塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

北岳(敗退)

日程:2004/07/17-19

概要:北岳バットレスを2本登るべく白根御池に入ったものの、雨天のため収穫なし。

山頂:---

同行:現場監督氏

山行寸描

▲レスキューヘリに吊り上げられるクライマー。見てるだけで怖い……。(2004/07/18撮影)
▲Bガリー大滝を登る先行パーティー。我々はここで断念。(2004/07/19撮影)

海の日の三連休は現場監督氏と北岳バットレス。土曜日に白根御池に入り、計画では日曜日に第四尾根から中央稜へ、月曜日は下部フランケからDガリー奥壁をつなぐことにしていました。今年の南アルプス林道はちょうど三連休の初日から開通(ただしバス・タクシーのみ)で、我々は9時すぎに甲府に降り立ち、相乗り客を見つけてタクシーで広河原を目指しました。

2004/07/17

△11:10 広河原 → △13:00 白根御池

広河原はそこそこいい天気。天気予報によれば、この3日間はまずまずのコンディションになるとのことでした。軽くストレッチなどしてから野呂川の吊り橋を渡り、登山道を登り始めます。

今回、テントは現場監督氏に持ってもらっていますが、私も装備にはカムやアブミが含まれていて水も含めると20kgちょうど。初日は白根御池までなのでゆっくりペースで淡々と坂道を登っていきました。それにしても、異常健脚のNiizawa氏がいないと登りがこんなに楽だとは。そのことを口に出すと、現場監督氏も「あれはイカンですよ」と同意してくれました。

2時間かからずに白根御池に到着し、受付でテン場代を払ってからテントを張る場所を物色して、池の奥の方の地所を占有することに決めました。見上げるとバットレスの上部は雲の中で、第四尾根のマッチ箱も最初は見えていましたが、やがてガスに包まれてしまいました。テントを張り終えて、さて取付までの偵察にでも行くか、という話になってはいたのですが、手洗いを使った私がつい魔が差して(?)ビールを2本抱えてテントに戻ると、現場監督氏も口では「塾長さん、しょうがないなぁ」とあきれながら顔は喜色満面。後はビール、昼寝、夕食、就寝とまったり過ごしてしまいました。

2004/07/18

△12:40 白根御池 → △13:00 二俣 → △13:25-16:00 バットレス沢出合付近 → △16:15 二俣 → △16:30 白根御池

この日は午前2時半起床、午前3時半出発の予定でしたが、夜半に雨がテントを叩くかなり強い音がして出発を断念。うだうだと4時すぎまで寝てしまいましたが、どうやらこの天気で他のパーティーも行動を見合わせている模様です。明るくなってからも降ったりやんだりを繰り返し、早々と下山してしまうパーティーも見受けられました。我々もこの日のうちに下ってしまうか?とも考えましたが、ラジオの予報によれば南下した梅雨前線がこの雨をもたらしているものの、明日の天気は良い方向に向かう可能性がありそうなので、1日停滞することに決めました。午前中はとりとめのないおしゃべりをしながら過ごし、昼すぎに空模様が落ち着いてきたのを見計らってD沢出合まで下見に行くことにしました。

まったくの空身で水平の道を二俣へと歩き大樺沢沿いの道を上へ向かうと、10分ほども登ったところで上から降りてきたビニール合羽の登山者が「無線を持っていませんか?」と声を掛けてきました。聞けば動けなくなった登山者が上にいるとのことですが、こちらは無線はもとより水すらも持っていません。ビニール合羽氏がさらに下っていくのを見送ってから我々は引き続き高度を上げていき、やがてバットレス沢らしき沢筋が右から入ってくる場所に到達しました。そこの庇を張り出した大岩の下に黄色いツェルトが吊り下げられており、ここに荷物をデポしてBガリーへ向かったクライマーがいるのかな?と思いながら近づくと中に人がいる気配がします。「すみませーん。ここがバットレス沢ですか?」と呑気に声を掛けると「そうですー」とこちらも緊迫感のない声で返事がありましたが、実はこれが先ほど話を聞いた『動けなくなった登山者』でした。

どうしたのかといえば、今朝、あの雨の中をBガリー大滝をソロで登り始めて、最初のランナーをとるところでバランスを崩しグラウンドフォールしてしまったとのこと。本人の言によると右膝の皿がこなごなで、腕も黄色いヤッケの内側から赤く染まっていました。落ちたのが9時20分で、そこから3時間もかけてここまで降りてきて通りがかりの登山者に救助要請を託したようです。怪我は重そうですが関西人(堺から来たとのこと)の気質なのか表情は暗くはなく、唇の色も青くはなっていないので今のところは大丈夫そうです。あいにく我々は助けになるものを何も持ち合わせていませんが、しばらくすると登山道を上からクライマーの男女ペアが降りてきたので声を掛けて合流していただきました。これが運良く京都岳連の遭対の方で、昨夜は緩傾斜帯の上でビバークして今日上まで抜けてきたところ。事情を聞いてさっそく温かい飲み物を作り、食料を遭難者に勧めてくれました。さらに声を掛けてきた別のクライマーもいて、顔を見たら『チャレンジ!アルパインクライミング』などでおなじみの廣川健太郎氏でした。奥さん・娘さんを連れておられて、京都ペアとも顔なじみのようです。先ほどのビニール合羽氏が正しく白根御池小屋に急を告げてくれていればそれほど時間がかからずに救助が来るはずですが、連絡がきちんと届いているかどうか確認するといって廣川氏一行は下っていきました。

