鋸岳

日程:2009/01/10-11

概要:戸台川を歩き、角兵衛沢を登って大岩下ノ岩小屋にテント泊。翌日、鋸岳の稜線を縦走して中ノ川乗越から熊穴沢を下降。

山頂:鋸岳 2685m

同行:現場監督氏

山行寸描

▲鋸岳第一高点から見た甲斐駒ヶ岳。上の画像をクリックすると、鋸岳縦走の概要が見られます。(2009/01/11撮影)
▲大ギャップの下降。支点は枯木とスリング、50mロープ1本で十分。(2009/01/11撮影)
▲第二高点から第一高点を振り返る。案に相違して厳しい縦走だった。(2009/01/11撮影)

ここ数年のこの時期は八ヶ岳が定番だったのですが、そろそろ行き尽くした感もあり、しかし厳冬期の北アルプスに行くのに十分な予備日がとれるほどいい身分でもなく……という訳で決まった行き先は、比較的気象条件のよさそうな南アルプスの鋸岳。以前、無雪期に単独で縦走して雷につかまり九死に一生を得たルートですが、一度トレースしたことがあるルートというのは安心感があるものです。今回の計画では、初日は戸台からゆっくり入って大岩下、2日目に六合目石室に達して、3日目に甲斐駒ヶ岳の頂上を踏んで北沢峠から下山のつもりでした。しかし……。

2009/01/10

△11:10 戸台 → △13:10 角兵衛沢標識 → △16:00 大岩下ノ岩小屋

現場監督氏との待合せは土曜日の早朝ですが、幸か不幸かその前日が全国的に荒れ模様の天気で、目指す鋸岳を含む南アルプス一帯にも雪が降った模様です。現場監督号は杖突峠を越えて戸台への林道に入りましたが、入山口の手前で急坂の路面凍結のリスクを考慮し、スーパー林道に続く戸台大橋の近くに車を駐めることにしました。

戸台沢沿いの道はすっかり雪に覆われていたものの、おそらく仙丈ヶ岳・甲斐駒ヶ岳に登るために北沢峠に向かっている登山者によってよく踏まれていて、歩行できないところはありません。多少曇りがちではあるものの穏やかな陽気の下、時折大きな堰堤を越えながら2時間ほども歩いていくと左岸の道に「鋸岳 角兵衛沢」の文字が明瞭な標識が現れ、対岸にはピンクテープをつけたケルンも見えています。鋸岳には先客が入っているらしく、ここから一筋のトレイルが沢をまたいでケルンに向かっており、我々も水量の少ない沢を簡単に渡ってケルンのところで一休みしました。

ケルンからは樹林の中の緩やかな、しかし面白みのない登り道をひたすら高度を上げていきます。先行者のトレイルとピンクテープとで迷う恐れもなく、約2時間の登りで懐かしい大岩に到着しました。前にここに泊まったときはハング下のテントサイトを独り占めしたのですが、今回は3張り9人が先にテントの設営を終えており残りスペースはわずかだったので、我々は最初ハングの外にテントを張ろうとしたのですが、圧倒的な壁を見上げてみると落石直撃の危険性もなきにしもあらず。そこで先客に一言ことわって、テントとテントの間の猫の額ほどの地所に現場監督氏持参のテントを設営しました。

初夏には豊かな水を供給してくれる岩小屋奥の水場もすっかり凍っていましたが、もちろんこの時期は雪を溶かして水を作るのでノープロブレム。この水作りというのも取り組み始めると不思議に手が止まらなくなるもので、2人とも嬉々として雪を溶かしては容器にためこんでいるうちに、燃料の消費を度外視して夕食+翌朝食+テルモスに使ってもなお余りある量の水を作ってしまいました。

こうして諸々準備を終えてテントの中に落ち着いてみれば案外地面も平らで快適で、これまた現場監督氏が持参してくれた梅酒パックで乾杯してからさっさと夕食を済ませると、速攻でシュラフに潜り込みました。何しろこの山行の直前の1週間は海外旅行帰りの時差ボケが抜けきっておらず、職場でもずっと眠い目をこすりながらPCに向かっていたので、ここで目いっぱい睡眠をとって一気に体内時計を補正するつもりです。ありったけ着込んでU.L.アルパインダウンハガー#2にくるまれば、十分暖かく眠ることができました。

2009/01/11

△06:35 大岩下ノ岩小屋 → △08:45 角兵衛沢のコル → △09:30-35 第一高点 → △11:20 第三高点 → △13:05-10 第二高点 → △13:40-45 中ノ川乗越 → △17:10 角兵衛沢標識 → △19:10 戸台

