうちにドームを登ろうか」などと言う話もしていましたが、もはやそんな気持ちはゼロで、小屋前のテラスに腰を落ち着けたら直ちに生ビールで乾杯しました。

おいしい夕食の後に小屋の裏手にある山頂に登ってみると、ガスの中からドーム、そしてその向こうに奥穂高岳が姿を現わしました。どうやら明日はクライミング日和となりそうです。それは良かったのですが、やはりこの好天を狙って北穂高岳に上がってきた登山者の数は多く、この晩は布団1枚に2人という割合での詰込み具合となりました。それでも布団の大きさがそこそこあって寝返りも打てる程度だったから狭さは困らなかったのですが、人が多いせいかどうか、この夜は恐ろしく暑くて寝苦しいものとなりました。深夜の1時頃には急に近くの女性がうなされ始め、ついに「助けて〜!」という悲鳴(寝言)を上げて静かになってしまったのに驚きましたが、それが寝苦しさのせいだったのか、それとも我々が何かを滝谷避難小屋から連れてきてしまったせいなのかは、定かではありません。

2017/08/13

△04:25 北穂高小屋 → △05:55-07:15 ドーム中央稜取付 → △09:20-40 ドーム中央稜終了点 → △11:50-12:35 穂高岳山荘 → △15:30-40 白出沢出合 → △16:45 新穂高温泉

まだ暗い内に起き出して小屋の前に出ると、ベンチが濡れています。雨?夜露?しかし空が明るくなるにつれ、東の常念山脈や北の槍ヶ岳がきれいに姿を見せ始め、この日の好天を約束してくれているようでした。

少々遅めの4時半前に出発しましたが、南稜の分岐のところでハマちゃんが「……お腹が痛くなってきた」。よって私は道標の足元でしばらく待機し、ハマちゃんはBig Nature Calling対策のためいったん小屋に戻ることになりました。

嗚呼、綺麗な朝焼けだ。こういう景色に感動する自分は、やはりクライマーではなく山屋なのだなと思います。

「間一髪だった」と言いながら戻ってきたハマちゃんと共に奥穂高岳方面への縦走路を南へ進み、ドームを涸沢側から巻く場所にある「←北穂へ←→奥ホへ」とマーキングされた岩の近くにリュックサックの一つをデポ。登攀時はリードは空身となり、フォローが荷を担ぐプランです。

さらにドームを巻いて鎖場を下ったところがC沢右俣の最上部で、ここからいよいよ縦走路を離れます。ザレた斜面を下り、右にトラバースしてから急な凹角をクライムダウン。さらに右にトラバースするとケルンが現れますが、ここからさらに若干の下りとトラバースを重ねて尾根を回り込んだところに、しっかりした懸垂支点が設置されていました。

北穂高岳小屋の壁に貼ってあったアプローチ図には20mのケンスイ下降と書かれていますが、実際には50mロープの折り返しでぎりぎりの距離になります。

降り立ったところから明瞭なバンドを進み、向こうの斜面を踏み跡に従って登り返すと、そこがドーム中央稜の取付でした。先行パーティーは2組で、トップは昨日北穂高岳小屋のテラスでご一緒〔後述〕したT夫妻、その次は縦走路を離れるところから先導してくださった関西からのご夫妻。我々は3組目で、そしてこの日ドーム中央稜を登る最後のパーティーになったものと思われます。1組目のT夫妻が登っている間、北穂高岳方面からガラガラと石の崩れる音が頻発したので目をこらすと、C沢左俣を2人のクライマーが下降していくところでした。おそらく彼らは昨日クラック尾根を登っていたパーティーで、今日は第四尾根を登るのでしょう。それにしてもC沢ってあんなに急だったかな?と驚くほど悪絶な沢筋を下っていく彼らの様子に、我々の前の関西夫妻は仰天した様子を隠しませんでした。

前の2組が順番に離陸していくのを待ちながら、こちらは後続がいないこともあってのんびりと山岳景観を堪能しました。こういう景色に感動する自分は……(以下同文)。

いよいよ登攀開始。1ピッチ目(40m / IV,A0(グレードは私の体感))は事前の申合せ通りハマちゃんのリードです。凹角に向かって立ち上がる易しいカンテを登って、やがて狭いチムニーに入ってからが核心部。空身のハマちゃんは時間をかけながらもバックアンドフットでチムニーの中をずり上がり、ややあってチョックストーンの上で後続の確保態勢に入りました。続く私もカンテ部はもちろん問題ないものの、チムニーに入るところで途方に暮れてしまいました。

