大行沢〜樋ノ沢

日程:2015/09/20-22

概要:名取川水系の大行沢を遡行。初日は入口のゴルジュからゴーロ帯の途中まで。2日目に樋ノ沢避難小屋に達し、荷物を一部デポしてから樋ノ沢の遡行を続けて南面白山東の稜線に抜けた後、大東岳に登頂して避難小屋に戻る。3日目の帰路途中で登山道を使ってカケス沢途中の北石橋に立ち寄ってから二口へ下山。

山頂:大東岳 1365m

同行:---

山行寸描

▲出だしのゴルジュ。上の画像をクリックすると、大行沢〜樋ノ沢の遡行の概要が見られます。(2015/09/20撮影)
▲大行沢のナメ。樋ノ沢に入ってからの方が癒し系で堪能できた。(2015/09/21撮影)

シルバーウイークの五連休は剱岳アルパインの予定でしたが、メンバーそれぞれの事情により計画は直前に中止になってしまいました。さてどうするか……と悩む必要は実はなく、こういうときのために「いつか行く沢」リストが手元にあるのでした。今回は、その中から鉛筆を転がして選んだ宮城県の大行沢をチョイス。かつて現場監督氏は2泊3日でこの大行沢と近くの二口沢小松原沢を稜線歩きでつなげる大長征を実現しており、それ以来この二つの沢は気になる存在だったのですが、9月も下旬となっては日が短い上に、現地のバスの便も都合がよろしくないことから大行沢のみの遡行にとどめることにしました。この大行沢はその名の通り「天国のナメ」と呼ばれることもある大規模なナメが有名で、さらにその前にはユニークかつスリリングなゴルジュを擁していることでも知られています。よってこの沢だけでも十分に楽しむことができるはず、と期待して臨みました。

2015/09/20

△12:35 二口 → △12:50-13:10 入渓点 → △14:20 ゴルジュ出口 → △17:35 幕営地点

上記の二つの沢の起点となるのはJR仙山線の愛子あやし駅からバスで入った二口ふたくちで、そこへの好ましいアプローチプランは、金曜日の夜発の高速バスで土曜日の朝に仙台に入り、愛子駅から朝9時台のバスに乗ることです。ところが、直前の数日間は全国的に雨が降り続いており、沢はどこも相当な増水が見込まれそう。わけても大行沢の入口のゴルジュ通過は、多少なりとも水が引いてくれないと危険です。そんなわけで快晴の土曜日をじっと我慢して日曜日に現地入りすることにしたのですが、これまた上述の通りプラン変更が直前だったために高速バスの予約はとれず、また「休日」は現地バスも昼頃に1往復しかないという苦しい交通事情の下で、早朝の東北新幹線「やまびこ」に乗車しました。

アイコと書いてアヤシと読む、その由来は駅前の説明書きによると「子安観音」→「子愛こあやし観音」→「愛子あやし」だそうですが、その愛子駅前を11時半発のバスに乗って二口に着いたのは12時20分頃でした。手元の『山と高原地図 蔵王』2015年版には「二口温泉」と書いてあるのにおかしいな、「温泉」の2文字はどこへ行ったのだろう?と訝しみながら近くの秋保あきうビジターセンターで登山届を提出し、日の照りつける車道を奥へ進みました。ちなみに、この二口から西へ向かう道は二口峠を越えて山形県の山寺(芭蕉の句で有名)へ通じる歴史のある街道だったのですが、林道は現在車両通行止め、旧街道も荒廃して歩けなくなっているそうです。

ビジターセンターから歩いてすぐに大東岳の登山口があり、その前を通り過ぎると二つの橋を渡ります。手前が小行沢、そして二つ目が大行沢です。

名取川上流の左俣である二口沢と右俣である大行沢の出合にはキャンプ場があり、川遊びをする人たちの姿も見られました。こちらも川に降りて沢登りの装備を身につけてから出発です。その上を通ってきた橋の下からしばらくは真っ平らなナメが続いていて早くも癒されますが、入渓後5分でゴルジュが始まりました。このゴルジュはその語感がもたらす陰鬱さとは無縁の明るさを持ち、両岸がつるりとした肌色の斜面になっており、その間を水流が深くえぐった狭い沢筋がうねうねと蛇行しながら奥へ続いています。

