谷川連峰馬蹄形縦走〜主脈縦走
日程:1999/10/09-11
概要:土合から白毛門に登り、笠ヶ岳・朝日岳を経て清水峠泊。ついで武能岳・茂倉岳・一ノ倉岳を越えて谷川岳に達したのち主脈縦走に入ってオジカ沢ノ頭の避難小屋泊。最終日は西進して万太郎山・仙ノ倉山・平標山を踏み、南に折れて三国峠に下る。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:朝日岳 1945m / 茂倉岳 1978m / 谷川岳 1977m / 万太郎山 1954m / 仙ノ倉山 2026m
同行:---
山行寸描
これまで谷川岳には残雪期にしか登ったことがなく、それもきちんとした教育も受けずに単独でゴールデンウィークの西黒尾根を登ったのですから今から考えれば無謀な春山登山でしたが、それはそれとしていつかは草紅葉の季節に泊付きの縦走スタイルでこの山域を歩いてみたいと思っていました。谷川連峰でのロング縦走には白毛門からぐるりと回って谷川岳に辿り着く馬蹄形縦走と谷川岳から平標山までを歩く主脈縦走の2通りがありますが、幸い体育の日の三連休は天気予報も上首尾なので避難小屋泊をつなぎ2泊3日をかけてこれらを通して歩くことにし、臨時夜行に乗って土合駅を目指しました。
1999/10/09
△05:50 土合 → △08:30-40 松ノ木沢ノ頭 → △09:20-35 白毛門 → △10:35-11:00 笠ヶ岳 → △12:30-50 朝日岳 → △13:15 ジャンクションピーク → △14:40 清水峠(白崩避難小屋)
「谷川岳登山は土合駅のホームから始まる」とはここに来た誰しも思うことで、地下のホームから338m462段の階段を登り、さらに143m24段の通路を歩いてやっと地上に出られます。改札口を出たところでまずは前夜コンビニで買った弁当を食べ、明るくなってきた外界に出て駅から道路沿いにしばらく進んで右に折れ、駐車場を抜けて沢にかかった橋を渡ったところが白毛門へと登る尾根の取付です。ここからしばらくは樹林帯の中を緩みなしの登りをひたすら続け、ところどころで谷川岳の姿を眺められるのを慰めにしたり途中仮眠をとったりしながら登り続けること2時間半、展望の良い松ノ木沢ノ頭に到着しました。ここからは正面に白毛門が高く、木々が紅や黄に色づいて岩とのコントラストがきれいで、一方、左手には谷川岳の山頂から一ノ倉沢の下部までが隠すところなく眺められました。
快晴の中、さらに自分を励まして登りを続け、最後に小さな鎖場を乗っ越すと白毛門の山頂に到着しました。ここからは尾瀬方面が一望できて燧ヶ岳・至仏山・奥白根山・武尊山がはっきりと眺められ、行く手には笠ヶ岳から朝日岳への稜線が近く見えていましたが、あいにく紅葉の出来はいまいちで茶色く縮れてしまっている木が多いようです。
白毛門から近いと見えた笠ヶ岳は歩いてみると意外に遠く、息を切らせながらやっとの思いで山頂に到着して菓子パンの昼食にしました。この頃になると谷川岳の頭には白い雲がかかりはじめましたが、蓬峠から清水峠にかけての国境稜線の眺めが良く、清水峠には三角屋根の赤い建物がはっきりと見えています。笠ヶ岳の北の肩にある円筒を半分にしたような避難小屋を横目に先を急ぎ、顕著なピークを一つ越して小広い山頂の朝日岳に登りつくとそこから先には緩やかな稜線が広がり、ところどころに池塘が点在していて穏やかな眺めになっていました。
木道に導かれて稜線を進むと、ジャンクションピークのちょっと先で巻機山方面への道が分かれています。そこに立つ標識には「難路 / 道ナシ」と書かれており、ちょっと覗いてみると確かに笹が道を覆ってしまってあまり踏み込みたくない感じ。この尾根は残雪期に歩くべきところのようですが、幸いこの日向かう清水峠方面にはしっかりした道がついています。
この辺りから出てきたガスに取り巻かれて面白みのないだらだらした道を下り、高度が1600mを切ったあたりで雲の下に出ると前方に先ほど見た大きな三角屋根を再び見つけることができました。避難小屋はもっと小さい建物のはずだが?と訝しみながら近づくと確かにガイドブックの写真で見覚えのある避難小屋が三角屋根の手前にあって、念のため三角屋根まで行って中にいたおじさんに聞いてみると「これはJRの施設。泊まりはあっちの避難小屋だよ」と教えてくれました。本物の避難小屋は外観は立派ですが、実は小さい避難小屋にすっぽり覆いをかぶせたような構造で、中は清潔ながら収容人数は20名いかない程度。それでも比較的早めに着くことができた自分は2段ベッド風の上段に納まることができましたが、後から来た人たちは1階の狭い板の間に詰め合って寝たり、テントがあるパーティーはテントにぎゅうぎゅう詰めになって寝た模様です。