4時すぎに起床。周囲のテントも同じタイミングで起きだしており、それぞれに朝餉の支度をしている様子がテントの布越しに伝わってきます。

我々も含めて4張りあったテントのうち真ん中のテントにいた男性1人+女性2人のパーティーがまずスタートし、彼らが視界に入っている間に我々も後を追うように角兵衛沢を詰めるラインに入ってぐんぐん高度を上げました。今回は技術的には問題になるところはないはず、という理由からロープは懸垂下降用に2人で1本、ギアも長めのスリングとカラビナを4セットといった具合に最低限の装備に絞り込んであるのでいつもより背中は軽いのですが、斜度を増した角兵衛沢の登りはそこそこ足にこたえ、時折振り向いて自分が稼いだ高度を確認することを励みになんとか足を運び続けました。

現場監督氏と先行3人パーティーが相前後して角兵衛沢のコルに着き、しばらく遅れて私も到着。登っている間は穏やかに思えた空も稜線が近づくと急に風の音が唸りをあげるようになっていて、コルでは厳しく冷たい風が南西の戸台川側から北東の甲州側へ吹き抜けています。我々の後を追ってきていた残りの6人パーティーも、見た目は年配の人たちだと思えたのに意外に足が揃っていてすぐ下に迫っていたので、現場監督氏を先頭にただちに第一高点を目指しました。ここからの斜面は出だしクラストしていて斜度もそれなりにあり現場監督氏から「ロープどうする?」と確認を求められましたが、見た感じ確保は不要。そのまま半ば胸の高さから雪を切り崩すラッセル、半ば木登りといった感じで急斜面を登り、最後は傾斜の緩んだ尾根状を詰めて大展望の広がる第一高点に到着しました。

第一高点は狭いピークで、それだけに高度感は抜群です。右手に仙丈ヶ岳、その左奥には北岳、正面には甲斐駒ヶ岳、左手には八ヶ岳がきれいに見えていて、それはいいのですがとにかく風が冷たい!先行3人パーティーの1人は手を叩き付けるようにして血行を回復させようとしており、私も気付くと指がガチガチになっていたのでグローブを外して口の中で解凍しなければならなかったほど。そうこうしているうちに後続6人パーティーも到着して第一高点上は渋滞になってきたので、前進を再開しました。

第一高点から小ギャップまで前回どのように歩いたかの記憶がなく、先頭にいた私がちょっと進路を迷っているうちに3人パーティーが正しい方向を見出して先行したため、以後3人パーティー→我々→6人パーティーという順番が確定しました。部分的に急坂を後ろ向きに下り、あるいは右(戸台川側)から左(甲州側)へ発達した雪庇を右から避けるように絡んで甲斐駒ヶ岳方向へ向かうと、20分ほどで小ギャップに到着。3人パーティーが懸垂下降している間に対岸に目をこらすと、かつてはなかった立派な鎖が半ば雪に埋もれて見えています。3人パーティーのロープが下へ回収されていくのを待って我々もロープをセットし、現場監督氏がロープを投げ下ろそうとしましたが、右から左への強風に吹き流されてしまい少々手間取りました。

それでも相次いで小ギャップの底に降り立ったら、引き続き対岸の鎖をゴボウで登り返し。上部で傾斜の厳しい箇所がありましたが、ここは鎖に白いテープスリングがセットされていて、これをつかんで腕力頼みで強引に突破しました。ついでいったん左へバンドをトラバースしてから切り返して水平のリッジを少々微妙なバランスで右へ進み、リッジをまたぎ越して草付を下降。先行の3人のうち女性1人がなぜか単独行状態になって灌木を支点に懸垂下降をしていましたが、ここで6人パーティーが追いついてきてまたまた渋滞になってしまいます。現場監督氏はその灌木にスリングを巻き付けて上手にクライムダウンしていき、私は後続パーティーの先頭の女性の厚意でロープを貸してもらって懸垂下降(もちろん、私がセットしたロープで6人パーティーも懸垂下降してくるわけです)。そこから目と鼻の先に懐かしい鹿窓がありましたが、この季節は鹿窓をくぐらず、その右手から稜線通しに進むのが一応セオリーです。アイゼンの爪先をデリケートに扱う短い登りを経て気分の良い稜線漫歩となって、今回初めて踏むことになる第三高点に着きました。第一の次が第三というのも変なネーミングですが、第一・第二と異なりこちらにはそれらしい標識の類はありません。

そのまま前進を続け、大ギャップ手前のワンポイントIII級程度のクライムダウンを確保なしで突破するところが今回の山行中技術的には最も難しかったところで、グローブをはめた状態では十分にホールドをとらえることができず、デリケートに足を運ばなければバランスを崩して大ギャップの甲州側のルンゼに真っ逆さまに墜ちてしまいそう。しかしここを慎重に抜ければ、すぐ下に大ギャップへの懸垂下降ポイントが現れます。支点は白く枯れた灌木にスリングを何本も巻き付けた貧弱なもので、小ギャップの支点の充実度と比べると雲泥の差ですが、これくらいがアルパイン的と言えるかもしれません。ここでも先行3人パーティーが下りきるのを待って、今度は私から下降開始。小ギャップでロープを吹き流された反省を活かして現場監督氏がロープを繰り出してくれましたが、ロープ長の半分ほどを下りて残りを現場監督氏が投げ落としてくれたところ、その末端が私のはるか上で岩に引っ掛かってしまいました。マジ?登り返すには厳しい傾斜なんだけど……と一瞬焦りましたが、この時点で大ギャップの底にかなり近いところまで下りており、後は埋もれたフィックスロープを掘り出せば雪の斜面を簡単にクライムダウンできることがわかってほっと一安心です。