いきなり出だしからフリーズ。左岸の壁にはうっすらとした窪みがあり、しかもこの岩はフェルトソールと抜群に相性が良くてフリクションがよく利くのですが、それでもこれは無理だろうという角度のトラバースに二度トライして二度引き返しました。うーん、それでは泳ぎか?とリュックサックを前にして泳ぎかけたものの、水勢に負けて押し戻されるばかり。早くも敗退か……と焦りながら押し流されるに任せかけたのですが、ふと気付くと足が川底に着いています。このゴルジュは確かに深いところは背が立たないほどに深いのですが、水が流れているところが全部同じ深さかと言えばそうではなく、よくよく目を凝らせば浅いところもないではありません。どうやらトラバースが無理だと思えたらさっさと水に入る方向に思考を転換するのが、このゴルジュの流儀であるようです。

フリクションを使えるところはトラバース、行き詰まったら水に飛び込む、ということを重ねて1時間ほどでゴルジュの出口が見えてきました。どん詰まりには高さ数mの滝が水を目いっぱいに広げて落としており、これは近づくのも難しそうですし越えるのも難しそう。そこで右手を見上げると、苔まみれの岩壁の中に左岸上部へ抜ける登路を見出すことができました。岩の中央の浅い凹角にへばりついた泥は濡れて崩れやすく、それまでのゴルジュ通過よりもこのエスケープの方がよほど怖い思いをしましたが、どうにか上に抜けて見下ろしてみるとゴルジュ最奥の滝は細い通路でつながった2段になっていました。これらをまとめて巻いたところでゴルジュの終了です。

ゴルジュが終わってゴーロ帯を10分ほども進むとナメが始まりましたが、これは「天国の」と形容されるナメの前哨戦に過ぎません。地球儀みたいに丸い岩が転がる不思議な景色を横目にナメを進むと、ゴルジュ出口から50分ほどで顕著な滝にぶつかりました。右岸は大ハングがせり出して暗い空間を作り、その奥に不気味に爆水を落とす駒止の滝。何ともダイナミックなこの造形美を見れば誰しも感嘆の声を上げることでしょう。事前に見た記録によればこの滝は左端から容易に抜けられるようなのですが、この日の水量ではどう見てもそれは無理。ここは右手(左岸)からあっさりと巻きました。

駒止の滝の先は、大岩がごろごろと転がって遡行者の行く手を阻む巨岩帯となりました。それでも最初の内は、摂理の走った岩に巨木の根が絡みついてまるでカンボジアの寺院タ・プロームを思わせる景観を面白く眺めたりする余裕があったのですが、そうした癒しの要素もない巨岩帯が延々続くと正直うんざりしてきます。行き詰まったときはおおむね左岸に逃げ道が用意されてはいるのですが、かと言って不用意に高さを稼いでしまうと沢に戻るのが困難になったりしてかえって時間を使います。おまけに出発が遅かったために日暮れが近づいて暗くなってきたことも、遡行スピードを下げる要素になってきてしまいました。

途中、右手の樹林の向こうにかなりの水量を落とす滝を透かして見ることができ、地図で確認してみるとこれはどうやら京渕沢の梯子滝である模様。だとするとこの日なんとか到達したいと思っていたカケス沢出合ははるか向こうで、そうであるならばもうテントを張れるところに張ると割り切るしかないなと思ったところに、前方に大きな2段滝が見えてきました。よし、あれを越えたら幕営だ(適地があれば……)。

下段は簡単。滝の左側に左下から右上へ上がる斜めのラインが明瞭で、取り付いてみると残置ハーケンも残されていましたが、落ち口近くで水をかぶるもののロープの必要性は感じません。続いて上段は右側から登れそうに思いましたが、若干立っている上に高さがあり、もし水流に叩き落されたときにはダメージが大きそう。一方の左側は水をもろにかぶることになりますが、ややハングしたワンポイントを越えればすぐに安定した位置に立つことができます。試みに左側に回り込んで流心に近づいてみると、やはり思い切り水をかぶってしまって押し戻されそうになりますが、探ってみれば心強いガバ。これをがっちりつかんでハングの下の棚にハイステップで右足を上げ、水圧を押し返すように気合もろとも乗り込むとすぐに安全な場所に抜けられました。

2段滝上段の落ち口近く、左岸にテントを張れそうなスペースがあって心が動きかけましたが、どうもこの平らさ加減は人為的な整地ではなく越水によって押し流されたもののような気がして不安です。それに先ほどから煙の匂いが上流から漂ってきていて、これはさほど遠くないところで先行者が焚火をしているのに違いありません。既にかなり暗くなってきていますが、もうひと踏ん張り頑張ることにしました。

