塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

鳥海山

日程:1994/07/23-24

概要:象潟からタクシーで鉾立へ上がり、御浜経由鳥海山頂へ。しかし山頂御本社での宿泊を断られやむなく河原宿まで下り1泊。翌朝、湯ノ台へ下りタクシーを呼んで酒田へ。

山頂:鳥海山 2236m

同行:---

山行寸描

▲鳥ノ海。いかにも火山らしいケレン味あふれる地形。(1994/07/23撮影)
▲鳥海山頂部。中央の際どいところに御本社が見える。(1994/07/23撮影)
▲河原宿から振り返る裏側の鳥海山。雪渓からの清流とニッコウキスゲが美しい。(1994/07/23撮影)

1994/07/23

△12:55 鉾立 → △13:35-50 水場 → △14:25-35 御浜小屋 → △14:45 御苗代 → △16:25-40 御本社 → △17:00-10 鳥海山(新山) → △17:35-40 七高山 → △18:10 伏拝岳分岐 → △19:10 河原宿

奥の細道の旅の最北の地である象潟に降り立つと、意外に駅は小さく、登山者も他に1人しかいません。タクシーの料金を確認してその単独行者に声を掛け、相乗りにして鉾立まで高度を稼ぎました。登山口から歩きやすい道が赤トンボの乱舞する中を緩やかに登り、チングルマが現れると賽の河原下の雪渓の水場に到達して、ここで手が切れそうなくらい冷たい水で顔を洗いました。雪渓沿いのひんやりとした道を進むと賽の河原で、ここでは遠足の小学生がぞろぞろと休憩しています。この辺りから徐々に霧が切れ、青空が広がり始めました。

御浜小屋に着いてみると「予約者以外山頂、御浜小屋宿泊不可」の看板が出ており焦りました。そこで小屋主に確認したところ「看板は30分前に立てたので、見なかったことにして上に登ってみては」とのアドバイスを得たのでこれに感謝して登りを続けましたが、残念ながら世の中そんなに甘くはありませんでした

やがて再び霧に包まれ、時折太鼓を打つような雷鳴が響いてきました。すぐ上の七五三掛から千蛇谷コースに入り、冷気が気持ちいい雪渓を登るとアキアカネが多数凍死(?)しています。この雪渓を詰め、御本社へ突き上げる急坂に入ってしばらくすると雨が降り出しました。

やっと到着した御本社の受付で宿泊を申し出てみましたが、7月初めに予約を打ち切っており、既にパニック状態のこの後も大勢登ってくる予定とのこと。気の毒がってはもらえましたがやはり宿泊は断られ、下り1時間の河原宿を勧められました。仕方なく助言に従うことにし、まず新山山頂を目指して御本社の左から矢印に沿って岩の積み重なりをぐんぐん越えました。

深い岩の裂け目をくぐると複雑な地形の山頂部のピークの一つが鳥海山(新山)の頂上で、幸い雨が上がりそれなりの景観を得ることができました。証拠写真をばしばし撮って山頂部を下り、次に外輪山の壁をよじ登って稜線に出てわずかに左(北)に辿ると外輪山最高峰の七高山です。その後、外輪山の上を伏拝岳まで進み、分岐点から南へ、鳥海山の広大な裾野に広がる雪渓とその向こうの山小屋の小さな赤い屋根を目指して下りました。心字雪渓では緩斜面のトラバースが続き、自分は雪面に足が付かずへっぴり腰になりましたが、新潟出身の同行者は残雪歩きに慣れていてずんずん先に進みます。やがて雪渓が終わり、広い平地の一角に建つ河原宿へ到着しました。

夕食は諦めていましたが、聞いてみると今からでも2人分作ってくれるとのこと。その上、寝所も神前の特別室を提供してくれました(ありがとうございました)。小屋の前には雪渓からの清流が流れ、キスゲの原越しに今下ってきた鳥海山の大きな山体が聳えていて、この眺めを見られたことで河原宿に下ったことをむしろ良かったと思えました。

1994/07/24

△05:30 河原宿 → △07:05 大沢神社跡 → △07:30-35 鳥海高原家族旅行村 → △08:00 鳥海山荘

小屋の建つ平地から5分で始まる八丁坂にはさまざまな色の高山植物が盛りを競っていました。下り着いた平坦地で滝の小屋への道を分け、引き続き下生えを漕ぎながら道を進みます。やがて、前日の雨を葉の上に置いた笹やハンノキがズボンをぐっしょり濡らし、靴の中まで水が滲みてきました。

鳥海山荘に降り着いたところバスの時間までかなり間があったので、タクシーを呼んで酒田駅へ出て比較的早い時刻の特急白鳥に乗り、山行を通じて同行して下さっていた単独行者と新潟で別れて京都へと帰りました。