なかなか救助が来ないなぁとじりじりしながら長い時間を待ち、とうとう現場監督氏が伝令役をかって出て下って行ったと思ったら、すぐに背負子を背負った小屋のご主人と戻ってきました。小屋のご主人は遭難者の様子を確認してから無線で救助を要請。風が強くてヘリが飛べるかどうかわからないそうで、北岳山荘からも助っ人が3人降りてくるそうです。ビニール合羽氏も戻ってきて一同で遭難者を大樺沢沿いの開けたところへ下ろすことにし、小屋のご主人の背負子に遭難者、現場監督氏と私が荷物を担いで少々下りました。折よく無線にヘリが飛ぶことになった旨の連絡が入り、まずは安堵。正義感の強そうなビニール合羽氏は「ケガ人がいるのだから風が強いとか言ってないで飛べよ!」と憤慨していましたが、バンカラな小屋のご主人は一言「怪我する方が悪い」。

ややあって南の方から飛んできたヘリが姿を現し、小屋のご主人と遭難者を残して我々はヘリの爆風を避けるために数十m下ったところで待機しました。ヘリは上空を旋回して風の様子を見極めてからいったん離れ、再び近づいてきたと思ったら、ヘリの横の扉ががらっと開いて上からレスキュー隊員が吊り下げられて降りてきました。この間、ローターが吹き下ろすもの凄い風があたりの木や草を薙ぎ払い、我々も身をかがめて様子を窺っていました。レスキュー隊員を下ろしたヘリは再びこの場を離れ、隊員が遭難者のもとに歩み寄ると小屋のご主人が入れ替わりに我々の方へ退避してきました。しばらく時間をかけて吊上げの準備が終わったところでヘリが近づいてきて、またしても吹き下ろしてきた強い風に、取り残していた小屋のご主人のデイパックが吹き飛ばされました。遭難者はヘリから下ろされたロープに吊り下げられて直ちにぐんぐん巻き上げられ、その高度感は見ているこちらが怖くなるほどです。

レスキュー隊員は残されたままですが、ヘリはいったん飛んで行ってしまった模様。ここで我々も御役御免となり、引き揚げることにしました。ビニール合羽氏は先に広河原へ下り、京都ペアとも二俣で挨拶をして別れました。

2004/07/19

△03:00 白根御池 → △03:25 二俣 → △03:55-04:40 バットレス沢出合 → △05:10-06:00 Bガリー大滝取付 → △06:55 バットレス沢出合 → △06:55-07:00 二俣 → △07:15-08:30 白根御池 → △09:40 広河原

下部フランケ〜上部フランケ(〜中央稜)のプランに切り替えて今日も2時半起床の予定でしたが、鹿の鳴く物悲しい笛のような声が遠く夜通し聞こえ、2時にはあたりのテントが準備を始める気配に目が覚めてしまいました。手早く朝食を済ませ、3時にテントの外に出ると東の方がほの明るくなっています。昨日往復した二俣への道を進み大樺沢に出たところで暗闇のために方向を一瞬見失いかけましたが、上の方には既にいくつかのヘッドランプが動いていて正しい道へ戻ることができました。そのままどんどん登山道を登って昨日のバットレス沢の大岩に到達しましたが、この頃再び雨が降り出してきました。大岩の庇の下では相模労山の5人パーティーが雨宿り中で、お互いに挨拶を交わしながら浮かぬ顔で空を見上げたり、大岩でボルダリングのまねごとをしたりしながらしばらく様子見です。

やがて雨はどうにかあがって、他のパーティーが目の前を通過していくのにつられるように相模労山パーティーは腰を上げてD沢方面を目指していき、我々も下部フランケは諦め、バットレス沢の右岸を巻き上がってBガリー大滝まで行ってみることにしました。すぐ上でビバークしていた2人組に「3時頃ここを20人くらいの大部隊が通過していきましたよ」と教えられて仰天しながらも、明瞭な踏み跡に導かれてバットレス沢を詰めていくこと30分、下部岩壁の取付が見えてきました。Niizawa氏の記録によれば去年は8月第1週まで雪が残っていたという取付も、今年は雪が完全に消えてざらざらした斜面になっています。先行しているのはガイド+お客2人の3人組が2パーティー、4人組が2+2で合計10名で、これだけの人数が顕著なクラックの1ピッチ目を越えていくのに1時間弱。そうこうしているうちにもガスがあたりを取り巻いて雨が再び降り出し、岩はびしょ濡れになりました。

一応装備を身に着けて待機していた我々でしたが、顔を見合わせて「……降りようか」。今回は新調したマムートのベルベット(シューズ)のデビュー戦のはずだったのですが、これでは仕方ありません。先行パーティーのラストに「私ら降ります」と告げると、彼も元気なく「行けるとこまで行ってみます」と返事してくれました。

白根御池小屋に着く頃には東の方から雲がとれてきて、明るい夏の日差しが差し込み始めました。自分が撤退したとなると他人の都合にはおかまいなく条件悪化を願うのが人情というもので、「こうなったら雨になってもいいぞ。てゆーか、降れっ!」。

しかし、バスの時間を見計らって広河原に下り吊り橋を渡るところで振り返ってみると、山頂は雲に巻かれてはいるものの青い空も広がり始めています。ビジターセンターのスピーカーからはうれしそうな「3日ぶりに北岳が姿を現しております!」との声が流れていて、ヤケになった我々はここからそのまま横浜の「B-PUMP2」に殴り込みをかけたのでした。