頑張ろう……と自分を鼓舞してからわずか10分ほどで、流れが穏やかになり左右の川岸が低くなったところの右岸に焚火が見えてきました。タープを張っているのは男性1人+女性2人の3人組。挨拶をしてカケス沢出合までの距離を聞くとまだ1時間弱という返事だったので、許可を得てタープから少し離れたところにテントを張ることにしました。就寝の準備を整えてから手早く必要最小限の薪を集め、火を熾してまずは持参のウイスキーを軽く口にしてほっと一息。この頃にはすっかり暗くなり、ヘッドランプの灯りで夕食の支度をしていると先行パーティーのいかにも沢慣れた感じの男性がやってきて、キノコ(何タケ?)を醤油味で炒めたものを分けてくれました。聞けば彼らは昨日二口沢小松原沢(禿沢)を遡行して銚子大滝の上で泊まり、今朝南沢を下って二口に戻ってきてからそのまま大行沢をここまで遡行したとのこと。キノコ類は二口沢での戦利品だそうですが、銚子大滝は水量が多くて直登は不可能、右の草付も草が枯れて危険そうだったので大高巻きをして80mの懸垂下降で沢筋に戻ったということです。また、こちらの大行沢でも駒止の滝を左から登れなかったり2段滝の上段でシャワークライミングになったりしたのは異例で、やはり先週降り続いた雨のために相当水位が上がっているという話でした。こうした話の内容からすると、この親切な男性はこの辺りの沢には相当の経験がある様子。せっかく両手に花の遡行をしているのでお邪魔してはいけないかなと遠慮したのですが、一緒に火を囲ませていただいて東北の沢歩きについてのあれやこれやをお聞きすれば良かったかもしれません。

ともあれ、食事を終えた後しばらく火を眺めながらズボンを乾かしてから、21時すぎにテントに潜り込みました。

2015/09/21

△07:05 幕営地点 → △08:05 カケス沢出合 → △08:45-55 樋ノ沢避難小屋 → △11:10-30 稜線 → △12:00 権現様峠 → △13:40-14:10 大東岳 → △15:40 樋ノ沢避難小屋

暖かいシュラフの中でぐっすり眠って、すっかり明るくなった5時すぎに起床。朝食を作るために川で水を汲もうとしたところで、昨夜に比べ10cm近くも水位が下がっていることに驚きました。

タープの3人はいつまでもぐっすり眠っており、こちらが出発の準備を整えた頃に起き出してきて火を熾し始めました。昨夜のお礼を言って、先に出発です。

最初は引き続きゴーロ帯ですがさすがに昨日のような巨岩はもう出てこず、ところどころナメも見られるようになりました。顕著な大きさの滝場を左から簡単に回り込んでしばらくすると、はっきりとナメが優勢になってきます。

川幅いっぱいに広がるナメの上をきらきらと輝きながら滑るように流れる川面が行く手にどこまでも続き、ところどころにアクセントのように現れる段差の上にレースのような美しい白波の模様を広げるこの沢の美しさは、とりわけ朝日の中で映えるもののよう。大喜びで写真や動画も撮りながら遡行を続けているうちにカケス沢の出合を通り過ぎてしまいましたが、後で写真の撮影時刻で確認するとこの日の出発から1時間の地点が出合でした。そこから先も茶色や緑や白に色を変えながらナメとナメ滝が続き、カケス沢出合から30分ほどで両門の滝のような地点に出ました。左はハダカゾウキ沢、右は本流で、右手の滝は少し高さがありますが右端から取り付いてみると凹凸が豊富でほとんど歩くように登ることができました。この滝の上には大きな樋状の沢筋が30mほど続いて再び滝に行く手をふさがれており、これは巻きだなと思って左右を見渡したところ、右後ろにまったく唐突に樋ノ沢避難小屋が建っていました。

樋ノ沢避難小屋は2階建てで、内部は極めて清潔です。小屋の前には広場があってテントを張ることもできますし、焚火も可能。水場もすぐ近くにあって、トイレがないことを除けばこれ以上ないくらい充実した避難小屋です。今夜はここに泊まることになるので幕営装備や余分な食料をデポし、軽荷になってから再び沢に入りました。大行沢はここから樋ノ沢と名前を変え、大東岳と南面白山をつなぐ鞍部に向かっています。「天国のナメ」はもう終わりかと思っていましたがこれは大きな誤解で、川幅こそ狭くなるもののこの樋ノ沢の方が癒し度は上でした。

この上流域は「樋ノ沢」という名前の通り両岸が狭まって急流を落とす地形もあれば多少なりとも川幅を取り戻して穏やかに水を流す場所もあり、ナメ床の色も茶色から灰色、あるいは緑と変化に富んで飽きさせません。ただし、浮かれて不用意に歩いているとフェイントのようにひっそり口を開けている淵や釜が待っていたりしますから用心は必要です。そんな楽しい歩きを1時間ほども続けたところでようやくナメは終わり、地形図とコンパスの出番となりました。

