一ノ倉沢2ルンゼ(敗退)

日程:2016/10/16

概要:谷川岳一ノ倉沢の2ルンゼを登るべく、テールリッジを辿って本谷バンドをトラバース。2ルンゼの途中で事故を起こし、救助要請。

山頂:---

同行:かっきー / セキネくん

山行寸描

▲南稜テラスから見た2ルンゼ(影になっている部分)。この約3時間後にまさかの事故。(2016/10/16撮影)

◎「一ノ倉沢本谷〜4ルンゼ」からの続き。

この日登るのはクラシックルートである2ルンゼからのザッテル越え。滝沢上部は『新版 日本の岩場』の記述に従ってCルンゼからBルンゼを経て国境稜線へ抜ける計画です。

2016/10/16

△04:30 駐車場 → △05:25-50 一ノ倉沢出合 → △06:40 テールリッジ下 → △07:30 中央稜取付 → △07:55-08:05 南稜テラス → △08:30-09:10 2ルンゼ取付 → △10:40 事故発生 → △11:45-13:15 2ルンゼ取付 → △13:40 南稜テラス → △14:15 中央稜取付 → △15:00 テールリッジ下 → △15:35 一ノ倉沢出合 → △16:20 登山指導センター

前日と同じく3時半起床で朝食をとった後、駐車場に移動して一ノ倉沢出合を目指しましたが、昨日の疲労が残っているのか少々足取りが重く、一ノ倉沢出合では十分明るくなるまで短時間の仮眠をとることにしました。

今日は昨日のような沢通しではもちろんなく、右岸巻きの道を二つ重ねてテールリッジの対岸の尾根上に上がり、懸垂下降で沢筋に下ります。この日も多くのパーティーが一ノ倉沢に入っていましたが、見ればテールリッジの左下に行き詰まった様子の単独行者がいて上から別パーティーがロープで下ってレスキューしている様子でした。なんであんなところにいるんだ?とその場にいる者の全員が訝しんでいましたが、真相は不明です。

順番が来たところで本谷への懸垂下降。易しくはあってもかなりの斜め懸垂になるので、気を抜くことはできません。そして下に着いてみると昨日に引き続いてYZ氏がいて、セキネくんと何やら会話を交わしています。聞けば、氏は滝沢上部から国境稜線へ抜けるルートについてアドバイスをしてくださっていて、易しいとされるBルンゼは危険を感じる程に草付が薄いために、滝が多少難しくてもAルンゼを採用した方が良いとのこと。確かに国境稜線下の草付の悪さは嫌な草付慎重に越せば やっと飛び出す国境稜線と「谷川小唄」に歌われるくらいの折り紙付きですが、『新版 日本の岩場』の記述ではかつてよく登られたAルンゼはゴルジュ内にIV〜IV+程度の滝が連続し、悪くて時間もかかるとあるので悩ましいところです。もっとも、結果的には悩む必要もなくなってしまったのですが。

何度も登っているテールリッジですが、何度登っても正面右寄りに見える衝立岩の偉容には圧倒されます。しかしこの日の好天は暑さとなってスタミナを奪い、スピードが上がりません。

かっきーやセキネくんに相当遅れて中央稜取付に到達しましたが、見ると中央稜には誰も取り付いておらず実に静かです。中央稜を登るというYZ氏とはここで別れて烏帽子沢奥壁のトラバースに入りましたが、途中で出会ったのは中央カンテを登るらしい男女パーティーと南稜フランケを登り始めたばかりの男女パーティーの2組で、大半が南稜ルートに集中しているようでした。

南稜テラスから2ルンゼの入り口までは本谷バンドをトラバースすることになりますが、過去に滑落事故も起きているのでロープを結び、ビレイヤーにはしっかりセルフビレイをとってもらって渡ることにしました。しかし歩いてみると、ワンポイント少々微妙な下りがあるものの本谷バンドのトラバースはおおむね安定した水平の道で、ところどころに残置ピンもありさしたる危険は感じませんでした。

途中の残置ピンでピッチを切って2ピッチで本谷(F滝の下)に達するとちょうど昨日の我々のように本谷を遡行してきた3人組と交差することになったので、彼らに落石を見舞わないように少し待機してから本谷の向こう側に渡って見上げたところが2ルンゼの入り口です。遠目にも見えていたとおり、山体の傾斜に対して左からのしかかるようなリッジが凹角を形作っており、いかにも中は湿っていそう。本谷バンドの途中から2ルンゼの中に見えていた先行パーティーの姿も今はなく、何となく不気味ですらあります。

1ピッチ目は私のリード。ルンゼ内を進むとすぐに行き詰まりますが、右壁の濡れた凹角のさらに手前に乾いた階段状があって、そこからルンゼの右を回り込むようにして30m登ったところにあるルンゼ内のはっきりした残置支点でピッチを切りました(体感III級)。