ここでちょっとした事件がありました。早くから着いていた単独行の若い登山者が夕方の気象通報をイヤホンで聞き始めたのですが、他の登山者からの話し声がすると「静かに!」と厳しい声を出し、とうとう「今、何の時間だと思っているんですか!山屋で気象通報の時間にギャーギャー騒ぐなんて最低ですよ!」と怒りだしてしまいました。幸い言われた方が「おー、コワ」と聞き流して外に出たのでトラブルにはならなかったのですが、しかし……。確かに怒る方の言うこともわからないではありませんが、共同施設である避難小屋内というシチュエーションを考えると果たしてどんなモンなんでしょうか。
1999/10/10
△05:40 清水峠(白崩避難小屋) → △06:45-55 七ツ小屋山 → △07:35-55 蓬峠 → △08:45-09:00 武能岳 → △11:35-12:30 茂倉岳 → △12:50 一ノ倉岳 → △13:45-55 オキの耳 → △14:10 トマの耳 → △14:15 肩ノ小屋 → △15:10 オジカ沢ノ頭(避難小屋)
朝、峠からほんのわずか土合方向に下った水場で水を補給して出発。雲海が湯桧曽谷を埋め、谷川岳の岩壁が朝日に照らされてなんともいえない神々しい光景です。七ツ小屋山までは右手のマッターホルンのような大源太山に気をとられていましたが、登り着くと前方には明日辿る予定の主脈と苗場山、さらに遠く妙高山・火打山に目が釘付けになりました。蓬峠ではトイレ休憩(100円)としましたが、そこにある看板によればここの山小屋は予約制で、人数が多いときや予約なしの場合はレンタルテントになることがあるようです。
歩みを進めるにつれて気温が上がっていき、こちらの顎も上がりだします。苦しい登りの後に武能岳に着いてしばし休憩としましたが、振り返ると巻機山が優しく大きく、その向こうには懐かしい越後駒ヶ岳や中の岳も見えています。ちなみに巻機山も残雪期に、しかもガスの中でしか登ったことがないので再訪したい山なのですが、そのようにゆとりをもって回顧できるのは下山してからの話で、このときは異常な疲労具合に体調不良を実感してそれどころではありませんでした。加えて水の消費ペースが予定外に早く、今日のうちに次の給水ポイントである大障子避難小屋に辿り着けないとちょっと苦しい、と悪い計算をせざるを得なくなってきました。
しかもこういうときは、他の登山者がリュックサックから取り出したみかんが必要以上にうらやましくなるものです。今回行動食にはスニッカーズとチーズしか持ってきていなかったのですが、これを見た途端無性に水気のある果物が欲しくなってしまい、この後の茂倉岳までの果てしないと思われるほど長い登りの間中、脳裏に各種果物や冷たいビールの幻影が渦巻いて本当につらい思いをしました。
へろへろになって茂倉岳に到着すると目の前に明日縦走することになる主稜線が伸びていますが、万太郎山や仙ノ倉山の厳しいアップダウンはもう諦めろと囁きかけてきます。今日も菓子パンの昼食の後にここでしばらく仮眠をとりましたが、目覚めてみると少し疲れがとれたようなので、とにかく谷川岳までがんばってそこで進路を決めることにしました。
茂倉岳から一ノ倉岳まではほんのわずかの歩きで、そこからオキの耳へは一ノ倉沢のつるつるのスラブを左に見下ろしながらの下降と登り返しになります。そして谷川岳に着いてみるとさすがにオキの耳もトマの耳も人が多く、一気に観光地に飛び込んだようでした。
さて、ここで一応馬蹄形縦走は完遂したことになりますし、天神尾根を下っていけば2時間強でビールにありつけます。よほど手仕舞いして下ってしまおうかと迷いましたが、この山行記録の読者のことを考えると、ここで簡単に計画を放棄しては申し訳が立たないと思い直して肩ノ小屋方面に下りました。入ってみると肩ノ小屋は意外に広く、またこの時間では板の間はなんとなく埋まっているもののコンクリートの土間まで含めれば十二分にゆとりがあるようなので泊まろうと思えばスペースはありそうでしたが、ここでは水分の補給はできないのでただちに縦走を継続しました。