二俣はそれほど多くはありませんが最後の一つで右へ進むべきところを誤って左に入ってしまい、30分も進んだところで「おかしいな」と気付き方角を確認すると北に進んでいなければならないのに西に向かっていました。このままでは南面白山の南の鞍部に出てしまいそうで、それはそれで小屋に戻る道はあるのですが、今回はこの山域の主峰である大東岳に登りたかったので仕方なく最後の二俣まで引き返し本流に回帰しました。

元の二俣からはこまめに方角を確認して進路に間違いがないことを確認しつつ遡行を続け、たやすく直登できる小滝をいくつか越えると、すっかり細くなった沢筋が大きく湾曲しているあたりに赤テープを見つけました。その先の遠くないところには鞍部の青い空も見えており、どうやらここが事実上の遡行終了点であるようです。

赤テープからは細い沢形を沢靴のまま詰めて行くと、ほんの5分強で登山道に出ることができました。ここで沢装備を解き履物をトレランシューズに替え、行動食をとって一休みしてから東の方の大東岳を目指しました。

良く整備された気持ちの良い登山道はいったん北に向かって林の中の緩やかな斜面を下り、権現様峠に達しました。ここからさらに北に向かえば奥新川峠を経て面白山、北西へ下れば仙山線の面白山高原駅、そしてぐっと折り返して南に登るのが大東岳への登山道です。

大東岳への「登山道」と書きましたが、立派だったのはこの峠の標識だけで、そこからまずは細い沢筋、ついであまり踏まれていないトラバースの後にやや立派な沢筋に入るのですが、沢装備で濡れることを気にせず登るのならともかく、左岸右岸を行き来しながら踏み跡を辿ろうとすると方向がわからなくなって途方に暮れる場面が少なくありません。確かに昭文社の『山と高原地図』でもこのルートは点線になっているのですが、それにしてもこのわかりにくさはいかがなものか?相当程度に山歩きに慣れていなければ、道迷いは必至と思われます。

下山したら昭文社にクレームの投書をしてやる!……と思いたくなる絶妙のタイミングで出てくる赤テープや赤布に振り上げた拳を下ろすこともできず、不承不承登りを続けているうちに徐々に沢筋は細くなり、そして沢を離れてからふた頑張りほどで頂上台地の一角に出ました。

平らになった道をススキの間を縫って進むと、赤く色づき始めた灌木帯の先に待望の山頂が待っていました。

その一角に苔むした石祠を置いた山頂広場からの眺めは北から東に向かって大きく開け、右手遠くには仙台市街も望めました。先客は年配の男性1人、さらに後から避難小屋方向から元気良く駆け上がってきた若者2人が合流して、それぞれの登ってきた道の情報交換を行いながら大休止となりました。

この辺りの山道に精通しているらしい先客のおじさんが権現様峠方面へ姿を消し、ついで若者2人も表コースへ下って行くと山頂は私の独り占め。しばらく孤独を楽しんでから、荷物をデポしてある避難小屋方向へ下山を開始しました。灌木の中のぬかるんだ道を進んで頂上台地の東の端に出ると小さな展望広場があり、こちらからは正面に南面白山、小東岳、糸岳、左手に神室岳、そしてその向こうに巨大な蔵王を眺めることができました。

頂上台地の周囲はこちらの東面も表コースの南面も急坂となっており、表コース側は「鼻こすり」、裏コースへ向かうこちらの坂は「弥吉ころばし」と名付けられています。確かに眼下の大行沢に向かって一気に下っていく道は見るからに急降下ですが、道筋は比較的しっかりしていて不安はなく、途中から樋ノ下大沢沿いを下って最後は緩やかに避難小屋へ通じていました。

今宵の避難小屋は貸し切りですが、わざわざ小屋の外に出て焚火をするのも億劫になり、濡れ物を屋内の物干しロープに目いっぱい掛けてから早々に食事を済ませ、19時には就寝してしまいました。

2015/09/22

△07:30 樋ノ沢避難小屋 → △07:50 石橋入口 → △08:30-50 北石橋 → △09:25 石橋入口 → △11:20 二口

3日目の空も雲が多いものの晴れ。下山のこの日は、小東峠を越えて山形県側に向かえば登り1時間下り2時間で芭蕉の句で有名な山寺(立石寺)に達することができてこれも魅力的に思えたのですが、せっかく大行沢に来たらもう一つ足を運んでおくべき場所があります。