2ピッチ目も引き続き私のリードで、寒く湿ったルンゼ内を詰めることにしましたが、もしかするとここはルンゼの右のフェースに出る方が良かったのかもしれません。先ほどよりは少々難しく(体感IV級)、また岩も脆くて気を使う登りから胎内くぐりのように岩の下を抜けてロープを25m伸ばしましたが、ところどころの腐りかけた残置ピンに気休めのランナーをとり続けているうちに手持ちのクイックドローが乏しくなっていたため、チョックストーンをくぐってすぐ右にあった残置支点でピッチを切ることにしました。この辺りは「どうもトポの記述と実際とが合わないな……」と悩みながらの登攀になっています。

2ピッチ目を私が短く切ってしまったので、上の方に見えているはっきりした残置支点までの残り15mはセキネくんにリードしてもらいました。引き続いてのルンゼ内も、濡れている上にところどころ脆い岩をだましながらの登りとなりましたが、苦もなく登っていったセキネくんに上から確保されて到達した残置支点は、比較的しっかりしたリングボルト3連打に真新しい赤いスリングが掛けられたものでかなりの安心感があります。

見上げる濡れた凹角の向こうには明るい空が見えていますが、相変わらずトポの記述との照合ができないまま、3人の位置関係からかっきーがリードで目の前の凹角に取り付くことになりました。出だしから微妙な様子で登るかっきーは、出だしを1段上がったところにある残置ピンが深打ちされているハーケンだったようでスリングを通すのにも苦労していましたが、それでもどうにか最初のランナーをとって斜度のきつい凹角をゆっくりと上へ抜けていきました。10mほど上にある凹角の出口に達したかっきーが、そこから先の様子を聞くセキネくんの質問に「ここから上は安定している」と答える声を聞きながら、私は自分のシューズが足を締め付けるのを気にして足元を見ていました。

ビレイしているセキネくんの叫び声に驚いて顔を上げると、かっきーが大きな岩と共に数m上まで落ちてきているところでした。逃げ場のないルンゼ内で衝撃に備える余裕もなく、あっという間に落ちてきたかっきーの身体が激しく衝突して私も背後の壁に打ち付けられたのですが、背中のリュックサックのおかげでショックが吸収されてほぼ無傷ですみました。セキネくんも岩の直撃は免れましたが、かっきーは下半身が差し渡し50cmほどの岩の下になっており、うめき声をあげています。彼の右上腕ははっきりと膨らんでいて、かっきーは自分で「腕が折れたようだ」と言っていますが、まずは身体を落ちてきた岩から解放しないことには何もできません。セキネくんと力を合わせて渾身の力をこめても岩を完全に動かすことはできませんでしたが、何度目かのトライでかっきーの身体を引きずり出すことができました。相変わらず苦しそうな表情ではあるものの、かっきーの意識はしっかりしており、腕に加えて右足もやられていることを伝えてくれました。ただちに下降し、一刻も早く救助を呼ばなくては。

ルンゼ内では携帯電話が通じず、仮に通じたとしてもヘリによるピックアップは不可能。したがって、セキネくんと私の2人だけでかっきーを本谷まで降ろさなければなりません。幸いかっきーは左半身が使える状態ですから、救助技術が不確かな我々が無理に背負って下ろすよりは、少々乱暴でもロワーダウンさせた方がスピードを稼げそう。また、2本のロープの片方が落石の下に食い込んでしまって使用不能になりましたが、ここまでのピッチ間の距離を把握できていたので、残りの1本を使っての25m毎の下降でも大丈夫だという計算ができました。そこでロープの端をかっきーに結び、残りを下に垂らしていったん支点のカラビナにクローブヒッチで固定。この1本のロープでセキネくんと私のどちらかが短く懸垂下降をしたら、上に残ったもう1人が固定を解いてかっきーが下からロワーダウンで下ろされるのを補助し、最後に自分も懸垂下降してロープを引き抜く、ということを繰り返すことにしました。かくして懸垂下降ごとに補強のスリングと安全環付カラビナを残置しながらの下りとなり、しかも最後(登りでの1ピッチ目)はロープ長が若干足りない状況となりましたが、それでもどうにか4ピッチの下降で本谷まで降りることができました。

この間、かっきーは痛みと寒さに耐えながらも自分で折れた右腕を固定し、さらに、ほとんどずり落ちるようなロワーダウンで身体のあちこちを岩に打ち付けることになったはずですが、泣き言を口にすることは一度もありませんでした。