私「えー、このチムニーの奥を登ったの?」
ハ「そうです!リュックサックを背負っていては無理です」
私「フォロー(私)はどうやってランナーを回収するんだよ」
ハ「あっ、忘れてた!」

チムニーの奥まったところでハマちゃんが残したクイックドローが人待ち顔をしていますが、リュックサックを背負ったままの自分にはそちらから登るのは物理的に難しそう。仕方なくチムニーの出口あたりでリュックサックを壁にこすりつけながら2mほどずり上がったところで残置スリングをつかんで身体を傾け、かろうじてクイックドローを回収してからチョックストーンの上に乗り上がりました。

2ピッチ目(40m / IV+):私のリード。チムニーの上に続く垂直のカンテを登るといったんテラスに出て、その正面の高さのあるスラブがこのピッチの醍醐味です。スラブの右端にクラックが走っており、そのクラックに沿って豊富な残置ピンがあるので惜しげもなくクイックドローを使いながら高さを上げていくのですが、取り付いてみると見た目の印象とは裏腹の急な傾斜と長さに緊張を強いられます。クラックも徐々に左上にかぶってくるのでホールドを選びながらスラブの中の凹凸に対して大胆に足を出していかなければならないのですが、スラブ出口近くでキーホールドが動いたときは少々焦りました。それでも右手の向きを修正して身体をスラブの真ん中へと大きく振り出し、そこから若干デッド気味に上に手を伸ばしてここを解決すると、すぐ上が安定した大テラスになっていました。

大テラスの向こうには4ピッチ目と5ピッチ目が一度に見えており、T夫妻は既に5ピッチ目(最終ピッチ)、関西夫妻は4ピッチ目をそれぞれ登っているところでした。遅れ気味の我々もほぼ歩きの3ピッチ目で向こう側に渡って、引き続き最後の2ピッチを登ります。

4ピッチ目(35m / IV+):ハマちゃんのリード。左上する凹角は、傾斜はそれほどでもないものの若干残置ピンが乏しい部分がありますが、適当なクラックがあるのでカムが有効です。ハマちゃんも私が持ってきたリンクカムを途中にかませて高さを稼ぎ、最後のチムニーに覆いかぶさる菱形板状のチョックストーンを力任せに越える場面では若干逡巡したものの、先人が残してくれた残置カムに勇気付けられて抜けていきました。

5ピッチ目(35m / IV):私のリード。快適そのものの凹角を登り、どんづまりのハングは右にやや遠いクラックに右手を届かせて身体を寄せたら目の前に広がる終了点に向かって1段上がるだけです。

後続のハマちゃんを迎えて、これで登攀終了。乾いた硬い岩と晴天に恵まれて、楽しいクライミングでした。そして終了点からは滝谷を見下ろすことができて、どうやらBCD沢の合流点あたりは残雪に覆われているらしいこと、その下流の沢筋を覆う残雪の端はいずれも高さのあるシュルントになっているらしいことを観察できました。もし残雪の中心を不安なく登れる状態だったとしたら、雄滝さえ越えられれば予定通り滝谷を遡行できたかもしれませんが、こればかりは現地に立ってみないとわかりません。

ともあれロープを畳んでリュックサックに詰め、ドームの頭を越えてリュックサックをデポした場所に戻りました。リュックサックにヘルメット以外のギアをすべて戻し、縦走スタイルに変身すると穂高岳山荘を目指します。

途中、第四尾根のツルムを見下ろす地点を通過しましたが、ツルムの下に4、5人ものクライマーが固まっているのを見つけてびっくりしました。いつの間にそんなにC沢を下降したのか、それとも滝谷を上がってきたのか?

