ジョウゴ沢 / 裏同心ルンゼ(敗退)

日程:2000/12/09-10

概要:赤岳鉱泉をベースにして、初日はジョウゴ沢でアイスクライミングの練習。2日目は裏同心ルンゼから大同心ルンゼへ継続して横岳を目指したが、裏同心ルンゼF5でアクシデントにより登攀中止。

山頂:---

同行:黒澤敏弘ガイド

山行寸描

▲ジョウゴ沢右俣F1。不安な支点からの懸垂下降は怖かった。(2000/12/09撮影)
▲裏同心ルンゼF5。ここでよもやの負傷。(2000/12/10撮影)

例によって黒澤ガイドに連れていただいての冬の八ヶ岳は、当初は阿弥陀岳北稜を登る計画でしたが、今年の八ヶ岳は異常なまでに雪が少ない模様。しかしながら氷の状態は申し分なしとのことなので、裏同心ルンゼを登ることになりました。といっても私はアイスクライミングの経験がないので、初日は「氷の百貨店」の異名をもつジョウゴ沢で練習してから、翌日裏同心ルンゼを登り、時間が許せば大同心の基部を巻き大同心ルンゼへつないで横岳登頂を目指すプランです。当然、アックス2本も貸していただきました。

2000/12/09

△10:20 美濃戸 → △12:40-13:25 赤岳鉱泉 → △13:45 ジョウゴ沢F1 → △17:10 赤岳鉱泉

車で入った美濃戸の赤岳山荘でお茶に呼ばれてから、通い慣れた北沢沿いの道をひたすら歩いて赤岳鉱泉に到着。12月も中旬になろうというのにテントサイトには土が出ています。テントは私が持参、登攀具と食料は黒澤ガイド持参。幸い小屋の入口の向かい側の1段高くなったところに雪が積もっていたので、そこにテントを張ることにしました。

身繕いを終えてさっそくジョウゴ沢へGO。分岐からすぐのF1で、ダブルアックスとフロントポインティングでの氷壁の登り方、フラットフットによる氷上の歩き方、アイススクリューの使い方、さらには打ち込んだアックスにフィフィでぶら下がって両手をフリーにする方法などを学習してから、F1からF3まで登りました。氷の滝を登るのは初めての経験ですが、アックスの打ち込みがすかっと決まると安心して体重を預けられました。教わったアックス打ち込みの極意は「なるべく遠く(=上)へ / 肩幅よりも広く / ちょん・ちょん・がつーん!」です。またアイゼンの前爪での立ち方は先日広沢寺で行ったアイゼントレーニングの成果が生きてばっちりですが、氷が薄いところでは中を水が流れているのが透き通って見えていることに驚きました。

F3を越えて右俣に入り、その奥のF1は高さ約20mで、黒澤ガイドがバーティカルな氷壁をアイススクリューでランニングをとりながら途中の段になったところまで登りましたが、そこから先の氷の状態が悪いため完登は断念。後続の私もアイススクリューを回収しながら中段まで登ってから、先に私、ついで黒澤ガイドの順で懸垂下降しましたが、懸垂支点が不確実で冷や汗ものの下降になりました。

テントに戻ったときは既に暗く、空には星がまたたいています。小西政継氏サイン入りベニヤ板の上で調理される今夜のメニューは「王侯の晩餐」と命名された料理で、その内容は以下の通りです。

  1. コンビーフを丸のまま鍋に入れる。
  2. ひたひたに水を入れ、火にかける。
  3. 煮えたらクリームマッシュルームスープの素を入れる。
  4. フランスパンをちぎっては浸していただく。
  5. コンビーフの缶のフタはローソク立てに使う。

スープの味が徐々にクリーム味からコンビーフ味へ変化していくのも面白く、食べ飽きることがないカロリーたっぷりの冬山向けの料理です。酒は75度のロンリコで唇や胃が焼けるようですが、これがまたこの料理によく合いました。

2000/12/10

△06:50 赤岳鉱泉 → △07:20 裏同心ルンゼF1 → △12:30-13:20 赤岳鉱泉 → △15:20 美濃戸

アタックザックに行動食や替えの手袋などを詰めて出発。西から雪雲が近づいてくる中、大同心の左(北)に向かって彫り込まれた裏同心沢を進むとやがてF1・15mが現れました。氷の状態は抜群によく、黒澤ガイドも「最高だ!」を連発して興奮気味。やさしい氷瀑で慣れていればアンザイレンの必要もありませんが、当方は氷体験2日目なのでしっかり確保されながら登りました。