後続の現場監督氏が無事にロープを回収し、ここから寒風が吹き上げてくるルンゼを、しっかり固まった雪にアイゼンをきしませながらそそくさと下降します。ある程度下ったところで振り返ってみるとかつて無雪期に鹿窓ルンゼからこの大ギャップのルンゼまでトラバースしたバンドが確認でき、さらに少々下ったところから左手の斜面に入ったところでようやく風の執拗な攻撃から逃れて小休止。テルモスのホットレモンを飲みながら時計を見たところ、この時点で既に12時20分です。うーん、私の心づもりとしては中ノ川乗越に正午までには着いているはずだった(さらに白状すると山行前には「2日目に甲斐駒ヶ岳まで行ければ!」などと威勢のいいことを言っていた)のですが、一部渋滞があったとは言ってもこれは予想外。それに、実は再三凍った指先を口の中で溶かしているうちに右手薬指と中指の状態が思わしくないことにも気付いていました。

岩壁に沿った斜面を登り返して最後は短いルンゼ状を詰めると、第二高点に到着しました。これも旧知の仲の鉄剣と再会し、すっきり高い第一高点をバックに記念撮影。先行3人パーティーはさっさと先に進んでいる様子ですが、それにしても甲斐駒ヶ岳は遠い。追いついてきた6人パーティーに聞いてみると彼らは最初からこの日下山予定で、この後、中ノ川乗越から右手の熊穴沢を戸台川に向けて下降するとのこと。我々はどうしよう?6人パーティーの先頭に立って後ろからがんがん迫っていた女性は「もったいないですよ、甲斐駒まで行ったら?」と勧めてくれてはいるのですが……。

第二高点からの下りは、中ノ川乗越までのちょっと急な開けた斜面。先行3人パーティーはしかし、その斜面での雪崩を警戒して右手の樹林帯の中を下降し、途中から渡り返して左の岩尾根沿いに降りていきました。我々も、そして後続の6人パーティーもその後を忠実に辿って、無事に3パーティーが中ノ川乗越に集結しました。

ここで現場監督氏と最終意思確認。

現「どうする?」
私「……時間切れだと思う。」

ここから六合目石室へは夏なら十分明るいうちに着けるでしょうが、この雪の状態で三ツ頭までの北面の道を行けば相当に時間を消費することになるのは必定。さらに指のコンディションの問題もあり、現場監督氏には申し訳なかったのですが、下降を選択しました。そんなわけでここで我々と6人パーティーは、3人パーティーに対してこれまでのラッセルへの感謝とこれからの健闘を祈る言葉を掛けてから熊穴沢を下降しました。

下りは速いかと思っていたのですが、この下りもかなり絞られました。薄く乗った雪の下にごろごろの岩が隠れた沢筋の下降は非常に歩きにくく、思わぬところでアイゼンのツァッケを引っ掛けて転びかけることもたびたび。とうとう下から3分の1ほどの場所で転んで思い切りすねを打ち付けてしまいましたが、そこで頭にきてアイゼンを外し、ストック2本を突きながら滑り降りるように下ると案外スムーズに下れるようになって、それでも3時間以上もかかってやっと戸台川に降り着きました。

戸台までの道も長く、途中からはヘッデンでの歩きとなりました。夜間歩行自体は苦になりませんが、さすがに出発から半日ほども歩き続けとなると足腰よりも肩や背中が痛くなってきて、最後の方はぶつぶつと怨嗟の声を漏らしながらの歩きになってしまいました。

下山後に戸台口近くの仙流荘で入浴しましたが、幸い指先の色が変わるほどではなかったものの、手足の指が痺れていました。この痺れはその後も続き、このレポートを書いている2月4日現在も右手薬指の第一関節から先の感覚が完全には戻っていません。これは南アルプスだからと甘く見てグローブの選択を誤った結果です。

そして我々が稜線で寒風にめげそうになりながら縦走を続けた1月11日に、1人のクライマーが日帰りでこのコースを縦走しようとして行方不明になってしまいました。数日後に所属山岳会が捜索に赴き、その際に縁あって我々も電話で伝えられる情報は伝えたのですが、ついに所在をつかむことはできなかった由。一ノ倉沢の烏帽子沢奥壁大氷柱をも登ったすぐれたクライマーであったこの方が、どの場所で、どういう理由で行動を継続できなくなったのかは不明ですが、こうなると私のような単純ミスという話ではあり得ません。登山 / クライミングという行為が内包するリスクが時として我々にもたらす思わぬ仕打ちには慄然とするばかりです。