事故が起きたのは10時40分頃。本谷に下り着き、かっきーのdocomoが通じるようになって警察(110番)に救助要請したのが11時40分頃。幸いかっきーの携帯はフル充電状態だったため警察に続いて消防とも詳細な情報交換を行うことができ、ヘリが基地を飛び立ったのは12時35分。そしてその10分後には早くもローターの音が我々の耳に聞こえ始めました。

カメラを向けると気丈にポーズをとるかっきー。その彼にかぶせていたツェルトをとり上げ、ヘリに向かって頭上でぐるぐる回して合図をすると、やがてヘリは本谷上空でホバリングを始めました。ローターによる強風で周囲に堆積していた枯葉が激しく宙を舞う中、救急隊員2人の姿が徐々に近づいてきましたが、上空の気流が悪いらしくてヘリの姿勢が安定せず、ワイヤーによって吊るされた救急隊員は本谷F滝の左壁に身体を打ち付けバランスを崩しています。それでもなんとか降り立った救急隊員は手早くワイヤーを外して我々の近くに駆け付けると、かっきーに簡易診断を施した後に吊上げ用のシートをかっきーの身体の下に入れてヘリに連絡をとりました。さらに、ヘリが再び近づくまでの間に我々や荷物のピックアップの希望を聞いてくれたのですが、セキネくんも私も無傷なので当然に自力下山を選択し、かっきーの荷物も我々が下ろすことを告げました。

救急隊員の皆さん、本当にありがとうございました。かっきーよ、後でまた会おう。

ヘリを見送った後は、我々も下山するばかり。本谷バンドから南稜テラスまではロープを再び出しました。

南稜テラスでロープを解いたら、後は各自のペースで下ります。烏帽子沢奥壁の横断バンドからテールリッジへと、まさかここを戻ることになるとは思いもよりませんでした。

一ノ倉沢出合に着けば、はっきりと安全圏です。アスファルトの道の確かさを足の下に感じながら45分間の歩きで登山指導センターに着き、ここで山岳警備隊による事情聴取を受けましたが、自身もクライマーであるらしい警備隊の方々の親身な口調には、救われる思いがしました。

「後でまた会おう」と思っていたかっきーとは、結局その日のうちに会うことはできませんでした。沼田の病院で診察と応急処置を受けたかっきーは、その病院では手術をすることができないためにいったん桐生の友人宅に泊まることになったからで、かっきーの車は彼の別の友人が運転して桐生へ回送してくれたのですが、これら一連の対応でのかっきーの山スキー仲間たちの行動力には頭が下がりました。それは結局のところ、かっきー自身の彼らに対する友情の厚さの賜物なのでしょう。

そんなわけで桐生の病院に入院することになったかっきーをセキネくんと私が見舞うことができたのは、事故から中3日がたった木曜日でした。事故原因は凹角出口で手を掛けた浮き岩がいきなり剥がれてのしかかられたことであったようですが、はっきりしたことはわかっていません。とにかく、10mの墜落でグラウンドフォールしたかっきーは、右上腕と右踵に加えて肋骨も骨折しており、肺にたまった血が引くまで手術ができない状態でしたが、それでも表情はいたって元気そうでした。骨にチタンを埋め込む手術の後は4週間の入院を要するそうで、その後も現役復帰に向けては長いリハビリが必要です。この冬のアイスクライミングは無理、春の山スキーも厳しいでしょうが、沢シーズンになったら癒し系の易しいところから身体を戻していくことができるかもしれません。

なお、退却に際して2ルンゼ内に残置せざるを得なかったロープやスリング類は早々に回収したかったのですが、セキネくんと私との休日がなかなか合わないこと、天候の動向、そしてもうすぐ雪の季節になることを考え合わせると、越年とせざるを得ないようです。それまでの間に2ルンゼを登る方々には申し訳ないことですが、もしカラビナやスリングを回収していただけた場合は、どうぞそのままお使いください。またロープは、来年リベンジを兼ねて回収山行を行いたいと思っていますが、2ルンゼや滝沢の残雪が消えた後となると相当先のことになる見込みです。これまた、誠に申し訳ないことです。

この事故の際のヘリコプターレスキューの様子を対岸(南稜側)で登っていたパーティーが撮った写真が、どういうわけかその後たびたび『山と溪谷』誌上で「遭難救助の様子」を示す場合に引合いに出されるようになってしまいました。

確かにこれ以上ない角度で撮られた見事な写真でいったいどこから撮ったのかと思うほどですが、この写真を撮ったのはセキネくんと私が南稜テラスで会話した南稜フランケパーティーだったようです。

なお、これを見た当のかっきーは「ギャラが欲しい」との感想を漏らしましたが、この小ささでは肖像権を主張するのは難しそうです。残念。

◎後日(2017/10/18)の回収山行の様子は〔こちら〕。