オジカ沢ノ頭までの間に平標山側からの登山者2人とすれ違い、避難小屋の混み具合を聞いてみると既に大障子避難小屋は満員とのこと。この稜線上で水場があるのはそこだけなので無理もありませんが、節約を心掛けたおかげであと1リットルは水が残っており、今夜をしのぐだけならなんとかなりそうなので一つ手前のオジカ沢ノ頭の避難小屋に泊まることにしました。オジカ沢ノ頭には比較的若い御夫婦(?)がいて、聞けば避難小屋にはこの2人だけ。ちょっと申し訳ない気もしたものの同宿を申し入れ、快諾いただきました。
避難小屋は楕円形の筒を横にして台の上に乗せたような構造をしており、中も床が曲面に沿って曲がっているのでお世辞にも寝やすいとは言えませんが、贅沢は言えません。貴重な水を使って食事を作りながら話をしてみると、親しみやすいこの御夫婦は凄いキャリアで、女性の方は百名山を完登している上に、2人でキリマンジャロやケニア山、さらにはそれぞれイランやヨーロッパの山を登っているとのことでした。
1999/10/11
△05:15 オジカ沢ノ頭(避難小屋) → △05:50-06:20 大障子避難小屋 → △07:25-35 万太郎山 → △09:30-45 エビス大黒ノ頭 → △10:50-11:10 仙ノ倉山 → △11:50 平標山 → △12:20-35 平標山の家 → △15:00-10 三国峠 → △15:25 国道17号
寒さに寝返りを打ちながら朝を迎えて4時に起床。湯を沸かして食事をとった後、谷川岳方面に向かう2人と別れてまだ薄暗い中ヘッドランプの光を頼りに大障子避難小屋方面へと下りました。南からの強い風のせいで斜面に広がる笹が波打つ中、待望の水場は大障子避難小屋の少し手前を左に10分下ったところにあり、かすかに甘味のあるおいしい水が樋から豊富に流れ落ちています。たっぷり水を飲んで生き返った気持ちになってから登り返して先を急ぎましたが、今日の体調は昨日と打って変わって絶好調。どうやら先週までの蓄積された睡眠不足がようやく解消したのと、風が強くて体温が上がらないことがその理由のようでした。
万太郎山から仙ノ倉山までの間は、本コースのハイライト。万太郎山から最低鞍部の毛渡乗越まで一気に400m下りついで仙ノ倉山まで500m近くを登り返すことになる体力勝負ポイントで、昨日の体調と天候なら間違いなくダウンしていたところですが、今日は神様が味方してくれたようです。
登り着いた仙ノ倉山の山頂は最高の展望台で、西には白馬三山、ちらっと鹿島槍ヶ岳の双耳峰、南に回って浅間山、八ヶ岳、中央・南アルプス、遠くにはっきりと富士山の台形が見えています。東にもこの3日間歩き通してきた谷川連峰の向こうに尾瀬・日光方面の山々が見え、中でも燧ヶ岳が大きく立派ですが、巻機山の左には八海山のぎざぎざも見えました。
風がなくなり暑くなってきた広い山稜を進んで登り着いた最後のピークは平標山。ここも谷川岳と同様観光地的な賑わいにあふれており、さっさと山小屋を目指して下山にかかります。平標山の家はこのコースで数少ない営業小屋で、さっそくサイダーを仕入れて一息に飲み干しました。
さて、ここから道は新潟県側にただちに下る平元新道と南に稜線を辿って三国峠へ続く道の二つがあります。通常主脈縦走といえば終点は三国峠ということになっており、当初の計画でも三国峠へ出ることにしていましたが、山小屋の標識には三国峠まで6.5kmもあると書かれているし、昼食は提供されないみたいだし、とまたもや計画短縮の誘惑がむくむくと湧いてきました。しかし、この山行記録の読者のことを考えると(……以下略)。
というわけで、まず行動食で腹ごしらえをしてから南を目指して歩き出しました。三国峠までのコースは地図では読みにくい起伏があってけっこうこたえましたが、最後は整備途中の階段道になって神社兼避難小屋が建つ峠に降り立ち、そこからわずかの歩きで国道に出て山旅を終了しました。
ここからの帰路は、国道をほんのわずか歩いたところにある公衆電話でタクシーを呼び、上毛高原駅に出て新幹線で大宮まで。そこから埼京線で、日焼けでまっ赤になった顔や腕に気恥ずかしい思いをしながら都内へ戻りました。