続く3段のF2・30mはいずれも傾斜がきつく息が上がりましたが、それにしても先行者がアックスを使うたびに上から氷の破片が落ちてくるのには驚きました(ただし、アイスクライミングでは上から氷が落ちてくることを前提にして自分の立ち位置などを決めなければならないと痛感したのはもう少し後の話です)。

さらに傾斜のあるF3・8mを越えてからナメ状のF4で黒澤ガイドから「リードしてみますか?」の声が掛かりました。両岸を岩に囲まれた入口部はさしたる苦労もなく登れましたが、登った先に確保支点がなかなか見つからず、ロープの残りを気にしながらずんずん登ってようやく右手の灌木の根元にビレイをとると、そこから左前方には最後の関門であるF5・10mが見えていました。

自分は意識していませんでしたが、ここまで予想以上に快調なペースで登ってきており、後から聞いたところでは、黒澤ガイドはこの分なら裏同心ルンゼを抜けた後に計画を変えて大同心南稜に挑戦させてもいいかも、と思っていたそうです。

F5は75度程度の傾斜があり、比較的やさしい右サイドには別のパーティーが取り付いています。黒澤ガイドは真ん中から取り付きましたが、氷の状態を見ながら慎重にルートを探している様子です。ところが、あらかじめ指定された安全な位置から見ていた私はここでロープを送り出そうと不用意にF5の取付まで進んでしまいました。その結果、黒澤ガイドが巧みに左のつららを乗り越していくのをはらはらしながら見上げているうちに、いつの間にか滝の上に登っている2人のフォールラインに入ってしまっているのに気付いていませんでした。

次の瞬間、「大きいのが落ちるぞ!」という大声とともに直径50cmほどの氷の板が落ちてきました。咄嗟に右岸へ避けようと身体を左に向けた途端、右足大腿部にドンと強い衝撃を受け、仰向けに倒されて頭を斜め下にした状態で氷の上を滑り出しました。それでも3mほど流されたところでかろうじて止まりましたが、そのとき右足の強烈な痛みに気付き、思わずうめき声をあげてしまいました。しばらく横になったまま痛みがおさまるのを待ち、流されたところにたまたま登り着いていた別のパーティーに助けられて座り込むような姿勢になるとようやく楽になりました。幸い最も筋肉がついている部位に当ったので骨には異常なく、外傷も負わずにすみましたが、さすがに右足に立ち込むことはできず、残念ながら登攀は継続できなくなってしまいました。

懸垂下降を繰り返してせっかく登ってきた氷の沢を下りテントに帰り着いた頃には右足大腿部がぱんぱんに腫れあがっていましたが、どうやら自力歩行は可能です。右足をひきずるようにしながらも、2人分の荷物の大半を黒澤ガイドに担いでいただいたことと貸していただいた2本のストックのおかげで、2時間で美濃戸まで帰り着くことができました。

下山の翌日の月曜日に念のため病院でレントゲン写真を撮ってもらいましたが、やはり骨には別状なく、単なる打撲ですんだのは幸いでした。ともあれ、今回の失敗はひとえに私が考えもなく先行者のフォールラインに立ったことが原因で、あらかじめ立ち位置を指定されていたにもかかわらずその意味(安全性)を理解できていなかった点は真剣に反省しなければなりません。しかしながら、初体験であったアイスクライミングの面白さは十分に体感することができ、かつそれなりに登れるようになれそうだとの感触もつかめたのは大きな収穫でした。何としても捲土重来を果たすつもりです。

F5で負傷してからF1の下へ下降するまで、周囲に居合わせた方々に多大なるご支援をいただきました。

  • 事故発生直後、助力してくださった方々……横浜蝸牛山岳会、羚羊クラブの皆さん
  • 自分たちの登攀を中止して一緒に懸垂下降してくださった方々……静岡の成川さん、杉山さん

この場を借りて厚く御礼申し上げます。安全地帯への退避を助けていただいただけでなく、クライマー気質のありがたさを学ばせていただきました。