一晩お世話になった小屋の板の間を箒で掃き清めてから下山開始。ほぼ平らな登山道の右下には、昨日遡行した大行沢のナメが木の間越しに見えています。

歩き出して20分で着いたのが石橋入口で、ここから奇勝・北石橋まで行ってみようというのがこの日の計画です。もちろん沢装備に変身してカケス沢を遡行すればさらに充実するのですが、それでは時間の関係で帰路にバスを使うことができなくなりますし、沢登り自体は昨日の本流遡行で既に満足しているので登山道を駆け上がることにしました。

トレランシューズでじゃぶじゃぶと大行沢本流を走り渡り、カケス沢の左岸の斜面の道をぐんぐん高度を上げると、やがて「姥楢」と名付けられたナラの老木が現れました。根元から下3分の2くらいまでは枯れているように見えますが、右上に1本伸ばした枝には鮮やかな緑の葉をつけているところは確かに姥桜ならぬ姥楢という感じです。

さらに緩やかな道をしばらく進んで小沢を渡り、もう一度下ったところでふと気付いて道を外れ左下に見えている河原に降り立ってみると、その目の前に北石橋がありました。

北石橋はその名の通りブリッジ状の石の下をナメ滝がくぐる不思議な景観で、何がどうしてこういう形になったのかはわかりませんが、自然の匠の技には目を瞠りました。ちなみに、わざわざ「北」石橋と呼ぶからには「南」石橋もあるはずですが、それはこの大行沢流域ではなく二口沢支流の泣虫沢のさらに枝沢の中にあるようです。

登山道に戻って少し進んだところで北石橋を裏からも眺め、ついでに石橋の上にも登ってみましたが、橋の上は薄い踏み跡があるものの灌木が密生していて歩きにくい上に、橋の向こうは岩壁に突き当たっているだけなのでほどほどに切り上げて、元来た道を戻りました。下山の途中で再び姥楢の前を通りましたが、こちら側から見ると確かに木の形が人の姿のように見えなくもありません。

カケス沢出合に達したところでこの辺りの幕場の様子を確かめてみると、いかにも快適そうな広場がいくつかありました。その一つにはまるで芸術作品のような焚火跡があって、これはどうやら煮炊きから魚焼きまでシステムキッチン並みに効率良くこなせる仕掛けになっているようです。後日この写真を見たかっきー氏曰く「釣り師の技」とのこと。なるほど。

見るべき程の事をば見つ。今はただ下山せん……と言いたいところですが、この裏コースはまだところどころに見どころを残していました。すなわち、初日に大行沢の中から木の間越しに見掛けた京渕沢の梯子滝、垂直の岩壁が左右に広がる裏磐司岩、そして横風を受けて滝の水の大半が雲散霧消する不思議な雨滝です。

これらの見どころを面白く眺めながらのんびり下って、それでもバスの時刻(12時半)の1時間以上前に二口に到着しました。ところが温泉はどこだ?と辺りを見てもそれらしい建物はなく、不思議に思いながらビジターセンターに入って温泉マップを見てみると(二口)温泉は閉鎖になりましたとの無情の表示。後でわかったことですが、この二口にあった一軒宿の磐司山荘は2014年3月末をもって営業を終了してしまったのだそうです。だから、地図には「二口温泉」と書かれているのにバス停の名前は「二口」だったのか……。

期待が大きかっただけに落胆も著しく、これはやはり、2015年版の地図に「二口温泉」と記載し続けていた昭文社にクレームをつけなければ気が済まないぞ!と思いながら、虚しく沢装備を天日干ししてひたすらバスを待つしかありませんでした。

最後にオチがありましたが、大行沢〜樋ノ沢のナメを堪能したこの沢旅は楽しいものでした。入口のゴルジュ突破も面白く、この沢は遠路はるばる足を運ぶ価値ありと言えます。ただ、やはり時間が足りなかったこともあって行き当たりばったりの計画になってしまった感は否めず、もう少し丹念にプランニングしてカケス沢を組み合わせるとか、あるいは二口沢とのダブル遡行にするとかの工夫の余地があったように思いました。

ともあれ、今年の沢登りはおそらくこれでおしまい。泊まり沢はこの1回で終わってしまいそうですが、来年は年間計画の中に沢登りをもっと多く組み込みたいものです。もちろん、ゆとりをもって交通手段の手配を行った上で二口沢をぜひとも遡行したいと思いますし、その下山後には欽明天皇の御代まで遡る長い歴史を持つという秋保温泉にも立ち寄ってみたいと考えています。