最低コルを過ぎたあたりでレスキューヘリの音が聞こえてきました。涸沢の上を飛んでは盛んにホバリングするヘリは、まるで登山者に対して睨みを利かせているかのよう。しかし、後でハマちゃんに聞いたところでは稜線上にカメラ隊がいて(私は気付きませんでした)、どうやらヘリの撮影のためだったようです。

北穂高岳から穂高岳山荘(さらには奥穂高岳)までの縦走路は、山登りを始めてまださほど経験値が積み重なっていなかった1990年に歩いていますが、今歩いてみても部分的には慎重さを要求される箇所があり、難しさという点では大キレットよりも上かもしれません。

ようやく穂高岳山荘に到着し、カレーとコーラで人心地をつけました。ここにさらに1泊できれば楽なのですが、明日は普通に仕事なので何としても今日のうちに下山しなければなりません。

下降路は、これも初めて歩く白出沢の登山道です。上部は大きめサイズの岩が積み重なっていて、正しい道筋は山荘の長年の尽力により石畳に近い安定感があるのですが、若干乏し目のペンキマークを見逃して岩屑の斜面に踏み込んでしまうと途端に足元が不安定になります。それでも何とか岩屑帯を下りきり、さらに途中に出てくる雪渓は右岸側のザレた踏み跡を下って、荷継小屋跡の辺りから樹林の中の普通の登山道歩きに変わります。

白出大滝の終端部の荒々しい姿に度肝を抜かれ、その下流の1973年に開削された白出岩切道(岩壁の高いところをトラバースする道)を水平に歩いて白出沢に架かる重太郎橋を渡れば、完全に安全地帯です。そこから先、地図に書かれている標準タイムを大幅に短縮して林道に到達し、後はだらだらと新穂高温泉を目指すだけでした。

当初の計画を変更してドーム中央稜のみの登攀となってはしまいましたが、終わってみれば諸条件に恵まれて楽しい3日間の山行でした。今年の夏は一貫して天候不順で、7月の海の日とその半月後に計画した山行がいずれも雨のために計画変更となってしまったために「宿題というのはなかなか片付かないものだな」と嘆いていたのですが、ようやく一矢を報いることができました。同行してくれた(おまけに運転も任せきりになってしまった)ハマちゃんには、感謝あるのみです。

北穂高小屋

今回の山行では、初日は幽霊話で恐れられる避難小屋泊まりでしたが、2日目は押しも押されもせぬ著名営業小屋に泊まりました。

大キレットを渡り終えテラスで乾杯したときに同じテーブルについていたのが、島根県と富山県から来られたというチャーミングな女性2人組。そして後からこのテーブルに合流したのが北穂高岳東稜を登ってきたT夫妻でした。アルコールも気安さを後押ししてくれて、山好き同士の楽しい会話が尽きることなく続いたのですが、そうしている間に光線と雲の位置関係がブロッケン現象を演出してくれて皆は大喜び。

それにしてもチャーミング2人組、面白過ぎます。クライミングはしないというお二人にハマちゃんが盛んにボルダリングを勧めたところ、こんな会話になってしまいました。

チ「でもクライミングのシューズって豚足とんそくなんでしょう?」
ハ「それは纏足てんそく!」

夕食後に皆で一緒に上がった山頂からドームを眺め、またしても出現したブロッケン現象に喜び、雲の向こうに沈む夕日の幻想的な光景に感嘆して、そしてここでチャーミング2人組とはお別れです。ハマちゃんがLINEでつながってくれたので、もしかすると来年あたりに小川山で豚足シューズを履いたお二人と再会する機会もあるかもしれません。

一方、面白さという点ではT夫妻も負けていません。昨夕のテーブル宴会のときもちゃきちゃきしたT奥様と物静かなT旦那(お二人はハマちゃんと同世代)という構図は見えていたのですが、ドーム中央稜の1ピッチ目を旦那がリードしてチムニーの中に消えてしばらくしてから、確保支点がなかなか見つからない様子の旦那とビレイしている奥様との間でこんなコールが交わされていました。

奥「おい!セルフとった?」
旦「……とったよ
奥「とったよじゃないよ、とったらとったと言え()」

おお、すげーな!と関西夫妻と我々がにやにやしていると、T奥様はこちらを向いて急によそ行きの表情と口調になり「すみませんね〜、ウチいつもこうなんですよ」。

しかし、お二人のパートナーシップが実は極めて良好であることは、このルートをつるべで抜けていったスピードの速さが雄弁に証明しているように思います。お二人とも、またどこかのクライミングルートでご一緒したいですね。そのときはよろしくお願いします。